なんか

2001年9月30日

直リンクはマナーに反しますか。さっさとアンケート作って そのへんを聞いてみよう。もちろんシスプリ人気投票も。

DVDにはCSSという機構があって、そのために一般人はDVD再生ソフトを作れない らしい。 もちろんどこかのえらい(悪い)人が そういう機構を打ち破るものを提供しているはずだが、表には出ていまい。 肝っ玉の小さいことだと思いはするが、向こうも生活がかかっているのだから 仕方ないのである。 そして アレクサンダー戦記はもろにその機構が組み込まれているので 見られない。仕方なくwindowsのDVDソフトを買いに行ったのだが、 ソフトだけ売っていることはまるでなく、やむを得ずDVDドライブをもう一台 買うハメになった。試しにドライブだけ変えてソフトはpowerDVDのまま でやってみたら、やはり同じところでハングする。ドライブは悪くない。 で仕方なく今回ついてきた jet audioというのを使ってみたら、こんどは不安定すぎてすぐ落ちる。 加えて仮にちゃんと動いたとしてもとんでもなく使いにくい。 なんで世の中はこうもうまく行かないのだろうか。 windows用でコマンドラインの再生ソフトはないのか。作れ。 とりあえずかくなる上はwindowsを入れ直すしかない。 いやこの際だから2000も入れよう。CVGS用のwindows98と その他用のwindows2000でデュアルブートにする。

2001年9月29日

みスを。式子失敗のち椎奈。 普段オレがこの日記に書いてるようなことが、 オレなどよりよほどうまい言い方で書かれていて、また師に出逢ったと感じた。 しかしそれはそれとして、これはギャルゲーとしては失敗というか失格である。 オレの見る所ではこの人はギャルゲーというものをわかってはいるが、 しかしそれはそれとしてギャルゲーを作ることには向いていない。 むしろ、物語を描くということそのものに向いていない。 だが、向いていなければやってはいけないということは断じてないわけで、 いいじゃないかつまり。向いていないというのは多数の支持を得るのはむつかしい という意味であって、それ以上でも以下でもない。 何を言ってるのかわからんが、つまりオレはずいぶんとこの人に 親近感を感じているらしいということだ。 この文章が誉めてるかけなしてるかはかなり微妙だとは思うし 実は自分でもどっちかわからんのだが、しかしとりあえずオレはこの人が好きだ。 それにしても本気でキャラどうでもいいな。ごめんなさい。

しかしこれ、「ボクを奴隷にして」から受けるイメージだけで買った奴は 本当に後悔することになるな。コンプリートしたら感想やら批評をちょいと あさってみよう。オレとて人生のこの時期に見たから好きになっただけで、 仮に3年過去か未来にズレていたら齒牙にもかけなかったかもしれないのだから。 やはりそうするとフロレアールはズレていたのだろうか。

言葉に不信感を持つのは言葉に頼っていたからこそだろう。 ある日突然言葉で語れないことを見つけて裏切られたような気分になる。 しかし、本当の真実はその先、つまり一度は裏切り者として退けた 言葉を許してもう一度受け入れた後にあるのではなかろうか。 おそらくこういうことは言葉に限ったことではあるまい。 案外人間も同じかもしれないとも思う。 ああ、こういうことを考えるのが若さという奴なのかもしれぬなあ。 オレもまだ若いらしい。というか、青いわ。 青さを引き出してくれるみスをに完敗。と字が違う。乾杯。

この記事おもしろい。

ゲームボーイ登場は89年。みスをの舞台はそのあたりの時代だと思われる。 386sxの16MHzと言えばPC9801FSであり、それはオレが中学生のころに うちで買ったFXの上位機種だ。たぶん中学二年だったからちょうど10年前。 マシン語に挑戦して青い四角を表示したくらいで挫折した覚えがある。 結局ロクなことには使わなかった。変換するごとにフロッピーを読みにいく ワープロとか、プリンセスメーカーとか。あの時にもっと真面目に プログラムをやってれば今頃すごいことになってたかもしれないが、 済んだことは仕方ない。当時はそれどころではなかったのだから。 しかしそれはそれとして、89年にはこんな制服ねえ。というか、今でもないだろ。 それにしても制服よりもこいつらの髪の毛が気になって仕方ない。 反重力エンジンでも積んでますか。

何かを学びとることが楽しいのと、何かを学びとったと思うことが楽しいのは まるで違うことだが、そう簡単に分けることはできない。 さて今回はどんなバランスだろう。 5:5か、4:6か。本当は10:0にしたいんだがオレの場合それはたぶん無理だ。 6:4ですらむつかしいかもしれない。 3:7より偏ったら危険信号かな。

みスを改めて式子。いろいろわかる気がするが、式子の気持ちがわかるのでは なくて、作者の伝えたい世界に共感できる気がするという感じだ。 どうにも普通にキャラに埋没できない。ただそれは キャラがショボくてがっかりというよりは、それどころでない といった方がしっくりくる。 自分のことで精一杯で他人(=キャラ)にかまっている余裕がない。 けっこうSense Offもそうだったが、アレよりもタチが悪い。

どうにも声と文章と絵がちぐはぐに感じられるのは何故だろう。 Sense Offの時はそうでもなかったことを考えると、 文章が浮いているというよりは絵と声が下手くそなのが原因だと思う。 あの人の文章が声をつけたり絵をつけたりするのにそもそも向いていないのは 事実だろうが、それはそれとしてレベルが足りないのは声や絵の方である。 あの絵は見た目はきれいで売れそうだが、どうにもうまくない。 なにしろなんかが伝わってこない。だからもっぱら文章ばかり見て 絵なんてほとんど見ていなかった。どの表情を見ても定式化されていて なにやら死んでいる。 思えばSense Offは一見あまり売れ筋の絵ではないが、空気を描くことにかけては ずいぶんと高レベルだったような気がする。なんといっても やってこんなに時間が経っているのに表情や風景が思い出せるのだから。

オレにこんなことを書かせるなんて、本当に変なギャルゲーだ。

包丁を砥ぐ夢を見た。起きたらなんか無性に砥ぎたくなったので、 砥ぐことにした。刃こぼれだらけでガタガタだったものが次第に 滑らかな曲線になってくる。ところで、さてこれくらいにするかと思ったところで 試し切りをするものがないことに気づいた。ちくしょうこの オレの試し切りたい情熱はどこへやったら良いのか。 これからキャベツを買いにいこうと思う。

アニ同の落書帳にアレクサンダーを描いて悦にひたる。ムズいが、 マルチを描くのに比べればはるかに楽だ。オッサンなんて歪んでもオッサン だが、かわいい女の子は歪んだらかわいい女の子どころか かわいくない女の子にすらならないのである。 ところで、手がなまっている割に頭は冴えている。 長い間まともに描いていないのだから手がなまるのは当然だが、 なんというかまんま物を見るスキルが上がっているのが不思議だ。 てきとうに描いてもなんとなくそれっぽくなる。なんか気持ちいい。 オレでもひょっとして練習すれば下手じゃない程度には うまくなるんじゃないだろうか。

みスを悠歌。なるほどオレは無邪気であったらしい。 しかしともかく、このシナリオに関してはいまひとつ感じられない。 悠歌と主人公の関係は、まんま作者と読者の関係にあてはまる。 目をつむってみようか。

みスを霞。悪いが一番どうでも良い。他の奴等にバレまくるあたりは おもしろいが。ところで、はみゅにだんだん慣れてくる一方で だんだん苦痛になってきた。両立するんだなこれ。

なんか出てきた!!なんか!!なるほどこいつか!!

完了。なるほど21世紀はギャルゲーの世紀だ。何を言いたいかがだいたいわかった。 わかったと思う。オレにとっては実にタイムリーでだいたい思ってたことを わかりやすく言葉にしてくれたという感じだ。 もうキャラの印象なんて全部消え失せて元長先生自身の心理描写を 見ている気分だった。 ところで、むつかしさ云々の話でなく、ハナっからそういうことを考えていた人 以外は何とも思わないと思うんだがなこれ。 そういうことを考えるタチでない人にとっては全てが演出にすぎまい。 それもとびっきり出来の悪い演出だ。 おもしろかったが、語られる内容とそこから想像される作者の像が おもしろかったのであって、ギャルゲーの形態を成していたこと自体は けっこうどうでもいいという結論。 ギャルゲー以上かつギャルゲー以下の存在。

目の疲れが本格的にヤバい。 しばらく物を凝視するのを避けるしかないのだろうか。 とりあえず今すぐに片づけないとヤバいものを片づけ次第 できるだけ物を見ない生活に移ろう。 ここらで完全に直さないと後々まずいことになる。 なにしろ人の顔を見ているだけで疲れがたまってくるのだ。 そのせいでアニ同の月見コンパも早く帰ってこざるを得なくなった。 さっさと直して夜通し誰かの家で遊んでいられるようにしよう。

みスをについてはもうちょい熟成してからまとめて書きたい。 しかしまあ今のところの基本的な印象は、言いたいことはわかるし共感できるし つまるところ元長先生が好きなのだが、 くどいしそこまで言わんでもわかるしキャラはアレだし 話もアレだし、つまり作品としては落第かという感じだ。 おもしろかったが、そういうおもしろさはいいのかと正直思う。 しかしそれはそれとして、あれで語られた事について 自分なりにちょっとは考えてみようとは思うのだ。 でないとせっかくの出逢いが無駄になってしまってもったいない。

目が痛いので書きたくないんだが、何か考えると書かずにはいられなくなる。 そして書けないと思うと考えるのが恐い。だって忘れてしまうから。 すっかりキーボードで考えるクセがついてしまった。 この目の痛みは「そういうのはアカン」という神の啓示なのかもしれない。

2001年9月28日

みスを。やっぱりこのシナリオ書き変な人だ。絶対変な人だ。 作中のキャラよりもずっと作者本人の方が立ってると思うんだがどうだろう。 式子とか主人公とかはどう見ても作者の分霊だし、 霞とかはお膳立てやらネタの域を出ていない。 そういうのはあまり歓迎できないことのはずなのだが、 しかし不思議にそんなに辛くないし、むしろなにかがおもしろいのである。 理屈っぽくてネタ命の人なのは確かだが、その理屈を駆動する大元のところが かなり変な人なのではないだろうか。

ところでシスプリアニメの山田はただうっとうしいだけのキャラではなく、 作者の言いたいことを隠喩の形で表現する役割を負っている存在だ。 言うならばあの世界へのツッコミを一身に背負った存在である。 ただ、それがあんまりにもあからさまなので、 結局のところただうっとうしいだけ であるよりも余計にうっとうしいのである。とある文化風に言えば「 ウゼー氏ね、逝ってよし」だ。 テーマは見終わった後自然に現れてくるようなものでなくてはならず、 台詞であれシーンであれそんな具体的なものでドカンと提示されては ブチ壞しである。みスをのシナリオ書きも質はともかく 微妙に同じことが言えるのだが、 それでも気にならないのはオレが作者を気にいっているせいだろう。 案外今フロレアールやったらそこそこ気にいるかもしれない。

ギャルゲーのシナリオを書くってのはおもしろそうだ。 書いたものがおもしろくなる保証は全くないが、オレが書くということが オレにとっておもしろいイベントとなる。おそらく何らかの形で自分 というものが見えるはずだ。漫画でも日記でもそれは見えるが、 敢えてこの文法でやることによって 普段認識しない自分の形がよくわかるような気がする。 ただ、たぶんダメだ。おそらく形にすらなりゃしない。 人には致命的に向いてないということが確実にある。

アレクサンダー戦記10話まで。デザインセンスとセリフやネタのうさんくささ以外は 極めてまっとうでむしろ古くさくてダサい作りなのだが、 超絶なデザインセンスと「速度」「プラトン立体」「ファランクス」等の ネタのすさまじさのおかげでとんでもなくおもしろいものに仕上がっている。 ところが作品と全然関係ないところで問題が生じた。 途中のある場所で 決まってPowerDVDがハングするので先を見られないのだ。 ハングする場所をスキップして再生することもできない。 FreeBSD機でXineを使ってみる手もありそうなのだが、 CPUがK6なのでおそらく辛かろう。 ともかくも別のDVDソフトを手に入れるしかあるまい。 それでダメならPS2を持ってる奴に見せてもらうしかない。 これを機にFreeBSD機をパワーアップしてDVDもこっちで見られるように すべきだろうか。DVDなどと言うこれからはメインの一つになるであろう用途を windowsに頼るのはあまりに不安だし不便だ。コマンドラインで事足りる。

Sense OffのドラマCDの成瀬が半場友恵でつまり四葉だったことに気づいて 聞き直したら確かに四葉だった。ちゃんと芸ができる声優らしい。えらい。

炎多留をこのままにしておくわけにはいかないようだ。 最低でも一人はクリアしないと面目が立たない。 みスをの次にどうにかする。なお積んである君望は無期懲役。 前やったセーブデータがないので一度読んだ所も読まねばならんのだが、 それが辛いのである。 読んでないところがいつ出るとも限らないのでctlrで飛ばすのもイヤだ。

