日記

2004年3月31日

アフィン変換が何なのかも知らないまま3Dプログラミングをしていたことが発覚。 vectorとpointは属している空間がそもそも違う。 よく聞くscene graphが何なのかもやっとわかった。

えらくなろうと思った。自分を下端と思うのはもうやめだ。 これからしばらくえらくなる努力をしてみることにする。 この決断を半年早くできたらいくらか状況が変わっていたかもしれない、 というのは言っても仕方ないことだが、そう思うことでこの決意が強くなるなら 無駄とは言えないだろう。

しかしまずカゼを治そう。

2004年3月30日

何もかもが終わった。

仕事がないので物理エンジン開発のために勉強。 まずは数学を一回学び直そう。 アメリカで Essential mathematics for games and interactive applicationsという本を 買ってきたのだが、かなりいい本っぽい。

仕事PC交換。モニタがDELLの20インチ液晶になり、 CPUはHT付きP4-2.8になった。2年も経ってるのに1.4倍しか速くなっていないので あまりありがたみはない。

2004年3月28日

帰ってきた。部屋が大変なことになっているが眠いのでフロ入って寝る。 しかしその前に一言。 GDC(Game Developper Conference)は 物理とAIだった。どちらも本当にゲームに必要かどうかは わからないが、使用可能にしておくことは有益だし、 いくらうちでも流行りを無視して商売をするほどの自信があるわけではないだろう。 さしあたり物理エンジンの一つでも作ってみるか。 ゴツい本を買ってきたのでPS2で動かせる範囲の剛体物理系なら 結構すぐに作れそうである。鍵はラグランジュ形式の運動方程式とLCP。 あまりの賢さに眩暈がする。どうやったらあんなものが思いつくのか。

スピカとプリキュア。どちらも説教臭いまでにいい話だが、かなり嫌いじゃない。

San Joseと書いてサンノゼと読む。 シリコンバレーはえらくゴージャスな土地だった。 物価も高い。飯屋で普通にアメリカ料理を食うと20ドルを超える。 そういうわけで食事はたいがい中華だった。中華は安くて味もマシ。 なお、マクドの大きさは日本と同じっぽい。ポテトが多かった気はするが、 それだけでは期待外れである。 あと私は食ってないが、吉野屋は並で日本の特盛とほぼ同じ大きさらしい。

2004年3月20日

芽依子。ネタバレはしないが、良いとだけは言っておく。 やりたい人には芽依子ルート侵入可能なメモカとソフト貸します。

しぐれCGが2枚ほど残っているが、バッドエンドを見るのは辛いので今はやめておこう。

WEBで話すとつい一度にたくさん書いて、結果として話題が並列になってしまう。 仕方ないことだが混乱しやすいのはそのせいもあるかもしれない。 論文の出し合いとかに比べるとはるかに速いわけで そんな贅沢を言うべきではないのだが。

では、寝てアメリカ行きます。27の夜に帰ってきます。 気が向けばアメリカから更新するかもしれません。 ジャマかもしれませんが念のためノートPCを持っていってみますので。

2004年3月19日

アホの自慢話を聞いてきた。よくもまああれだけ無茶をやるものだ。 あれに対抗することもあるまいが、せめてアメリカでは ビビらずに会話をしようとは思う。

で、 Light on YOGA を土産にもらった。アサナ(ヨガのポーズのこと) に関しては前図書館でコピーしたヨーガ大全以上に詳しい。 ただし英語。何故かヴァイオリンニストの イェフディ・メニューインが序文を書いている。 読む時間がないのでアメリカ持ってくか。辞書必須だが。

例の話にさらに反応を頂きました。 「義務」という言葉を使うのであれば、 おっしゃる通りそんなものはどこにもありはしません。 当人達で好きなようにすればいいのです。 まして見物人の存在など知ったことではありません。 よって「どこまで反応すべきか」という問題に置き換えるのであれば 「それは場合によるし好きにしろ」で終わりであり、 「全ての場合に反応すべきであるとは言えない」という結論は当然のものです。 ただ、私が引っかかっているのはむしろ「マナー」とか「常識」という範疇に 属する問題なのです。 果たして「話を続ける意思がある」は 「しゃべりたいことがある」とイコールでしょうか。 イコールであることもあります。もし両方がそうならある意味幸せでしょう。 独り言を言うだけでどちらも満足しているのですから。 しかし、そうでない場合、すなわち 「話を続けること」が「相手に反応してもらうこと」 を含んでいる場合の方が多いのではないでしょうか。 両方が相手の反応を必要とするならばきっと 議論はまともなものになるに違いありませんが、 問題なのは片方だけが反応を求めている場合です。 例えばAがBの意見にケチをつけたとします。この時Aがそれで満足して、 Bの反論に聞く耳を持たなかったとしたらどうでしょう。 きっとかなり悲惨なことになるのではないでしょうか。 だから、生身で話す時はもちろん、 WEBでもリンクなりで相手を特定してしまった時には、相手の話をきちんと 聞いて反応するのは義務と言っていいのではないかと思うのです。 プラトンの対話篇のような議論が常に良いとは言いませんが、 少なくともああいう感じにしようという意思がないと独り言の言い合いになって 誰も幸せにならない気がします。

ところで、アクセス解析データを見てみたところ、 例の文章で私に責められたと感じておられる方がいらっしゃいましたが、違います。 そちらの議論は今アクセス解析データ経由で初めて知ったのです。 まぎらわしいものを書いて申しわけありません。

