だだもれ

2008年9月30日

ラテン語すごい。固有名詞すら活用する。 というか、逆に言えば、固有名詞であっても活用しないと文法が成り立たない。 語尾に日本の助詞や英語の冠詞、前置詞の役割があるので、 語尾が活用できないものは言葉に取り込めないのだろう。 外来語の処理でどう考えても不利だ。 そういや、塩野ローマで ゲルマン人のアルマンさんがアルミニウスと呼ばれていたという記述があった 気がするが、それはこのせいか。

「cogito」で「私は考える」になる。語尾が「一人称単数」を示しているので、 主語は私であるに決まっており、結果省略されるわけだ。 だから主語として代名詞が必要なケースはほとんどないらしい。

本がまた延びた。10月末から11月らしい。11月って。 今日は査定面談があったわけだが、 本が間に合わなかったので今期も成果なしである。 到底金のことを言い出せる状態ではなかった。 金がリアルな存在として迫ってくる昨今だが、なすすべもない。 それと、実家にAtomノートを置いてくるのも本が出てからにしようと思っていたのだが、 さすがに11月と言われるとそうも行かなくなってくる。 本がいつ出るかに依存したスケジューリングはやめようと思ったはずだが、 結局これが終わらない限りどうにもならない。

FFTがらみは文書にしよう。物理も別途何らかの形で文章にしていく。 とにかく外に出して人に見せることが重要だが、会社で書いていてはその手段はない。 家で書いてここに置こう。どうせ会社は新しい仕事が入ったので、 そっちをやらねばならないし、さすがにもう一冊書かせろと言える雰囲気ではない。 とは言え、当分日曜は延び延びになっていたあれに費したいので、 文書書きはもう少し後か。 というか平日がっつり休んでやりたいわけだが、 長い有給を取るにも「本が出たので」という理由が欲しいわけで、これもまた本待ちだ。 その時に休めるように今回の仕事を全力で片づけるとしよう。

でも明日は朝からハローワーク。英会話の給付金申請のため。 20万帰ってくるとなればおざなりにはできん。

セルロース分解の問題は、セルロース分子がからまって固まるために 表面積が小さく菌の吸着効率が悪いことと、 安定性がデンプンの比ではないこと。 院の時にそんな研究をしている同期がいた。あれどうなったんだろう。

人を使う仕事をしない限り給料が上がらない。 確かに人を使うということも経験としては欲しいし、 最終的に技術屋になるにしても人を使う経験はしておけ、という 方針自体はわからなくもない。しかし、 31歳って、まだ達人を目指していていい時期じゃないのか? しかしそれはそれだ。私は数学と物理を勉強する。 この決意は変えない。

vaioTが出た。24万で1.4GHzのCPUに、HDMI、そしてSSDがついてくる。 ちょっと前なら間違いなく買っていた。 だが、金がリアルな存在となった今となっては、その決断は重すぎる。

2008年9月29日

土曜は拳法に合唱。取りたてて何が起こったわけでもない。

パプリカを読み終えた。後半のムチャクチャさ加減がたまらない。 夢を題材としたものだけに夢と現実が混乱してくるわけだが、 まさかこんなに無茶苦茶になるとは思わなかった。

ラテン語のヌルい本を買ってきて読んでいる。ヌルすぎたかもしれない。

FFTを理解したのでいよいよ音声フォーマットを作ろうとか思っていたが、 理解したと思うと猛烈にやる気が失せた。 一次元データでの圧縮率のあたりはついたわけで、 二次元の画像に応用した時にどうなるかもだいたい想像はつく。 そして、既存の賢いものに比べてどれくらい性能が落ちるかも、 何をしなくては既存の物に近づかないかも、だいたいわかった。 後は実際に使う予定でもない限りやる気にはならない。

ここにそういう文書置くかなあ。私くらい数学ができないくせに 圧縮を書こうと思う人がいるならば、その人の役には立つだろう。

クォータニオンを理解しようと思って 金谷先生のpdfを読んだが、また絶望した。 これはダメだ。やっぱり物理シミュレーションを 一から書くとかして基礎から積み上げないとダメな気が猛烈にしてきた。 必死でやればクォータニオンを理解することは不可能ではないだろうが、 たぶん数学と物理を基礎からやり直した方がいい。 しかし、二次元ベクタが複素数そのものであることを知って感動したので、 今日という日も無駄ではなかった。 cos+isin掛けたらそのまんま回転するじゃないか。実用性はあまりないが。 それにしても複素数が何ものなのかさっぱりわかってない。 どういう必然で出てきて、どういう正当性があるんだろう。