所持金が2ケタ。

衒学趣味

  そういやオレは恋愛したことがないのだった。見たことのないものを 書くのはショボくなる最大の要因であって、基本的には避けるべきである。 それでも書くというならばできるだけ自分の持っている経験で それに近いものを出発点として聞いた情報を駆使して それを描くしかないのであって、 たとえば恋愛であれば友情やらなにやらを元に近似するしかない。

  関数形がわからないF'(x)を知りたいがどうしてもちゃんとはわからない時に 近似としてF'(x)に良く似た関数F(x)を使う方法を摂動法という。 量子力学なんかでよく使う手で、例えば水素原子とヘリウム原子は 電子が一個あるか二個あるかだけの違いだから、ヘリウム原子の 関数形はすでにわかっている水素原子の関数形にそこそこ似ているだろう、 という考え方である。 あとは電子が一個増えたことによる影響をG(x)として足せばいい。 F'(x)=F(x)+G(x)とするわけだ。 先の例で言えばF(x)は自分が持っているなかで F'(x)に似ているであろう経験、そしてG(x)は伝聞やら本やらの情報を元に あれこれ想像したことにあたる。 F(x)も個性なら、G(x)も個性であり、その結果実際にF'(x)を得ていたら到底 描けないようなとんでもないF'(x)をはじき出してしまうことがあるのが おもしろいわけだ。SFやらファンタジーがおもしろいのはそこである。 しかしもちろん元となるF(x)があんまりF'(x)から遠かったり (女描くのに男の頭しかわからんかったらそりゃショボかろう)、 そもそもF(x)が貧弱だったり(なんか実感がこもってなくて薄っぺらい)、 G(x)が型にはまりすぎてたり(借り物を使いすぎ。またエルフかよとか)、 G(x)が不十分だったり(宇宙なのに二次元かとかな)、 まあそういう要因でSFやらファンタジーはあっと言う間にショボくなる。 まあそのショボさも個性ではありおもしろさの源泉になったりもするのだが、 基本的には歓迎できたことではあるまい。 そういうわけでむつかしいジャンルと言われるわけだ。しかし、 これは物語全てに言えることで、SFやファンタジーに限ったことではない。 ギャルゲーでもだ。

  と、このようにむつかしげな学問用語を持ち出してきて自分の思いを説明 しようとするのはなにも奇抜さを狙っているだけのことではない。 たまたまそれを使えば表現できそうな気がしたから使うのだ。 どうしたら思いを伝えられるだろうと考えてるうちに たまたま自分が今まで学んできたそういうものがポンと出てきてしまうのである。 おそらく元長先生もそうなのではないだろうかとオレは勝手に思う。 衒学趣味と言うといかにも演出として、あるいはお遊びとして、 言うならばただ風味としてのみそういうものを用いているだけという響きがあるが、 いくらなんでもそれは冷たすぎないか。 そういう、回りから見たら衒学趣味と言われるようなものを たまたま見て育ってきてしまったというのもつまりは個性であって、 確かにそれが演出として使えるという計算はあるにせよ 根っこのところでは普通と何ら変わらない表現の形なのではないかとオレは思う。 とかいいつつ、エヴァはヤだ。それっぽい演出が伝えたいことにつながってない 気がするわけで、なんかそれこそ借り物くさいのだ。

2001年9月27日

例の企画。 聞いてるうちに耳が肥えて、というか耳が慣れて、 いやむしろ耳が倦んできたので、最後まで行ってから もう一度最初から数秒づつ聞いて回る。案の定 だんだん評価基準が変化していっていた。

夢枕獏の餓狼伝は二人の漫画家によって漫画にされたが、 決定的に違う作品になってしまった。 同じことを仲間うちでやるのもおもしろいかなとふと思ったのだが。

シスプリ25、26。最終話。普通になにやらいい話になって終わり。 絵はまとも。まあこんなもんですな。

フルバ12、13。大地。13話はまた後半がクサかった。 それはいいとして、もみじ。

頭の中はチュ。すごい歌だ。チューチュ言ってるだけではなく、曲の出来も良い。 こびりつく。それと山歩きとか世界のナースとかロボットロロロとかの奴。 一体どんな作品なんだ。そして一体どんな局面でこんな歌がかかるのか。

自分で締切を決められなくなったオレにとって 漫研だけがオレに締切を与えてくれる存在だ。 そして漫研が締切をくれるのは今回が最後なのである。 これで描かなかったらこの先漫画を描く機会などあるまい。

2001年9月26日

C++の練習。というか実験。だいたいなんとなくわかった気がする。 vectorとかの使い方がだいたいわかった。 ついでに組み込み型の配列に比べるとけっこう遅いこともわかった。 クラスとかメンバ関数とかの概念と使い方がなんとなくわかった。 newとdeleteでメモリをどうこうする方法もなんとなくわかった。 リファレンスというのが演算ができない制限つきのポインタ であることもわかった。オブジェクトというのがつまりは連続した記憶領域で あることもわかった。 それはつまりメモリに入ってるものはなんでもオブジェクトだということで、 それはUNIXでみんなファイルなのになんか似ている。ファイルにはディレクトリ とかブロックデバイスとかただのファイルとか属性がついているが、 オブジェクトには型がついている。ファイルと結びついた ofstream型とかifstream型のオブジェクトを作れば、それを通して入出力できる。 クラスもオブジェクト。関数もオブジェクト。 整数もオブジェクト。配列もファイルハンドルもみんな オブジェクトだ。なんか間違ってるかもしれないが、 今のとこそんなもんでいいだろう。なんとなくC++というものが見えてきた気がする。 少くともこれで敢えてCを使う気はしなくなった。C++を使ってC風のことはできる。 本はそんなことはしないことを推奨していたが、練習だからいいだろうし、 そういうことが必要になることもそのうちあるはずである。 ただ、C++の標準関数はCのそれに比べてバカみたいに多いので、 大枚をはたいてそれのリファレンスを買う必要がある。 「プログラミング言語C++」はC++を勉強するのには最適で必要十分な本に思われるが、 いざ使うとなるとちと不便なのだ。 どなたかいい本を知っていらっしゃったら教えてください。

物がわかるというのは実に楽しい。ある物を見て学ぶことの量は それまでの経験に比例するため、勉強すればするほど同じものから たくさんのものが得られるようになる。やり方さえ最適なら知識は 指数的に増える一方だ。そういうわけで、 やっと「プログラミング言語C++」をどうにか読めるように なったのである。これからはさらに多くをこの本から学べるだろう。 これもperlのおかげだ。perlのおかげでプログラミングというものに少しは 慣れることができたのである。 それにしても昔の人はいきなり機械語とかから入っていたのだから すごい。よほどの根性がなければやり続けることはできまい。 それに比べれば今は敷居が低いという意味では幸福な時代である。 perlやVisual Basicみたいな高級言語からだんだん低水準な方向にシフトして、 マシンに肉迫したプログラミングを理解してから、今度はまた 高水準のプログラミングにシフトして大規模なものを作れるようになる、 というのがいい感じな気がする。さあ勉強するぞ。

ギャルゲー系曲採点大会1プラスアルファ

  とある企画の関係でギャルゲー歌を山と聞いているのだが、 やはりAIRとかKANONとかは格が違う。思い入れブースト があることを考慮にいれてさえ格が違う。

  124曲一気。あと101曲。一番しか聞いてないが、一番は全部聞いた。 項目別に採点して、後でてきとうな式で10点満点に換算する予定。 ラインナップは悲惨なものからけっこういいものまで実にバリエーション豊かだが、 思ったより悲惨なものが少なくて安心している。 シスプリキャラ歌級のものがドカドカ入っていたらどうしようと 本気で心配していたのだが。 なお、シスプリキャラ歌を同基準で採点すると 以下のようになる。()内は満点。何こんなことにperl使ってんだろオレ。

キャラ 曲のまともさ(3) 曲の個性(3) 歌のうまさ(4) 声・芸の強さ(2) オレの好み(4) 満点を10点にした項目平均 0から10に正規化
可憐 2100020
花穂 110213.85
211103.54
咲耶 212114.56
雛子 12222610
鞠絵 111102.82
千影 221003.23
春歌 111001.80
鈴凛 221226.210
四葉 1212157
白雪 221226.210
亞里亞222104.77
鳥の詩(参考。現在トップ)333047.513
SOW(参考。現在ドンケツ)010000.7-2
採点基準
項目01234
曲のまともさ 和音すらおかしい 展開がおかしい、もしくはなんかショボイ まとも なんかすごい -
曲の個性 どっかで聞いたような そういうジャンルの匂い きちんと識別できる なんか違うぞ -
歌のうまさ 聞いてられん 下手だがまあ 普通 うまい すごい
声・芸の強さ 普通 きれい、あるいは特徴的 すごい、あるいはおかしい - -
オレの好み どうでもいいや 記憶には残る 聞こうかなと思う 好きと言える エンドレス再生

  シスプリキャラ歌は声優の歌スキルはともかく曲はまだまともな物が多い。 しかし、得体の知れないギャルゲー歌になると作曲まで腐りきっているものが あるので困る。もっともオレとしては作曲はまともだが普通すぎて 印象に残らない曲の方がよほど嫌いだが。

  20時。188曲終了。残り37曲。ついに満点が出てしまった。ヴェドゴニアの OPとED。他のとは次元が違っている。鳥の詩とて作品ブーストなしでは 勝負にならない。

2001年9月25日

読み手の立場と書き手の立場は違うもので、 仮に書き手になることがある人であっても 人のものを読む時は読み手の立場で物を言っていいはずだ。 もちろん書き手の立場を思い起こしてやさしさを持つことは いいことだが、それを評価される側が求めるのは筋違いである。 つまりなんだと言えば、オレがおもしろいものが書けない からと言って、オレが誰かの作品をつまらないということは 無効にならない。「そんなこと言うなら自分でおもしろいの書いてみろ」 なんて言われたら、もう返す言葉もないのだ。

身内にいる名うての2チャンネラーからいろいろと2chの話を聞いた。 すごい文化だ。なんか許せるような気がしてきた。 情報収集のためにあそこを見にいくのが有益であることに 気づいたこともあって、あまり匿名をけなす気がしなくなってきたのである。

HTMLにおけるACRONYMエレメントは頭文字をとった語であることを表します。 例えばFBI。だから、 <ACRONYM title="Federal Bureau of Investigation">FBI</ACRONYM>みたいに使う のが元々の使い方です。 titleアトリビュートには略す前の語を入れるのが作法とのことです。 これは読み上げ式ブラウザに「こんなスペルの語はないからアルファベット通り読み上げればいいよ」 という指示を出すためのものなので、そういう配慮をするつもりがなければまるでいりません。 まったく日本語には縁がないエレメント(俗に言うタグ)でしょう。 上にマウスが来た時にtitleアトリビュートの文字列が 出るようにしたいならSPANエレメントを使った方が「HTMLとして正しい」かもしれません。 <SPAN title="表示したい文字列">なんか</SPAN> とすればたぶん「なにか」の上にマウスが来た時に「表示したい文字列」が表示 されることでしょう。IEは良く知らないので保証はできませんけれども、 ACRONYMなんていう誰も使いそうもないエレメントのためだけにそんな機能を 用意していることはないと思います。 なお、別にこれはHTML原理主義者のつぶやきなので別に気にしなくてもかまいません。 どうやらACRONYMを使ってマウスが上に来た時になにがしかのテキストを表示させるという テクニックがどこかで教えられているらしいので、どうかなそれはと思って書いてみただけです。

やりたいと言ってるうちは本気でないのだ。 本当にやりたけりゃもう実行しているはずなので やりたいなどと言うことはない。 例えば「がんばりたいなあ」。 今日やる気がはなはだ落ちこんでいる3人でションボリ会話 をして切にそう思った。 とりあえず、誰か締切決めてくれ。

唐突にわかった。そうか。これが自分で締切を決められない状態か。 自分で自分の行動を決定する意思に欠ける状態か。 なるほどな。昔は他人がこういう状態であることが想像すらできなかった わけで、そりゃ幸せだろうよ。他人が尻を叩いてくれないと何も できない状態というのを身をもって知ることができたわけで、 実に大きな成長と言えよう。しかし、この成長は不可逆な気がする。 もうわかったから元に戻してほしいんだが。

