だだもれ

2008年3月31日

今日は野菜ジュースだけで一日過ごそう。消化器を一回空にする。

草津って栃木だったのか。

687。21章。明日で終わらないかなあ。22章は図がたくさんあるが、 そこから先に図はほとんどない。さくっと推敲して終われんものか。 もっとも索引ワード抽出のために最低でももう一回ループが必要なので どうせ明日で終わることはない。

そろそろ人に読んでもらいたい気分になってきたが、 680ページとなるとそう気軽には頼めない。最低でももう一回ループを回して 自分でみつかるバグを直してからにしないと申し分けなさすぎる。

次のループでやることがもう一つあるのを思い出した。 編集の人からもらった「気をつけることリスト」を見ながら ヤバそうなところを直す事。あと、subsubsectionに割った方がいい場所も 割って回らないと。

クォタニオンの説明入れたいよなあ。能力的に無理なものは仕方がないんだが、 悔いが残る。一ヶ月のびてもいいなら必死こいて勉強するんだが、 それを言い出すとキリがない。

2008年3月30日

684。19章。図がまるでなかったので足した。 明日は20,21くらいは終わらせたい。 ところで、簡易ギャルゲー言語を作って本にその章を足したいという欲求が ますます高まってきた。フロントエンド制御がベタコードで書いてあって うっとうしいので自動化装置が欲しいというのと、 コードのデータ化という一大思想の例としてこれほど適当なものが 見当たらないからである。 でもとりあえず今のループまで終わらせてからだな。 索引ワードの決定作業は次のループに回して今のループは図の追加に注力しよう。

クォタニオンほしい。ミサイルをまっすぐ追尾させたい。 でも私がさっぱりわかってない物を本に入れるのは罪すぎる。 自分で使うならともかく、人に勧めるのは許せん。 結果だけを紹介することになるとしてもだ。

本は仕方ないにしても、やっぱり理解しておきたい。 とは言え、どうやって勉強するかが問題だ。 金谷先生のpdfも到底読めるレベルじゃない。 フォーム、ブラケット、スピノール、テンソル。まるでわからない。 しかし数学が苦手という思いはどうしようもなく私の脳にこびりついている。 中学生の頃に補助線が引けなかったこと。 高校の頃に微積分のイメージがさっぱりわからなかったこと。 大学一回生の時の線形代数演習のあの恐怖。 こういう思い出を振り払わねばどうにもならない。

直感でわかる世界を記号で表現する。利便性のために記号だけで扱うようになる。 そのうち直感でわからないところまで記号の意味を拡張したくなる。 記号に直感と関係ない定義を与える。この話の流れに慣れてきた。 最終状態だけ見た時に元の動機がわからんのでわかりにくいのが問題なのだが、 ここをどうにかするには数学の本を読む時に 自分で元の動機を想像するスキルが必要になる。 「行列のかけ算をこう定義する」と言う時、そこにはそう定義した理由があった。 そして、その定義は「たまたま」その元々の理由を越えた意味を持たせるのに 都合のいい性質があり、だから今まで残っているのだろう。

足し算があり、かけ算がある。 a+o=aとなるoがあり、このoに関して a+b=oとなるbがいつも見つかる。 a*e=aとなるeがあり、このeに関してa*b=eとなる bがo以外のaに関していつも見つかる。 普通の数はそういう性質を満たしている。 しかし今度は逆に、そういう性質を持てば数として扱える ということに気づいた人がいて、数の定義が拡張された。 複素数はそういう物の一つだ。 クォタニオンもそういうものの一つだが、a*bとb*aが違う結果になる あたりが普通の数と違う。しかしそれでもいいやと思えば 他の性質は普通の数と一緒になる。 若干の不便を我慢してでもこいつを数として扱うようになったのは やっぱりそれが便利だからなのだろう。

最初にやることは「オイラーの贈り物」を完全に理解することか。 虚数乗がピンと来ない今の状態では先へ進んでもダメだろう。

能力が難易度より低いと成果はゼロもしくはマイナスになる。 能力は温度みたいなもので、40度の湯と30度のぬるま湯を混ぜても 35度のぬるま湯になるだけで70度の熱湯にはならない。 従って、難易度より低い能力の人がなんぼ集まっても マイナスの成果が増えるだけで何もいいことがない。 その意味で遅くても時間が増すだけであるコンピュータのように 人間を扱うとハマることになる。 ではどうすればいいか?簡単だ。みんな鍛えればいいんだよ。 私は所詮それで話を終わらせてもかまわないくらい下っ端なのであり、 その論理をまず自分に適用すればそれでいいのだ。だからこその数学。

イタズラなKissのアニメのキャラデザが原作と似ても似つかなくてすげえ。 原作は絵が下手すぎるのでこれは正解だと思うが。

2008年3月29日

インベンション6終わり。チェルニー15が終わらん。 まあ体調がこれだし、練習も3日しかしてないから無理もないんだが悔しい。

体調が激しく悪化したので今日は動かない。 で、シゴフミ見終わった。まあこんなもんか。 どういう理由かわからないが「爆笑問題ニッポンの教養SP」 というのを見た。京大で教授やらと独創性について議論してる。 こりゃ人気出るわ。この人相当頭の回転速い。

独創性。新しいことを思いつくかどうかは大して重要なことではなく、 形にすることに執念を燃やす方が大切であることは もう実感としてわかっている。

プログラミングと数学なら数学を勉強すべきだよなあ。

2008年3月28日

18章まで。図をたくさん書いた。あとサンプルも一個足した。 ひっかからず、貫通しないが、ガクガクする、というレベルの衝突応答サンプル。 ガクガクを直すためにはシミュレーションっぽくするか かなりのトンチを入れねばならないので本ではそこまではやらない。 とりあえずここが最低限だろう。 さて、19章は図が少ないのでさくっと終わりそうだが、そこから後がきつい。 20章は図がまるで足りないので相当足さないといけない。 21章も数学がキツいのでそれなりに図がいりそう。 22章もコリジョン高速化で当然のように図がそれなりにある。 その後は図がそれほどないはずだが、 その代わりそこから後ろは文章がいいかげんなので相当直しが必要になる。