昼は帰ってきて食った。ピザもどき。 小麦全粒粉を練って、トマト缶とチーズを載せて焼いただけ。 昨日はキムチとスパゲッティとにんじん炒めチーズがけ。 健康的で実によろしい。

最低限、物理学科卒業相当の物理と数学はやっておきたいと思う。 こいつらがわかってないとこれからの人生における選択肢が減りすぎる。 今の私にできることなんて、それなりなプログラミングスキルと、 雑学レベルの数学と物理と情報学だけである。 猛烈に学ばざるを得ない状況に追いこまないとダメだ。

次の世代のゲーム機って作るのかなあ。作るんだろうなあ。 3年後に25000円で利益が出るハードを出すとしたら、 一体どれくらいの性能になるだろう。 あまり楽観的な予測はできそうにない。

根本的にゲームを面白くするハード性能の使い方はないのかと思うが、 そもそも私にとってすでにゲームが面白いものではなくなりつつあることが 最大の問題だ。

2008年9月27日

FFTをおおむね理解した。 念のため、FFTを行列ベクタ積と見る方法と、 単純な式変形だけによる方法の二つで確認した。 wikipediaの行列による説明はわかりにくいと思うが、 説明を補ってやればだいぶわかりやすくなるし、 何よりも考え方を広げる上で利益が大きい。 数式変形による方法はシンプルだが、 記号思考にある程度慣れていないとシンプルとは思えないかもしれない。

にしても、この程度の数式変形でFFTの原理が得られるにも関わらず、 FFTが発見されるまでそれなりな時間がかかったのは不思議なことだ。 結局、実用で発生するような計算量をコンピュータが こなせるようになるまでは価値がなかったということなのだろう。

DCT後に量子化してハフマン、という工程で 量子化処理をいじることで圧縮率を変えられることはわかった。 たまたま試したデータだと、ほぼ可逆で1/3、なんかザラザラするので 1/8、明らかにおかしいが原形は留めている程度で1/16、 というような圧縮率が得られる。といっても理屈だけのことで、 実際にやるといろいろあって もっと悪くなるだろう。とは言え1/5程度ならこの方法でもどうにかなりそうである。 まあ売り物ならvorbisを入れて終わりだろうが、 性能にあまりこだわる必要でなく、かつ、独自に作ることが ありがたいようなケースであれば使えなくもない。 量子化テーブルを工夫したり、MDCTにしたりすれば たぶんもっと良くなるんだろうが、 教育に使えるくらいのシンプルさを保とうというなら このへんが妥当だろう。

1語が16bitの場合、ハフマンは16bitでやるべきなのだよな。 しかし木が大きすぎやしないか。符号表だけでもえらいサイズになるから できれば頻度表だけにしたいが、それでも128KBとかになる。 たぶん量子化でごっそり削って12bitとかにしてしまうのだろう。

DCTは浮動小数点演算のせいで誤差が出るので、 なんぼ圧縮率を悪くしても可逆変換にならない。 可逆にしたければ別の方法を使えということか。 まあ「ほぼ可逆」であることにもそれなりの価値はあるのだが。

飲み会。会社を去った人とか普段話さない人とか。 高速化仕事は嫌いじゃない。今日もFFTを理解するのは大変な快楽だったし、 アセンブラをちくちくいじるのも嫌いじゃない。 私が一番社会に貢献できるのは何をすることなんだろうと最近思う。