前にもやらかしましたね私。何度となく。

相手の話をよく聞いて理解し、かつ相手を気づかいつつ自分の意見を言う というのは相当面倒くさい事です。 そこまでしなきゃいけないなら自分の意見なんて言わなくていいやと思うくらいに 面倒くさい事です。 実際こんな文章を書くのでも1時間やそこらはかかってしまっています。 もしかしたら互いに独り言を言い合いつつ、「もしかして聞いてくれてるかも」 と勝手に錯覚しておくのが一番楽で効率的なのではないかと 思うことも稀ではありません。 実際WEB日記はそういう面が多分にあると言えるでしょう。 ただ、何かについて異論を差し挟むとなると、これはもう独り言の言い合いでは 済まされない可能性があります。極端な話、小説がつまらなかったと書いただけでも 潜在的な議論の種を蒔いたことになってしまうのです。 このへんは結局バランス感覚の問題になってしまうのでしょう。 「いや、所詮主観なんで気にしないでくださいよ」という逃げも それで済まされるならアリである気もしますが、 それで済まないことだってきっとあります。 「どうつまらないのか説明してみろや」 と議論を挑まれても「何主観に反応してんだよ。バカ野郎」などと 逆ギレするのはやっぱりダメだと思うのです。

と書いておいて、また自分の罪を思い出すわけですが。

2004年3月18日

おかえりなさい。さんざん心を弄ばれた。二度目だと言うのに。 芽依子とともにしぐれのCGがまだ埋まっていない。 しぐれ再登場の期待が高まる。カロリーを補充してからついに 本題に入ります。というか今までのはそういえば前振りだっのだ。 PS2版を買った動機から考えると。

こちらの意見について。 まず最初に、私が先の文章で「議論」と読んだものの定義を説明する必要 がありそうです。私が問題にしたのはWEBで自然発生するような類の言い争いの ことで、「おもろいゲームを作る」のような目的がまず参加者全員で統一されていて その枠組の中で話をする、というような意味での議論は想定してはいませんでした。 なるほどそのような議論においては関係ない話をする人は目的から外れているの ですから無視してかまいませんし、無視すべきです。 目的はあくまで「おもろいゲームを作ること」ですから、 それ以外のことはどうでもいいのです。 「馬鹿」とか言うような人はさっさと退場してもらうのが筋でしょう。 ただ、WEBで自然発生するような類の議論においては、 それを議論と呼ぶことの是非はともかくとして、 私の知る限りそういった共通の目的があることは稀です。 このような場合、双方に話を続ける意思がある限りにおいては 話を続けることそのものが目的と言えます。 であれば、相手の話を聞いて反応するのは必須条件でしょう。 どちらかがそれを怠った瞬間に話は終わるからです。 まして、反応もせずに別の話を持ち出すなどと言うのは、 キャッチボールで言えばボールを投げ返さずに懐からもう一つボールを出して 投げつけるようなものです。それはもはやキャッチボールとは呼べません。 もしかしたら当人は会話を続けること以外の目的を持っていて、 それに合致しない相手の意見を無視しているのかもしれませんが、 その目的はあくまで共有されていなければ単なる自分勝手になってしまいます。 少なくとも共通の目的が定まるまでは対話的な進行が求められるのではないでしょうか。

補足。用語は厳密さを欠きます。「目的」という言葉も意味が広く、 先に挙げた「ゲームをおもしろくする」というような具体的なものから 「何々について話をする」という比較的ゆるいものまでいろいろあります。 2chのスレはその意味において「目的のある議論」と言えます。 また、私が想定しているものは人数が厳密に二人です。 誰か一人が逸脱した段階で話が終わるという意味において二人で行うものは特殊 であり、WEB日記議論においては例え三人以上の人間が関わったとしても それはつまるところ一対一の集合体であり、 よって二人で行う議論であると言って良いかと思います。 人数の前提もなく「双方」などと言ってしまっているのはそのためです。 こういうのを「参加者」と言い直したりして 曖昧なところを全部直そうとするとどんどん抽象的になって さっぱり何を言いたいのかわからなくなってしまうのでとりあえず 勢いで書いてみました。すみません。

以下少し話がズレます。

私が他人の日記にツッコミを入れたくなる原因の大半は 他人の文章にムカついた事です。 ムカつくから何か言いたい、ひいては相手をギャフンと言わせたい、 つまりはそういう下らない欲求によるものです。 そんな動機ですから、相手の真意をきちんと考えて反応するのは面倒で、 ただ自分の言いたいことを言えればいいと考えてしまいがちです。 実際前の文章もこの文章も全くもってその動機から発生しています。 そしておそらくですが、これは私に限ったことではないと思います。 誰しも自分がツッコミを入れる動機をしっかり理解した上で 敢えて物を申すという覚悟がいるのではないでしょうか。 そして常に「相手の言いたいことを自分は理解していないのではないか」、 という疑念を持たなくてはいけないでしょう。 「おまえはこう言っている。それは間違いだ」と言うのは間違いで、 常に「もしおまえがこう言おうとしているのであればそれは間違いだ」 と言うべきです。それは度合の問題にすぎず、 表現上は断定の形を取ることもあるでしょうが、意識としてはそう思わなくては 歯止めが効きません。 こういうことを考えるようになってから私はめっきり議論が怖くなりました。

真面目風な話の直後ですみませんSNOW話をします。 たぶんだが、 5年前ならSNOWの桜花シナリオをいいとは思わなかったような気がする。 基本的に面白い話というのは誰かがひどい目に遭う話なのである。 だから幸せシーンというものはその前後の不幸が引き立てばそれでいいものなのだ。 しかし、桜花シナリオの幸せシーンは量的にそんなレベルではない。 だが私は全く退屈していなかった。 それどころか始終顔が微笑みっぱなしである。到底人に見せられん。 SNOWやとらハを面白がる感性はたぶんずいぶんと最近になって 私に訪れたものなのだろう。これが年を取るということなのかもしれないとすら思う。 うれしそうに子供の話をする人を見てうらやましいと 思う自分に気づいてはいつも唖然とするのだ。