予定より2ヶ月のびてまだ終わってないってのは本当にダメだな。 まともに書きはじめてからもう半年も経ってるじゃないか。 ラノベ作家のスピードを見習うべきだろう。

2008年3月27日

17章まで。3次元コリジョンの章、図多すぎ。 あとロジックが良くない所が多いので、結構直している。 つうか、カゼでどうにも進みが遅い。 寝てれば早く治る、というなら寝てるんだが、 結局何をしていてもウィルスが駆逐されるまでの時間はそれほど変わらないからな。

もっとプログラマになった方がいいんだろかと焦ったりもする。 このまま行くとたぶん永遠にライブラリ屋だ。

xmlパーサのもっとエレガントな設計のヒントを思いついた。 これが行けるとなると本文の説明にも影響するので、 元気になるまで16章は保留。

2008年3月26日

プログラミングが好きだからこそプログラマをしているはずで、 であればプログラミングの知識はおのずとつくはずだ、 という推論は必ずしも成り立たない。 例えば私はゲームが作りたいのであって、たまたまそのために プログラミングという分野を担当しているだけだ。

自分をプログラマだと思うようになっていたことに気づいた。良くない。 自分がまっとうなプログラマでないという劣等感は いつも新鮮に保っておくべきだ。

数学が足りない。

682。15章まで。たぶんあと100枚くらいは図を描く羽目になるなあ、 と今更ながらに気づいた。それにしても3次元系の図については 私の画力では手に余る。今日は渡せますto関係者。

本を書く作業は反復法だな。全体をなめる作業を何度も重ねながら 精度を上げていく。前から順番に完成させることはできないから、 どうしてもそうなるわけだ。終わるのは、精度が十分に高まった時か、 時間が尽きた時のどちらかになる。

体調が悪すぎるので帰ってきた。 回復するまで一人でうずくまっている他ないのだが、 こういう時に考えることは決まってロクでもないことなのだ。

今日見たシゴフミの10話が、30ちょいのゲーム会社勤務の人間が ガン宣告をされて会社を辞めていろいろあって事故で死ぬ、という、 なんというかとても嫌な話だった。 原作読んでみようかな。

2分でゆであがる細いスパゲッティが便利だ。ただし食感はそうめんだし、 麦の味もあまりしない。

これだけ分散して一日に1.3%も動くというのは本当に恐ろしいな。 一年くらいは経たないと時間軸方向の分散が進まないので 今の段階でこうなのは仕方ないのかもしれないが。 現在-2%。ちょっと前は-7%とかだった。

風邪の時に風呂はいかん、というのはクソ寒い日本家屋で風呂が離れた場所に ある場合のことらしい。というわけで、風呂に入ることにする。

他人にやられるくらいなら自分でやった方がいいと思うことは多いが、 だからといって積極的にやりたいというわけでもないし、 実のところそれほど自分に自信があるわけでもない。 そうして逡巡しているうちに他人がやることになる。 求められる水準と、自分が到達したいと思う水準と、 自分に到達できると確信できる水準。この三つの間の食い違いを 私の感情はうまく調停できない。

2008年3月25日

680。14章の図を足している。 甘くみていたが、 12章と同じくらい図がたくさん必要なのに、 まだ書いてないからわからなかっただけだった。 しかも、三次元的な図を書く必要があるのでどうにも面倒くさい。 しかしまあ、それほどはかかるまい。

そのうちやる予定だった仕事が消えたのはありがたいのだが、 存在価値が下落する不安は感じる。

2008年3月24日

682。最も難航が予想された12章で予想通り難航。 しかしとりあえず一旦終わったことにして先へ進む。 一応図は全部書いたが、もう一回書き直すかもしれない。 あと、回転行列が何故あれでオーケーなのかを理解させるための 説明は根本的に考え直した方がいい気がしてきた。 素直に加法定理から行くべきか。その方が絶対短くなるし、 応用も聞く。無理して幾何学的な直感に訴える方法を模索しても 長くなりすぎてかえって寝ちまう。 一番直感的な奴をさらに適当にしてやれば ページ数をごっそり削れる気がしてきた。

boost使ったことない、とかいうのは相当恥なんだろうな。 掲示板の書きこみを見ているとそんな気分になる。

例外安全性ってなにかと思ったら、 例外こいて関数抜けた時にnewしたものが漏れないようにすることか。 途中でreturnするのと構図は同じだ。 しかしゲームで例外使ってエラー処理するのがおいしいのって どんな時だろうか。大抵は即死すべきだからassertはさんどけばそれで事足りる。 たぶん、「殺したくないこともあるが、何もしなければ死ぬ」 というのが例外のおいしさなのだろうから、 そこをうまく利用するのが良いとは思うのだが。

いろんな話を聞けば聞くほど逆の考え方の存在感も増してくる。 考えてみれば、PS2のゲームをグローバル変数まみれのC言語で作っても、 そのことに由来する問題なんてほとんど起きなかったんだよな。 もちろん今更あれに戻りたいとは思わないが。

2008年3月23日

チェルニー30-14終わり。インベンション6仕上げ指令。次は11。 シューベルトは4月中に仕上げて次はショパンのノクターン。 すげえ定番の奴。

やっぱりバスらしい。拍子抜けだが、まあいいか。

モツァレラは食べやすさは素晴らしいが、基本的に味が淡い。

NHKスペシャルの脳の奴をちらほら見ている。 基本的に脳が壊れた人を取材している番組なので、 ひたすらそういう人の辛い境遇の話が続く。 生物とはどれほど精妙なものなのかと感嘆する一方で、 番組として濃縮された物語性の裏にある圧倒的な生活が思われて辛い。