物理と数学を使ってバカゲーを作る本、というのは楽しそうだ。 無意味に物理シミュレーションで動く縦シューとかボンバーマンとか倉庫番とか。 既存の簡単そうなゲームに無駄に物理を導入して遊ぶ。 あと最近思うのだが、プログラミングになんぼか親しんでいる人が対象なのであれば、 連続系のまっとうな数学で話を始めるよりも、 コードに直結した離散系のやり方で話を始める方がいいんじゃないだろうか。 和はそのままforループになるが、積分をforループにするには一段階変換が必要だ。 和なら有限値のまま話をするので、極限を取る際に求められる慎重さとは無縁で済む。 ニュートン物理にしても摩擦のない等速直線運動以上のものが 求められた場合には数値積分の方がよほど単純だ。 そもそも、ユーザ入力が介入してくるゲームにおいては、 連続系での定式化が不可能であり、積分を扱う必然性は相当薄い。 連続系の数学は離散系の理屈をプログラムとして形にできる力を得た後で 導入した方が楽なのではなかろうか。 また、大抵の大人向けの本はいきなり三次元の物理をやろうとするが、 高校の教科書と同様にまずは二次元からやるべきだろう。 どうせ画面は平面なわけで、挙動を見て取るなら二次元の方がいいし、 コードは短くなるので把握もしやすい。 それでいて、回転以外の物理現象に関してはほぼ全てを網羅できる。 二次元の剛体物理を経て、 それに三次元回転を追加すれば、それで立派な三次元物理になる。 テンソルにクォタニオンという数学的な難関が三次元回転には 含まれており、そこはできるだけ後回しにして、 それなしで楽しめるだけ楽しんでおくべきだ。

2008年9月26日

ミク化。音が割れる原因をつきとめるののに時間を食った。 dyn値がデカいと音割れの原因になる。 dyn値はSMFのExpressionから読み取らるが、 dominoはデフォルトで127をブチこむのである。 元データのデフォルト部分を削ったところ解決した。 あとはどれくらい次の音符と時間をあければ ピッチベンドが始まらずに済むかを調べるのにも時間を食った。 ステップが240なら170。つまり70空けないとニョロっとする。 仮の歌詞を入れて、とりあえず鳴る状態になったが、 歌詞が気に入らないので少しいじる。

Act2になってもリンレンはまだガタつきがある。 全部ラにして16分のスケールを歌わせてみればすぐわかるが、 音程によって長さが違うのである。仕方ないのだろうか。

明らかにミク化は必須。あっさり脳内で全パートを好きに鳴らせる状態になった。 この状態にならないと弾けるわけがない。

妥当でない行動にも根拠があることを認めることが大切だと思う。 その上で、その根拠が現在も成立しているかどうかを確認する。 成立していないことを納得できたならば、 行動を改めるのはそれほど難しくない。 また、実は成立しているのだとすれば、 妥当でないと思っていた行動にもある程度の妥当性を認めることができるだろう。 つまり、スルーできるようになる。 生活環境の違う人間が場所を共有する場合には、 その工程をいちいち踏んでいく覚悟がいる。 元々住んでいた世界の間の距離が大きければ大きいほど それは大切になるだろう。 というわけで、会社でもなんでも、 人に物を教える時にはこのステップを丁寧に踏むことを 忘れないようにしようと思う。

改善する時には、改善前の状態が何故それまで維持されていたのかを 考えなくてはならない。改善の結果良くなることを説明して、 改善後にその効果を確認する、というだけでは足りない。 そして、改善前の状態が維持されていた理由を 「惰性」で済ませてしまうのも良くない。 顕著な問題があれば直さざるを得なかったわけで、 顕著な問題はなかったのだ、ということに考えを巡らせる必要がある。 問題がなかったのか、問題が見えなかったのかの区別も重要だし、 見えなかったのであれば何故見えなかったのかを考えねばならない。 そこまでやらないと改善の効果は本当の意味では得られないだろう。 「ミーティングが長いから効率化しましょう」 と言うのは簡単だが、何故それまで長いままだったのかを 考えることは相当有意義なことであるように思う。 改善を呼びかける側に見えていない要素が、その過程で見つかるかもしれない。 ミーティングの例で言えば、それが親睦の面で役に立っているということは きっとあるのだろうと思う。ただ、それが効果を持っていたのは 人が少なかった時であって、人が増えるとその効果は薄れて害ばかりが増す。 人の数によってミーティングのあり方が左右されるのだ、 という認識に皆が至れば自然により良い方向に行くだろう。 そこの認識を共有せずに効率化を叫んでも、たぶん人は納得しない。

上の二つの段落は同じことなのだが。

2008年9月25日

火曜はアジの酢漬けを作って食った。何年ぶりだろう。魚をさばいたのは。 そのわりにはそれなりにうまく行った。 三枚にして両側の身だけ使う。 背骨とその周辺は汁物のダシに使う。 で身だが、塩をごっそり振り、冷蔵庫。脱水工程。長くて一時間くらいか。 水が出るので捨てて水気を拭き取り、酢に漬ける。脱塩工程。 これも一時間くらいか。たぶん塩した時間以上は必要。 あと酢に適当にちぎった昆布を入れておくと味がいい感じになる気がする。 本当はサバでやりたいが、 サバの出現頻度は低いし、仮に出ても鮮度がヤバい。 それにサバだと量が多すぎる。というわけで、頻繁に作っていた頃も大抵アジだった。 これからもたぶんアジだろう。