芽依子中。 関係ないがskkservがsegmentation faultで死ぬ時には /etc/hostsの設定をちゃんとしよう。急に中途半端に漢字が使えなくなって困った。 で芽依子の話だが、メインシナリオ級のボリュームと内容。 移植用のおまけシナリオなんかでは断じてない。 まだ終わってないのでわからんが、 放置されていた芽依子が補完されている。 しかし思ったより長いので幸せなうちに一回中断しておいた。 すでに私には冷静な判断などできんが、これは間違いなく良いものである。 アメリカ前には片づけるが、今日はいろいろある予定なので明日だろう。

2004年3月17日

新マシン設定中。そもそもネットにつなげるだけでえらいかかった。 ルータがつながってるんだから道さえ教えれやればつながるはずなのに その道の教え方がわからない。調べた結果routeで一発だった。 「route add default ルータの内側アドレス」で終わり。 ppp.confの「add default HISADDR」はrouteの引数だったらしい。 Xが動くところまではいったはずなので、あとはメーラの設定をすれば ほぼ終わりだ。問題はメーラを何にするかである。 せっかくだしもっと先進的な奴にしたい気もするのだ。 ただ普段emacsをまるで使っていないのでemacs系はちと抵抗があるのだが。

アホが自慢電話をしてきている。フランスだかドイツだかの 町の子供の写真を見せられたのだが、 こりゃ面では向こうの人には勝てんわ。こんなに綺麗な面をしたガキンチョが ありふれているというのだからすごい。しかしよく撮ったなこれ。 とりあえず明日は朝から三田二郎。

二郎は休みなので明日にして、SNOW。 過去編終わり。他人の評価を見てしまった状態で改めて見ると確かにひどい。 もう少し格調というものがあっても良さそうなものだし、 それ以前に人間の描写がいいかげんすぎる。 おまえよくそんな状態で旭にまで気が回るな、とか、 まあそういう所がたくさんあって納得し切れない。 あと、わかりやすいツッコミどころとしては、 「おまえらその服どっから手に入れたんだよ!」 というものがあるが、これは敢えて飲み込んでやろう。

しぐれ中。本当に立派な萌えキャラになったなあこいつ。 弁当見て感動する姿とかすげえいい。 機嫌によって天候が変わるという設定も何がどうとは言えないが好きだ。 それにしても何故こうも腹が減るのだろう。 この腹減りは肉体のものではなく精神のものなので本来食ってはならないのだが、 しかし耐え難い。あんまんもどきでも自作してみようか。 いつものパン生地で自作あんこをくるんで蒸すことになるから あんまんとは違った物になってしまうとは思うのだが。

おかえりしぐれ。一番恋愛話っぽいかもしれんこのシナリオ。 楽しさと淋しさがともに極大だ。では春にしよう。 おそらく芽依子はその後だ。

2004年3月16日

鷄雑炊!悪魔の鷄雑炊!この先見たくねえ。ものすごく見たくねえ。 ちょっと型の練習してくる。洗濯もしようか。 人は二番目にしたくないことをやる傾向がある。

議論の中で馬鹿と言われたら、馬鹿であることを認めるか、 自分が馬鹿でないことの根拠を示すかのどちらかをしないといけない。 馬鹿と言うような奴は議論をする気がないのだから取り合わない、 というのもアリだが、その場合はそこで話が終わりになるのであって、 馬鹿という発言を無視して話が進むことはありえない。 議論である限りはありとあらゆる発言に対して何らかの反応を返す義務 があるのではなかろうか。挙げ足取りをされた時でも、 まずそれが挙げ足取りであって反応する義務がないことを証明しなくてはいけない。 それをやる気がないなら話はそこで終わりだ。やめちまえ。 むろん目的が相手を叩き潰すことにあって議論によって得られる見識にない場合は この限りではないが、そういうのは嫌いだ。 自覚的にやるならば悪党として正しいのでまだ良いが、 それを正しい議論だと思い込んでいるのはなおさらタチが悪い。 SNOWから逃げてWEB見てたらそんなことを思った。

先日の腹痛の原因候補がまだ残っているので躊躇しつつ飲んでみた。 まだ来ない。これでなかったとすればあと考えられるのは外で食ったメシだが、 そうであるならば他にも被害者が出ていそうなものだ。 まさか朝食ったリンゴではあるまい。

澄乃が逝った。手口なんてわかりきっているのに抵抗できない。 私はダメ人間か?それならそれで結構だ。それでは夏に臨もう。

なお、澄乃がダメになってきたあたりで声付きであることの価値を実感した。 小夜里さんの声がダメージを倍以上にしてくれる。うまいよ。マジで。

夏。全然神じゃねえよこいつら。 酒飲みすぎてゲロ吐く神なんているものか。 まあそれはいいとしても、神が出る以前からしてすでに適当なのはどうだろう。 神が降りてくるまでのところがそれなりに真面目な雰囲気であってこそ この神の適当さが引き立つように思うのだが、 もうハナッから適当なので読む方も脱力しっぱなしである。

白桜。おまえ実は適当な奴だろ。クソ真面目なのは外面だけだろ。 その適当な言動は一体どういうことよ。 言葉遣いが適当なせいもあるが、そもそも行動や思考が適当だ。 鳳仙の人柄も適当で便利キャラになっている。 菊花は所詮「えうー星人」なので置いておくとしても、しぐれはひどい。 おまえいきなり何言ってんの状態。 Legend編はひどいという評価を良く見るが、なるほどこういうことか。 たぶん前はまともに読んでいなかったのだろう。 左から右に抜けていくだけなら確かに何とも思わない。