自分より格下と思っている相手に言われれば「貴様如きの指図は受けん」 と思う。かといって自分より格上と思っている相手に言われれば 「あんたはできる人だからできない人のことはわからねえよ」と思う。 どちらに言われても一緒で、 つまり聞きたくない事は聞かないのだということにすぎない。 何か言われた時に「貴様はどうなんだ貴様は」 と切り返すのは話を聞く気がないことの証拠であり、 自分が言われる側であるならば絶対に避けねばならないことだ。 しかし、聞きたくない事を聞かないで済ますためなら その程度のことはやってしまうものであり、 そうやって成長の機会を棒に振ってゆくのである。 愚かだなオレは。そうやって絵がうまくなる機会を何度となく 棒に振ってきた。そしてそれは絵に限らない。

丹下桜で検索かけて来た人がいるが、そこで見たものは 丹下段平だったことだろう。

2001年9月24日

サフィズムアイーシャ。おお、ちょっと毛色が違う。 まともだ。いい話もちゃんといい話だし、ご都合主義な 匂いがしない。ネタくささもない。そしてなんか微妙に本気っぽい。 展開もネタも典型ではあるが、それはそれとしてまっすぐでいい。 微妙にアイーシャの豹変っぷりが気になったり 細かいところではいろいろあるが、まあどうでも良いことだろう。

サフィズムおまけ。4つほど足りないが、まあいいや。 おまけの名に恥じないおまけっぷりで、 本編の品位を損うこともなく、 かといってただどうでもいいというわけでもなく、 おまけの分をわきまえつつ世界を広げてくれる けっこう優秀なおまけであるように思える。 なんてふうに思うのは出来の悪いおまけが 具体的に思い浮かんだせいだろうが。 たとえば銀色。

まあこれでサフィズムもおしまい。 なかなかちゃんとしているゲームだった。 小ネタくささがどうにも鼻につくが、 これは別にオレの好みがこの作品の主旨から ズレているというだけのことだろう。 キャラもかぶっていないし、話もそこそこ まとまっているし、それほどのムチャもない。 音楽もなかなかそれっぽい。 さて、次は君が望む永遠の茜でも片づけるか。

最近客観的批評とか分析とかをできるという自信が失せた。 オレは結局キャラ萌えの男で、 普通もっと気を使って見るであろう部分に まるで注意を払わないのである。 絵にはまるで無頓着だし、音楽だって良ければ良いと言うものの 悪くても気にしないし、ストーリーがショボくても あんまり気にしない。そのくせ各所で絶賛されるような感動的な ストーリーをくどいとか記号的だとか言って評価しない。 最後の砦であるところのキャラ萌えさえ、 オレと似たような嗜好をしている人は少ないようだ。 日記を読んで回っていると 何人かけっこう似てるかもと思う人はいるが、 そういう人はたいがいオレよりもずっと本気なので、 自分が照れていることが恥ずかしくなる。 そういうわけで、かしこまって別に ネタバレを避けた感想文を書こうという気がどうにもしない。 感想文ってのは書きたいから書く以外の動機はいらんわけで、 であるならば形式を縛ってやるのは適当ではない。 日記にダラダラ書く方がよほど正直だ。

今日は休日だったのか。

2chの コスモススレを読んで、オレだけじゃないんだと胸をなでおろす。

古紙回収の車が通りかかるという幸運に恵まれたおかげで、 1000円払って莫大なゴミを廃棄することができた。 安いものだ。また部屋が半畳広くなった。あとは古本屋に売り払う 本を処理し、いらない衣類を捨てまくればだいぶ部屋が広くなる。

趣味

  狂った人、あるいは俗に言うイッちゃった人 の表現方法は今日ではある程度確立されていて 似かよりが見られるように思う。 誰が発明したのか知らないが、 目玉が小さくてなんかアオリで見下ろしてるのが基本で、 オプションでヒャッハッハとか笑うアレだ。例として 月姫のシキ、痕の狂い柳川などがある。 オレにはあれがどうにもダサく感じられて気になる。 狂気という理解を越えたものを わかりやすく記号化したという功績は大きいが、 何度も見ていると飽きるし やはり狂気というのはそんな簡単なものでは ないんではないのかという思いがふつふつとつのって くるのである。オレが月姫をあまり評価しないのは そういうすでに見た記号化が随所に見られることと、 あとオカルト設定がどっかで見たような気がすることによる。 実は長いのは大して障害にはなっていない。 オカルトをわかりやすく演出するのに科学的説明を組み あわせて「概念武装」とか「死という概念を見る目」とか 言うのはすごい発明なのだが、しかしその技法そのものは月姫 で開発されたわけではなく、たとえばエヴァ なんかにはすでに明瞭に見られたものだ。 そういうわけで、ぶっちゃけた話ダサく見える。 発想がおもしろいというのは事実だが、 しかしながらその表現形式がダサく見えるのである。 そういう記号はその記号形式が新しい ものでない限りオレの評価はいやおうなく落ちる。 ファントムやヴェドゴニアの評価がいまひとつ 絶賛にならないのもそのせいだろう。

  たぶん、作者がどんなのが好きなのかが わかる作品、というだけではオレにとっては 不十分なのだ。 月姫の場合作者がどんなのが好きなのか はかなりよくわかる。ファントムもそうだ。 しかしそれは、すでにある何かなのではないか。 すでに具体的に作品としてある「こんなの」 が好きなのだなというのがわかっても、 それは作者の個性とは言えまい。 「これを表現しようとした」の「これ」 がすでに具体的な作品として、 あるいはそこまで具体的でなくてもジャンルとして すでにあるものではどうにも おもしろくないのだ。自分の趣味を分析すると どうにもそういうことであるような気がする。 というわけで、月姫は裏ルートの方が好き。

2001年9月23日

アレクサンダー戦記2まで。 超絶なデザインセンスが動く動く。 やはり西洋人がキャラデザをやると違いますな。 古代ギリシアってのはこんな世界だったのか と納得させられそうになる。 そして、速度。

オレが歌が一番うまいのは拳法直後だ。体の調子が良く、 従って声もよく通る。川の横を自転車で走りながら 大声で歌いながら帰ってくるのが常なのだが、 これが実に気持ちいいのだ。

元々はそうではなかったのかもしれない。「加奈なんて所詮死ぬ話じゃねえ か」と思ったのはつまらないと思った後の話だったはずだ。 なんとなくつまらないと感じてなぜだろうと考えた時に ふと「死ぬ話にすぎないから」という言葉に行きあたっただけで、 それが唯一の真実なわけではない。なのに、一度をそれを思いついて からはそれに囚われてしまって、あたかも「死ぬ話だからつまらない」 という論理が成り立つかのように錯覚してしまっているのである。 つまらないと感じてしまったものは仕方ないが、 自分でそれを増幅することはないだろうに。 評価しようという意思をどこまで消せるかが 物を楽しむ秘訣であるように思われる。 ヘリゲル先生の話と一緒。 東洋思想大活躍。

2人で向かい合って攻撃と防御の役を決め、 攻撃方が単発のパンチを打ちこむ。 こんなことをやっていると 攻撃する方は攻撃しようという意思がだんだん消えてくるし、 防御する方も防御しようという意思がだんだん消えてくる。 殴る方は「なんか打ってしまう」し、 受ける方は「なんか来そうなので体が動く」のだ。 その段階を過ぎると今度は意図的にシグナルを出すようになる。 「ほーらスキあるぜ打ってこいや」 というシグナルを受け側がほのかに出すと、 殴る側がつられて打ってしまう。 うまい人を相手にして殴る方をやると自分が引っかかって いることが実感できるものだ。「あー打ちてー」と思って 打った時は、つまり「打ちてーと思えオーラ」をまともに 食っているのである。これに対しては「打ちてーと思えオーラ」 を見破って殴らない。そうすると相手が 崩れるので、その瞬間に殴るのである。 「打ちてーと思えオーラ」を出すのはどうしても意図的なので、 それが外れた瞬間は網が破れるのだ。 来ると思ってよけたが来なかった直後ガラ開きになるのと 同じで要はフェイントである。 はじめの一歩で手数を倍にする方法というのが出てきたが、 要はこれだった。「心理的かけひき」とか言うわかったような言葉で 理解してしまうとたぶんできなくなる。 なお、これがうまくなってくると連打だろうがフットワークしてようが 同じことになって実戦でも見切れるようになるのだが、 オレは到底そこまで行ってない。 ヘリゲル君召喚訓練。

しようとしないことによって何かをする、というのは矛盾に思える だろう。「殴ろうと思わないように殴る」と言う時でも、 最初は必ず「殴ろうと思わないぞ」という意思がある。 なくては始まらない。だから、あっていい。 もし「殴ろうと思わない」ことに囚われそうになったら 一歩進んで「殴ろうと思わないようにしようとも思わないぞ」と 思う。そうやって循環していると次第に言葉が具体性を失って消えてくる。 そうした末に、ことさらに何かを思わなくても なんとなく動くようになるわけだ。 表層意識で念じていたものがだんだん深層意識に移動していき、 エネルギーを使わなくても自動的にそうなるようになる。 結局訓練というのは意識したことを無意識領域に詰めこんで 自動化していく過程だということだろう。 そういうことを「やろうと思わないでやる」と表現したのは 実に合理的で、字面の不自然さにダマされないで やっていればそのうちできるものだ。 バリバリのドイツ人のヘリゲル先生でさえそれに成功したのだから れっきとした東洋人であるオレができないはずがないし、 実際前よりはよくできるようになった。 結局、信じる者は救われる。 もっと信じよう。

長ズボンはいてると蹴りがうまくなったような気がするが、罠だ。

サフィズムアルマ。おーおー良く出来とる。バカがウリのメーカーとは 思えん出来だ。しかし、やっぱりネタとしていい話を書いている 姿勢が見えすぎる。どうにも本気じゃねえ。

ある同人ゲー

  「One Way Love〜ミントちゃん物語」。同人ゲームらしい。 メイドロボトヴィジュアルノベルと銘打ってある。 少々進めてみたが、極めて普通。しかし、 題名と設定から察するに相当痛い話になるような気がするので それが始まるまでは評価すべきではなかろう。 To Heartの設定をまんま借りてきたような世界が 鼻につくが、語りたいことを語るために都合のいい世界を 使っているだけだと思えばただ安易というだけで腹が立つほどの ことでもない。一時流行ったロードス的ファンタジー世界観、 というのと同じだ。しかし、後ですごい話になるのだろうと 期待しているにしても微妙に辛い。なにせ普通なのだ。 同人にしては声まで入っていてパッケージも売る気まんまんで よろしいことだが、それゆえオレは 同人だから云々という見方をしないことにした。 まあそれはともかく、最後まで一遍やってみないと 何も言えない。しかし一言。立ち絵の輪郭がガビガビして汚ない。 オレにとってはどうでもいいことだが、 売る気ならどうにかしようと思って然るべきだと思う。

  ミントバッドエンドとハッピーエンド。普通。拍子抜け。 ダメだ。To Heartが敷いたレールの上から一歩も出てねえ。 もういいや。ごめんなさい。これ以上はいいです。

  メカを人間として扱うことはできるのか、という問いは 昔からあるもので、敢えてこの題材を扱うならば なにかしらの新しい視点がほしい。これは 所詮萌えゲーなだけでそんなことを求めるものでは ないのだろうが、しかし。これじゃオレは萌えない。 文章もストーリーのキャラ描写も下手だし、 誰かが敷いたレールから一歩も出ていない。 言っちゃ悪いが、これよりもオリジナリティの高い マルチSSはいくらでもあるぞ。

初炎多留〜これで最後にしたいが

  炎多留が回ってきたのだった。もりりん氏たっての望みにより インストールして起動してみる。いきなりだ。 細々としたことに関しての報告や、 おもしろおかしく書いた記事は他にいくらでもあるので やらないが、とりあえずイヤだ。なめまわすような空気がイヤだ。 一つ言っておくが、 主人公は太陽が東から登るようにホモである。 そして、この世界ではホモであることはなんら 問題ではない。そして、会う人間はほぼ例外なくホモである。 この3つの原則から導かれるものは、もう言うまでもないそれだ。 おいしいシチュエーションも満載で、というか それだけで成りたっているように思える。

  なお、これでいうおいしいシチュエーションというのは 例えばサッカー部の先輩と一緒にシャワーを浴びながら 筋肉の話をする、というようなことを言う。 向こうがわの人々にとっては、それはラブひなで 不可抗力で女風呂をのぞいてしまう、 というようなのと同じ意味合いを持つのだろう。 電車でいきなりサラリーマンに痴漢されるというのも、 言うならば不可抗力で女の子が 覆いかぶさってきてつい胸を触ってしまったとか いうのと同じ意味合いを持つのだろう。 向こう側の人間がギャルゲー文化を見てそういった 現象を記号として見てとり、それを自分達の記号に 素直に置き換えただけだと考えると非常に合点がいく。 性欲のレイヤ以外に一切興味がないあたり オレには違和感があるのだが、思えばエロゲだって 昔はほとんど全てがそうであっただろうし、今だってそういうものは いくらでもある。ギャルゲーにある歴史がソレにはない というだけの差であろうし、仮に歴史が同等にあったとしても 「そういう個性」の一言で済まされるものだろう。