人間の条件を読んでいる。何が書いてあるのかは依然としてわからないが、 何を伝えたいのかは想像できるようになってきた。 労働生産性が低かった時代の人は 生命維持に必要な活動である「労働」に生活の大部分を費していた。 自分の生命維持に必要な労働をせずに済んだ人間もいたが、 彼等はその身代わりとなってくれる奴隷の存在を常に感じながら生きていたために、 「生きるためには労働が必要なのだ」という切実な必要性を忘れることは なかった。 個体を維持するという目的でないような何か、 例えば芸術や哲学や政治はそれゆえに尊かったのだろう。 ギリシャ市民階級が労働を軽蔑していたのは、労働の必要性が切実であることの 裏返しでもある。 しかし、労働生産性の向上は生命維持をそれほど切実でないものにしてしまった。 すると生命維持のための活動とその他の活動の間の 区別をする必要がなくなってくる。 元々労働と呼ばれなかったものも労働になってしまったのだ。 というのも、余った時間には何かをしなければならないので、 当然うちらは何かを生産するか、何かを消費する。 何かを生産するためには、それが消費されねばならない。 何かを消費するためには、それが生産されねばならない。 生命維持のための食料その他の存在感が薄れた結果、 何もかもが平等に労働の成果物と化し、その間の生産と消費が 無限につながっているのが今の世界ということか。 なにせゲーム作りが労働になる世界だからな。 この本を書いた人は、そういう状況に対して何かを言いたいんだろう。 悪いと言っているのか良いと言っているのかはともかくとして、 少なくともそういう状況であるということを人に知ってほしいのだろう。

「より価値のある時間の使い方ができて皆幸せになる」 というのが効率化の主目的だとされる。もっとゲームをおもろくすることに時間を かけられるようになる、と言われればなるほど正しい。 しかし、その考え方はこの本では何となく疑いの目で見られているような気がする。 米を効率良く作ることは米のために割く労力を減らすので、 米作り以外に時間をかけられるようになる。 さて、米作りで余った時間でゲームを作るとする。 しかし今度はゲーム作りが効率化されて、時間が余る。 あれ?おかしくね?オレらは何のために時間を余らせるのだ? もちろんゲーム単位量あたりの労働量を減らすのではなく、 労働単位量あたりの品質を高めるんだ、と考えれば何の問題はないし、 ミクロに見ればつまらん単純作業や無駄を省いているだけなので 何一つ問題がないのだが、 この大きな話の流れの中でそう言うとどこか胡散臭い。 世界の富が増大していくことが何をもたらすのかについて、 この本を書いた人はあまり楽観的な考え方をしていないようだ。

合唱にいる人がアニ同出だったことを知った。 私が関わるようになる直前に出ていったらしい。 今木さんと同期だそうです。

てんかんがひどいので脳を半分捨てる、とかあっさり言ってるが、 その前と後で自我は連続しているのだろうか? そもそも自我に連続性があると信じている根拠は記憶の連続性だけなので、 その問い自体が無意味なのだが、とにかくこの手の話題は怖い。

2008年3月22日

今日は本でない仕事。休みだからな。明日からまた本に戻る。

今ノートPCを買ったらどれくらいだろうと思って調べたら、 結構変わっていた。CPUが2.66GHzとかになる。今1.6だからそれなりには 速くなるだろう。しかしまだ早い。 4スレ同時実行できるようにならない限り買うまでもない。 ついでにHDDもなくなるといいな。64GBくらいフラッシュ積んでくれれば それで足りるんだが。

deleteとdelete[]の違いを説明できたり、仮想関数テーブル という物を知っていたり、operator new()の存在を知っていたり、 例外というものの存在を知っていたり、テンプレートクラスを 自分で書いたことがあったり。そういう人間は ゲーム屋では少数派だと思う。そういうのを知らないし知るつもりもない人間が 多数を占めているという前提で 事を始めないとロクなことにならないのはすでに学んだ。 メンバ変数の後ろにconstつけたことがない人、 シングルトンという言葉を知らない人、 変数宣言は関数の一番上にないといけないと思っている人、 C++のライブラリに何があるか知らない人、 なども珍しくないし、下手をするとそれすらが多数派かもしれない。 クラスメンバが全部publicな人、未だにnewは重いからと可能な限り グローバルに置く人、全部のcppが全部のhをインクルードして大変なことに なっている人、あたりもまだまだ根強く存在する。 本の一つの目的としてそのへんをマシにしてみたいというのがあるが、 同時に「技術的な解決策は技術的な無知によって破られるので信用ならん」 とも書いた。delete &*p;と書かれればスマートポインタなんてゴミだ。

12章、図が多すぎ。全部書き直しつつ足してる。 説明もかなり書き直している。 ここを過ぎれば後はそれほどしんどくないはずなのだが。

2008年3月20日

ペルソナ4はメガネか。3の不満点を直した上で3路線のゲームなのであれば、 まあアリかなという気はする。何かとモッサリする所だけ直してくれれば 他に不満もない。まあせっかくだから箱、せめてWiiで出してほしいところでは あるが、まあ画像なんて30秒もすれば慣れるのでどうでもいいしな。

本終わったらどうなるんだろうな。 私がゲーム本体を作ることに向いてないのは 自分でもわかっている。だからゲームを作らせろとはとても言えない。 などと考えていると、何と言うか、 一回なにもかもをブチ壊しにしたい衝動に駆られる。

2008年3月19日

楽しい夢を見た。覚めてからブルーになった。これはダメだ。

680。第二ループ11章まで。図をほぼ全部直して回っている。 来週前半までには第二ループを終えられるだろう。

2008年3月18日

672。第二ループ3章まで。今日は図をマシにする準備を整えたり、 英語があったり、ミーティングがあったり、その他本業が入ったりして 進みが遅かった。明日一気に進める。

やっぱり最初と最後が難しい。たぶん次のループでも文章がかなり変わるだろう。 あと、もうちょっとサンプルの素材をどうにかしたいなという気もしてきた。

これからは進んだ日には必ず置きます。

マイナス6.9%。爽快だわ。ここまで落ちると。ドルもすごいしな。

ピアノも本当に拳法と同じだ。太極拳はゆっくり動くが、 頭の中までゆっくりなわけではない。 シューベルトを目標速度の6割で脳をフル回転にして練習した後 目標速度に上げるとびっくりするくらいうまく弾ける。 ただし、そのためには目標速度で動作できる手が必要があり、 それは実際に速度を出さねば養えない。 結局速い練習と遅い練習は併用すべきだということだ。

