だだもれ

2006年6月30日

現在バール山脈。Lv29。防具も武器も高くて買えない。 自分で作ろうにもリスクが高すぎてやれない。 結果毎回ザコに苦戦する。苦戦するから避ける。 避けるから経験値も金も溜まらない。すなわち悪循環。 もっとも、途中参加キャラのレベルを鑑みるに レベルは足りているはずなのだが、どうにも辛い。 とにかく、このゲームは宝箱を見逃すと致命傷を負う。 いきなり戦闘300回分以上の金が入ってたりするからだ。 そういえば序盤のダンジョンの中にあきらかにハンマーで壁を壊さないと 取れない宝箱が大量にあるところがあったが、あそこも行かないとマズいんだろうな。

自分が前線に出てクリティカルを食らうと経験値3倍などの特典が消え失せる。 ということは、自分が操作するキャラは後方支援キャラであるべきだということだ。 ひ弱で通常攻撃が遠距離でMPが高いという実にうってつけのキャラが いるのだが、現状回復魔法を覚えさせることができないので使えないでいる。 ここらで昔のダンジョンを廻って宝箱を回収すべきか。 もし回復魔法修得アイテムが入っていれば編成を変えられる。 もう一個くらいはあるだろう。ゲームの展開から考えて、 最初の二人の時に二つとも使ってしまう人は多そうだからだ。 そもそも今使っているキャラは条件がわからないのでスキルをかなり均等に 上げてしまっており、今となっては実にもったいないことになっている。 これから是正するよりは、いっそこいつらを捨てた方が早い。 攻撃モーションが小さくHPの高い前衛型二人と完全な後衛型一人が良かろう。 いくら攻撃力があっても HPが低い奴を前衛にしてオートにしておくとみるみるうちに死ぬ。

やっぱり確率はどうかと思う。アイテム作成のようなものは ロジックでどうにかすべきであって、確率を導入するのは邪道ではないのか。 確率に頼ってダメになった例は結構多い。 メガテン3の合体時のスキル継承もランダムだったが、 そのためにセーブロード繰り返しに近い事を強要された。 FF12も宝箱がランダムなのがどうにも気に入らなかった。 この作品も真面目にやるならセーブロードは必須だろう。 確率はえてしてセーブロード繰り返しを招きやすいので採用には 慎重になるべきだと思う。 ドラクエの種による能力上昇程度でもセーブロードを繰り返しす奴がいるのだから、 これほどリスクが大きいものなら平気でやるだろう。 PS2のメモカの遅さがそれを妨げる要因にはなるだろうが、 「やればもっとうまく進めるけどそんな面倒なことはやりたくない」、 という状態はストレスである。絶対楽しくない。

まあ、何の疑問も覚えず平気でその手の単純作業をやれる人も結構多いのだがな。 私も昔はそうだった。 とは言え年齢とともに、そして時代とともにそういう人は減っているのでは ないかと思う。ゲーム離れの一因には作り手の姿勢の問題もあるのではないか。 どうもそういった単純作業を安易にゲームに入れてしまう傾向がある気がする。 作業をさせるならそれは楽しくなくてはならない。 面倒だけど先が見たいからやる、というのは楽しくないのだ。

つうか、これだけ文句言うならやめたらいいのにと自分でも思う。 しかしまあ、噂に聞く超展開とやらをこの目で見ねばな。

やっぱドラクエって良く出来てるんだなあ、とつくづく思う。

2006年6月29日

やる気がないのを胸のせいにしてひたすらダラけている。 休んだ方がいいなこれは。邪魔になるだけだ。

まだ歩くと痛いが、歩かなければ特に問題はない。 運動すると息切れしたりするのだろうかと思って 歩いてみたが、そういうわけでもないようだ。 このままなんとなく治ってしまうのだろうか。 面白味に欠けるが、それがいい。 手術となればPS3が買えてしまうくらいの金が飛びかねないのだ。

StarOcean3。聖域をクリア。これから砂漠の遺跡で首脳会談。 わけがわからねえよこのストーリー。後でもっとわけがわからなくなるらしいので、 そこまでは行きたい。 ところで、話を考えたのはメインプログラマなのだそうだ。 ちょっとうらやましい。 うちの会社はストーリーがあるようなゲームは作らないので、 そんな機会はないのだが。

今日は少し真面目に仕事した。明日も同じくらいやる気があれば 予定通り今月中に片づくかもしれない。

痛みが変なところに飛んだ。もう一箇所穴があいたのか? しかしまあ、歩いている間だけなのでそれほど深刻ではないのだろう。

StarOcean3の欠点。敵味方でダメージを色分けすべき。区別がつかないから、 デカい数字があった時にそれに対処すべきかどうかが瞬時にわからない。 次に、魔法その他の使用対象の選択の際には 同じボタンで循環すべき。画面上の位置で決めているが、 実際には画面のどこにいるかなど知らないまま使う事の方が多い。 どのボタンを押せばそのキャラに使えるのかがわからないのはストレスである。 あと、「スキル」項目の中にスキル設定と魔法使用が入っているのが謎。 別項目にすべき。戦闘後の回復は頻繁に行うわけで、 そのたびに手間が一回増えるのは大きい。 項目を増やしたくなければステータスのように使用頻度が低い 項目の下にスキル設定を移動させるべきだろう。

誰かこんな砂漠の真ん中の遺跡で首脳会談をした意味を教えてくれ。

状況を説明しよう。 A国とB国が戦争してて主人公はB国についている。 そんな時に超越パワーを持ったC国がA国B国をまとめて粉砕しに来て、 A国とB国が手を結んで対抗する他ない状況。 で、首脳会談を行うことになったのだが、A国の王は 行くだけでも大変な砂漠のド真ん中のさらにダンジョンの奥深くを指定してきた。 B国の王は「とりあえず信じないと始まらない」ということで 条件を受け入れ、主人公達はB国の王様をそのダンジョンまで連れていく。 そんな所に呼び寄せた以上何か一悶着あるのだろうと予想していたが、 会談は始終和やかに行われ、あっさり和平。そして説明もなし。 なんでダンジョン?なんで砂漠のド真ん中? しかも両国の中間にあるわけでもないぞ? もちろんダンジョンの一番奥で、いろんな仕掛けを解いてモンスターを 蹴ちらさないとたどりつけない。なんでだよ! シナリオ担当のせいなのか、あるいはプロジェクト進行上の都合なのか。 なんにせよ大変不満だ。

何かと理由をつけてはダンジョンに行かされるこの「おつかい感」。 つまるところ現在のロープレというのはそういうものなのだが、 これはいくらなんでもひどくないか。毎度毎度意味がわからない。 しかも毎回ダンジョンが広いんだよ。