DCT(離散コサイン変換)がだいたいわかって、 さてこいつを高速化するかと思ったが、パタリと止まった。 コサインの前計算まではできたが、積和算をNlogN化することができない。 FFTはexp(x+y)=exp(x)*exp(y)を利用して行列を因数分解するのだと思うのだが、 DCTはコサインなので、cos(x+y)=cos(x)*cos(y)が成り立つのは ごく限られた場合(xかyがpiの倍数)だけである。 たぶん三次方程式の解法と一緒で、入出力が実数でも 計算過程は複素数範囲を必要とするんだろう。 というわけで、一回複素数で式を立ててからゼロとわかっている部分を利用して 高速化を計る、という方針でやってみる。 最悪単なるFFTになるかもしれないが、それならそれでいい。 一応実数で高速DCTをやる方法はあるっぽいが、 特定のサンプル数でだけ実数計算できる、みたいなオチかもしれない。

DCTはひとまず置いて、音圧縮の効率を調べてみた。 なんか、差分取ってハフマンするだけでも半分近くまでは減るっぽい。 16bitデータの場合は16bitでハフマンをやればもう少し減るかもしれないが、 しかし劇的には減らないだろうし、16bitのハフマンはきつい。 というわけで、やっぱり非可逆圧縮が必要っぽいという認識に至った。

早く片づけてウェーブレットに行こう。DCTは前座にすぎん。 DCTは理屈は簡単で面白みがないが、ウェーブレットは理屈からして よくわからないので面白そうである。 まあそんなヒマがあったらクォタニオンを理解する方が先な気もするが、 まあいいだろう。

2008年9月24日

会社サボッてディズニーランド行った。未来嫁がどこからか券をもらってきたのである。 いろいろ楽しかった。待ち時間が云々言われるが、 並んでいる時間は100%会話時間なわけで、 立っていなければならないことを除けばうちでダラダラしているのと 同じだから苦痛でも無駄でもない。非日常な場所で話題に事欠く心配もなく、 かつ、何十分かおきにアトラクションに乗れるのだから、全くもって悪くない。 まあ疲れるのは確かだが。

つうか、すげえよディズニーランド。 あの遊園地、本気度高すぎる。 人的物的なエネルギーの投入量が半端じゃない。 前行ったのはたぶん10才とかだったので、事実上初めてだ。

スペースマウンテンとやらで自分が恐ろしく絶叫マシンに弱いことを思い知った。 全部が屋内のジェットコースターであり、 スペース有効活用のためなのかとにかく曲がる。 加えて真っ暗で次にどう動くのかまるでわからないので超怖い。 仕方ないので、考えるのをやめて、体もなすがままにされることにした。 あと、ちょっとがんばって悲鳴を上げてみた。 そんなバカなことをするくらいの余裕はあったらしい。

ホーンテッドマンションとやらは、完全に怖がらせることを放棄してて ある意味おもろかった。あれ、用途違うだろ。

どの見世物にしても、莫大な人数を固定時間で捌かねばならない関係上、 自分の足で見て回るようなものはなく、ほとんど全てが乗り物になっている。 自分たちが山崎パンのパンになった気分で新鮮だった。 ベルトコンベアーに乗るのが好きな人達が何万人も来るなんてすげえなあ、 と他人事のように思った。

そういえばパレードを三回ほど眺めていたのだが、圧倒された。 山車と服と演出のセンスにクラクラする。 とにかく資本主義とアメリカ文化の暴虐っぷりに感動した。 「夢と希望」という名のロードローラーに何万人という人達が 踏みつぶされていく光景。 斜めな見方をする人なら茶番の一言で片づけるようなものに、 あれだけの資源が投入され、あれだけの人が集まっている。 最後の夜になってからの光るパレードなんてまさに究極だ。 これでもかというくらいの物量。踊る人。巨大な山車。鳴り響く音楽。 踊ってる人まで光っていた。たぶん電池を背負ってるんだろう。