ところで、兎形態の旭はどのくらいの大きさなのだろうか。 村人が化物扱いしていることや「巨大な」という形容詞がつくことから考えて、 最低でも犬並みの大きさは欲しい。 とは言え、苦もなく抱き上げられるサイズなのだからシベリアンハスキー級の サイズではないようだ。でもそれって巨大か?武器なしで大丈夫かとか言われる ほどか?しかし兎を逸脱するようなサイズでは 小さい頃の彼方さんとの思い出がありえなくなるぞ? とするとサイズは可変と考える他ない。というか、何も考えてないだろ作者。

澄乃っちがあっさりと中退届けを出せたことについてちょっと想像してしまう。 「ごめんね変な子で」という小夜里さんの言葉もそういう文脈で見ると複雑だ。 そう思うとなおさらあの小夜里さんの嘆きが重みを増すわけだが、 たぶんそれはこっちで話を歪曲しているだけだろう。

腹痛の原因はたぶんこの飲み物だ。ちょっと腹に痛みがあるし、 何やらゴロゴロしている。 免疫ができたのかあれほどの症状にはならないが、たぶんこいつだ。 というわけでやましさを感じることなく流しに捨てた。 開けて数時間常温で置いただけで毒物に変わるとは なんとも使えない飲み物であることよ。

2004年3月15日

小粒大豆400ml、玄米800ml、干ししいたけ5個を適当に割り、 昆布は推定20gくらいをはさみで2cm角くらいに切る。 これらを水9合に漬けて数時間(一晩くらいか)置く。その後醤油60mlを加えて 20分強火、その後鍋の蓋が動く程度の弱火で35分。 ぶっちゃけありえないほどいい匂いがする。 あまりの匂いに大して腹も減っていないのに味見。うめえよこれ。 椎茸と昆布の香り、米のうまみ、豆の甘味。どれを取っても申し分ない。 昔の私は日常的にこんなもんを食ってたのか。 そういや誰かに食わしたら肉入れろとか言われた気もするな。 当時は肉を食わないことにこだわっていたので入れなかったが、 今ならいれてもいい気はする。ゴージャス感が出て良かろう。 ただし面倒なので結局いれない。これは備蓄食料だけで作れることが重要なのだ。 しかし椎茸と昆布はもっと多くてもいい気がするな。ケチりすぎたか。 次は周りの人間が匂いに魅了されるくらい大量に入れてやる。

腹の調子はまだ悪い。一体何が当たったというのか。

こいつら本当にうまそうに飯食いやがる。SNOWの話だが。

澄乃シナリオ、もうたまらん。澄乃がこんなに頼もしく見える。 いきなり高校中退だもんな。そしてそれをあっさり承認する母親。 すげえ。ありえない。ところで、 これを雪月親子が混乱に乗じて彼方さんをモノにしたように見えてしまう のは私に問題があるのだろうな。

私は自分の立場を外的要因によって固定されることに恐れを抱いている。 立場に限らず「こういう人」と印象を規定されることも好まないのだが、 たぶん一度定まった立場なり印象を守らねばならないという重圧が 恐ろしいのだろう。安定は恐怖以外の何者でもない。 彼方さんが澄乃の決断を聞いてとまどったのは私にとっては当然のことだ。 「そんなに簡単に決めちまっていいのか?」というのはまさに私の心を 代弁してくれている台詞である。しかし同時に 「じゃあいつ決めるんだ」という問いも必然的に発生するのであって、 自分の今までの行動と今の状況に関して考えざるを得ない。 いつか本当の自分になれるなどという幻想は利根川に言われるまでもなく 排除すべきなのだ。そう考えると外的要因に恵まれた彼方さんが うらやましく思えても来る。 とは言え嫁になってくれるような奇特な人が押しかけてきたりしない限り 私はたぶんこのままなんだろうけどな。 自分から嫁になってくれる人を探す勇気はないし、 なによりその生活に自分が飽きて人を裏切ることが恐ろしい。

cygwinのinetdを使ってtelnetサバを立てたわけだが、 外からログインしたらネットワークドライブが見えなかった。 さしあたっての ローカルでなければ見えないらしい。さてどうするかな。それが解決したら 後はマウスでボタンを押すとtelnetでサーバにログインして何かするような ものを作ればいろんなことが楽になる。

さしあたっての仕事が片づいたので明日午前のミーティングに出たら休み。 そのまま20からアメリカ。27に帰ってくるらしい。

ようやく前と横の蹴り上げを安全に行えるだけの柔軟性と軸足の強度が 手に入りつつある。180度への道が見え始めた。 夏までにはある程度の成果を出さねばな。

2004年3月14日

SNOW中。「盛りこむ鍵要素一覧表」みたいなのを作ることから作業を始めたに違いない。

旭の目がダメになりつつある。今の今まで忘れていた。

そういえば昼間フロイトの精神分析入門を読んでいた。 夢分析突入。確かに誤解のしようがないくらいはっきりと 「夢に出てくるたいがいの物は性欲を象徴している」と断言している。 不愉快とか言う前にそもそも胡散臭い。 読む前は性欲の定義が違っているのだろうなどと思っていたが、 これはもう間違えようがない。普通の意味での性欲だ。 幼児の性欲の話になると普通の意味からは外れてはくるが、 この人の場合「一見性欲とは無関係に見える幼児の行動も、 実は大人の性欲と同じ原理が作用しているのだ」という話の流れなので、 学術的にありがちな意味のズレについてこちらで配慮してやる必要はなさそうである。 性欲の話以外でも眉唾な話は多く、 文化人類学や言語学の裏付けがいちいちついてくるのがかえってトンデモの匂いを 強くしている。象徴については文化に依存するところが大きかろうし、 夢の検閲についてももう少しもっともらしい理屈が欲しい。 とは言えおおまかな考え方としては面白いし、実感に合うところも多いように思う。 ところで、 誰しも自分でも気づかない邪な欲望を抱いているものなのだ、 という事を力説するあたりの文章がやけに盛り上がっていて気になる。 精神分析に批判的な人間を説得したいのか、 自分を善人だと思っているおめでたい人間に目に物見せたいのか。 たぶん両方なのだろう。