2006年6月28日

2006年6月27日

StarOcean3。惰性と苦痛の間でのたうちつつレベル22。 主人公が壮大なイヤボーンをやらかして生身で敵戦艦を撃沈したところまで。 何かにつけて気に食わない。 ローカルな人情が最優先される世界観のままで 国王やら将軍やらが出てくるのが気に食わない。 殺すところと助かるところの区別がなんともわかりやすくて腹が立つ。 まあそういうヌルいものなのだというならそれはそれでいいのだが、 その割には町人会話レベルではそれなりに 善悪を相対化しようという意図が感じられたりしてなんとも中途半端である。 FF12もひどかったが、比ではない。 ファンタジーなロープレのイデアがこのようなものだとするならば、 もう滅んでもいいと思う。

ゲームそのものはそう悪くない。が、FF12の後では辛すぎる。 ガンビットよこせと言いたい。こっちは根本的にアクションゲームなので 一緒にしていけないのはわかってはいるのだが。 あとは知識がない状態でいろいろ試行錯誤した結果取り返しがつかない 状況に陥ることが多いのも辛い。 2個しか手に入らない回復魔法の修得アイテムを 一時の辛さに負けて戦士系に使ってしまったばかりに 今恐ろしく辛いことになっている。そして、きっとこれは最後までたたられるのだ。 戦闘100回分以上の金をあっさりドブに捨てられる アイテム作成システムも恐ろしい。 この凝り具合からするとやるのが前提というくらいの重要度がある気がするのだが、 さっぱり指針が示されていないので、試行錯誤せねばならない。 しかしそれで失うものがあまりに大きいので、 結局セーブロードを繰り返してデータを取るのが正解なのだろうという結論に なってしまう。だが、そんなことやってられるか。

寝ころがった瞬間にすごいのが走った。泣きそうになった。 そうだ、痛いと泣きそうになるんだ。久しぶりに思い出したよ。 一週間このままだったら嫌だなあ。今すぐ手術してくれと言いたくなるくらい嫌だ。

2006年6月26日

StarOcean3。説明書を読んでからだいぶ世界が開けてきた。 レベル上がったら自分でいろいろ割り振らないといけないのな。 レベルが上がったその場でやるわけじゃないので、 気づかなければ永久にこのままだった。 それと、魔法やら特技も装備しないと使えないのな。 これらがわかって急速に楽になった。 説明書が必要なゲームなんて久しぶりだ。

アイテムクリエイションとかいうものができるようになったので、 とりあえずやってみたが、何もできなかった。一体何を間違ったんだ。 やっぱりこれも説明書を読んでからじゃないとダメなのか。 中途半端に指導してくれたのでそれだけでやれると思ったのが間違いだったのか。 ダンジョンで道が見つからずえんえん戦ってたおかげで溜まった 16000が一瞬で62まで減った。武器すら買えない。

私バカなのかもしれんな。というか短気すぎるのか。 おそらくFF12をやった直後だから甘えているのだ。 実に丁寧に導いてくれるので、適当にやっていても気がついたら ロジックが身についていた。このゲームもそんなだろうと思いこんでいたのである。 ダメだ。そんな甘いゲームではない。 これだけ情報が氾濫しているのにまるで説明がないというこの硬派さは、 今となっては相当特殊だ。キャラデザの軟派さにダマされてはいかん。

それにしてもキャラがわからない。この展開のヌルさもうっとうしい。 どうせヌルいならもっと徹底的にライトなノリにしてしまえばいいのに、 中途半端に真面目ぶっているのが耐えられん。 夢があるのと都合がいいのは違うと思うんだがなあ。

敵兵と戦闘になってそれを倒す、ということの意味に 目をつむり続けるのは良くないと思うのだが、 まあそこは言わない約束なんだろうな。 ドラクエはちゃんと「しに」と出るが、 あれは生き返る世界だし、倒した後仲間になったりして結構適当なので 比較対象にはならないか。

起きたら改善してた。これは放置しても治る。 まだ多少おかしいが、痛みはない。痛みがないのに病院に行くのも気が引ける。

歩いてみた。走る痛み。良し!病院へ行くぞ。今日は会社サボリだ。

なんというか、痛くないのに病院行くのは、 バグがあるから来てくれと言っていざ呼んできたら再現しない、 みたいな感じで嫌だ。

病院行ってきた。気胸だった。一週間様子みてダメなら手術。燃える展開。 深呼吸しろとのことなので、めいっぱいやってみる。 にしても今日になって咳が出てきたな。これも症状の一つらしい。

その後会社行ってちょっとダラダラした。

いぬかみっ!を8まで読んだ。話がたてこんでくると文章のひどさが目を覆わん ばかりになるが、そのへんに目をつむれば楽しめる。 多分に絵にダマされてる気もするが。

どう見ても8で終わってるのに9もある。借りた。すごいどうでも良さ。 これでこそだ。つまるところキャラ物なのだから、 キャラがよく動いていればそれでいいのである。

2006年6月25日

治ってねえ。全然治ってねえ。日曜だから病院も開いてないし。 まあ仮に病院が開いていたとしても取れる処置が放置か手術のどっちか らしく、たぶん手術するほど重くはないので放置になるだろう。 その意味では寝ていても同じか。

起きたら14時。さすがにこれ以上は寝ていられん。もともと予定もあったしな。 たぶん明日は会社をサボって病院だ。放置して治る保証がない以上 安全策を取るべきだろう。

で、夢みてた。猫と犬合わせて20匹くらい飼ってる夢。 一部意味不明ではあったが、おおむね幸せ。 いつかリアルにしてやりたいが、そのためには金と地位がいりそう。

動けないので StarOcean3をやってた。カメラの出来が悪すぎてひたすらストレス。 頼むから上を向かせてくれ。 そして凝ってるけど面白くない仕掛けの数々。 トロッコとか面倒くさいだけで全然面白くないぞ。 それと、回復魔法を覚えたっぽいのに戦闘中使えなかったりしてよくわからない。 これ、一回説明書読まないとダメだろ。

合唱祭を見に行ってきた。まあなんというか、こんなもんかという感じ。 わかったのは、ビブラートかけすぎの女声と、素人声の男声は ダメだということ。前者は調和が破壊され、後者は品がなくうっとうしい。 そして、両方に不安がない合唱団はかなり少数であることもわかった。

誰かが胸の中でゲリしていやがる。しかもいてえ。 歩いているとやっぱり左手が冷たくなってくる。何かが血管を圧迫しているのか。

2006年6月24日

そこに転がっていた スターオーシャン3をやってみた。とりあえず二個目の星のさわりくらいまで。 印象は悪い。プログラマにできることはこの上なくちゃんとやってあって とても好感が持てるのだが、プログラマだけでゲームは作れないということを 改めて思い知った。ぶっちゃけゲームがおもろくない。 まず話がつまらない。ワクワクしない。展開が変。キャラの台詞も変。 何よりイベントシーンの合間にゲームという名前の作業をやらされてるような不快感。 そしてウリであるらしい戦闘はとりあえず連打する他ない状態でよくわからない。 序盤でできることが少ないわりには情報がやけに提示されていて かえって何が大切なのかがわからない。