  そう考えていくと、炎多留は「ホモゲーである」 という以外に特筆すべき点はあまりないように思われる。 発想は単純であり、見たところセンスや電波 で語るべきものはなさそうだ。もちろんこっちから見れば センスにも電波にも見えはするが、 それは向こうの世界の隠語だったり常識だったりする 可能性が高く、実は非常に素直なものであるような気がする。 もちろん「ホモゲーである」ということ自体が ズバ抜けてものすごいことなのではあるが、 それだけなら別に身を削って体験するほどの価値ではないだろう。

  なお、絵はすごい。リアル系の絵ながら表情は豊かで、 妙な色気があるのが非常にイヤだ。サッカーをする絵なども よく描けており、実にレベルが高い。さわやかな青年から ムサいオッサンまで同じ文法で完成度の高い絵である。 しかし、イヤだ。

  なお、システムメニューに「リンク」というのがあり、 つついてみるとIEが立ちあがる。 メーカーのサイトに行くのかと思えば出てきたのは妙なリンク集。 そしてどうやらホモ系サイトのリンク集らしい。 ゲームはゲームだがしかしそれはあくまで現実のそれのためにあるのだ、 というスタンスが明確に見える。

  なお、今やったのは2日目までだ。それでもだいたい見えた。 見えたことにしてくれ。これ以降は「このシナリオすげえぜ」 とか「このシーンだけは見とけ」とか言う励ましがない限りは 起動しないのでそのつもりで。

2001年9月22日

カラオケでLove Desitinyを歌って満足。 しかしもっとたくさん新しいのを歌えるようにしとかんとアカンな。 しかしオレは声が低いのでどうしても歌える歌が少なくなる。 かといって女性のをオクターブ下げれば低すぎる。 キーを調節すればいいのだが、 絶対音感が仇になってかいまひとつ違和感があってイヤになる。 なかなかうまくいかない。

あしたのジョーを全巻買ってきた。読みたい人は 言ってください。

ジョーを一気に全部読んだ。これはおもしろい。が、アニメとは別物だ。 やはりちばてつやだし、梶原だ。アニメはあくまで出崎であり、 梶原やちばくささはあまり感じられなかった。 話は一緒だが漂っている空気が別物なのである。 キャラの顔が漫画の方が幼いとか、そういうのは些細なことで、 圧倒的に描こうとしている世界が違う気がするのだ。 なお、オレはアニメの方が好みである。 数々の名ゼリフやエピソードのうちけっこうな数が実 はアニメオリジナルだったというのが決定打だっただろうか。 もちろん鼻からうどんを出す西とかうなぎを焼いて減量を止めさせようとする 丹下とかそういうのは原作にもあるのだが、 廃ビルで権藤を再会して殴り合う話や、ウルフが金をせがむ話、 新ジムの落成式の話などがまるごとアニメオリジナルなのである。 漫画のジョーがあくまで少年漫画であったがゆえに描かれなかったものが アニメのジョーではふんだんに描かれている。 そもそもあの情報屋なんてアニメオリジナルのキャラだった。 それと、なによりも映画的手法をとり入れた漫画というものに慣れすぎてしまっ たために、こういう古典的な漫画はどうしてものっぺりとしたものに見えて しまうのかもしれない。しかしそれでも時代を考えればやはり ちばてつやはまごうことなく天才だったのだと思う。 梶原一騎が嫉妬したというのもうなづける話で、 普通梶原原作だとどうしても梶原色になってしまうものだが、 これはまるでそうなってはいない。 ちばの個性がふんだんに生きている。

名作だ。名作だが、オレが感じたのっぺり感を オレよりも若い人達は余計に感じることだろう。 少々見境なく薦めるのは気がひける。

2001年9月21日

がんばりたいなあと思うほど堕落した。おしまいだ。

ecceは注意せよ、の意らしいです。ウソこきました>みやざき君その他。 あの題名はまんまというわけですね。

ニーチェ「この人を見よ」。目次を見ただけで大爆笑だったので買っ て読み始めたが、これがそういうネタとしておもしろいだけの物でないことが すぐに知れた。自分がいかに優れた人間で、自分の書いた本がいかに すばらしいものかをひたすら語っているのは事実だが、 それは単なる自慢ではない。むしろそこまで言わざるを得ない状態まで 精神が追いつめられているということにこそ着目すべきだし、 そういう無茶な文章を敢えて書くことで何かを伝えようとしたということも 当然あるだろう。どちらか一方でないところがこの迫力の所以ではなかろうか。 「なぜわたしはこんなに賢明なのか」とか「なぜわたしはこんなに利発なのか」 とか「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」とかいう章見出しを見ると 笑わざるを得ないし中身もだいたいはその調子なのだが、 何かがひっかかるのである。ニーチェというキャラが存分に描写された本だ。 また、ニーチェにとって、あるいはその当時のヨーロッパ人にとって キリスト教というものがいかに巨大で無視できない存在であったかも よくわかる。ニーチェはひたすらに自分は反キリスト者だと叫んで回ったらしいが、 キリスト教がどうでもいいものだったらそんなことはしなかっただろう。

名前は忘れたが、ヘリゲルというドイツ人が日本で弓術の修行をした 話を立ち読みした。今オレが拳法で直面しているのとまるで同じ ことをしている。先生が「なんでこいつはできないんだろう」と 呆れ返る様もいっしょだ。ボンクラでごめんなさい先生。 とにかく、理屈をこねたり、明確な意思をもって何かをしようとしたり していてはあの手のものは修得できないのである。 論理的思考が染みついたヨーロッパ人はどうしてもそういうものは苦手だ という話だったのだが、 今の日本人も相当に苦手なのではなかろうかと思ったりする。 ひょっとして、論理的思考力ではヨーロッパ人に及ばず、 かといってウリだったはずの直感の鋭さもまた衰え、 結局なんか中途半端な状態になったりはしていないだろうか。

試しにperlで作った関数をいくつかCにしてみたらやけにスッキリした。 ファイルにたまってるバイトの並びをどうやって intやらshortやらにすればいいのかが わからずえんえんC化に踏み切れないでいたが、 一回に抜いてくるバイト数やら ポインタを+1した時に動くバイト数やらが 所詮ポインタの型で決まっていたのだ ということを知ってしまえばなんてこたあない。 どうせ何もかもバイトの並びだ。だったら ポインタ演算で直にアクセスできた方が楽でいい。 C化開始。

2001年9月20日

ツッコミを恐れて本心を書かないのはチキンだが、 これを人にイヤな思いをさせないために本心を書かないのだと言い直すと チキンではない。 前者なのに後者であるように理屈をつけるのはチキンだが、 後者の価値がわからず前者を振りかざすのはバカである。 というわけで、またバランスの話になってしまうわけだ。 しかしバランスバランス言っているのもまた頭が悪そうである。 結局考えるより感じろという事になるが、 やはり感じてばかりでも頭が悪いのだ。 世の中むつかしいが、 むつかしくてもやさしくてもなるようになることに変わりはない。

この検索、わかりやすすぎ。 アネキと私、ボディービル。

作品は作者のキャラ描写だ。 優れた作品はそれだけ優れたキャラ描写であるように思う。 芥川龍之介の作品なんてものすごいキャラ描写で、 つい「おまえ本当に大丈夫か」と作者を心配してしまいそうになるのである。 オレはキャラ萌えの男なので、作者を感じられない作品は好きになれない。 オレがどうしてもパロを一段低く見てしまうのは、 パロディは元ネタがノイズとなってその作者が見えにくくなるから というのもあるかもしれない。

なんか最近悪人なんていない気がしてきた。そしてそれは、 善人なんていない気がしてきた、というのと同じ意味である。 性悪説も性善説もひょっとして同じことを言ってはいないか。 言った人の著作を読んでないのでわからんが、なんかそう思った。

コスモスとどめ

  くしゅー風味。思うんだが、オレ相当いい話に弱くなってないか。 ONE同様の構成であるため2個目以降のオチは分かり切っているし、 オチ以外だってえらい単純でわかりやすい。 くさいし青い。 あらすじ+シーンの大半は予想がつく。キャラの属性だって、 くしゅーとかカナとかっっっっっとか、それはもうわかりやすい。 あからさまにキャラに特徴をつけようとして、あるいは悪く言えば萌えさせよ うとして無茶をした結果だ。しかし、それはともかくとしていい奴だと思うし、 いい話だと思う。出来が悪いことを知ってなおこうやって感じ入ってしまうの は知的に怠慢だからだろうか。それとも理で評価できる部分以外に価値を 見出だした結果なのだろうか。あるいは「いい話」とか「いい奴」 という「記号」に反射的な反応をしているだけなのだろうか。 ともかくも確かに言えることは、3年前なら クソ扱いしていたに違いないということくらいである。

  ゲーム中事態があまり深刻でない時期から 「でもだんだんああなって最後はとってつけたようにハッピーエンドなんだよ な」ということがえんえん引っかかっていた。、 ショボさに気がついて萎えたとも言えるだろうし、 ただ飽きてきただけとも言えるだろう。 しかし、どうにも後で来る悲しい展開を前もって予期しておくことで その時の衝撃を減らそうとする試みだったのではないかという 気もしないでもない。 明らかにオレはいずれ来るであろう悲しい展開を怖がっていた。

  カマトトぶってますか。ところで、カマトトってなんですか。

  ういちゃん。あーストーリー下手くそだなー、でもいいや。 ええ奴や。ええ話や。本当に。深刻になるまでは覚め気味の自分が どこかにいたが、深刻になったら消し飛んでしまった。 どう深刻になるかはもう今までの4人で完全にわかっていたというのに。 かといって加奈の件があるだけに 悲しい話には無条件で反応するというわけでもないらしい。 まったく、人の好みというのはわからんものだ。

  おまけシナリオ。本来なら全員クリアすれば無条件にできるはずの おまけシナリオだが、バグのせいでただクリアしただけではできない。 ならばとクリアデータを探して回ったのだが、どうにも見つからない。 しかしながら「こういう中身のファイルを置けばいけます」という情報を見つけたので perlでヒョロっとそれを作ってみたところ、見事おまけシナリオに突入できた。 なお、ファイルはこれ(system.dat)。 70バイトほどpack("C", hex($char))で書きこんだだけ。 やっぱりpackとunpackはいいなあ。燃える関数だ。 これをブチこんだ後、いかにもセーブファイルっぽいものを全部消せばいい。 そういえば、perlであやしいことせんでもバイナリエディタって絶対あるよな。

  で、そこまでしてやったおまけだが、普通〜微妙におもしろい、という評価。 みんな姉というのはおもしろかったが、投げやりでい かにもおまけだ。だが、それもいい。はるぴー大好きだろおまえと叫びたくなる。

  というわけで、「秋桜の空に」完了。壮絶なバグとの戦いだった。 これ以下のプログラムは見たことがない。 しかし、下手にややこしいことをしようとして失敗し操作性まで最悪で加えて 重かったRe-leafやluv waveに比べると、 あまりの下手さのためにロクに動かないのではあるが人並のことしかして ないので操作性や重さにはさほど問題がないというコスモスの方がマシ である気はする。例えば9番からロードできないなんてのは どう考えても謎だ。考えられるのはセーブデータが8個ごとになんらかの固ま りになっていてくり上がった時にエラーが起きるということだが、 17番でエラーが起きないことからありそうにない。もう一つ考えられるのは ただif(flag == 1){1番処理}elsif(flag == 2){2番処理}…と 30個並べていて9番のところだけなんか書き間違ったという可能性だが、 そんなのは最低だ。いくらなんでもありえんと思いたい。 きっとオレには想像のつかないような深遠な間違い方をしているに違いないの だ。しかし、バグやらショボイストーリー展開やらあざといキャラやらを 差し引いてもオレにとってはプラス評価である。むしろ、 十分におもしろかったと言える。薦めたくても薦められない要素が多すぎるの で、自発的にやりたいと思う人が増えるのを期待する。

2001年9月19日

回ってきた落書き帳に絵を描いていた。長い間ロクに描いてないわりには あまり下手になってない。むしろなんとなくそれっぽく描けるように なっている気すらする。測量する癖がなくなりつつあるのはいいことかもしれ ない。しかし、やっぱり下手だ。絵だけで売り物になるくらいうまくなろう などとは夢にも思わないが、漫画を描く時に足枷にならない程度にはなりたいものだ。 足枷にならない程度というのはつまり何を描いても 一見それっぽく見えるくらいなわけだが、 ひょっとしたら見栄えのいい一枚絵を描くよりよほどむつかしいかもしれない。