思えばあと二週間でピアノを始めて1年になる。時間の経つ早さに 呆然とするばかりだが、しかしことピアノに関して言えば 上達という動かぬ証拠が一年分の時の価値を保障してくれている。 しかし、本当の戦いはこれからだろう。 上達のペースが落ちるようならそこで見切りをつけることになる。

にしてもまだ小学生3年生相当なんだよな...PTNAの課題曲と対象年齢から察するに。 中学生になるにはチェルニー40あたりまで片づけねばならんわけで、 最低そこまでは行かねばヴァイオリンど同レベルの特技にはならない。 しかしまあ、そこまでは到達すまい。

2008年3月17日

deleteするマクロにSAFE_DELETEという名前をつけているのだが、 昨日急に「何でDELETEじゃないんだろ?」と思った。 原因はwindows.hをインクルードするとDELETEというマクロが あってかぶることだったと思う。今となってはそんなものどうでもいいし、 かぶったらundefするだけなのだが、昔の記憶が無意識のうちに SAFE_DELETEを使わせてしまったのだろう。 先入観というのは恐ろしいものだ。 というわけで、DELETEにしてしまう。

DELETEにしようと思ったが、しばらく保留。 windows.hをインクルードした際にDELETEがかぶるのは、 うまくやればどうにかなるし、 使用者が勝手にwindows.hをインクルードしたりしなければ問題は起きない はずなのだが、何かどこかに罠がある気がする。

672。一応最後まで行った。次のループに突入。 索引と図の整備が今回のループの主目的だが、 文章がひどいところは直す。 やっぱり最初と最後がむつかしい。「これについて書く」 というのがないので放っておくとweb日記になってしまう。

参考文献も、なんというかまるで実用にならんなこれは。 「私はこれ読んで育ちましたが、何か?」みたいな。 英語の本とか載せても誰も読まんだろ。

2008年3月16日

アパート側の問題らしいので明日NTTの人がチェック。

アホお別れ宴会、のはずだったのだが、壮大な釣りだった。ひどい。

スキャナと画材を買ってきた。

ネット復旧。もう夕方。今日一日が飛んだ。ごめん某方面。

659。第一次校正終わり。明日朝ちょろっと気になったところだけ 直して第二次に行く。その前に最終章書いちまった方がいい気もするが、 とりあえずは編集の人に渡せる部分を少しでも増やさないと。 まあどのへんまでできたら渡す、とかいう算段もしてないのだが。

マイナス4.1%。落ちる落ちる。国内株の奴なんてマイナス10%だ。

本にかまけていろんなことが放置状態になっている。 本当にどうしたものかと思う。

最終章何書こう。参考文献はリストにできるほどの数ないので、 本を何冊か挙げながらああだこうだ言う感じにして 最終章の一部にする。あとは、この本に欠けていてこれから 学ばねばならないことについてか。 全体に集団作業になった時に何が起こるかは匂わせる程度で はっきりとは書いてないのでそのへんだろう。 ツールとかな。簡単なスクリプト言語についても紹介だけして。 cygwin入れてみな?とか、perlでちょろっと書いてみな?とか。 あとAIと最近のCGの話が根こそぎ抜け落ちていることにも触れるとして。 他に何かあったっけか。あまりかっこよく締めようとしても外すだけだから そこは気をつけよう。

ツールの章、シェーダの章、実行時スクリプトの章、ネットワークの章。 当初の予定から4つの章が失われた。 簡単なギャルゲーもどきを入れてやろうと思っていたのだがなあ。 誰かに立ち絵書いてもらって。

adobe readerで2ページづつ表示できることを今更知った。 ワイドモニタが活きるし、見開きのレイアウトがわかる。 あともう一つ、携帯電話で「え」と「お」を高速に入力できる方法があることを 知った。普通は、あいうえ、と順に出るが、逆順に動くボタンが別にあったのだ。

2008年3月14日

やっぱりつながらない。プロバイダとNTTの障害状況を調べて 何もないならうちの問題だな。

丸一日以上経っている。これはうちの問題だ。

2008年3月13日

655。18章まで第一次推敲。結構文章が途中で途切れてる場所があった。 途中であることを忘れていたようである。 そういえば最初から通して読むのは初めてかもしれない。

ネットにつながらない。向こうの障害ならいいんだが、 こっちだったら嫌だな。とりあえず寝よう。

学力低下問題を議論する「日本のこれから」を数分だけ見て、 自分の本のコンセプトが不安になってきた。 まさか2ケタの足し算ができん奴がプログラミングをやるとも思えんが、 どんどん不安になってくる。

有川浩「阪神電車」。良かった。良かっただけに、なんというか微妙な気持ちが。

2008年3月12日

654。13章まで第一次推敲終了。今週中に第二次推敲に入りたい。 今はtexソースを見ながらサンプルを直したり誤字脱字を直したり 用語を統一したりしているが、次はpdfを見ながらそれをする。 同時に図も直す。土曜にはスキャナ買おう。

tex。figure使うと図があっちこっち飛んで非常に読みにくい。 全部ベタにincludegraphicsして終わりにするか。 コードのverbatimも全部そうしてるし。別に「図5」とか出なくていいしな。 第二次の時にまとめてやろう。

スクリプト足したいなあという思いがますます強くなってくる。 技術というより思想なんだよな。できる限りコードからデータに移すという。

推敲してて思うのだが、私、よくこんなに書いたな。 現在1.25MB。それにしてもページが増えない作業はどうにも達成感がない。 さっぱり進んでいる気がしないからな。

単体のスキャナってもう流行らないんだろう。 しかし複合機は重いしデカいし邪魔だ。 スキャンだけしたい分には単体の方が便利である。 キヤノンの奴はUSBから電源取れるからACアダプタいらんし。

今回のゲーム機戦争は敗者も勝者もいない感じだな。 箱とプレステはソフト屋に取ってみれば両方ゲーム出すから 合わせたパイがそれなりに大きければそれでいいわけだし、 Wiiも圧倒的とは言えない状態で実際まだ半分にもなってない。