たぶん続けてやってればおもろくなるんだろうけどな。 中だるみで物量が伴わなくなったあたりでゲーム性の魅力が見えてくるのだろう。

拳法の後、歌。でその帰りに、 いきなり背中左側に激痛が走った。歩く度に痛い。 何故か耳の下から首にかけても痛い。カゼをひいた時によくなる奴と同じだ。 安静にしていればその痛みはないが、大きく呼吸するとやはり痛くなる。 そして、前かがみになると、左胸郭の背中側最下部あたりに ブゲリュリュリュリュという感じの妙な感蝕がある。 そして、左腕に力が入らず左手が冷たくなっている。 それが起こったのが新宿だったので、帰るまでは相当辛かった。 楽なので前かがみになっていたら席を薦められてしまい ちょっと情けなかった。 さて、とりあえずどうにかこうにか帰ってきてWEBで調べてみたところ、 症状がかなり一致する記述を発見。 どうも気胸っぽいことがわかった。 経験者である弟が挙げていた息苦しさがないので違うと思っていたのだが、 どうもいろんな段階があるらしい。たぶん軽度なのだろう。 これで軽度だったら重度はどれだけ辛いんだろうと思う。 正直ここ数年で最大の肉体的苦痛だった。のじりんとメシ食いながらも 味全然わからなかったし。 とりあえず夜だし打つ手がないので寝る。 なんか鈍い痛みがえんえん残っていてうっとうしいので何もする気にならない。 明日治ってなかったら辛いな。

気胸は非常に再発する率の高い病気らしい。 本当に気胸だったらムチャクチャ嫌だな。 いつこんなになるかわからないなんて怖すぎるぞ。 拳法や歌で肺組織が丈夫になるならいくらでもやるのだが、 たぶんそういう問題ではないのだろうな。

2006年6月23日

Altivecは理想的とは言えないが、それでもSSEよりははるかにマシだ。

ストロベリー・パニックを2話見た。何この変態アニメ。 原作も変態だったが、アニメもちゃんと変態だ。 直接的に変態なところも多いが、それ以上に空気が変態。 これで隙のない出来ならそれはそれで完成された世界観になるだろうが、 どうにも頭の悪さが濃厚に漂っているので何かがいびつでおかしい。 とりあえず笑ってないと引きずり込まれそうになる。 あとエンディング恐い。こんなダッセエ歌で何この画像。 誰か知らんがプロってすげえ。

シスプリのアニメと同じく毒物の臭いがする。 この臭いは普通のアニメでは味わえん。

ゴキブリは羽丸出しですもんね。甲虫じゃないです。 にしても、「ゴキブリ」って何語よと思うような響きだな。

やる気がないので帰ってきた。しかしいざ帰ってきてみれば 仕事をしないといけないような気がしてきて変。

心を平静にするために河原。声が出ない。 何故だ。力抜くってどうやってやるんだっけ。まるで思い出せない。 たぶん十分にあたためないままで第九を歌ったりしたからだ。 ファすらまともに出ない。 ところで、「喉の調子」という奴は どれくらいの影響力を持っているのだろう。 拳法の場合ダメなのはほぼ100%ダメな動きをしているからだが、 歌の場合正しい動作をしても喉がダメで声が出ないということが ありそうな気はする。しかし、今からそれを言っても甘えになるだけだし、 正しく動けば正しく声が出ると信じよう。 まあ食ったばっかりでどうも腹を 動かしにくかったというのは一つあるかもしれない。

第九のバスのパートを一通り歌ってみた。 毎日聴いてるのもあってか、なんとなくだいたいわかる。 聞きながら楽譜を追うのを何回かやればだいたい覚えられそうな感じ。 やはり後ろの方が気持ちいいな。いちばん出しやすいあたりの 高さでえんえん絶叫。途中やけに高い音が続くところがあって 辛いのだが、これは何か声の出し方が間違っているせいだろう。 たかがファごときで辛いのは絶対におかしい。 歌でなくただ「アー」と出す分にはそれほど辛くないのだから、 要するに歌の時にはいらん力が入って勁力が止まっているに違いない。 空打ちなら力が抜けるのにミットを打つとなった瞬間に ガチガチになるのとたぶん同じだろう。

考えてみれば、歌のうまさは二の次なのだ。 第一にデカさ、第二に高さ。ぶっちゃけこの二つが得られれば それでいい。歌を歌うのは楽しいのだが、大本の目的を忘れてはいかん。 十分勁力が通ってから歌を歌うことにしよう。 にしても次の練習えらい先なんだよな。 まだ登録もしてないので、もしかすると 次の練習の頃にはもう飽きているかもしれない。 前の時に登録していればそれが拘束力になっただろうが。

歌っているといつも猫が来る。同じ猫。 そろそろと横から近づいてきて、いきなり前に出たかと思うと しばらくそこにいて、何の前ぶれもなく去っていく。いつも同じパターン。 猫の言いたい事はわからないが、都合良く解釈すると気持ちいいので そうしておく。やはり観客がいると気持ちいいな。 人じゃないから恥ずかしくないし。

私何デシベル出てんのかなあ。上達の度合を記録するために 騒音計を買ってくるのも面白そう。明日ハンズ行って見てこよ。

仕事中、あずまんがを読んだ。たぶん5年ぶりとか。 私は榊さんみたいなキャラになりたかった。 結構同じことしてるのに、 むさくるしい野郎であることで全てが台無しになっているのが悔しい。 なお、私は猫とか飼ったら絶対ダメになるので飼わない。 ダメになってもいい地位を手に入れるまでは飼わない。 でも、ダメになっても良くなったら絶対飼ってやる。 昔いっぺいの所に猫が良く来てて、あれはヤバかった。

明日築地行ってじゃことたらこと昆布を買ってこよう。 自炊せんとアカン。なんか体がダメになってるのを最近 強く実感する。かつおぶしも買ってくるかなあ。 あんまり真面目には料理できないだろうけど、 たまに味噌汁作るくらいの贅沢はあってもいい。

ラサールがテレビに出た奴見た。懐しい。もう13年も経っているのか。 よく「昨日のように思い出せる」と言うが、本当だな。 いくらでも絵が出てくる。あれ以上のインパクトを持った 人生の瞬間がこの後に待っているのだろうか。 もしないとしたらそれは一種の絶望だ。 やはり私はこれからの人生をどうにかして無茶なものにしなくてはならない。

大学の時にあれを漫画にしようとして 挫折したことがあったが、惜しい。 6年前なら今よりもずっと記憶は鮮明だったし、私の頭も悪くて丁度良かった。 その頃にそれを出しておけなかったことを今さらながら悔やんでしまう。 やめた理由はずいぶんと馬鹿げたものだったが、 それを本気で馬鹿げているとは思えないあたり私はあまり変わって いないのかもしれんな。