秘宗 拳を使う春歌のハマりっぷりといったらもう。 ところで、この白黒写真の人ムチャクチャ強そう。この低さ。この安定感。 何やって鍛えたんだ一体。

炎多留を借りられるかもしれない。

2001年9月18日

ザブングル完結。いいから見ろ。おもしろいから見ろ。本当におもしろいんだ からつべこべ言わずに見ろ。話はそれからだ。

とか書くとイヤがられるのだが、日記くらいならいいだろう。

いさかいといさかいごっこが別のものだったらどんなにかいいだろう。

アクセス解析 は無事255時間を全うできた時に仮出所とします(28日夜)。 が、勇気のある人は今からテストしてみてください。 今でも「どこからリンクを飛んできたか」と「ここ2、3日のアクセス数変化」 と「何で検索かけた奴がいるか」 くらいはわかります。 一応全部通して見直してみましたが、見てわかる異常はありません。 でもカウンタ機能はいまひとつ不安。

ハオリムシ。 誰ですか。これを見た直後にうちに来た人は。にしてもかっちょいいフィギュ アだなあこれ。

新しい絃を試す。さすがに張りたては音が不安定だ。すぐ下がる。 しかしそれはいいとして、なかなか張りのある音だ。 悪くない。むしろ悪いのはオレの腕の方である。 思い通り動かないので意識で修正してやらねばならない。 左手と右手の同期がとれないし、左手がどうしてもズレる。 ピタリと純正調にならないヴァイオリンなんてヴァイオリンではないのだ。 どうにか卒業前にツィゴイナーの音を追えるくらいには 復活しておきたいものだ。 バッハのシャコンヌで自分で酔えるくらいになれればなお良い。

アクセス解析バグ発見。それも致命的な奴。 いまさらだが、方針が間違っていたことを知った。 たった1000行と甘く見ていたのだ。そこそこややこしいことをやってるんだか ら、極限まで信頼できる行数を減らしてチェックするところを減らさないと 把握しきれない。小さなブロックを積み上げて、少しづつ、少しづつ。

上の「見ろ」は冗談です。そう言って回りたくなるくらいおもしろかった というだけのことです。できたら「無礼な奴め」 とか言って怒らないでくれるとありがたいです。

2001年9月17日

ザブングル42まで。おもしろい以外に言うことがない。もちろん 何がどうおもしろいかを説明することはできなくもないが、 どれも本質ではなくおもしろさの現れ方の一つにすぎない。 おもしろいからおもしろい。

コスモス偽七瀬

  ネタバレ危険。やった人が少なそうなゲーム、 あるいは出たばっかりのものについては避けているものの、 オレはネタバレを読むのも書くのも あまり恐れない体質なのでコロっとやりかねない。注意されたし。

  本当に偽七瀬。そっくり入れ換えてもあまり違和感がない。 ころっと可愛くなる様が七瀬よりも極端ではある。 しかし、それはそれとしてこいつは晴姫(はるひ)。 誰がなんと言おうと晴姫。キャラがなんぼかぶろうと、晴姫は晴姫。

  ところで、それはそれとしていい奴だ本当に。 そして、またエピローグ前にハング。やり直す。

  やはりこれは話に関してはいろいろいい加減だ。 いい奴を描くのは大したもんだが、他はたいがいダメである。 海馬がやられた症例の話でも取材しておけば もっとショボくなくこのストーリーを語れただろうに。 とってつけたようなハッピーエンドがやはり爆発する。 でも、これがなかったらオレが困る。 いや、他の奴と違ってアレがあるのでまだマシなのだが、 それでも悲しい終末は嫌いだ。 複雑な気分である。

  なお海馬とは短期記憶を司る器官である。 まずここに記憶をため、順次大脳に記録していく。 そういうわけでここが壊れると 新しいことを記憶できなくなるらしいのだ。昔ドキュメント番組でそういう 人の話を見たことがある。記憶はその壊れる瞬間で止まり、 何年経ってもその日の記憶のまま。まるで昨日どころか直前のことのように その日のことを思い出せるのだと言う。 朝母親の顔を見る直前、彼の頭にあるのは時が止まる直前に見た顔だ。 だから、5年後には5年分の、10年後には10年分のギャップに毎朝 直面することになる。そして、仮に母親が死んだとしたら、 彼は毎朝母の死を知らされることになる。 新しいことを覚えられなくなっ た彼はそれからの日々を全てメモ帳に記録し、 人の話はテープレコーダに記録していった。 それが彼の記憶だ。 しかし、他人が書いたメモのような記録だけが頼りである状態が どれほど不安か。もしこの瞬間に記憶が消失し、この日記だけが オレの過去を知る手段になったとしたらなんと恐ろしいことだろう。 そんなことが現実に起こり得るのだ。 しかも、なお恐しいことに、彼はそれに慣れることすら許されていないのである。 ちなみに、 その番組の彼は体を使う仕事をすることでなんとか生きていこうとしていた。 海馬が司る記憶は言葉とか出来事の記憶で、肉体的なスキルの記憶ではないか らだ。だから、例えば職人の技のようなものは上達させてゆくことができた。 しかし、それでも、いやむしろその救いゆえに余計にあのドキュメントは 強烈に見ている方も辛かったのである。 ひょっとしたらこのゲームを作った人はあの番組を見たのかもしれない。 もう少し重みと現実感をもった描写ができていたらこのゲームも 話がショボいなんていう文句をつけられないものに なっていただろうに。実に惜しい。

  ところでここからはモロネタバレ。名詞は出さないが。

  まさか例のアレをああ使うとは思わなかった。オレなら最後のあの日の前の晩に かばんにでも入れておいて、そうなった時に読んで約束を果たすようにするだ ろう。しかし、確かに考えてみればああなった後文章を読んで約束を果たした ところで意味があろうはずもない。いや、違う。それで会場まで行かせて、 ギャラリーの中にあれがいるのを晴姫がみつけて安心して、 後でそのガビーン、か。 しかしこれはベタすぎる。やはりハナっから行かないでドカン の方が意外性はあるかもしれない。でもだ。そんな不安な状態で 県大会優勝してしまうのはいいのか。いや、まあ、いいのか。 晴姫もどうせ新沢だしという言葉を信じたかったし、その時だけは信じ ることができたのだから。晴姫の強さと言ってあげてもいい気がする。 やはりあんまりベタな展開にすると 加奈みたいに読めすぎてしまって困るだろう。 話作りはむつかしいものだ。

  にしても、他のシナリオで晴姫シナリオのようにアレを使わないことに いまひとつ説得力がない気がする。そうなっていることを認めることの辛さと、 ダメになっていくのをどんな手を使ってでも止めたいという欲求の大きさが 逆転するポイントが絶対に来る気がするのだがな。 しかしまあ、それも別に好みの問題か。全部それでは飽きる。

2001年9月16日

いさかいは嫌いです、と言ったら信じてくれるでしょうか。

不味いミューズリ。

コスモスすずねえ。おお、甘えてえ。甘えさせよ。すばらしい。 しかし、ストーリーの出来はカナの方が上。エピローグの痛さが たまらない。にしても、カナシナリオのような状態になったのなら 一体どうやって大学なんて入ったのでしょうか。 なんといってもストーリーの設定部品がショボすぎる。 都築先生にも言えることだが、なぜこうもこうなのか。 いい奴さだけで勝負するのはいけないと思います。 とか言いつつもオレはそれだけでもあんまり文句言わずに好きになるのだけど。

コスモス。曲が頭の中で対応するONEとKANONの曲に差し換えられてるんだが、 それはいいのか。弱いのう音楽。そもそもこの作品そのものからして弱い。 本当にオレはいい奴には見境なしだな。そう思って余計ブルーになる。

ショッピングは楽しいなあ。カナート洛北にいりびたり。 漫然と時間を無駄にして、あまつさえ金が減るようなことが 楽しいはずがないと昔なら思っただろうか。 ところで、ケーキを2つ買ってきた。モンブラン。 あとでっかいヤシの実と、和歌山の濃縮還元でないみかんジュース。 やはり濃縮還元は風味が落ちる。 なお、メインの用事はバイオリンの絃だ。ちょうど予備が切れていたことを 掲示板の書きこみで思い出したのである。ピラストロのシノクサを1セット 買ってきた。ナイロン絃なので比較的ガットっぽいが、しかしそれでもやはり 音が堅い。ともかく、ちょいと弾いてもんでやらねば。

ラブひなクリスマススペシャル。久しぶりにラブコメを見たなあという感じ。 にょろにょろした動きながらもよく動くし、見ていて心地良い。 ベタベタなのとか、都合が良すぎるのとかはまあ そういうものだと思えば気にならない。 ただ赤松先生友情出演はちょっと。

2001年9月15日

ニャ氏とオカルトと拳法とギャルゲーについて話をした。 全てがつながるのがいい。鈴凛と並んでベンチに座ることを想像することは つまりは気の運行であり、それはつまりは悪魔召喚と 同一の技術なのである。とか書くと引かれそうだが、 これを科学用語に翻訳すれば大したことではないのが 理解されるだろう。でも、つまらなくなるのでしない。

「平山尚」で検索した人がいる。まさか昔の知人友人だったりしないか。 再会のきっかけになるのは喜ばしいことだが、バレて困る人 にバレるのは御免こうむりたい。本名出しといてそれはないと 思いはするが、それはそれ。

2chもそう悪いものではないかもしれない。 匿名な奴が多いだけで匿名にせねばならないわけではないのだから、 つまりそこらへんの掲示板と変わらない。ただたくさん集まってるだけだ。 それに、やはりああいう無責任な落書きができる場所は必要だし、 そもそも楽しいのである。ところでオレは匿名大嫌い主義者だが、 仮に2chに書きこむとしたらやはり名前は出さないだろう。 そもそも2chに限らず、 名前を書くことが美徳になるような類の書きこみはもうしたくない。

デモやったり看板立ててるヒマがあったら勉強して官僚やら政治家になれば よかろうにと言いたくなる人々がたくさんいる。 しかし、これと同じようなことを自分もしているものだ。 何か今の自分ではどうにもならない問題がある時に それについて考えたり意見を言ったりするのはまあいいが、 それだけでは何も変わらないのである。変えることに貢献するつもりもないの に「こうしたらいい」なんて言うのは前の例と同じで恥知らずだ。 例えば教育について文句を言うなら教育を変えるのに貢献する覚悟がないと かっこわるい。これはかっこいいか悪いかの話で道義やら責任が云々の話では ないし、おかしいことに対して怒るのがいいことなのは認めるが、 それはそれとして行動もしないのに不平を鳴らすのは かっこわるいのである。身にしみた。 口だけは害悪だ。だから、口だけと思われようがないくらい徹底的に行動 しなくてはいけない。それがイヤなら何も言わないのがいいのだ。 何も。

「心配して見せる」。鋭い言葉だ。「悲しんで見せる」でも「感動して見せる」 でもいいし最近なら「萌えて見せる」でもいいんだが、 「見せる」を取り払えるくらい本気になりたいものだ。 AIRやって感動したと言った所で、「感動して見せただけだろ」とツッコまれ れば返す言葉はない。自分が感動したかどうかなんて測定できやしない。 何が本当なのだろうな。

アクセス解析0.8が稼働して26時間。今のところ数え間違いもなく平穏に 動いている。もうこれ以上欲しい機能も思いつかないので、 このままバグが見つからなければOKだろう。峠は稼働開始から255時間後だ。 そこから一時間ごとに古いレコードを置換していくことになるので、 そこがまともに動くかが一番怖い。 その次が65536カウント数えた後。そこから古い順に置換していく作業を始め る。しかしそんなの待ってられんな。ちゃんと擬似的にそういう状態にして テストせなアカンか。 ところで、ハソサウセーで検索かけて見つからなかった直後にうちに来た人 がいるのだが、なんだハソサウセーって。あと、方向オンチの科学 で検索して引っかかってるのが謎。お望みのものはなかったと思うが。

秋桜の空に-1

  おもしろいよこれ。逆ONEだけど。発想が安易で、 ストーリーも話の出来としてはショボイが、いい。キャラどいつもこいつも いい奴だ。あざといし、絵もどっかで見たようだし見た目はダメダメ丸出しだ が、全体に漂う人の良さと妙なセンスがたまらない。 何故か奇面組を思い出す。タイムリーだからだろう。

  ただ、プログラムの出来が今まででも最悪のレベルだ。 操作性の話ではないので、ちゃんと動いている限りにおいては気にならないの だが、そもそもちゃんと動かないのである。 不具合の数、質共にまさに最強レベルだ。 9番のセーブデータをロードするとハングする、とかあまりのショボさで ものすごすぎる。しかもパッチを当てるのに 20分以上かかる。しかも作業領域が300MBも必要という前代未聞のパッチだ。 加えてパッチを当ててもなお不具合が完全に直るわけではない。 そして、頻繁に起こる異常終了。今カナシナリオを終えそうなところなのだが、 エピローグ中にオチた。ちなみに、ロードした時に「ロードに成功しました」 というイヤなメッセージが出るところも見逃せない。