ところで、過去の光景がまんま再生されるような類の夢を見た覚えはまるでない。 SNOWは都合良く夢見すぎ。KANONのパロディなのはわかるが、パロディであることで 点数が上がるわけではない。

川崎で買物。デジカメがあった方がいいと強く言われたので安物を買ってきた。 コニカミノルタDimageX20。128MBのSDメモリつきで18800円。 いくらなんでもこれはダマされている気がする。 しかし性能的におかしいところはないし、 ちょっとさらった感じでは悪い評判もさほどない。

謎の腹痛。ほんの30分のうちに耐え難いほどひどくなった。 この急激さからして食べ物っぽい。とりあえず薬屋も開いていない時間なので 何故か置いてある正露丸を飲んで耐える。下剤くらい常備しておいた方がいいな。 それにしても「正露丸」と入れようとして 先に「征露丸」が出るSKKの辞書はどうかしている。

あれほどの腹痛がメールの返事を書いている間に消えてなくなった。 恐るべし正露丸。

おかえり旭、三重苦のことをさっぱり忘れていたので、 再びかなりの衝撃を受けてしまった。とは言え 「こんなムチャクチャな不幸っぷり見たことねえよ!」 などと半ばネタ観賞モードになっていたのは否定できない。 不幸が開始される以前から「一体旭を何歳児として扱えばいいのだろう」 などという生臭い疑問が頭から消えずいまひとつ入り切れなかったのである。 澄乃っちの身の引き方といい、最初の誤解発生時のつぐみさんの反応といい、 どうにも腑に落ちない。雪玉を投げつつ登場するようなガキンチョに 料理ができないからといって憤概する彼方さんは謎だ。 「もしかしておまえ料理できないんじゃないのか」と問うタイミングが おかしすぎる。 シナリオを書いた人の脳内ではこれが成立しているはずなのだから、 不足した条件を補えば私の脳内でも成立するはずなのだ。 そういうわけで それらを腑に落ちる形にするための鍵としてとりあえず旭の外見年齢を 特定しようとしていたのだが、ついに最後まで成功しなかった。 というか、途中からどうでも良くなった。 過去夢が出始めた頃からだろうか。てきとうなことを言う白桜に憤概している 自分を見て、素直モードに入った事を知った。 旭の存在そのものはファンタジーだが、旭が彼方を好いている理由は 至極納得が行くものである。それさえ納得が行くなら他のことは目をつむれる。 それにしても、やっぱり兎でいいんだなということを改めて納得した。 人間形態は一緒にいるための方便にすぎず、 一緒にいられるならどちらでもいいのである。

真面目に読もうとすればするだけ声を聞かなくなるという不思議な現象。 何のためにPS2版を買ったのかさっぱりわからん。 しかし違う版でもない限り同じ話を二度読むことなどないので、 それはそれでいいと思う。

最初にSNOWやった時は本気でバカにするためにやってたっぽい。 今となっては信じられんが、考えてみれば私にこれを薦めた奴は 一緒にバカにしたくて薦めたに相異ないのである。

澄乃編を進めようとしたら旭が別れを告げにきた。 おまえあきらめるの早すぎ、とかツッコみつつもマジすまん旭。 たぶん前もこうして謝ったに違いない。これだけ記憶にないということは おそらく前回はこのあたりではまだバカにしていたのだろう。 確かにここまではまだ十分ネタで済まされる範囲だ。 実際ヒロインの澄乃っちはどう見ても足りない子なのである。確実に旭よりもヤバい。 「ごめんね、変な子で」と言う小夜里さんの心中を考えてしまわずにはいられない。 しかし、この後に待つ恐怖に比べればそんなことは些細なことだ。 この先の記憶は過去編の前半以外はかなり克明なので、 ボタンを押す指も自然とためらいがちになる。 「鳥雑炊」の恐ろしさはギャルゲーの中でも屈指のものである。 ハナっからサイコなゲームであればまだ心の準備もできているだろうに。

ところで、最初から澄乃編に行ける人がいるのが不思議でならない。 だって、つい寄り道とかしちゃうだろう? 後のしぐれルートの入口のことだが、あそこを選んだが最後、 もう旭ルート確定なのである。

頭弱っ!と思わず叫んでしまうような即興の歌がたまらない味を出している。 本気で川澄のファンになってしまいそうだ。 一方つぐみさんとか芽依子様とかはやりすぎ。

「男日照り」とかいう俗ワードが出る度に思うのだが、 KANONとかAirとかってこういう生臭さは全然なかったように思う。 MOON.のは生臭いというよりはただ単に臭いだけだし。

2004年3月13日

拳法。一人大学に受かって旅立ってしまいました。 次からまた一人になる可能性がグンと増します。 というか、確率的には5割以上。

2004年3月12日

プチ修羅場モード。明日も明後日も会社。でも拳法は行く。 人来るといいなあ。

2004年3月11日

プリキュア6。 連呼しないでくれプリズムホーピッシュ。ホーピッシュって何。 大人の事情を消化するので精一杯という感じだ。 おかげで話がさっぱりわけわからねえ。 ところで、イケメンやらなにやら何かと現代語とおぼしきものが 乱舞する作品なわけだが、本当に若い人々はそんな言葉を使っているのか。 そもそも対象とする子供達に対してこういう言葉は本当に魅力的なのか。 さっぱりわからん。