2008年3月11日

655。ページは増えてない。邪魔が入ったのもあるし、 英語で朝練ができない日だったのもあるし、 基本的に推敲とサンプル修正なのでページが増えるような作業でないというのもある。 6章までしか終わってない。明日中に15章くらいまで片づけたいが。 あと週末スキャナ買ってこよう。 タブレットで図を書くアプローチは根本的にダメ。 手書きをスキャンした方が余程楽に綺麗なものが書ける。 定規とミリペンも買ってこないと。文字とかはカブラペンの方が書きやすいんだが、 さすがに会社でインクにペンつけて物描くのもな。 いや、アリかもしれんが。

マネー革命の2回目を見た。投資家すげー。勝ち方も負け方も半端じゃない。 マネすべきでないということを思い知る意味で実に勉強になる。 でも今日見てみるとマイナス3.6%。何この落ち方。 全体がダメになる時にはリスク分散もクソもないのだなということが良くわかる。

2008年3月10日

655。最初から推敲して行って今4章。 サンプルが動かなくなっている件も楽に修正する目処がついた。 明日明後日でとりあえず最後まで行きたい。 にしても異様な眠気と目の痛さでまるで仕事にならなかった。 今日はとにかく早く寝る。

できれば加えたい内容。スクリプトという考え方。 この思想はできれば入れたい。しかし、30ページかそこらは食うし、 書かねばならないサンプルも増える。 なので、とりあえずは一回最後までなめて「一応こんな感じで」と 渡せる状態にしよう。索引ワードの選定と、最終章「もっと先へ」 もさっさと片づけたいしな。

問題が参考文献。かなりの率で洋書が混ざってるんだが、 こんなもん紹介していいんだろうか。和書にしてもマニアックなんだよな。 近似法とか、数値計算とか。 プログラミングの本ってEffective C++ とコードコンプリートくらいしか普通の本ないし。 プログラミング言語C++を自力で読めるなら私の本なんてそもそもいらんわけで。 Effective C++の段階ですでにそうかもしれんが。 基本的に私の読書歴はまるで人にお勧めできない。 「しんどい本こそ征服する価値がある」という思想で本を買ってきたので、 「まずはヌルイ本から」というやり方で本を買ったことがほとんどない。 しかも比較的ヌルめのものは大学の時に買ったものばかりで、 すでに手に入るかどうかわからないものがほとんどだ。

オイラーの贈り物、セジウィック先生のアルゴリズムの本、 Effective C++とコードコンプリート、くらいしか書ける本がないような気がする。 工科のための一般力学、とかいい本だと思うんだが、 このいかにも「版が摩耗してます」的な活字は怖いだろうなあ。 別に物理やりたいわけじゃないだろうし。

なんでか昔のNHKスペシャルのマネー革命を見た。 15秒で何千万もうけたとか、なんつうか、別の宇宙。 定期預金よりマシであればそれ以上はいらない。 にしても、株落ちまくりだな。あとドルも。100円が目前である。 三ヶ月くらいは本当に見ない方がいい気がしてきた。 口座に半年分くらい一気にぶっこんでそのまま放置するか。

番組で一日で50億負けた男として取材されていたヴィクターニーダーホッファーさん だが、調べたら見事復活しているらしい。年率40%ってなんだよ。

2008年3月9日

あの時こうしていれば、という後悔は、 あの時こうしていれば、という後悔を扱ったフィクションを見ることで 生まれる感情にすぎないのではなかろうか。 思い出されるのではなく、生まれるのである。 少なくとも今の私に関して言えばそうだ。 後悔の原因となる行動をいくつ思い返してみても、 「もし」を許さないくらい必然だったことばかりに思えるわけで、 そこに「もし」を持ちこむことはセンチな気分に浸ってみることを楽しむ 程度の意味しかない。そのような私には秒速5センチメートルに まっとうな意味で共感することは難しいのだろう。

アホが東京を離れるので、その前にいろいろやろうということで 今日は神田古本屋街を案内してもらった。 まるで行ったことがなかったのだが、すごいなあれは。 とりあえずルソーの告白を全巻見つけたので買ってきたが、 買いこそしないものの面白そうなものはいくらでもあった。 しかし、根本的に私は読書量がまるで足りないので 古本で探し回るようなレベルには達していない。 何かしらの分野を深く学べばああいうところに求めることもあるのだろうが、 今の私には「これだ」という専門分野はないし、 この先もおそらくはそういう分野ができることもないような気がしている。

品川駅で衝動買いしたハナアレントの人間の条件を読み出したが 正直さっぱりわからない。しかし、雰囲気だけは何となく伝わってくる。 まあおそらく最後までは読めないのだろうが、何かしらのものは得られるだろう。

今日はずいぶんくしゃみが出た。カゼだしまあしゃーないと思っていたが、 まさかこれが花粉症なのか。何かショックだ。自分はそういうのに 無縁に生きていけるとずっと思っていたのに。 まあ本当に花粉症かどうかはわからないのだが。 カゼをひいているのは確かなのだし。

時代物専門の本屋というのがあって、あのカオスっぷりはすごかった。 半ば本屋というよりもグッズ屋と化している。 世の中いろいろあるものだ。

「葬流者」と書いて、読みは「ソールジャー」。 小池一夫のネーミングセンスは誰にも超えられない気がする。 昨日古本屋で見つけた漫画で、帰って調べたら時代劇らしい。 ますます感服した。あの時代の劇画の有象無象の一つかと思ったが 最近復刊した名作らしい。ネタとしても秀逸なので買ってくれば良かった。

2008年3月8日

考えたらマクロ経済は本の途中で止まってた。後で読まないといけないな。 いまいち為替相場と実体経済の関係のイメージがピンと来ない。

Natural Docsを試した。比較的読めるヘッダを書いてもそれなりに フォーマットしてくれる。しかし、何も書かないと何も出ない仕様は辛い。 コンストラクタなんて大抵コメントは必要ないからな。 関数の半数以上は名前と引数で十分な情報は与えられているのである。

というような事を書くことに猛烈な既視感。もしかして試したことあるんだろうか。

チェルニー進まず。インベンションは5が終わり。 最近先生のところのピアノがグランドピアノになったのだが、 こいつが猛烈に重く、家の調子で弾くと全く鳴らない。 体に任せてしまうと指の違和感で手が誤作動してしまうため、 かなりの部分頭で導いてやらねばならないのだが、どうにもうまく行かない。 家でほとんど完璧だと思っていたチェルニー14番が見るも無残な状態だった。 とりあえず家でも強めに鍵盤を押しこむようにしないとダメだろう。