2006年6月22日

1080iは描画負荷がデカい割に、最終的な画質では720pに劣ると思う。 普通の動画ならいいのかもしれんが、ゲームでは明らかにダメだ。 ちらついて仕方がない。ゲームの場合は描画負荷の関係上 1080iなら2xのFSAAしかかけられないところを720pなら4xまで かけられたりするので画質の差はさらに広がる。 むろん使えるシェーダも720pの方が豪華だ。 これが1080pになると圧倒的に細かいので多少シェーダがどうでも その細かさによる迫力は無視できないものになるのだが、 1080iはちらつきばかり気になって全然ダメな気がする。 放送は1080iらしいが、そのへんどうなんだろうなあ。

ずいぶん前に送ってもらったかぼちゃは箱の中で腐海と化していた。 そのこと自体にはかなり前に気づいてはいたのだが、 あまりにも見たくないので意図的に忘れてきたのである。 しかし、そのカビ臭さに加えて虫の発生源になる状況ではこれ以上の 放置はできないと判断し、今日ようやく処分した。 何か一仕事終えた気分で爽快である。 なお、かぼちゃはもうかぼちゃとは違う何かになっていた。 あまりに恐いので正視はしていないが、ちらりと見ただけでも背骨の中から何かが 広がってくる。もう過ちは繰り返すまい。 あわよくばひからびてくれることを期待していたのだが、この温度と湿度では それは甘すぎる希望だったということだろう。

動作するコードは.cppに書き、宣言の類は.hに書く、 というのが作法だと思っていたが、それは基本方針にすぎず例外はいくらでもある。 そもそもそのルールはもっと上位のルールから導かれたもので、根本規則ではない。 モジュール性、実行性能、コンパイル速度の 三つのバランスを適当に取ろうとした結果としてそういうルールが 方針として見えてくる、というだけのことである。 モジュール性の観点から言えばヘッダは顔であり、 他の人や他のクラスから見えていいものをおく場所だ。 見えてほしくないものは置かなくていいし置くべきでない。 privateなメンバなんかは 見えてほしくなくても置かざるを得ないが、これだって 極度にモジュール性を重視するならインターフェイスクラスをかますなどして 見えなくしてしまうべきものなのだろう。 まあ遅くなるし面倒くさいからやらないが。

クラスのprivateに中でしか使わない定数を定義するのは間違いな気がしてきた。 人から見えるし、変えるとそのヘッダを使っているcpp全部にリコンパイルがかかる。 それよりは、cppの適当な場所でグローバルにstatic constで 定義した方がいい。クラスの中でしか使わないものをグローバルに宣言 するのが何か気持ち悪くてしなかったが、全然問題ないじゃないか。

2006年6月21日

fateアニメを見終わった。普通にいい感じに終わった。びっくりはしないが、 悪くない。しかし凛良く生きてたな。アカギを見た後だと あの出血は致死量に思えるのだが。

久しぶりのアホ自慢電話。またもやありえない。 しかし今回は犯罪の臭いがしない分マシといえばマシか。

河原。口の形に気を取られて顎から首にかけて力が入ると声が出ない。 「口も喉もこんなに開けてるのにどうして!?」と思うのが罠だ。 つまり、口は拳なのである。拳の握りに気を取られて 前腕や肩に力が入れば勁力は出ない。 それくらいなら拳を適当なままにした方がまだマシだ。 実際口を適当にして脱力して、腹だけ気合を入れたらえらく楽に出た。 つまり口は虚で腹が実。 ただノイズがまんま出ていって音質に問題があるので やはり口の形は重要なのだが、とは言えそれは脱力あってのことなのだろう。 というわけで、多少音質が悪くなってもまずは脱力を心がけることにする。 音楽的な意味での善し悪しはこの際後だ。デカい声が出てナンボである。

拳法って本当に便利だな。体を使うことに関してはほとんど応用が効く。 まあ勝手理論でやっていると足をすくわれるのでそこは気をつけねばならないが。

母校の函館ラサールの寮がテレビに映ったそうである。 まだ見てないが、誰か録画してくれているに違いない。 まあ数分のことだとは思うが。

今日は一日ベクタ最適化。彼のマシンのベクタ演算命令に習熟すべく えんえんドキュメントを読みながら外積やら内積やら行列積やらの 関数を書いていた。除算一つするのにもニュートン法で逆数近似の 改良をやらねばならず、 整数の除算はなく、32bit整数のかけ算もできない。 この硬派っぷりはまったくもってたまらんな。

他に移植できないくらいギリギリまで使い切ってやるぞ。 少し楽しくなってきた。まあ用途がゲームに関係なくてイマイチ淋しいのと、 アルゴリズム的なレベルであまりにも芸がないのがちと気にはなる。 しかし、こういう並列性によって高い演算性能を得ているハードウェアの場合、 計算量オーダーを下げる高度なアルゴリズムをやらせようとすると えらく遅くなったりするのだよな。 そういう凝った方法は分岐が増えたり、並列化が困難だったりする。 例えば連立方程式だとヤコビよりもガウスザイデルの方が速いことに なっているのだが、並列性を考えるとヤコビの方が性能が上だったりすることが 結構あるし、そもそもガウスザイデルが実装できないようなハードウェアもある。 これから高速化の方向は徹底的に並列化に向かうだろうから、 なおさらこの問題は重要になってくるだろう。 総計算量がいくら少なくとも並列化できないアルゴリズムは廃れてしまうかもしれない。 コアが10個とかになってくるとちょっとしたソートくらいでも コアを複数使うようになるだろうし。

2006年6月20日

昼ちょいまでは意識がなかった。 その後は彼のマシンにおける同期設計でつまづいて ロクにコードも書かないまま終わった。 非対称型マルチコアで使える同期機構まで違ってるともう大変だ。 加えてコンパイラが違うから 同じ構造体宣言を共用できる保証がなく、 メモリも共用していないからポインタも役に立たない。 結果ファイルに落として読みなおすのと 似たような処理(シリアライズ、デシリアライズ)が必要になる。 かなり考えて作らないとまともに動きゃしない。 そろそろ本格的にヤバいな。 6月中に問題の件を片づけてお見せする、 などと言ってしまったので今週末は埋まる可能性が高い。

対称型マルチコアって楽だな。みんな同じ命令を呼べて、 しかもメインメモリに普通にアクセスできるのだから。 どうやったらクリティカルセクションを作れるかなあ、 などと考えなくていいのはずいぶんと楽だろう。 しかし、これが面倒であればあるほど、 それを克服した私には高い値がつく。やっておいて損はない。

買ったはずの牛乳が冷蔵庫にない。探してみたら玄関に置いてあった。 会社に持ってゆこうとして冷蔵庫から出したままに なっていたのだろう。常温で48時間以上放置されていたわけで、開けて中身を捨て ることすらためらわれる。捨てたが。