さすが、最強の遊園地だけのことはある。従業員とかすごいハイレベル。 掃除してる人までテンション高い。マシンも技術革新に合わせていろいろ やってるっぽいし。娯楽という産業についていろいろ考えた。 あれもまたライバルなのである。学ぶべき点は多い。

帰り。比較的早く一人になったので、 筒井のパプリカを買って読みながら帰ってきた。 筒井は一冊しか読んだことがないので、文体が新鮮。 今のところ内容は何とも言えないが、当時新しかったんだろうな、 という匂いはする。精神病に関する蘊蓄も新鮮だし、今のところは 楽しく読めている。 結構厚いので週末までかかるだろう。

昨日はシンフォニア3番のミク化をしていた。 midiomの「再生中にmid出力をすると飛ぶ」というバグを忘れていたせいで、 また全部飛んだ。 2chのスレを見てみたところそのバグは有名らしい。 それでも直っていないわけだから、たぶん作者には更新する気がないんだろう。 というわけで、dominoという別のを落としてきてやり直し。 いろいろ使いにくい気もするが、少なくともmidを吐いても死なないので これを常用することにする。 音符の打ちこみだけは終わらせたが、音量とテンポとゲート長の 調節は最低やらないと声は入れられない。

自分で打ちこみソフトを作りたくなるな。 自分が欲しい機能に絞れば結構あっさり作れる気もするが、 やっぱりそこまでしたくない。

2008年9月23日

バイオ出身であるがゆえの不利をいい加減完全に克服すべきだと思った。 情報学、数学、物理学。この三つを学部卒業レベルまで上げよう。 でないとこれ以上の能力上昇が見込めない。 積分記号を見る度に気が遠くなる今の状態では何をやるのも非効率だ。

2008年9月22日

未来嫁に関する記述が解禁されたので、障りのない範囲で書いていく。 ここのところ日記の記述量が減っているのは、そのへんを控えていたからである。 なお、今日の昼までここにいた。 昼休みに帰ってきて一緒に飯を食うという衝撃的な展開。 まあ今日が初めてではないんだが。

校正が最終段階。レイアウト中のが来たのでチェックしてたわけだが、 レイアウト云々以前に文章がおかしいところが大量に見つかった。 誤字の類だけならともかく、論理不整合とか、異様に読みにくい個所とかも 結構ある。 やはり今までのチェックは甘かったのだ。 見た目が変わることで惰性でチェックできなくなって発見効率が上がったんだろう。 というわけで、最後の最後にちょっと編集さんには面倒をかけることになった。 見つけてしまった以上直さねばなるまい。 明日はちょっと会社に行ってとどめを刺してくる。 今日は久しぶりに22時まで残ったのだが、 元のテキストに修正を反映させる作業が間に合わなかった。

日曜は校正しながらカレーっぽい物を作った。 たまねぎ6個。にんじん2本。じゃがいも4つ。 割れた黄色いいんげん豆1合。生姜適当。押しつけがましい味がなくおいしいが、 たぶんこれをカレーだと思ってくれる人はあまりいないと思う。

未来嫁が宅配ピザを食ったことがないと言うので、 近くの店まで直に行って買ってきた。 客が来ることをまるで考慮していない店の作りが素敵だった。まるで工場である。 そして、店員二人が電話とピザ作りに忙殺されている様を見て、 しみじみとした気持ちになった。買ったピザは、ちゃんと切れていなかったり、 具が特定の場所に偏っていたりしたが、 店員の働く様を思い出すと責める気にはなれない。 で食ったわけだが、最初はおいしかったが、すぐ飽きた。そして重い。 自分で作った方が良さそうである。 トマト缶とチーズと全粒粉、というあたりでたぶん似たものが作れるだろう。 二人いれば少々面倒くさい料理でも効率良く作れるので、 食うもののバリエーションは増えそうだ。

最近金の存在がリアルである。少し前までは金なんてものは ロープレにおけるレベル程度の意味しかなかったわけだが、 結婚やら何やらという話になると途端にリアルなものになってくる。 本当、どうしたものかと思うわけだが、一番考えねばならないことは、 私が一体何をしたいのかなのだ。 何をするにしても、そこで全力を尽せば生きるのに困らない程度の金は 得られるだろう。逆に「どうなっても生きられる」と思えるだけのスキルを 身につける方向に自分を追い込まなくては人間が腐ってしまう。