会社。着いて書き始めた瞬間に意識が飛んだ。 というわけで648。連日の疲れプラス風邪で消耗していたのだろう。 明日も早起きして書かねばな。 とにかく本を片づける。他のある方面で多少迷惑がかかるかもしれないが、 こいつを片づけないと何もかもが進まない。 でも明日はアホ関連のイベントなのであんまり進まないとは思う。 朝数時間だけだからだ。

借りたものを積みっぱなしはまずかろうと、借りた「秒速5センチメートル」 を見ながらプログラミング。しかし途中でコードを書くのをやめた。 たかだか60分なら真面目に見てやろうと思ったのである。 そして見終わったわけだが、 映像の美しさ、隠喩の配置等々はやはり優れていて、 情緒は確かに動かされた。 しかし、最後に残ったのは「これを見た私にどうしろと言うのか?」 というような理不尽な思いである。 とびきりの手間をかけた「そういうもんだよね」に対して、 私は一体どうすればいいのだろうか。 そういうものなのだということの先に何もないことに私は 耐えられない。

にしてもだ。隠喩ってここまで過剰にやるべきものなのか? 「何々は何々を暗示しています」という説明を100個くらいはつけられそうな 作品である。きっとそういう批評がwebのどこかにはあるだろう。 しかしそこが個性なのだからとやかく言うことではなく、 この「やる気満々度合」がなくなったら何も残るまい。 ラストの歌と映像のシンクロ率の高さは圧巻だが、 圧巻なのは映像そのものというよりは、やはり「やる気満々度合」 のようなものであるような気がする。

2008年3月7日

646。デバグの章はだいたい書き終えた。 自動削除ポインタや参照カウンタ式スマートポインタ、 それにnewの横取りによる統計データ取り、のあたりは テンプレートやら何やらのせいで高度になりすぎたので 後でごっそり説明をサンプルコードのコメントに移す。 本文にある必要はあるまい。そういうものを作ることができて便利だ、 ということさえ言えばいいだろう。 さて、これで一応だいたい書く予定の章は書いたことになるが、 ここで問題がひとつ。本ってどうやって終わらせればいいんだろ。 まとめの章みたいなものを作った方がいいのか、 いきなりプツンと終わっていいのか。 まあ考えつくまでは最初に戻って図を足したり文章を直したりするので とりあえずは考えないことにするか。 あと細かいところで作業は結構あって、索引に載せる言葉にタグをつけたり、 参考文献紹介に載せる本を選んだりしないといけない。 まあとりあえずは本文の直しを一挙にやってしまうとしよう。 あとは図だな。この手書きのどうしようもない図を誰が綺麗にするのか、 というあたりの話をさっぱりしていない。 せめて定規使って真面目に書いた下書きを作るところまでは 自分でやるべきか。現状タブレットで書いた落書きしかないからな。 スキャナが手元になくて面倒だったのでやっていなかったのである。

後はライブラリのリファレンス作らんとなあ。 Doxygenで仮のものは作れるが、Doxygenで十分綺麗なものを作るには ヘッダにわけのわからんものを書きこまねばならず、 ヘッダが見にくくなる。別文書にしてやるべきだろう。 もっとも、今回のコンセプトはヘッダだけで十分使えるライブラリなわけで、 おおまかな使い方の指針だけ示せばそれで十分、というふうにしたいのだが。

朝7時から文章を書き始めると、昼ごろにはもう体力が尽きる。 はかどり方がケタ違いなので消耗も速いのだ。 今日だけで30KB以上書いているわけで、そりゃ疲れるわなと思う。 しかも今日はスマートポインタ系のコードを一から書き直したりして そっちでもかなり頭を酷使しているわけで、文章だけ書いていたわけでもない。

というか、これ、風邪だな。どう考えても。 ピアノは朝に回して今日は寝た方がいいかもしれん。

ダメだなこれは。まあ仕方ない。

投資信託は値動きが激しいので高周波を除いてやらないと動きがよくわからない。 移動平均取ったグラフとか出してくれんものかな。なお現在マイナス1.3% 今まで見た中で一番良かった時でプラス2%くらい。 たった2ヶ月でよくもまあこれだけ動くものだ。

2008年3月6日

624。文章主体でコードがない所に来ると急に速度が上がる。 もうこれ以上文章増やしたくないんだが、増えてしまうものは仕方ない。 バグ予防に関してはなんとしても触れねばならないからだ。 減らすなら他を減らすだろう。 あとライブラリのインターフェイスをゴロンと変えた。 古いサンプルが動くようにする作業が大変になりそうだが、仕方ない。 明らかにすっきりする。

666ページでぴったり止まらないかなあ。

ミカタ666-4。これは面白い。ラノベでこんなに面白いのは久しぶりだ。 やはりこの人はうまい。

本の題名をどうするかが問題になってきた。どうするんだろうなあ。 600ページ書いといて「つまみぐい」ってのもどうかと思わなくもないが、 しかしもし持ってる知識を全部文章にしたら1000や2000では足りんし、 本当にゲームプログラミングの全分野を網羅したら何千ページあっても 到底足りない。そういう意味では数百ページはつまみぐいの範疇な気もする。

カゴメのオイルソースシリーズが手軽な割に押しつけがましい味がなくいいのだが、 やはり香りが弱い。特にバジルは辛いな。 バジルは香りがあってナンボなので、作ってしばらく経ってしまうと もうダメということだろう。 ところで、ここのところ全粒粉パスタを食っているのだが、 ボソボソした食感とノイズの多い味がたまらない。 おいしいかと言われると答えに困るが、私は好きだ。