  カナ終わり。エピローグ痛いよ。 しかしとってつけたようなハッピーエンド。 このシナリオは2つのウソさえ認めればそんなに出来は悪くないのかもしれん。 すなわち、事件の発端と、最後の救い。状況だけを見れば、それでいい。 最後の救いも「そんなんアリか」と思いつつホっとしている自分がいる。 どう考えてもあのままなのはひどすぎる。 そんな慈悲のない展開は現実くらいにしておけ。 真雪先生全面支持。

  結局、オレは人が死ぬなり悲しむなりすればそれで悲しいのだろうし、 人ががんばったり喜んだりすればそれでうれしいのだろう。 だから、「結局逆ONEかよ」とか言いながらも、 それがあまり気になっていないのだ。 結局いい話ならなんでもいいのかもしれん。 それに、それは所詮いい話にすぎない。それが自分の身にリアルにふりかかっ てきた時同じように思えるかと言えば到底思えそうにない。 カナみたいなのが横にいた時オレが主人公のようにふるまえるとは到底思え ない。ねがぽじのまひるにしてもそうで、まひるがああなってそこにいた時に 透のようにふるまえるとは思えない。別人なのだから当然だが、 しかし頭では、あるいは美学としてはああふるまうのがいいと思うだろ う。お話を見ていいと思うんだから、オレの頭の中ではそれが「いい」ことに なっているのは間違いない。しかし、果たして現実の重みの前でそれができる か。おそらく、できない。今までオレは美学に反することをいくらでもしてき たのである。そう考えると、こうやっていい話を見て感動しているのも何か うそくさく思えてくる。

  まあそれはこっちの都合なのでいいとして、このゲームは全部やることに決定。 まだ中途半端なゲームがなんぼかあるのだが、こっちの方が先。

2001年9月14日

日本では月が数字だが、曜日は数字ではない。名前がつくというのは、 それが生活リズムとしてそれだけ大切だということだろう。 4日と8日は大して違わないが、水曜と日曜はえらい違いなのである。 というわけで、曜日に名前がついているのもなるほどと思える。 そしてもし西洋人にとって月が曜日と同じ ようにリズムとして重要だとすれば、同じようになるほどと思えるだろう。 ただ、月は曜日と違って日付を表現するのに必須のパラメータなので、 曜日よりも数字にできないことのデメリットが多少大きいような気はする。 しかしこれも些細なことだ。向こうの人が変える気配がないということは、 向こうの人にとってはなんら不便ではないということだろう。 逆になんで日本人がわざわざ数字に変えたのかが不思議になる。

腹式呼吸と言うが、もっと下げて股で呼吸するつもりでいると気が下がる。 どれだけの時間それを意識し続けられるか勝負だ。 ジョジョの呼吸のようにそれが自然になればいい感じだ。

飛行機が流行りだ。そんなにおもしろいのかと思いもするが、 おもしろいに決まっている。

人気投票の類はやっぱり支持するキャラだけでなくて、 嫌いなキャラも書かせた方がおもしろそうだ。 どっちかだけ投票するのも可。 そうするとシスプリにせよ政治家にせよずいぶんと面白くなる。 嫌いな方はもちろん-1票だ。 たぶんそうしたら鈴凛は余計に落ち、 その結果白雪が上がってくるような気がする。 白雪が嫌いな人は少なそうだが、鈴凛は「所詮金だろ」と言われて嫌われてそ うな雰囲気なのだ。 また、支持と不支持の合計は注目度になる。好きにせよ嫌いにせよ目立つキャラは それだけ立っているということだ。鞠絵とか白雪とかが注目度がかなり低そう である。

次それ作ろ。アンケート。同一IPからの連続投票を禁止する機構を盛り こむのが面倒くさいが、それ以外はすごく簡単そうだ。さっさと作ろう。 ただ問題は大手なサイトでないとアンケートなんてやっても何にも おもしろくないということだ。そう考えるとなんか意味ないな。

FFの映画見に行きたいが、一人で行くのはイヤだ。 あと千となんとかも見に行きたいが、一人で行くのはイヤだ。 それって、結局見たくないのか。

ドカーン

  テレビその他を見てないので、あの事件を昨日(13)の夕方まで知らなかった。 知ったのも他人の日記という状態。なんかものものしいこと書いてる人が多いな と思ったらそういうことだったらしい。大方の話は聞いたが、 まだその映像は見てない。が、わざわざアンテナをつないで テレビを見るというのもなんかヤジウマくさくて、というか面倒だ。 映画としてはすごい映像なのだろうが、映画の域を出てほしくはなかった。

  しかしそれにしてもとんでもない事件である。 4ケタの人が死んだはずで、そんなものを放置などできるはずがない。 飛行機をハイジャックされた時の乗客の気持ちはどんなだっただろう。 まさかつっこむとは思ってなかっただろうから、 それほどの恐怖を感じずに死んだかもしれない。だとすればなんぼか救い であっただろうか。しかし、所詮死は死だ。 それだけのことをされたのだから、アメリカは 黒幕が他の国にいようと関係なく関わった者をつぶしにかかるだろう。 なんぼ日本でもあんなことが起こったら 総力を挙げて叩きつぶすだろうと思うが、黒幕が外国にいた時 でもそうするかはよくわからない。

  でも、やっぱり実感がない。なにしろまだ絵も見てないし、 仮に見ても映画と大差ない印象しか受けないだろう。 知らん人が死んでも悲しくはならない。むしろ話のネタにできておもしろいだろう。 事実今日はそれでずいぶん話がはずんだ。

  たぶん、なにかのために死ぬなんてのはそんなにむつかしいことではないんだろう。 戦争になれば行った人のほとんどは真面目に戦ったはずだし、 切腹なんていうものすごいことをやった人もたくさんいる。 焼身自殺なんていうメチャクチャ苦しそうなことを敢えてやる人だって たくさんいた。たまたまフヌけた育ち方、あるいは幸せな育ち方をしたから それがとんでもなく見えるだけで、周りでそういうのがあたりまえくさかったら 怖いのはともかくとしてできてしまうのだろう。 やってしまった時の苦しさがそれで変わるわけではないが、 やってしまったらなんぼ苦しくてもやってしまったわけで結局一緒だ。 腹切った時の痛みなんて想像することしかできないのだから、 それを超越する何かがあったらけっこうあっさりできてしまいそうな気がする。 増してその死になんかすごい意味があるのだと思えばなおさらだ。 死後の世界を信じていたりしたらもっと簡単になる。 そういうことを考えれば、飛行機乗っとって死のダイブなんてのは けっこう簡単なんではないだろうか。案外ビルに正確に当たる事の方が よほどむつかしいかもしれない。

  スペクタクルーとか言って軽く扱う人。 本当に悲しんでいるらしい人。自分が被害者だったらと想像する人。 戦争を怖がる人。イスラムを応援する人。日本には関わってほしくないです と言う人。国の威信なんて云々とか言う人。 実にさまざまだ。いろんな日記を読んでいると人柄が出ていい。 けっこうな率で人は自分が一番かっこいいと思う 書き方をするだろうから、何をどう書いているかでその人の美意識やら 正義観やら倫理観やらも伺えるだろう。 読んだ日記のほぼ全部がこの事件について書いているので、 とてもいいサンプルだ。なお、オレが書いたのはネタに飛びついただけで そんなサンプルを他人に提供しようと思ったからではない。

  朝5時。画像を見た。何これ。現実味なさすぎる。 2chのスレッドも見てみたが、いい感じにみんな不真面目だ。 MMRネタのモナーなんかがあって、実にいいセンスのボケである。 なんか本当にフィクションくさく思えてきた。 数千人が死んでいるというのに。

  ところで、考えてみればハイジャックがむつかしいのはそのまま逃げたり どっかに着陸して要求を飲ませることなのであって、ハイジャックすること そのものではない気がする。自分が生きて帰らないという前提であれば 結構簡単なのではないだろうか。そして、防ぐのは極めてむつかしい。 全部の飛行機に鉄砲持ったガードマンを何人か配置する、 なんてことをするのは無茶だろう。 地上で爆弾テロをやるよりもインパクトが大きく、障害も少なく、 目標は臨機応変に変えられ、規模も大きい。実においしいテロ手段なのではな いかという気がしてきた。もっとも、次にハイジャックする奴は たぶん乗客全員が必死で反抗するのでかなりむつかしくなるだろう。 あくまで一発ネタではある気がする。

  さて、次はあるのだろうか。あれだけものすごい犯罪だけに 生きた犯人がまだいるのなら次がありそうだし、 かといって全員があれと共に死んでいたとすればそれはそれで アメリカとしては困るだろう。犯人をでっちあげるのが一番怖い。 ましてそれが別の国にいる人だったりしたらどんなことになるのか。

2001年9月13日

極楽りんごリンク発見。 数行日記に書かれていたのを見つけ出して貼ってくれたらしい。すげえ。 ところで、いわゆる「直リンク」をうちは気にしないので、 直接貼ってくれると誰にとっても便利だと思います。 もしうちにリンクされることがあればそのようにしてください。 用のないトップページへリンクを強要するなんて人的資源の無駄遣いです、 なんて言うといいすぎだろうか。言われる前に自分で言っておく。

プログラミングが芸術と言われるのがなんとなくわかってきた。 ある程度の大きさであれば同じ機能を持ったものを作ったとしても 一人として同じやり方をする人はいないだろう。

そういや、英語のartは日本語の芸術とはだいぶ意味が違うらしい。 確かにmartial artsを戦いの芸術と訳すと意味不明になるだろう。 artは技術という意味を多分に含んでいる。科学くさくない技術〜芸術という感じだが、 確かにそれは連続的なものだろう。絵は技術でもある。

関係ないが、中国拳法はchinese martial arts。型はchinese shadow boxing。 どっちでも検索をかけると山のように怪しいサイトがひっかかる。

サイト内のどのファイルにアクセスしてもカウンタを回せるようにできる。 加えて、ジャンプ元がサイト内であった場合は識別できるので、 外から来たものだけをカウントすることもできる。 トップページだけはその値で、 他のファイルにはそのファイルだけのカウントを表示するようにもできるので、 日記を読もうがゲーム感想文を読もうがカウンタが増えるが、 トップから日記を読んだ場合には1しか増えない。 そして実際そこまではできた。 が、後から後から欠陥が見つかって直しまくり。 設計をちゃんとしてないからだとも言えるし、 設計だけすればいいというものでもないのだとも言える。 今のところ後者の方がデカい。なにしろスキルが圧倒的に足りないのだ。

HTTP_REFERERが空になってるユーザエージェントがいる。なんてこった。 大半は入ってるからいいんだが。

localtimeが返す月が1から12でなく0から11であることに気付いた。 西洋人は月を変な名前で呼んでいるのでそれでいいらしい。 年月なんざ数値化できるに越したことはないだろうにと思うのは、やはり日本人 だからか。歴史を大切にする心、ということなのだろう。 そもそもjulyとかaugustとかは皇帝の名前らしい。 そのくせoctoberとかsptemberとかは数なので別に数字でもよさそうなものなのである。 加えてoctは8、sptは7のはずなのに それぞれ10月と9月になっている。julyとaugustが割り込んだからなのだそうだ。。 けったいだが、これも歴史。

上の段落の間違いを指摘して頂きました。 ありがとうございます。 暦なんてコロコロ変わるものなのに月の名前だけは律義に残ってるってのは おもしろいです。

減量作戦成功。ソースがだいたい半分になった。まだ減らせる。

なにやら動いてるくさい。 もう一回通して読みながらチェキしよう。 しかし、どうやら動いてるくさい。身内でヒマな人、使ってみて バグを出してください。

シスプリあきお2。進む進む。シスプリっぽくないが、それはそれとしておもしろい。 というか、今回妹どうでもいい。ところで、やはり衛は年少組。

フルバ11。後半がくせえ。見せ方さえよければ本当にいい話として受け とれそうなのに、どうにもくさい。くどい。しゃべるなもみじ。 世界観、設定、雰囲気、キャラクターまではいいのに、 どうにも構成やらセリフやらが良くない。 見る人間の層を考えてわかりやすく言葉で説明しているのかもしれないが、 いくらなんでもやりすぎだ。もったいなさすぎる。

2001年9月12日

お隣がえんえんネオジオ状態。横アクションで異様に出来がいいのが あって、それにお熱なのだ。撃たれっぷりとか斬られっぷりとか焼かれっぷりとか、 とにかく死に様グラフィックのこだわりが異常である。 加えてゲームとしての出来も相当良さそうだ。横で見てるだけでおもしろい。