リンレンAct.2が届いた。 あれ?まるで変わらないぞ?とか思ったが、 前のリンレンと別の名前でインストールされていただけだった。 前のリンレンに愛着がいる人もいるだろうし、上書きするわけにも行かないのだろう。 で、だいぶ良くなった。ちゃんと歌詞が聞き取れる。 明日3番を作ったら一緒に1,2もレンダリングし直して上げる。 やっぱりミク化はやらないと構造が頭に入りにくい。 3番が一向に弾けるようにならないのは構造が理解できてないからだと思う。 いわゆるアナリーゼという奴をミク化の工程でやっているのだろう。たぶん。

借りた「ばけらの」。しょーもねえ。 キャラのモデルが全員ラノベ作家、というあたりは面白いが。 「俺の妹がこんなにかわいいわけがない」。楽しく読めたが、 あんまり中身はない。

チェルニー30が終わった。1年かかってしまった。 チェルニー40は1と2。 シンフォニア3がまるで弾けるようになってない。悲愴もいまいち。 指地獄はどれかの指を押さえたまま他の指を動かす練習に突入。 なんか全体的にしんどい。一曲くらい気持ちよく弾ける曲がないと 気分がダメだ。というわけでシンフォニア3を優先的に練習する。 再来週のレッスンで仕上げ指令が出るようにしよう。 でないと身が保たない。あと悲愴もちょっとはどうにかする。

PTNAという団体がある。ピアノの先生の寄合みたいなものだ。 そこが素人向けのコンクールやら検定やらを主催しているらしく、 先生が「そのうち出てみる?」とか言ってきた。 望むところである。だが、そんなマネをする気になるレベルになるのは 一体いつになるのだろう。 とりあえず検定の方は「あなたは何レベルです」と言ってくれるだけっぽいので プレッシャーもあまりない。進歩が減速してきたらやってみよう。 できればチェルニー40くらいは片づけてからにしたい。

2008年9月20日

ツァラトゥストラへの階段3。ここに来て比較的道徳的な展開でちょっと 驚いたが、これはアリバイのようなものなのかもしれない。 題材がなんであれいい話にすることはできる、ということのいい例だ。 いい話というのは構造なので、構造さえいい話ならその構成要素は 比較的なんでもいいのである。 サウザーが泣きながら「お師さん」と言いながら死ねば、 それまでの極悪非道っぷりがいかほどのものであれ、 全体としてはいい話になってしまうのだ。 仮に作者の主眼がその極悪非道にあったとしても、 読者は構造でダマされてしまうのである。 それにしても、前2冊ほどは面白くないな。 たぶん、主人公が作中世界において魅力的すぎるからだと思う。

2008年9月19日

チェルニー40-1。7割速度、つまり152でもできそうな気がしてきた。 しかしここが限界だろうな。 速度不足で不合格になるケースはレアだったので、この速度で練り込む方がいい。 しかし、たぶんチェルニー40を1曲2週ペースは無理だ。

2008年9月18日

今日はひさしぶりに本の校正。たぶん最終。 文字数が変わらないように直してるが、結構多い。 レイアウトが変わると変な先入観がなくなって 見つかりやすくなるようだ。

マクロス22,23。パッとせんなあ。出来はいいんだろうが。 結局どっちとくっつくのか以外に興味がないのが面白くない原因だとおもう。 ルルーシュみたいな無茶苦茶感がない。

人参のオリーブオイル炒めはうまい。 ぶっちゃけ電子レンジで蒸すだけでも十分うまいのだが、 オリーブオイルの香りは好きだし、カロチンの吸収効率を上げる上でも 油は若干欲しい。 というわけで、縦に薄切りにしてから電子レンジ、油炒め、という工程が最善っぽい。

明日はゲーセンゲームのショーに幕張まで行く。 校正を急がねばならないのだが、まあおやつの時間には帰ってくるのでいいか。

校正という作業は過酷すぎる。眠い。コーヒーに頼ったら腹が 痛くなった。

やっぱり「ゲーム用物理シミュレーションを作ろう」みたいな本書きたいなあ。 そうすれば嫌でもクォタニオンの勉強をせざるを得なくなる。 クォタニオンの勉強を強制的にやる方法はそれくらいしかない。 単に動けばいい用途だと理解しようとまでは思わないからな。 それに、物理シミュレーションは断片的にはやっているが、 うまく全体像をつかむところまではやっていないので どうにも中途半端でむずむずする。 すっきりするためにはきちんとまとまった形で作る必要があり、 そのためにも本にするのが一番いい。