2004年3月10日

やれるだけやる。いろんなものを作り変えねばならんな。あまり日はないが。

しばらくグラムで脂肪を記録してみることにした。 ダイレクトに一喜一憂できて楽しかろう。

2004年3月9日

不謹慎ながら面白いことになってきた。 今まで保ったこと自体がおかしかったのだ。 毒の回りがこれほどまでに遅れたのは図体のデカさ故だろう。 さて、こうなるとむしろ生き残れた時の方が問題が大きい。 むろん生き残れるよう全力は尽すが、正直それでどうなるとも思えん。

ハノンをやっていて、今までインチキをしていたことに気づいた。 指によって手の位置が変わっていたのである。親指にとって丁度いい位置においては 中指や薬指は深く曲るので力が入りにくい。 それで中指や薬指の時に手を鍵盤から遠ざけていたのだ。 3,4,5指と1指の連絡が悪かったのはそのせいである。 そういや昔習ってた時にそんなこと言われた気がする。 手を正しい位置に保ちつつハノンを徹底的にやる以外に手はあるまい。 ゆっくりと一つ一つの音を渾身の力で叩く訓練を繰り返す。 ハノンの10番がこの用途には最も使える。

「豆は畑の肉」と言われ、栄養の比較がよくなされるわけだが、 一つ気をつけないといけない。 乾燥豆100gと普通の肉100gで比べているのはインチキだ。 豆はどうせ水でもどして食うのであって、重量は倍以上になる。 熱量の表示があるならこれで割ってカロリー当たりの値に直さないと フェアな比較にはならない。むろんそれで比べても大豆はべらぼうに優秀なのだが。

2004年3月8日

アイシールド21を出た分全部読んでしまった。 スポ根少年漫画以外の何者でもない。たまらん。

起動時には会社のロゴを2秒以上静止状態で保ち、 しかもその間はボタンの入力を受けつけてはいけない、という掟があるのだが、 これ誰が得するんだろうな。前の時も「なんでだよ」と食ってかかったわけだが、 理由すらわからなかった。

2004年3月7日

とある会に呼んで頂いて勉強をしてきた。本当に有意義だった。 そして自分がプログラマになれたと思っていたのが早合点だったことを知った。 別れて一人になった後ひとしきりへこみ、 その後さあ今日学んだことを仕事に活かして面白いゲームを作ってやるぞと 思いはするものの、立ちはだかる障害が自分にはもはやどうにもならないものである ことを実感してもう一度へこんだ。 ところで、これは卑下して言うのではないのだが、 たぶん私の性質はプログラマや技術者のそれではない。 私にとってのプログラミングは手段だ。 確かに面白いしそもそも上達しないと生活できないのだが、 それを私を構成する最大の要素としたいわけではない。 そしてその「プログラマ」の定義を念頭に置いて身の周りの人を見てみれば、 その多くが私と同じような意味で「プログラマ」ではないことがわかる。 まあ、がんばろう。気合だ。

アメ横でしいたけとこんぶと干しいもとちりめんじゃこと干し柿を買ってきた。 あそこは値段が狂っている。

ゆうべはニャ長電話。もはや定時連絡に近い状態だが、マンネリ感はあまりない。 二人して生活が安定していないからだろう。 それに結局のところオタ話と拳法話が一度にできるのは奴とだけだ。

議論においては質問されたら答える義務があると思う。 答えるか、答えなくていい根拠を示して相手の承認を得るかしない限り、 他の話はできないはずではないのか。 明示的な質問でなくても、「こう思う」と言われたらそれに関する反応を きちんとして、その件が片づいてからでないと先に進んではいけない。 「こいつはわけのわからんことばかり言うから相手にしない」 というのはそれでアリだが、その場合は議論そのものが終了するのであって、 さしあたりその台詞は無視して自分の意見を言う、ということにはなるはずがない。 いつも見ていてそう思う。人の話を聞かない人に議論なんてできるわけがない。 なお、「おまえにはできるのか」と言われたら「できません」と答えるので ごめんなさい。

2004年3月6日

マリみて9。今回はいい。中身も、顔も。 しかし、動いている途中の絵はかなり大変なことになっている。

弱い奴が気づかないうちにその弱さゆえにすごい修行をしていて 後でそれが実って大活躍。そういうのがいい。 しかし、私はそんな都合のいい修行はしていないので、 今こうしてあまり都合の良くない修行をしているのである。

スピカ16。夢はかなうよ。フェイスレスくらいの年になっても言えるなら 私だって言えるはずだ。

16-19は休みを取ったが、その頃までに緊急の仕事が終わっていなければ 休み扱いのまま働くことになるだろう。

ニャんとこで空手の動画が紹介されている。 動きはよくわからないが、上地流のじいさんの肉体がヤバい。 ああいう体になりたいですな。

ついでに今のリンク先の上で紹介されているギターの人もおもろい。 ギターってこういう楽器だったんだ。 しかし正直、あの超人的な手の動きと、それによって生成される音楽が どう結びつくのかがよくわからん。 見てすごいものは聞いてもすごいはずだが、 聞くだけではたぶんすごいとは思わないだろうということだ。 ギターをもっと聞くなり自分で弾くなりせんとこれの価値はわからんだろう。

激しくガッカリ。怒る権利があるようなことなら気が楽なのだが。 いや、怒る権利くらいはある気がする。

SNOW。澄乃っちの声がすげえ普通でいい。えうーは辛いが、それは声の問題ではない。 一方芽依子様は変な声でいいしたぶんうまい人なのだが、 にも関わらず妙にぎこちなくて気になる。 また、つぐみさんはうますぎておかしい。というかどっかで聞いたことあるような。 小夜里さんはうまいが自然な感じ。 調べたら桜花はちよちゃんだった。なるほどやりすぎなのもうなづける。