試しに腰回り70cmのズボンを買ったら尻と脚がキツかった。 特に尻から下腹部。腹式呼吸でふくらむので余計にだ。 まあ脂肪が駆逐されれば楽になるのだろう。 ダイエットする女性は目標とする服を買っておくという 話を聞くし、マネしてみるのも悪くない。

河原。妙に声が出ない。そういえば鼻水が出るが、もしかしてこれ風邪か。 しかし風邪になると何故声が出ないのか。 この謎のノイズは何なのか。そしてノイズが出る時には 何故高い音が出ないのか。よくわからないが、よくよく観察してみよう。 まずは自分の体を良く見ることからだ。 ヴァイオリンも弾いてみたが、左の握力が致命傷。

2006年6月19日

法事のあと実家帰ってた。

いぬかみっ!4まで。相当悪くないような気がしてきた。 ところで、薫んとこの9人はともはねを除けばまだ弱い。 この段階でそのうちの一人に表紙を飾られても困る。誰かと思ったじゃないか。 「ケイタが女性化する話なのか?!」とか思った私は何か妙なものに毒されている んだろうか。

今年初めてあの甲虫の成虫が出た。やけに茶色い。虫まで茶髪かよ。 いいかげん掃除せねばダメだな。

のだめを15まで読んだ。音楽で感動したい。 考えてみれば生演奏の類で感動したことはあんまりないし、 感動した時もたいがい馴染みのないジャンルの音楽だった時で 理解があって感動したわけではない。 もっと音楽を聴くようにしてもいいのかもしれないとこれを読む度に思う。 「正しいカレーはあんなにもおいしい」という言葉は実に刺さるのである。 私は音楽の正しさということについてまるで勉強をしてこなかった。 こういうものについて真面目に考える気になるのも拳法のおかげだと思う。

ヴァイオリンも練習しよ。人に聴かせる気になるくらいには。 今の状態では友達にすら聴かせられん。 拳法を応用することで右腕はのびのびと動くようになったが、 練度が足りず音が安定しない。そして左が壊滅的にダメ。 これは音階教本からやりなおしだ。というか、実は真面目に音階教本の類を 練習したことはまるでないので、実質初めての試みとなる。 必要性を理解している今の私ならやれるはずだ。 中学生までの私はつまらないことはしない猿だったので、 いつも先生に怒られていた。

できたらいいなあと思うこと。拳法、歌、ヴァイオリン、英語、ピアノ、料理。 全部それなりにできたらちょっと文化的な人間になれる気がする。

2006年6月17日

西の善き魔女に中田譲治登場。でもすぐ死。 あれだけ存在感たっぷりな悪役にしては突然すぎる退場で、なんか変。 たぶん死んでないんだろう。

歌を練習していたら少しはいい声を出せるようになるだろうか。 中田ヴォイスは無理にしても。

fateアニメは中田先生がいなかったらダメだったと思う、 というのは言い過ぎか。でも、こうしてみるとコトミネ の悪役ぷりって結構ベタで普通だし、 やはり中田先生あってのコトミネと言えそう。

CPUコアが2つある時のゲームループ設計はもうとっくに 研究され尽されているべきだが、どうにもさっぱりだ。 もう2つどころか6つとか8つとかに対応すべき時が来ているというのに。 もっとも、GPU利用率の最大化を図るだけならば とりあえずは2つ、せいぜい3つスレッドがあれば事足りる。 それ以上のコア数を考えねばならないのは 描画並みに重要な別の要素がある時だけだろう。 現在の大半のゲームは絵さえ考えなければプレステでも動く ようなものばかりで、そこまでする必要はない。 物理はこれから一大要素になっていくかもしれないが、 どうせライブラリを買って終わりになるのでそこまで意識することもあるまい。 では遠からず来るであろうコアが何十もあるようなマシンを どう使ったらいいのだろうか。 いや、「どう使うか」の前に「何に使うか」を考えるところから始めねばならない。

今年中にコアが4つになる。きっと3年後くらいには8個になって、 5年後くらいには16個になるんだろう。それ、どうすりゃいいんだ?

2006年6月16日

河原。声が出ない。そして何故出ないのかわからない。 中央のドから上を出そうとするとのどが変な感じになる。 そして無理をすると裏返る。 体調、などという言葉で片づけてはどうにもならないので どうにか原因を見つけたいが、さっぱりわからない。

動きながら声を出した方がいいらしいことを思い出して、 せっかくだから拳法の型っぽい何かをしながら声を出してみた。 声も出るし腕の力も抜ける。一石二鳥ではないか。 ただ、バカっぽい。

帰り、猫が道の端にねころんでいた。触れそうな感じだったので じわじわと近づいていったのだが、突然猫が起き上がって逃げてしまった。 しかし私のせいではない。車が近づいてきたのだ。無粋な車であり、 なんとも許しがたい。

いぬかみっ!の2巻をだいたい読んだ。ライバルっぽい美少女は出てきたが、 あっというまに消えた。どうもそういう方向にはまだ持っていかないらしい。 もっともすでにして 「なんだ結局ラムが好きなのか」みたいな状態にはなっているので そこに関してハラハラすることはこの先もなさそう。 ケンカしてもすぐ後悔するんだろうな、お互いに。 ちなみに、ヒロインの方はすでにして主人公に対して熱烈ラブラブ状態。 しかもどうやら昔出会っているらしいが主人公は忘れているという黄金パターン。

そういうわけでベタなネタの固まりなのだが、でも、なんか変。 何だろう。うまく言えないが、何か変。

河原の後に発作的に蒲田の天下一品を食いに行ったが、驚くほどがっかりした。 マズいとは敢えて言わないが、ただひたすらにおいしくない。 私の問題なのかモノの問題なのかはわからないが、 とにかくおいしくないのである。 体調のいい日にもう一度試してみよう、という気にもならないくらい がっかりした。私の側の問題ならいいのだが。

2006年6月15日

いぬかみ!の一巻を借りて読んだ。 だいたいアニメのまんまだが、アニメほど引かないで読めるのは 表現がアニメほどあからさまでないからだろう。やってることは同じ。 基本的には毒にも薬にもならない作品だが、 ヒロインが微妙に読めない奴なのがちょっと楽しい。 そのへんは前読んだインフィニティ・ゼロもそうだったかもしれない。

にしても、文章で「純和風の黒髪の美少女」と書いてあるのに あっさり緑に塗ってしまうあの絵描きはちょっと素敵。 あの絵を見て「純和風」という言葉が浮かぶ奴は手を挙げろ。