シグナルが複雑なのか、それともそもそもシグナルなどないのか。

2008年3月5日

ここに来てライブラリの設計に疑問を抱いてしまった。 現在リソースクラスをマネージャクラスに作ってもらう作りなのだが、 何故そうなっているのかを説明できない。 便利さだけを言えばリソースクラスのコンストラクタでおしまいにするのが 一番いいのはわかり切っている。 コンストラクタを呼ばれて困るのは マネージャが知らないところで勝手に作られるのが嫌な場合だが、 コンストラクタの中でこっそりマネージャに伝えていれば この問題は消えてなくなる。 2クラスの関係を明に示すという意味はなくもないが、 そもそもその2クラスの間に関係があることを使用者が知る必要があるかと 言われるとそれも微妙だ。テクスチャを作るのにデバイスに 頼まないといけないというのはDirectXの都合にすぎず、 直接DXの型が見えるわけでもないのにDXのクラス関係を 匂わせてやることに果たして意味があるのだろうか。 勝手にコンストラクト、参照カウントが消えたら勝手に廃棄。 デバイスにセットしたい時だけマネージャに渡す、 というので何ら問題がない気がしてきた。

クラスは基本的にコンストラクタで作られるべきなのではなかろうか。 生成関数をわざわざ用意せねばならない局面というのは果たして それほど多いものだろうか。 今までnewを禁じてマネージャを通して作らせていたのは、 そうしないと知らないところで作られてそのまま漏れたりするからだったり、 本当の破棄のタイミングを遅らせるためにデストラクタを禁止した際に 対称性のためにコンストラクタを禁止した時だったりした しかしいずれも使用者に渡す型が全て単なるハンドルで 実体が別にあり、参照カウント管理がきちんとしていれば その手の問題は消えてなくなる。

しかし、適当に音クラスをコンストラクトしてplay()とかするのは 微妙に違和感があるな。サウンドデバイスというものがあって、 それに鳴らしてもらっているのだ、という事が表面に出てこなくなる。 いかにも音クラス単体で完結しているように見えてしまうのが気持ち悪い。 結局これは「使用者はそのクラス間関係を知る必要があるのか」 ということを軸に考えるしかないだろう。 テクスチャの場合はあからさまにデバイスというものが存在して、 そこにモノをセットする。音の場合複数音が干渉なく鳴るのであれば デバイスを意識する必要はなくなる。 もし何かを鳴らすことで別の何かが鳴らなくなる、というような 相互作用があるならマネージャを通すべきだろう。

2008年3月4日

mixiのあしあと機能は結構怖いな。 「誰だこれ?」「うわ、こいつか!ヤバッ!」みたいな。

暴落しとる。株って本当に周波数高いな。

613。MSAAとかテクスチャフィルタとかにかこつけて周波数の話。 それほど理屈から外れずにイメージを直感的につかんでもらう説明を 目指したが、達成されているかはかなり疑わしい。 周波数と情報量がゴッチャになっているのはさすがにマズいか。 しかしこの二つは似たようなもんだと思った方が理解は早いと思うのだよな。 「周波数が高い=ゴチャゴチャしている=情報が多い」みたいなイメージを 持つことが大切で、あとはそこから個別のケースを修正していけばいい。 というか、こういう話そのものが脱線なので扱いが難しい。 このへんのイメージがあるといろいろ楽なので知っててほしいのだが、 いざヌルい言葉で説明しようと思うとうまく行かない。 後でもう一度検討しよう。 後はグラフィックハードウェアの概念的な説明を若干入れておしまいにし、 その次はデバグの話。 今のところそれ以外に入れるべき話題が浮かんでこないので、 そこまで行ったらまた最初からなめていくことになるだろう。 動かなくなったサンプルを動くようにする作業もあるし。

2008年3月3日

シゴフミ8。キラメキ先生の出番は終わりか。

チェルニー30-15が地獄。ついに分散和音を高速で弾かねば ならなくなる時が来てしまった。

600。文章は全然進んでいない。メモリデバッグ機能の検証と、 シェーダの追加で丸一日過ぎた。つうか、邪魔入りすぎです。 本格的に朝を早める算段をしないとダメな気がする。

7時に帰って、9時に寝れば、5時に出勤できる。 たぶんこれ以上はありえない限界。 10時に寝て6時出勤、というあたりが現実的な限界か。 試してみないとだめかもな。

点光源4つスペキュラ付きシェーダ。ピクセルシェーダが53サイクル。 すでにして論外。最適化前は64命令を超えてしまって 2.0でコンパイルが通らなかった。 こんな重いピクセルシェーダ初めて書いたわ。 でもまあ、教育用だしいいだろ。 頂点単位に切り換える機能をつけとけば文句もあるまい。 あくまで「この式をハードウェアに計算してもらうとこんな絵になるんですよ」 というサンプルとして機能すればそれで十分だ。

ペルソナの6話はものすごくバカだった。そんなことやってる余裕あるのか? とか思うが、それはそれとして良し。

2008年3月2日

ピアノ。チェルニー30-13終了。14と15。インベンション5は仕上げ指令。 6はこの調子でオーケーとのこと。「独特な解釈で面白い」を どう受け取るかは微妙だが、好きなように弾けるのだから喜ぶべきだ。 シューベルトは3月一杯くらいにして、次はショパンらしい。 何かは具体的に決めてないらしいが、まあ簡単な奴を選んでくれるんだろう。 さて、チェルニーとインベンションどちらが先に終わるかな。 チェルニーはあと17曲。インベンションは5,6,11,12,15の5曲。 にしてもチェルニーが予定より遅れている。平均月2.4曲は想定外の遅れ方で、 これでは1年かかっても終わらない。なんとかしたい。

「13番が終わったんだからあと16曲だよね」 と直感的に思ってしまう私はもうプログラマなのかもしれない。 私は自分をプログラマ的な人間だとは思っていないが、 しかしプログラマ的な習慣が身についているということは認めねばなるまい。 何のことかわからない人のために説明すると、 プログラマはたいがい0から数え始めるので、 例えば30曲あればそのマイナス1の29番が最後になるのが自然に思える、 ということだ。

よく論理的とか理論的とか理屈っぽいとか言われる。 しかし私は自分がそういうものだとは思っていない。 それは、私がそういった言葉を誉め言葉だと思っていないからかもしれないし、 あるいは私がそういった言葉を誉め言葉だと思っているからかもしれない。 いや、どちらの成分もある、と言うべきだが、さてどちらが多いのだろうか。