海外旅行行くならスーツケースは必須だよと先輩に言われて どんなものか見に行ったのだが、車つきの巨大な箱としか形容しようがない物体だった。 入れ物の分際で5kg以上ある。どう考えても旅行以外の用途に使えないし、 しかも荷物を持って移動することがないような旅行に限定される。 あれよりは横にあった巨大なリュックサックの方がまだマシだろう。 まだ時間があるのでミーティングで詳細を聞くまでは保留しておこうと思う。

弟が受験に勝って東京人になるらしい。しかし調布は遠いなかなり。 両方ともJRで行けないような僻地なので距離以上に遠い。 京急空港線:穴守稲荷-京急本線:蒲田-JR:品川-謎の私鉄1:渋谷-謎の私鉄2:どこか-調布、 という感じになる。

Airの夏影は久石のsummerのパクリだという話なので midiを探して聞いてみたのだが、 なるほどわかりやすい。 比べたい人は 私の とでもどうぞ。 このレベルになると無関係ということはほぼありえまい。 しかし、この曲を口ずさんでいるうちに夏影になったのだとすれば それはそれで大したものだと思う。

SNOW。芽依子様の声が変である理由がわかった。 子音がいちいちきちんと発音されているのがおかしいのだ。 比べてみると澄乃っちの方は子音が普通にてきとうなので違和感がない。 あと、これは勝手な想像だが、やってる人が どんなキャラなのかよくわかってないのではなかろうか。 なお旭も出てきたが、こっちはあまりに普通に萌えキャラなので如何ともしがたい。

この段階での澄乃っちはやはりどう見ても「可哀想な子」だ。普通の神経では辛い。 しかしだからこそ後のしっかりさ加減が光るのだ。 あれこそが私にとっては真・澄乃っちなのである。

このバイトを見ていると拳児が飛毛脚の修行をするシーンを思い出す。 最初は凄まじく辛いのだが気がついたら結構楽になっていて不思議、という奴だ。 修行は尊い。とは言え、荷物なしでも2時間くらいはかかるであろう道のりを、 20kgのポリタンクを二つ手に持ち、加えて推定20kg以上の荷物を背負って 帰ってくるのはかなり無理っぽい。 灯油の入った18リットルのポリタンクを二つ持って運んだことがあるが、 あれでも十分に辛かった。 時間の経過具合からして行きの3倍はかかっているようだが、 私では3倍では済まないだろう。いいね、修行。

しかし本当に良く鍵作品を理解しとるなこれ。どのシーン一つ取ってみても ものすごく鍵臭い。バカにしてるんじゃねえのかと思うくらい鍵臭い。 そして、それでも空気が鍵でないあたりが不思議だ。 少なくとも鍵には小夜里さんや芽依子様は絶対に出てこないだろう。 ところで、川澄ヴォイスのおかげで澄乃っちの鍵臭さが減ったように感じられる のは私だけか。

こんなに甘いのだ大豆。おそろしくおいしい豆ごはん。 米4合に大豆2合。水は9合。 水を入れたまま8時間以上置いた後、多少焦げても気にせずに強めの火力で50分保つ。 たまらん。少し塩気が欲しいので次から少し醤油を入れよう。 あとはダシがあれば香りが良くなる。椎茸が欲しいな。 昆布の切れ端が安く手に入れば昆布も入れるのだが、 おそらくそういう幸運にはそうそう巡り逢えまい。 明日は早めに出て上野で探してから場に臨むとしよう。

あんまんはね〜あんまんはね〜。川澄ヴォイス最高。 完璧だこの歌。この凄まじいまでの自然さはもはや奇跡だ。 素晴らしいまでに適当な作曲と、このためらいっぷり。 いかん。ファンになってしまいそうだ。 まほろソングをカラオケで歌うような人間になる予定はないのである。 なにしろまほろソングは会社の先輩が歌った光景が半ばトラウマになっているのだ。 それはともかく、この歌だけでも金と時間を投入した価値はあった。 終わったら絶対誰かに押しつけてやる。 しかしその誰かを誰にするかを考えるとちとへこむな。 SNOWの話をしたらあからさまに気の毒そうな顔をされたのがトラウマになっている。 私が見に行くサイトの人はたいがいSNOWを好きなので それが当たり前のような気がしているのだが、現実はそう甘くはない。

オレ、ギャルゲー好きなのかなあ。やっぱり。 WEB見ても生身で会って話しても「ギャルゲーはもう終わってるんかなあ」という 感じをひしひしと受けるわけだが、 にもかかわらず私はいまだにこんなのをやって喜んでたりする。

トラウマで思い出したが、今日電車の中でフロイトの精神分析入門を読んでいた。 「言い間違いも、書き間違いも、忘れ物も、全て無意識によって必然的に引き起こ されるものなのだ!」と力説されたが、胡散臭すぎる。 あらゆる行動は過去の記憶を入力とする関数の出力である、 というところまで抽象化すればなるほどもっともと思うので、 これは単に語り口と議論の進め方の問題だ。 なにしろ挙げられた例はあまりに具体的に都合が良すぎる。 「会う約束を忘れたのは実は会いたくなかったからなのだ!」 というようなレベルの話ばかりなのだ。 例が増えれば増えるだけ説得力が落ちていく。 むろん、まずわかりやすく極端にストーリーになる例を挙げて その理論が正しい局面が存在することを納得させ、 次にそれを順次地味な例にも拡大していくことで あらゆる局面において程度はともかく同じ理論が通用することを示すという 作戦なのはわかるのだ。しかしなんぼなんでもその例の選択はマズくないか。 しかしおそらく「無意識」というものの発明自体がすでに革命だったのだろう。 「オレはオレの意思で生きとるんじゃボケ」というのが支配的だったとすれば、 「実はおまえ結構自動的に生きてるよ」というのはかなり衝撃的だったに違いない。 ピアノや歯みがきを例に取ってみれば意識なしでも行動が可能であることは 明らかなわけだが、理屈はいくらでもこねられるものだ。 意識の量の話にしてごまかさず、はっきりと「無意識」と言ってしまったこと がミソなのだろう。さて、次の章は有名な夢判断である。楽しみだ。