要するにうる星やつらだ、とは貸してくれた人の言だが、 だったら浮気相手がいないとな。現状まだライバル美少女は現れていないが、 時間の問題だろう。

河原。自転車が真横を通りすぎていったのが今日最大の事件。 成果はあまりなかった。 まず、一定以上声量を増やそうとしても、妙なノイズが 増すだけでそれほど音が大きくならないこと。 やはり共鳴なのだ。しかし口の形でどうにかするには 限度があるわけで、それ以外にも何か手があるはずである。 それに関連して、倍音が良く聞こえるような音の出し方だと 込めたエネルギーの割に音が大きいこともなんとなくわかった。 5倍音(2オクターブ+長3度)から7倍音(2オクターブ+短7度) あたりが比較的聞きやすいので、 これを指標にすれば良さそうだ。 倍音がよく鳴るということは、基底周波数の音が増幅される ような状態にあることを意味しており、共鳴を修得するための ヒントになる可能性がある。まあ自力での修得は無理だと思うが。

音が空気で目減りするならばたぶん関数形はexpだろう。 拡散と合わせるとexp(-x)/(x*x)みたいな関数形。 このlogを取ると-x - log(x) みたいな感じで、 距離が倍になるとマイナス何dB、という項と、 単純に距離に比例してマイナス何dBという項があることになる。 距離が離れてくれば後者が効くだろう。 まあ、別にそんなことを詳しく知りたいわけではなく、 おおまかに声がどれくらい届くか知りたいだけなのだが。 案外そういう情報はネットでも見つけにくい。

このチリチリノイズをどうやったら削れるんだろうな。 出力を上げると基底音成分が増える以上にノイズが増える。 特に低音ではそれが顕著だ。問題は客に届く声だから、 このノイズが到達しないなら気にする必要はないのだろうが、 それもわからない。結局歌に関しては私は何も知らないということだ。 こういう初期段階にいきなり本に頼るとマズいことになる可能性があるので、 しばらくは放っておくことにしよう。

2006年6月14日

今日も河原。やっぱり恥ずかしい。100mくらいは離れているとは言え、 視界内に人がいる。

ドどころかラすら実用になってない。ソすら怪しい。 とりあえず喉の柔軟性を鍛えればもう少しマシにはなるだろうが、 それだけでは足りない予感。たぶん何かが間違っている。

声を球面波とすれば、距離の二乗に反比例して音量が落ちることになる。 が、人間の把握する音量は対数に比例するので、 距離が倍になる度に線形に音量が減っていくように感じられることになる。 例えば、距離が倍になると90%で、4倍になると80%、みたいな感じ。 1/4はlog10を取ると-0.6。デシベルはその10倍だから-6dB。 仮に1mの距離で100dBの音を出せるとしたら、128mの距離で58dBとなる。 しかし、この計算だと1km離れても40dBもあって聞こえることになるので、 たぶん実際にはもっと早く減衰する要因があるのだと思う。 あるいは環境音が40あるいは50dBくらいあって紛れるのか。 まあ、川を向けば大丈夫だろ。

ノエインを今更見終わった。最後は予想を裏切らない展開で 驚きはなかったが、これでいいと思う。 ノエインの悪役っぷりがあまりにまんまで多少ガッカリはしたが、 しかしがんばって生きる気になる作品は良い。 未来は決まっていないぞ。戦え。 なお、ノエインは動けば動くほど絵が適当になるアニメだが、 私にはそれが新鮮だった。根本的に絵がうまいので、適当になってもバランスが 崩れない。あれを持って作画が悪いと評する人も いるのだろうが、私は全然気にしない。 もちろん普段の質のまま動けばそれが最良だろうが、 それが無理ならあれでいいじゃないか。 特に15話は動きに関しては最高の回だった。

fateアニメは普通に終われそうだ。悪くない。 ところで、凛死んでるんだよなあ。原作は覚えてない。 どう見ても死ぬシーンだが、あの二人がえらく冷静なのが引っかかる。

フルメタのおまけ話を見た。 テッサの中の人の演技が相変わらずやりすぎで良かった。この人やっぱすげえ。 失礼ながら結構なお年だと思うんだが。 なお、あのしゃべり方の女の子が横にいたらたぶんウザイと思う。 なのでテッサはファンタジーとしてしか許容されない。 かなめは全然問題ないけど。

ああ、嫌なことを思い出した。 あの時収録を見に行かなかったことを私は一生後悔し続けるのだと思う。 声優の収録を見学できる機会なんて永久にねえよ。くそう。 思い出す度にものすごい後悔に襲われる。 くっそー。そういうゲーム作らせろ。 でもねえよなあ。スポーツじゃなあ。選手の声うちらだし。 まあそれはそれでおもろかったのだが。 売られてるものに自分の声が入ってると思うとかなりおもろい。 もっとも、どれが自分のかもすでにわからんわけだが。入ってないかもしれんし。

SCEのえらい人がPS3についていろいろ言っているが、不安だ。

2006年6月12日

弟がカラヤンのを持ってたので借りて聞いている。 味気ないが、少なくとも空中分解を恐れて不安になることはない。 つまり統率は取れている。でもやっぱり味気ない。 あと、妙にせきたてられて落ちつかない。

しかし、第九ってのは聞いてもそれほど面白かないな。 みんなが知ってるあそこは聞けば一発で記憶に残るインパクトがあるので、 確かにそれだけで十分名曲ではあるのだが。

しかしこうやってCDを聞いてると、 歌詞をちゃんと発音することに意味があるとは思えなくなるな。 だって、聞こえねえじゃん。歌詞なんて。 母音がかろじてわからんでもない、というくらいだ。 ちゃんと最後のtを出す練習とかしてたが、本当に聞こえるのか? これが聞こえないのはCDだからなのか? まあでもそれはたぶん外国語だからで、日本語だったらそれなりに聞こえるんだろう。 中学の時の合唱コンクールとかはちゃんと聞こえてた気がするし。

仕事中エンドレス第九。何日か続ければ脳内に何かができるだろう。 で、歌えるところは脳内で歌うと。前回やったところは覚えた。

河原に行って大声を出してきた。でも、ちょっと思い切りが悪くて あんまり大声でもない。人いたし。 歌って楽器より恥ずかしいんだけど、なんでだろな。 で、今日わかったのは、自分で思ってるほど私はうまくない、ということ。 一人で何の小細工もなく歌うとよくわかる。 カラオケでいい気になれるのは、自分の声が聞こえないからだ。 そもそも声を出すということがどういうことかがよくわかっていない。 わかっていないから、調子の善し悪しで出たり出なかったりするし、 出ている時は何故出ているのかがわからず、 出ない時には何故出ないのかがわからない。 拳法とまるで同じだ。理を頭と体の両方で理解せねば上へは行けない。

共鳴箱がない電気ヴァイオリンの音があんなに小さいということは、 音は出力そのものよりも共鳴が大切であることを物語っている。 音量もさることながら、音質が決定的に違う。 共鳴箱によって欲しい周波数だけを増幅した結果ああなるのだから、 どうにか体をそういうふうに使わねばならない。 でないと素人声のままだ。しかしさっぱりわからん。 なので、とりあえず腹式呼吸の容量を上げることと、 喉周辺の組織の柔軟性を鍛えることだけを心がけることにする。 それ以上は先生に聞く他ないが、 たぶんそんなことを聞ける段階にはまだ至っていない。段階を踏まねばな。