先週練習メニューを組み直した。手の形を修正するのと 体の使い方の精度を上げるために速度80からやり直している。 これから毎週2づつ上げていく予定。今週の速度は82。 ハノンはトリルの奴が加わった。これが不思議と飽きない。 気がついたら10分以上弾き続けていて、自分でもどうかと思った。

歌。テノールは辛いが新鮮で面白いので、2週に1回は行きたい。 でかい声を出して良ければファやソまで出るのに、 ちいさい声で制御をゆきわたらせろと言われるとドすら辛い。 ほとんど常に胴体の支えを必要とすることがわかってきた。 腰が抜けた瞬間に声がヘタる。これはバスでも同じはずだが、 低音の場合声そのものは出るのでそこまで 気にしようという意思が出てこなかったのである。 これはいい訓練になる。

品川駅で衝動買いしたちくま学術文庫の「不完全性定理」。 証明の詳細はさっぱりわからんが、ゲーデルがすごいことはわかった。 ものすごく簡単に言えば、「正しくても証明できない問題が存在する」 ことの証明。しかしこれだけ言うと「世の中には解けない問題があるんだよ」 とか全然違う話とつなげる人が出てくるので、 以下のように補足すべきだろう。 すなわち、「証明できない問題がどこかに存在することは確かだが、 ある問題が証明できるかできないかにはまるで関係ない」ということだ。 つまり、実用的な何らかの定理を証明しようとする行為そのものには 大した制限を与えるものではない。 ただ、この証明によって、何か証明困難な事があった時に、 「これもしかして証明が不可能なんじゃね?」と考えることができるようになった ことは大きい。昔は「正しいなら絶対証明できる」と信じられていたので、 誰も「この問題が証明可能か調べる」なんて手続きをしようとはしなかった のだという。 確かにゲーデル先生が言う前から「5次以上の解の公式は存在する」 みたいに実は成り立たないことを証明しようとして人生を棒に振る人がいる一方で あっさり見切りをつけて「5次以上の解の公式は存在しない」を証明してしまった 人もいたわけで「難しいことはできないのかもしれない」 と考えるのは一つの選択肢ではあったのだが、 「正しいけども証明できない」ことがありうるというのは 1ランク上の発想の転換が必要で、これが大変な発見だということは なんとなくわかる。

クラナド17。このあからさますぎる渚の退場の仕方はすごいな。 智代シナリオに突入するためにこれほど強引なマネをするとは。 そのまま19まで。智代と双子(あとことみ)の片づけ方は見事だと思った。 原作がどうだったかはまったく覚えていない。 にしてもペース配分がさっぱりわからんなこの作品。 ヒトデにあれだけの時間を使ったのは一体なんだったのか。 いや、シンプルに考えればいいのか。製作者がヒトデ好きだと考えれば 全てがつながる。

newを横取りしてデバグ情報をどっかに記録する機構。 newをそのままマクロで横取りするとplacement newが使えなくなる。 NEWとかするとなんかC++っぽくないコードが出来て美しくないし、 すでに書いてる分があれば置換して回らねばならない。 operator newの段階で横取りするだけだとコメントは入れられるが ファイル名と行数が入らない。どれも一長一短ある。 であれば、「どれも一長一短ある」ということまで含めて説明してやるのが 正直な態度だろう。その上で私としてはNEWを取ることにする。 もしnewが良ければ、自分のヘッダなりcppの先頭でそう書けばいいだけなので 手段は残されている。

OSのmallocはマルチスレッド時の性能に配慮して作られているはずだ。 だから、こっちとしてはデバグ情報の記録を 最小のロック時間で行うことを考えればそれでいい。 後はコメントを自由につける機能が欲しいわけだが、 それに関してはスレッドごとに別にすべきであることが厄介だ。

コメント機能と領域外破壊検出マーク以外は作った。 後者はすぐできるが、前者が厄介だな。 スレッドごとに別々のコメントをつけるには、 スレッドIDとコメント文字列のmapをつければ簡単なのだが、 mapなんて中でnewするわけで当然使えない。 アロケータつきのmapならいいが、もっと簡単にやる方法を考えよう。 どうせマルチスレッドからコメントをつけたくなるような複雑な プログラムを書く予定は当分ないのだし。

トマト缶等の長期保存が効く食材だけで、極めて短時間で それなりにおいしく作れるパスタソースは作れないものかと考える。 チーズは保存に難がある上に高いし食いすぎると太る。 買ってきて終わりにできればそれでいいのだが、 市販のものはどうも味が押しつけがましいものが多くてよろしくない。 ペペロンチーノはいいんだが、にんにくは保存が効かないし、 切る際に指がにんにく風味になって丸一日取れないのがちと困る。 あとやはりダシ味が欲しい。その意味ではトマトベースが有望だ。 案外トマト缶を多少煮詰めたものをかけて食うだけでうまいのかもしれないが オリーブオイルで唐辛子を炒めたところにトマト缶をぶっこんで温め、 醤油で味を整えてバジルを散らす、というくらいまでは しないとさすがに料理にはなるまい。

2008年3月1日

ターンAの女性陣の強烈さがいい。

海外の一流ゲームの技術力を見ているとブルーになる。 勝てる勝てないの話以前に、そもそも土俵に上がることすらできない。

思い返してみると「よしなに」の使い方がおかしい気がするぞディアナ様。

例えば名前空間があまり知られていない機能であるという現実が辛い。 しかし「本を読め」という台詞がどれだけ 非現実的なものかはもう骨身に染みて知っている。 大半の人にとって本を読むという行動は選択肢の外にあるのだ。 そういう現実を見るにつけ、自分が書いた本が どれほどの価値を持つのかということについて悲観的にならざるを得ないのである。

人間はゼロで生まれてきて、死ぬまでの時間もだいたい固定で、 しかし人類が持つ知識の量だけはひたすら増えていく。 どこかに無茶がある気がしてならないが、それは世界のありようで文句をつけられる 類のものでもない。だがもしマルチを作れたならば、 彼女らその限界をやすやすと超えていくだろう。 その光景を見てみたいと思うが、おそらく それは人類の終わりを意味する。 GDCでよくわからん人が講演した内容をちらっと聞いてそんなことを思った。


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