そういえば「嵐が丘」を読み終えた。 いろんな意味でネリーが辛い。 勝手な行動で周りの人間を不幸に叩き込んでおきながら 本人はなんとも思っていない。本人はよかれと思ってやっているからだ。 しかし、その論理の筋道は私にとっても たいがい納得のいくものなのである。登場人物に対する私のおおまかな印象は ネリーに似かよっていて、 ヒースクリフは悪そのものだし、 ヘアトンはやっぱり田舎者だし、 キャサリン(大)は軽率だし、キャサリン(小)はバカだし、 リントンは殴りたい。 私がネリーの立場にいたらたぶん同じことをして人を不幸にしてしまうのではないか、 と思って少し暗い気持ちになったりした。 なんだかんだ言って一番共感できたのはネリーだったのである。 何かと独善的で人の話を聞かない嫌な奴だが、 他の奴等もたいがいひどいので仕方がない。 悪い奴が一人定まって、そいつを責められれば楽なのだが、 この話では皆それなりに悪いし、でもそれなりに報いを受けて不幸になるし、 加えてたいがいすぐ死んでしまうので責められる人がまるでいない。 一体このやるせなさをどこにぶつけたらいいのだろう。 最後まで生きているネリーにでもぶつける他はないのだが、 しかしやはり私はネリーを責められないのである。 次はもっとヒースクリフ側に立って読んでみようか。

2004年3月5日

21.9%というのは一体どういうことだ。 しかしその一方で前より蹴りは高く上がるし、 型は安定してきている。拳法のために痩せる、という側面は あまりなくなってきた。もはや見栄えの問題がメインである。

最近漫画読んでないなあと思って本屋に入ったらLaLaDXが目についたので 買ってしまった。まだ半分も読んでいないが、やはりまだまだ力不足の 作家が多い印象がある。 そんな中森生まさみが一人だけやけにうまくて浮いていた。 他にも最初のパレットの魔法使いの奴は素材も雰囲気もなかなか魅力的。 白泉社系は時代の毒がまだ回り切っていないので安心して読める。 一方時代の毒から離れすぎておかしいのは月刊flowers。

腹が減るとメシが食いたくなるのだということを久しぶりに実感した。 ここのところ腹が減った状態のままでいることがほとんどなかったのである。 今食うと太るので寝よう。

調子がいいと暴れたくなる。暴れると痩せる。痩せるともっと調子が良くなる。 なんて素敵なスパイラル。現在の脂肪量は14.5kg。当面の目標は10kg。最終目標は5kg。

会社に置いてあったアイシールド21(ジャンプ漫画)がえらく面白い。 まだ3巻しか読んでいないが、たまらなく熱い。 姉キャラに萌えている面もないではないが、それはこの際どうでもいい。

デカレンジャー1話。噂通り頭悪い展開と設定。続けて欠かさず見るということはない だろうが、この一話は見ておいてよかった。それにしてもエンディングは歌えるように しておかねばならんな。こんなおもろいもの。

2004年3月4日

脚はだんだん強くなっているし、柔軟性も増している。 しかし脂肪は減らない。むしろ増えている。21.3%はありえない。 明らかに食いすぎている。

豆を注文した。米と豆があれば栄養的に死なない。

2004年3月2日

三声は仮想的に手が三つあるものとして扱う必要がある。 中途半端に指を離してしまうのは手が二つしかないからだ。 物理ハンドはどうしようもなく二つだが、論理ハンドは想像力と集中力次第で いくらでも増やせるはずである。 ただ単に手が慣れるだけでは三声にはならない。

ファイルのロード部分を新ツールに対応させるべく書き直している。 こんな時期になってそんなことをしているのはどう考えてもマズいわけだが、 文句を言っても仕方ない。そして、そんな状態にも 関わらずたいがいの人が普通に10時に帰っているあたりが余計にヤバさを感じさせる。 8時から働くくらいせんとヤバいか。

2004年3月1日

京都行ってた。土曜はアニ同の追いコン。日曜はいっぺいのところで 漫研人とダラダラ。月曜の朝に新幹線で帰ってきた。 いろいろなものを補充できたので良し。

プリキュア5話まで。見てて楽しい。子供向けアニメの制約が気にならんでもないが、 二話目にはもう慣れていた。動きが気持ちいいし、 何より女の子が肉弾戦をするというのがいい。 話の展開にも女々しさがまるでなく、とにかく気持ちいい。 ただ物語としてはどうだろう。 敵がやけに頭が悪かったりするあたりはお約束として流してもいいが、 キャラの行動や言動にはまるで説得力が感じられないのは少し悲しい。 例えば5話のほのかの男らしさはあまりにも唐突すぎた。 あの男らしさに納得できるエピソードがこれから出てくればいいのだが、 さてどうだろう。でも楽しいのは間違いないので当分は見ると思う。

ファントムのアニメ。ダメ。説得力も迫力もない。

「イケメン」は一般的に使われている言葉なのか。 プリキュアでは何かと連発されるのだが。 つい最近まで意味を知らなかった。

計算上身体性能を落とさずに8kgほどの減量が可能だ。 2リットルペットボトル4本以上の体積である。 そろそろ暖かくなってきたことだし減らさねば。


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