新しいおもちゃを見つけた子供のような状態。たぶん長続きはしないだろうが、 体の制御を学ぶという基本方針の役に立つことだし、いいだろう。

2006年6月11日

のじりんのお誘いで、合唱団の見学に行った。 先生が大した人だった。音楽センスもさることながら、出る声がすげえ。あれは楽器だ。 裏声とは言え上のラが出てる。ありえねえ。 高校の時の合唱部の先生も今にして思えば大した人だったが、 あの人は声は出なかったからな。で、どうも発表会の前らしく かなり放置状態だったが、それが良かった。邪魔したようで悪いし。

で、その発表会寸前の通し練習みたいな状態になんかよくわからんまま 参加したわけだが、当然わけがわからん。 初見で5曲以上とか絶対無理。しかし無理は無理なりに楽しめた。 ところでそれはそれとして、やっぱり賛美歌はいいな。アメリカ南部の 黒人っぽいノリの賛美歌は特にいい。まず歌詞が少ないのがいい。 「讃えろ。神は高いところにおられる」しか言わない歌とか。 あとメロディが驚きに満ちててたまらん。 それと、曲の中に昔中学校のクラス対抗合唱発表会でやった曲が入っていて むちゃくちゃ懐しかった。 放課後みんなで練習とかしてたよあれ。うちら結構まじめな中学生だったよな。 考えてみれば。そういうわけで、あれだけはそれなりに歌えた気がする。

にしても、声出ねえ。

合唱はいいなあ。しかし継続的に参加するのは無理か。 こんな会社ではいつ修羅場になるかわからないし、 ぶっちゃけ私自身の気持ちに自信がない。 それに、とりえずどこかで個人レッスンを受けて声の出し方そのものを 丁寧に習いたいというのもある。しかしあの先生のレベルに声が出る 人がゴロゴロしているとも思えず、その考えもちょっと揺らいだ。 まあそれもいろいろ見てみなければわからないことではあるので、 どこかを見学に行くつもりではいるが。

プリプリの主題歌。この手の歌い方は正直好かんのだが、 しかし高い声がそれなりに綺麗に出ているのは確かだ。 まあたぶん元々声が高い人なんだろうけれども。 これくらは出たらいいなあと思うのは傲慢すぎるか。

帰りのじりんと河原でダラダラしてたら日が変わった。ギリギリ終電。 ちょっと魅力的なプランもあったのだが、諸般の事情により却下。

のじりんのお誘いで、ベートーベンの第九を歌う集団に見学に行った。 これも悪くない。人が多いので気が楽というのもいい。

歌は拳法の練習の一環としてもいい。呼吸と動作の協調を学べる。 あの先生は体を動かしながら歌う練習をさせるので、おかげでそれが バラバラであることをどうしようもなく思い知ることができた。 足踏みしながら腹式呼吸できねえ。全然ダメだ。そりゃ声も出ないさ。 この二日間で今まで根拠もなく抱いていた自信が半分くらい砕け散った。

第九の方はたかだか半年だし、たまにサボっても あまり迷惑をかけなくて済みそうだ。登録してしまおう。 でも、来週までその気分が持続したら、という条件をつけてヘタレを強調してみる。

歌いながら型とかミット打ちをやる練習でもしようか。案外効果的かもしれん。 バカっぽいという欠点さえどうにかすればだが。

曲を知らんのもマズかろうと第九のCD買ってきた。曲がわかりゃいいので適当な安物。 一応曲はわかるのでこれでいいのだろうが、しかしどうにも心地良くない。 でも、世紀の名盤らしい。amazonを見ると絶賛されてる。 私の耳が腐っているのか。それとも音響機器がダメなせいか。

2006年6月10日

胸は非圧縮性だ。つまり体積が保存される。 ここが体積を持たないスカートとは違うところである。 三次元的な格子構造で相互作用を記述すればどうにかなりそうな気もするのだが、 それに合わせた素材をデザイナに要求するのはちと酷だな。 やはり胸をやるなら胸専用に何かを考える必要があるだろう。 胸をクリアすれば、後は汎用的な肉シミュレーションに進むことも不可能ではあるまい。 まあ放っておいてもコナミとかテクモとかナムコとかがやるだろうがな。 うちの会社にはそういう文化はないようだし。

大変ドラマチックな夢を見た。 しかし今こうして思い出してみるとあまりの都合の良さに自己嫌悪に陥る。 主人公が自分でなければあれはあれで良かったのだろうがな。

食神を見た。会社を辞める人から借りていたので 慌てて見た。少林サッカーの人の香港映画だが、ものすごく頭悪い。 この特撮料理っぷりはたまらんな。 料理の鉄人とか、ミスター味っ子とか、そういう感じ。 メシ食って感動するシーンのミスター味っ子ぷりがありえない。 いや、それにしてもひどい映画だった。楽しんだが。

美の壺。洋館の話。大工ってすげえ。 ところで、NHKがこういう番組を作らなくなるのは悲しいな。 若い人はNHKをほとんど見ないとも聞くし仕方ないのだろうが。

2006年6月9日

PS3はコンピュータだという。 だったら、ユーザが焼いたDVDからゲームを起動するくらいはできるよな。 PS3を同人ゲーのプラットホームにするというのはかなり面白い。 あの機械は仕事でいじるには面倒だが、趣味でいじるなら これほどおもしろいものもそうそうない。 売りっぱなしのコンシューマと違って 同人に類するものならばかなり果敢なチャレンジをやってもフォローできるし、 こう言ってはなんだがバグに対してもかなり寛容だろう。 ポリゴンギャルゲーを同人で作ろうなどと言い出す強者がいたら 是非誘ってほしいものだ。 あの無駄に大きな計算性能を女体の表現に注ぎこんだら一体どんなことができるだろう。 でもまあ、モデリングが最大のネックだわな。その次がモーション。 うちのデザイナを見ていて思うが、あんなマネができる人間が そのへんにゴロゴロしていると思えないし、 そんなことができる人が大した金にもならない同人ゲーに情熱を注ぐとも思えない。 会社で作れりゃそれでいいんだが、ポリゴンのギャルゲーを作ろうなんて 思う奴がそうそういるわけもないわな。ナムコは偉大。

PS3でプログラミング環境が普通に提供されて、 かつ、焼いたDVDからプログラムを起動する簡単な方法が提供されるなら 少しはいじってみるか。 しかし、さすがにまるで売れる気配がないような状態だと辛いし、 せめてVisual Studioで書けるようなミドルウェアの一般提供は欲しいところだが。