ジョー2完。いくらでも書けるが、書くべきことは何もない。

プログラム。やろうとしていたことがそう簡単でないことに今ごろ気付く。

多少無理をしてでも量を減らすことを考えた方がいいらしい。 少なさは読みやすさだ。 読む力量が上がれば多少むつかしいものでも簡単にわかるようになるのだから、 今わかりやすいものを書くより未来にわかりやすくなるであろうものを書く方がいい。 わかる前は数式まみれの本はとんでもなくわかりにくいが、 わかった後ではダラダラ文章で書いてある方がよほどわかりにくくなる。 全く同じだ。 コメントもよほどのことがない限り必要ない。書きすぎてもジャマだということが よくわかった。せいぜい見出し、たまにややこしいアルゴリズムの説明があれば 十分だ。もっと慣用句を覚えて短くせねば。

2001年9月11日

長月氏のお誕生日会。のはずだったが、本人が寝てる横でえんえんジョジョ 格ゲーをやり続ける会になった。実に良くできている。 「今の格ゲーはもうついてけん」とは良く聞くし、オレも思うが、 たぶんそれは「格ゲーはもういいや」という意味なのではなかろうか。 オレは正直言ってそうである。むしろゲームそのものがすでに相当どうでもいい。 ギャルゲーはゲームよりもむしろ小説や漫画に近いのでオレ内部では 扱いが違う。しかし、ゲームを作る方はやりたくて仕方ない。

日が変わるまでにネタが思いつけばどうにか、と思って ジョジョをやってる横でえんえん妄想していたのだが、 どうにもシスプリにならない。鈴凛が鈴凛であることや四葉 が四葉であることに自信はあるが、総体としてシスプリにならない。 絵に描くとなおさらである。そしてなによりネタが浮かばない。 ブルー。

わかっていたことではあるが、この液晶モニタのスピーカーはひどい。 つけるなこんなもの。町内会っぽい。

orとand。論理学万歳。ifとそれに付随するカッコが一気になくなって スッキリした。ドモルガン万歳。ただ、慣れないと逆にしてしまってひどい目に遭う。 まだ真偽表を頭の中に書きながらやってる状態だが、 論理学やっといてよかったと心底思う。 論理学のおかげで頭の回転が速くなったなどということはないが、 論理学をやっていなかったら今こうして「論理学やっといてよかった」 と思うことはなかっただろう。

2001年9月10日

余ったモニタがなくなって部屋がまた広くなった。

原因不明のバグが原因不明に直るのはプログラムの仕方が悪いのだろうな。 一歩一歩積み重ねていくのがいいとわかってはいるが、 どうせ1000行もないと思うとつい一気に全部形にしてから部分を検証すれば いいやという気になる。そしてたいがい後悔するわけだ。 せめてprint文だけでも最初から仕込んでおこう。

とかいいながらアクセス解析のバグを直していたが、 なんとなくつい一から作り直してしまった。とりあえず動くようになったが、 ユーザフレンドリーさが足りないのでそこだけ直したら身内に公開。 いらん機能を省いて、いる機能をつけ、質実剛健。 しかし結局いる機能のせいで元よりはるかにむつかしくなった。

人間が複雑なのではない。人間がたくさんいることが複雑なのだ。

身内ですでに以前のアクセス解析を使っている人向けに0.8を解放。 以前のURLの6を8にしてください。説明書がついてます。 完全に別物に使いやすくなっているはずで、これからももっと使いやすく なるはずなのでよろしく。ただし、ちょっとした都合で見栄えは最悪。 これからってことで。

やっぱり話です。ネタです。それなしで漫画は描けません。 濃い塩水を用意しても、種結晶をいれないとデカい結晶は作れないのです。 塩水を用意するのに時間を割きすぎました。

2001年9月9日

つまらなく感じる原因は多々あれども、つまらなく感じる理由は つまらないことただ一つである。

目を開けていられない。これは肩凝りと同じだ。目の周りが凝っている。

viすげえ。dかy+カーソル移動でめくるめく世界。 これは燃えるエディタだ。さしあたって薄い解説本を手元に用意しておくか。 実はものすごく使いやすいのではないだろうかこれ。

2001年9月8日

久しぶりに道場。リハビリ。しばらく行ってないうちに 気が上がって少林になってしまったので、気を下げた状態で暮らすように 気をつけることにする。あと実はすでに歩法を学んでいたことを知った。 手と同じように足を使えば自動的に太極の歩法になる。

やってない人にはなんのことかわかるまい。

妹12人に囲まれた暮らしとドラえもん12体に囲まれた暮らしは、 どちらがより人間を狂わせるだろうか。

シスプリでハっとしたことがある。こいつらの名前、全然普通じゃねえ。

いっぺいがシスプリキャラコレを4冊読んで帰った。

咲耶が嫌いなのではない。苦手なだけだ。たぶん。 ベタベタしているのも数年のことだと思えば愛しくもなろうよ。 しかし、咲耶の場合徐々に大人になっていくというよりも 何回か爆発を繰り返しながら悟って行きそうな気がして怖い。

鈴凛はまともなだけに金の事を強調しすぎるとすっごくイヤな奴になる。 兄を好きな度合が他の奴等に比べて 低いというか純粋でないあたりが不人気の秘密と見た。 妹というファンタジーに金などという不純物は不要ということか。 オレがそういうファンタジーをあまり求めないのは リアル妹がいないのも大きいのだろう。

2001年9月7日

ジョー35まで。あらゆるところがすごすぎて、もう何を誉めていいかも わからない。おもしろいのだ。かっこいいのだ。どうしようもなく。 昔の人はこんなもんを毎週見ていたというのか。

2001年9月6日

いいかげんプログラムちゃんと上げねば死。薬会社のパシリで スクリプト打つのもいいかげんにしてそろそろ自分のをやらないと 一向に論文が書けない。ところでそのパシリというのは 特定の条件を満たす遺伝子を酵母全遺伝子6000余りの中から探してくる という作業である。そのために 連続6000回以上酵母データベースサイトにpostでフォームを送りつけて その出力を整形して溜めこんで、 grepやら自作スクリプトで検索するという手段を取った。 データベースサイト上でやりたい検索ができればそんな無法な マネはしなかったのだが、できないし、複数のサイトからのデータを統合したかった ので仕方ない。 しかし、やられた方はけっこうたまったもんじゃなかったりするのかもしれない。 なんでそう思うかと言うと、 それをやったサイトのうちの一つに 作業途中で全くアクセスできなくなってしまったからだ。 ちなみに未だに入れない。 入れないのはそのコンピュータだけなので、 ひょっとしてアクセス拒否食らったんだろうか。 あのIPアドレスからは永久に入れない、なんてことになると ひょっとして責任重大。困った。ドデカい企業のサイトなのに まさか数千回オーダーでそんなことになるなんて思ってなかったのだが、 やっぱりそういう連続アクセスって非常識なんだろうか。

L365。日本橋ソフトアイランドで59800。1512Wはニノミヤ一軒しか置いておらず、 72800だったのでやめた。 くっきりきれい。むしろまぶしい。ジョーもきれいにうつるくらい 良い反応だ。だが、運悪くド真中に緑に光りっぱなしの点が一個。 電車の中で箱に佐川急便のシールが貼ってあるのを見つけて 不安になったのだが、予感通りのドット欠けである。 佐川が運ぶとドット欠けが頻発するというあの噂は本当なのだろうか。 いくらなんでもそんな短絡的なことはあるまいと思うが。 ともかく、これくらいは気にしないことにしよう。

シスプリあきお。話が進む進む。妹供がどうでもよくなるくらい進む。 そしてやはり全ては仕組まれていた。ところで、春歌にひざまくらしてもらうことに なんら違和感も羞じらいも感じないあたり、主人公は本当に成長したものだ。

フルバ牛。この作者はいい話のパターンをあまり持っていないようだ。 加えていい話の語り方のパターンもあまり持っていないようだ。 後半は見慣れたいい話描写に時間を割かれてしまって妙にダレていた。

シスプリ本を身内が出す。参加させてもらっちゃおうかな。 降りてこい降りてこい。

なんかゴッツイ物をつくって著作権なんていらねーとか言いつつ公開し、 パクられてパクった人が大儲け、というのがオレの夢。 加えてパクった奴が「これはオレが作ったんだ。貴様こそパクリだ」 と言ってなんか登録とかしてくれるとより良し。 たぶん実際にそうなったらムチャクチャ怒り狂ってブルーになるんだろうが、 それもまた良し。素人はプロの思いも知らずそういうことを平気で言う。 どうせオレが素人でいるのもあと一年以内のはずだから、今のうちに言っておこう。 一年以上素人でいたらオレは路頭に迷うことになる。

2001年9月5日

「close to」はつまらなかった。だが、そのつまらないという思いは純粋か。 言い換えれば作品以外のものによってそのつまらないという思いを 補強していないか。そう考えた時、このつまらないという思いのうちかなりの 部分は作品以外からやってきたものであることに気づいた。 みんなからつまらないと言われていること。隣にギャルゲー嫌いのこーへーが いたこと。他にもいろいろある。しかし、それが仕方ないことだったの は確かだし、まさか日を改めてもう一回やろうとは到底思わない。 close toにはマイナスの場が強く働いていたのであり、 それは運が悪かったとしか言いようがないことだろう。 しかし、できることならば場はプラスの場合にしか影響されたくない。 作品本体がつまらないと自信を持って言うために、 そしてつまらんことで作品本体のおもしろさを見逃さないために。

液晶

  モニタを見つめていると、 目が痛いのを通り越して頭痛にまでなる。 フォーカスはズレてるし画面は小さいし、ダメだこりゃ。 つまみをいじってもすぐにボケてくる。 というわけで、こうなれば液晶だ。幸い諸々の事情によって金はある。 早速日本橋へ行ったのだが、途方に暮れた。何も調べないで行くもんじゃない。

  最初は液晶で写りさえすれば今より状況はずっとマシになると思っていた。 多少フォントがボヤけようが大した問題じゃない。 というわけで15インチの激安品にしようかとも思ったのだが、 液晶という奴は動画には向いていないのだということを思い出した。 店の展示を見た感じそんなに差はないのでなんでもいいような気もするのだが、 いざ買ってみたら残像出まくりでDVD不可、 なんてことになったら泣くしかない。 というわけで、価格comの掲示板やら 2chの液晶スレッドやらを読みあさり、候補をしぼった。

モノ値段横ドット備考
ナナオL3656万1024下視野角狭し
シャープ1512W7万1024問題なし
サムスン170T8万12801ヶ月待ち
シャープ1610W8万5千1280下視野角狭し+動画不安
ナナオL4617万3千1280下視野角狭し+動画不安

  液晶高いよ。確実にブラウン管が2つ買える。まともなCRT を買ってきてフィルターでもかませて使うのが妥当なような気もするが、 なんかつまらないし、熱いし、何より重くてジャマだ。 結局L365か。でよほどの特価を発見できたら1512W。決定。 1280ドット液晶は動画が不安なのばかりなのでやめとこう。 なんでこんな時期に買わねばならんのだと本当に恨めしくなる。 2年後なら間違いなくまともな液晶をそこそこの値段で買えるだろうに。

2001年9月4日

壊れたモニタ2台を捨てることに成功した。

ひどい目の疲れが帰ってきた。

「South Park」。ブラックユーモアアニメ。黒いし下品。しかし その悪びれなさのせいかすがすがしさすら感じる。全く陰険さがないのだ。 フセインの顔写真を使って遊びまくったりしていて相当に不謹慎なのだが、 これくらい許せなくては度量が広いとは言えまい。 なお、字幕を追っていては半分くらいしか楽しめないだろう。 がんばって英語を聞き取れると全部おもしろがることができると思う。 字幕はだいぶ情報が落ちているのだ。 とは言うもののオレも半分もわからない。速いしスラングだし歌だし。 しんどい条件がそろいすぎている。

「削りに削った表現が光る」なんて言われたいんだが、その路線じゃ勝てない。

「close to」。轢かれるまで耐えた。もはや語るまい。

レーザプリンタを拾った。LP700。A4の600dpi。ちゃんと印刷可能。 ドラムが汚れてるのか微妙に汚れが入るが、印刷そのものに支障はない。 で、いらんのだが誰かいる?