でも、どうせゲーム作るなんて話になったらPC版も平行して作ることになるんだよな。 機種非依存な部分はそっちの方がデバグしやすいからだ。 そして、そのためには両方で動くライブラリをまず整備することから始めねば ならない。うわー。会社なら誰かがやってくれることを全部自分でやるのか。 やってできないことはないだろうが、正直気が遠くなるな。 グラフィックライブラリそのものは簡単でも、 シーングラフやモーションのライブラリの整備は結構面倒だし、 同一のデータファイルを使うためにもライブラリやコンバータ群が必要になる。 つうか、デザインツール用のエクスポータやスクリプト群まで考えると 相当嫌な気分になるな。

倒れ歩きで川崎から帰ってきた。案外速度は出るが、やはり衝撃がネックだ。 もっと動きが精密になればたぶん改善されるとは思うが、 なかなか簡単には行かない。根本的に体の使い方をもっと上手にしないと うまくは行かないだろう。要するに体が固いのだと思う。

2006年6月8日

アカギアニメ終わり。続きを作って欲しいとは思うが、 あれ以上盛り上がれるとも思えないしこれでいいのかもしれない。 原作が終わったら読もう。

2006年6月7日

アカギ24まで。死んじゃうツモと、ドラ3。 ワシヅ様がひたすらしゃべり続けてて素敵。

明日はもっと仕事しようと思う。なんかダメだ。

献血の血液検査の葉書が来た。過去4回分の検査結果が載っているが、 年1回くらいしかしてないために結構長い間の変化が見える。 大まかに言って健康になりつつあるようだ。 私は数字が変化するのを見るのが好きな人種なので、 この先もがんばって良い方向に変化させていこうと思う。

やはり自炊は必須だろう。早く帰れたらその次の日は築地だ。

つよきすアニメの主人公がスナオらしいが、 ギャルアニメの主人公が女というのは斬新かもしれない。 そこに何らかの意気込みを感じ取ってもいいのだろうか。 まあ見てみればすぐわかることだが。

夏を長袖で越えられるか、という実験が進行中。

2006年6月6日

そうそう。なごみんシナリオはこの急変っぷりについて行けなかったのだった。

アカギのアニメの残りを見始めた。22まで。相手を良く見る、 というのはいろんな所で大切なことなのだが、私が特に苦手とすることでもある。 私は勝負事はダメだな。

2006年6月5日

部屋がドリアンの香りに満たされた。 すでにまるで気にならなくなっているのだが、 もしかしたらヤバいかもしれん。さっさと食ってしまって、 ゴミを厳重に封印しないと。

ニャ電話。歩行についてとか。 相変わらずニャらしい表現だったが、言わんとすることがまるでわからん というわけでもない。とりあえず脚上げてみるか。

朝からドリアン。これの臭い成分はたぶんニンニクやタマネギと似たようなもので、 それは指に臭いがついてなかなか離れないことからもわかる。 とすると、ニンニク同様に 血管をかけめぐって体全体から発散される可能性もあるということだ。 さて大丈夫かな。

2006年6月4日

実家帰ってばあちゃんの見舞と引越しの後片付け。 見舞いと言えば果物だよなと思って、マンゴスチンとマンゴーを 買っていった。あとせっかくなので家族用にドリアン。 ドリアンは狙い通りに大層嫌がられたので良かった。 結局食べ切れなかった分は持って帰ってきて今食っている。 うまいと思うんだがなあ。まああまり沢山は食べられないけどな。 なにせゲロ甘だし。

再来週も行って、こんどはネットとPCの設定をしてくる。

2006年6月3日

青山でミーティング。その後タダ飯。これってもしかして接待ってやつか。 たぶんいいメシだったのだと思う。 フランス料理みたいに順番に一人分づつ出てくる中華料理っぽいもの。 出来は良かったが、感動はしない。 たとえば牛肉の煮込みはずいぶん煮込んであってやわらかいのは確かだが、 それ故に肉のうまみが抜け切ってしまっている。 あれほど煮たならその汁をこそメインに据えるべきではないのか。 最後の杏仁豆腐も味がないことを上品と勘違いしているようで どうにも好かないし、杏仁豆腐本体も普通すぎる。 でもまあ、スープなどは普通以上に出来が良かったし、 何より普通食わないものを食えたのは新鮮だったので、良し。 というかタダだしな。

なんかちょっとやる気出た。メシによる効果か、それとも人と話したことによる 効果かはよくわからないが、まあ餌付けされたということにしておくのが面白かろう。 よろしい。できるだけのことをして貢献してやろうじゃないか。 食い物の分の恩は返さんといかん。

青山、麻布十番、六本木などのなんかすごそうな地名のところを通って 歩いて帰ってきた。16kmちょい。歩きはじめてすぐ膝に微妙な感覚があったので、 念のため速度を落として3時間。どうやらまだ完治していないらしい。 やはりいきなり無理をするとたたるな。

途中おもろかったのが六本木。日本人に見えない人がたくさんいる。 というか多すぎ。デッカイ黒人のオッサンがちらほら立っててえらく 格好良かった。そういえば、アメリカで夜にあんな感じの人とすれ違った時は えらく緊張したな。「的が大きいからやりやすい」なんて台詞を吐けるほど 私は自信家ではないわけで、デカいのはやっぱり恐いのである。

なんか食った気がしなかったので、 途中品川駅に出来ていた有名な丼物屋を集めたところで カツ丼らしきものを食ったが、正直マズかった。肉そのものを軽視しすぎだし、 タレにも品がない。まあその一時間半前に高いメシを食っているという ことも考慮に入れるべきではあるが、とは言えあれはダメだろう。 ちなみに先日そこの近くでイクラ丼を食べたが、あれは良かった。 おいしかった、とは敢えて言わない。 イクラはたくさん食うものではない、ということを実感できるくらいに イクラが乗っている点を評価したい。

普通のメールを装ったクソメールが本気で迷惑だ。 中身を見るまでゴミかどうかわからないし、 ゴミじゃないものを間違って捨ててしまう可能性も出てくる。 いいかげんクソメール対策を施さないとダメだなこれは。

築地に行ってきた。丸本グッズを買う先輩の案内。 買ってきたものが当たりだったら後で分けてもらう予定。

2006年6月2日

ドが出せる能力が欲しい。そのためなら半年くらい歌の教室に通ってもいいな。

10年後のよつばについて考えると結構気が沈む。

2006年6月1日

それなりに働いた。でもそれなり。

doubleってfloatより格段にいいな。 かなり誤差に無頓着なコードを書いてもそれなりに動く。 まあそういう安易な考えは危険なのだが、 しかし効果的なのは確かだ。

ココナッツシナリオは幸せだなあ。

周囲で結婚が相次いでいる。

私は結構頻繁に人を好きになるが、 私が人に好かれるかどうかはよくわからない。サンプル数が少なすぎる。 特に女性に関しては。 院の時の留学生が日常的に会話した最後の女性か。


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