すでに研究室のかなりの人々にこのサイトが知られていた。 「萌え、ってなんですか」とか聞かれた。いいや。

2001年9月3日

一部で流行ってる100の質問ってやつをやってみた。 いい自己紹介にはなるが、タチの悪い質問がいくらかある。

2001年9月2日

みやざき君 とブリアーノにいろいろ見せた。一発目があしたのジョー2の13と14話。 二発目が銀英伝の劇場版。三発目がザブングル1,2話。 構図や演出、セリフの使い方についてダラダラ話しながら見る。 どれも大した作品だ。銀英伝の劇場版はまだ見てなかった奴だが、 かなりかっこよかった。最初のあたりをうまくつないだだけのものだが、 演出といいデザインといいセリフといい全てがかっこいい。 ところで、今回はザブングルを「この絵はオレに描けるか」と自問しながら見てみた。 トレイを持って立ちあがる。バイクから落ちる。ただ立っている。 顔を拭う。どれ一つとしてあれほどまともに描ける気がしない。

ところで、ジョーもザブングルも原画3,4人に動画3,4人だった。

どれだけおもしろくおもしろがれるか。

結局徹夜でジョー。24まで。目が疲れて見ていられなくなったので中断。 眠くないので、ちょいと走ってこよう。

フルバ2巻。いい話だがやっぱり未熟。そう簡単にはうまくならんか。 ところで、紅葉はドイツだったのだな。 アニメではそんなことは言ってなかった気がするが覚えてない。 まあ、いきなり「メートヒェン」とか言われてもわからんから 正しい判断だったろう。構成も微妙に変わっていた気がするが、 確かにアニメの方がしっくり来る。

ジョー28まで。金竜飛編すげえ。ジョーの強さがかなり説明不能なんだが、 そのへんを気にしてジョーなんて見られるか。減量を必死にジャマする 段平がやりすぎに思えたりもするが、それはストーリー的に結果がわかっている からそう思うのだろう。本当にそれで死んでしまうと思えばその程度のこと はしても段平なら不思議はない。 それにしても段平はいいキャラだ。 最近はああいういい味出してるオッサンキャラをほとんど見ない。 ギャルゲーに出てこんもんかな。

ジョー32まで。ホセかっちょいい。シビれる。男。 沈黙は金。言葉に頼らず、そして言葉を恐れない。 うだうだ言ってんじゃねえ。男ならやってやれだ。 目とか口とか手とか肩とか空とか海とか、まあなんでもいいが心理描写になる。 「Don't think. feel.」。

ところで、やっぱりジョーの強さは説明不能だ。いわれなく強く、いわれなく勝つ。 こういうのを「頭悪い」と言って敬遠したりバカにする人はたぶん多いのだろうな。

私信

  過ぎた言葉を頂きました。 私は「好き」と言われるのがたまらなく好きです。 気味悪がるなどとんでもないことです。私は結局人にそう言ってほしくて 書いているのでしょうから。 ところで実は私もソガさんの文章が好きです。 私はどうしても自分を良く見せようとして演出したり隠したりしてしまいますが、 ソガさんの文章にはそれがないように見えます。それがすごいと思うのです。 仲間内のお遊びで「おんぷちゃん、萌え!」とか言ってるのとは訳が違うのです。 なんと言ってもフィクションを現実の中にある程度以上 迎え入れることは多くの人にとっては異常事態です。 増してそれがギャルゲーやらエロゲともなれば 引く人がほとんどでしょう。そしてシスプリはその中でも最もバカにされる ジャンルの一つだと思います。本気でダメ人間やら二次コンやらの烙印を押されます。 私はそうやって怖い人に思われることを恐れてしまいますが、 ソガさん(と、実はあるもう一人)の文章にはそれと真っ向から戦う姿勢が見られる ように思うのです。 私はいまだにシスプリ好きと言われることを恥じているというのに。 アンテナにシスプリ話と書かれた時は今よりもその恥ずかしさが大きく、 素直に喜べないところがありました。あんだけハデにシスプリ話をしておいて ああやって反応してしまったのは 間違いだったと思っています。書いた直後には後悔していました。

  フィクションの受け入れ方について共感する所もあり いろいろ書きたいことがあるのですがどうやっても文章にまとまらないので それはまた別の機会にします。簡単に言ったら真面目にギャルゲーやって悪いか、 という感じでしょうか。簡単すぎますが。よく考えたら、関西におられるのですね。 いずれお会いする機会があればおもしろいのですが、 一回くらい実際に会うくらいではなかなかこういう話 はしにくいものかもしれません。

2001年9月1日

高屋奈月「フルーツバスケット」1巻。なるほどおもしろい。 が、未熟だ。アニメは技術不足によって見えにくくなっている 原作の力が引き出されているので、アニメの方がおもしろく思える。 しかしこの発想と空気は原作の力だ。 フルーツバスケットという題名の意味にはハッとさせられた。 是非漫画力をつけてもらいたい作家だ。

「Six-Strings SAMURAI」。アメリカの三流映画。 核戦争後ソ連に占領され荒廃したアメリカでスーツにメガネの男がギターと刀を持って 悪人と戦いつつ地上最後の楽園を目指す話。 アメリカンなジョークやセリフ回しがとにかくわからない。 しかしおもしろい。途中40分ほど早回ししたのでちゃんと見たわけではないが、 ツッコミ所満載で大人数でワイワイ見るのにとても良い。 なお、映像としてはけっこうハイレベルな気もする。実際なにやらかっこいい。

シスプリ四葉の回もう一回。やっぱり四葉はバカちんだ。 しかし、バカはかわいいのである。いや、むしろ微笑ましいのである。 微笑ましくないバカは、ただのバカだ。四葉はただのバカではない。 シスプリキャラは全員が全員バカなのだが、 やはり四葉のバカさのやりすぎっぷりは群を抜いているので、 人気が高いのもうなづける。

シスプリ鈴凛の回もう一回。ド饅頭と化す鈴凛。ぽちゃ、萌え!とか言う気は さらさらないので単純に残念ではあるが、ともかくそんなことは事故なので仕方ない。 作ってる人間があれだけたくさんいるのにこの質というのは 時間がないのか、一人一人の性能が低いのか。というか昔から週一のアニメは やっぱり毎週締切りが来てたはずで時間がないってこたあないだろう。 やっぱり性能の問題なのだろうか。さて、そんなことはともかく鈴凛の回は 浮いている。むしろ鈴凛というキャラが浮いている。

あしたのジョー2。1から12話一気に。おもしろすぎる。 ここんとこの「おもしろい」とはケタが違いすぎる。 今まで見ていたものに「おもしろい」を使ったことを後悔するほどだ。 この涼しい日に、ただねころがって見ているだけで体が熱くなってくるのである。 汗が出てくるのである。 技術もさることながら魂が違う。気迫が違う。 帰ってきたら続けて全部見てしまえ。こーへーには悪いが、 一人で見させてもらおう。にしても、口の挟みようがないおもしろさだ。 シスプリのおもしろさとは完全に別腹である。

シスプリアニメキャラまとめ

  これでシスプリアニメも全員の話が出揃った。後は終わらせるために なにやら話を進めるだけで本筋ではないだろう。 そこでここらで妹供の印象をまとめておこうと思う。 さんざんシスプリ好きとバカにされ現在もされ続けているので それを助長するようなマネをするのもイヤなのだが、こうなるともう意地である。

  なお、今回は好きになれない奴でもどうやったら好きになるかを 併わせて考えてみた。

可憐
受信がちだが、普通。しかし、あの「お兄ちゃん、大好き」はとてつもなく、 もしえんえんと甘い描写を見せられたら何もかもがどうでも良くなってきて コロっと転ぶんではないかという恐怖感がある。それが王道というものだろう。
花穂
影の薄い妹として3本の指に入る。望月久代のとんでもない声以外に特徴がない と言っても良い。いじけがちは好きではないのだ。 しかし、もし望月久代の演技が うまくなったとしたらどうなるかわからない。 微妙な機敏が表現されたら感情移入しすぎてコロっと転びかねない怖さはある。 実際今いろいろ想像してみたらけっこう来る物があった。
影が薄い。が、まともにいい奴なので、実際横にいても許せるかもしれない と思えるような気がしないでもない貴重な奴である。 とにかく脳内に像を結ぶまでひらすら妄想すればいずれ深みが出てきて もっと好きになっているだろう。
咲耶
相変わらず寄るな。自分と無関係の次元に棲んでいる分には微笑ましいバカちん であるが、仮に横にいたらと思うと気が気ではない。全体的にバカであるよりも、 全体的にはまともなのにどこか一箇所だけ思考が阻害されている方が 怖さがあり、リアルでもある。咲耶はそのへんがサイコで良いが、 それはそれとして寄るな。ところで、一回兄がガツンとそのへんを言ってやる ことを想像したら、咲耶の落ちこみっぷりがものすごいことになって かなりかわいそうになった。これを乗り越えた咲耶なら好きになるかもしれない。
雛子
千葉千恵巳のやりすぎがいつまでたっても心のどこかに引っかかる。 しかし、それはそれとして芸を讃えたい。さて雛子本体であるが、 まだガキンチョであり年齢を考えればバカちんというほどバカでもない。 アニメにおいては今ひとつラインナップ上いるだけで良いキャラである。 しかし、今試しにあのちっさい手にふれたことを想像したらけっこう効いた。 猫におそるおそる手を伸ばす、あの心境である。
鞠絵
影の薄い妹として文句無くトップである。当然毎回なにかしら出てはくるのだが、 何をしていたかを思い出すのは極めてむつかしい。どうしたら好きになれるかを 考えてみてもいまひとつ思い浮かばない。衛同様妄想次第といったところか。
白雪
バカちん妹として3本の指に入る。「ですの」に「きゃああ」、そして姫。 これに横手久美子のはじけ飛ぶような演技が加わり、 インパクトはあるが同時に引かれる要因にもなっている。 料理は所詮追加装備にすぎないとすら言えよう。 現実に横にこいつがいることを考えると、二人きり、もしくは周りに シスプリ妹供しかいない状態ならかなり気持ちよさそうなのだが、 実社会の目が加わると途端にいたたまれなくなる。しかし、なんだかんだ言うて けっこう好きだ。
鈴凛
12人の中にあっては極めてまともである。外界に目を向けて、 この時間に終わりが来ることを認識しているという段階でまともだ。 問題なく横にいていい。むしろ、いろ。 あとは神崎ちろの演技がもう少し自然になればいいなあと思う。 もうすでにメカがどうとか言うことは思考の外だ。スパイスである。
千影
演技楽だろ。本当はこういうしゃべらないキャラこそ演技力がいるのだろうが、 誰もシスプリにそんなものを求めてはいまい。さて、こいつはアニメでは 本当によくわからない。ゲームに匹敵するとまでは言わないが、わからない。 どうもアニメではシナリオの都合でいいように使われている気がするので いまひとつ何者かわからないのである。 ただ、比較的まともなのはわかる。白雪の回なんかはまともなことを言っていた。 結局こいつも頭の中がまともであると仮定して一生懸命何を考えているか想像して やれば好きになれそうな気もする、という程度か。 ただ、同系統でわけのわからない川澄舞(KANON)と違って天然お茶目度が低いので、 オレの中で地位を占めるようにはなりそうにない。なお、前世設定は追加装備。 なんべんも引き離される悲しみに同情するのはもう飽きた。今生で勝負せい。
春歌
影の薄い妹として鞠絵に匹敵する。こいつは頭の中がまともだと仮定することが 到底できない上に、やけに行動的なので被害がデカい。おそらく 妹の中では一番年上の部類であろうから、そこを考えると余計に辛いのである。 人生の苦難を知って少しは落ちついてくれと思うが、 どうにも何があっても変わらないような気もして安心したり気が滅入ったり する。とりあえずいると楽しいが、その他大勢の一人としていてほしい。 うれしいシチュエーションだけで勝負されてもオレとしては困る。
四葉
ふと地べたに腹を上にして寝転がって動いている猫を見た時、 ふとねこじゃらしに何発となくフックを叩きこむ子猫を見た時。 四葉はそういうキャラである。猫でなくて犬でも鳥でもなんでもいいが、 「ああ、あさはかだなあ」としみじみ思うバカちんであり、 すなわちかわいい。大丈夫かおまえと思う前に、「ああ、まだ子供だなあ」と 微笑ましく思うのである。確かにやりすぎにバカだが、それはまあシナリオの都合 ということで、四葉メインでない回でちょろっと出てくる時の方がかわいい。 鈴凛の回の四葉は最上である。妹というよりは娘に欲しい。 シスタープリンセスメーカー誰か作らんだろうか。
亞里亞
製作者の尋常でないセンスが集約されている。もはや公野櫻子先生の掌を 飛び立ったと言って良かろう。 一種この白痴故に表現されている空気が素晴らしい。 花を見て花と言わず、ただ「あはれ」と言う。 そんな感じである。亞里亞はりすをりすという言葉で認識していない。 知らないのだろうが、知らないということが問題なのではなく、 そのような記号で認識していないということが問題である。 それを亞里亞は「ぴくぴくー」と表現した。 白痴故の悟りとでも言うべきか。 さて、それはそれとして横にこいつがいたらどうかと言うと、 かわいい以外に取り柄がない。しかしかわいいだけなら尋常でなくかわいい。 何を言い出すかわからないという面白さもポイントが高い。 が、オレがうっとうしさを感じるのにさしたる時間はかかるまい。

  なんだかんだ言って、おもろいなあシスプリ。作品が、というより これを遊び場にしてこうやって文章を書いたり妄想したり人と話したり するのが実に楽しい。


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