今日校正していて思ったのだが、やっぱりもっと文章うまくなりたい。 久しぶりに読んだら、えらいくどかった。 もう今回はしゃーないが、次はもっとうまくやるぜ的な意気込みは湧いてくる。 そして、やっぱり数学を理解したい。 英語の苦手意識はだいぶ消えたが、未だに数学の苦手意識は根強く残っている。 これを抹殺できたら世界の見え方がちょっと変わりそうな予感がある。 英語もピアノもそれなりに世界の見え方を変えてくれたが、 数学による見え方の変化はそれらとは比べものにならないほど大きかろう。 そして、もしそうなる過程を他の人にもわかる言葉で示すことができたら、 それは人の役に立つことであるように思う。

最近思うのだが、私はプログラミングでは一流にはなれない。 というか、たぶんどんなことでも単体では一流にはなれない。 私に残された道は複合技しかないのだ。 数学と物理とプログラミングと作文能力と、それと少しのエンターテインメント精神。 そのへんを軸にしてうまいこと換えのきかない人材になれないものかと思う。

2008年9月17日

昨日火曜日じゃねえか...英語ブッチしちまった... なんてこった。キャンセルし忘れてた。 先週分はキャンセルしてたのに...

というわけで、今日間違って早起きしてしまったので、 溜まったアニメを消化していた。 アリソン。というかリリア。やっぱりこれが一番安心する。 それとナバリ。そろそろ終わるっぽい。

ルルーシュ22。本当面白くするためなら何でもやるな。

ミクリンレンのユーザ登録をしていなかったことに気づいた。 そりゃ送られてこないわな、更新データ。 ユーザ登録がアクティベートと別にあることに気づかなかったのである。 二週間後らしい。これで少しは使えるようになるんだろうか、リンレン。

まずは馬鹿正直にDFT。N/2以上の周波数を入れると 妙なことになることがわかった。 また、DFTだと不連続な波形で誤差が大きくなることもわかった。 そしてDCTがその点で圧倒的に有利なこともわかった。 後はDCTを高速化せねばならない。 1024サンプルごとに処理したらたった190KBの音声データで 10秒とかかかる。まあ毎回コサインの計算をしているのを 前計算にするだけで10倍くらいは速くなると思うが、 根本的にNlogNに落とさないとダメだろうから今のうちにやっておく。 なお、単純に高周波を落としたらやっぱり劣化した。

この手の手法は量子化行列の選び方が問題なわけだが、とりあえずは 整数化してハフマンするだけでどれくらい減るかを調べてみることにする。 LZ77のかわりにDCTした、というくらいでいい。 もしそれで1/4とかになってくれるならそれだけで十分なのだ。 実用のためというよりは教育用なので、 性能は「WAVよりはマシ」という程度でいいのである。 できればADPCMよりは減ってほしいが、贅沢は言うまい。

ハフマンするとブロックによって容量が変わる。 何もしなくてもVBRだ。 好きな場所から再生できるようにするには、 先頭に「第何ブロックが何バイトから」という表をつけるか、 実行時に一旦舐めてその表を生成する必要がある。 音声はそのへんが厄介だ。かといって画像はDCTを二次元にせねばならないのが 面倒くさい。とりあえず音声でDCTについて学んだら、 そこで放置して画像に行こう。 画像の方が実用にするのは楽だし、効果が目に見えやすい。

音声の場合は聴覚特性を鑑みてごっそり削らんと 目標圧縮率には届かないかもしれないなあ。 何の工夫もしなくても1/5くらいになってくれるならそれでいいのだけれども、 さすがにハフマンだけでそこまで減るとは思えない。 あとはブロックノイズが不安だ。MDCTすればいいらしいが、 資料がほとんどないし、教育用でそこまでしたくない。

つうか、ウェーブレット勉強したいな。 まあフーリエを通ってからにすべきか。

チェルニー40番というのは通称で、元の名前を日本語にすれば 「速度教本」というあたりになる。つまり、指を高速でブン回すための 練習曲集だ。それだけに1番から明らかに速度が異常である。 一分間に864個の音符を鳴らすことを求められるが、 これは一秒あたりにすれば14.4個である。 現状6割速度、つまり秒間8.64個で練習しているがこれでも辛い。 そもそも2オクターブの跳躍を1/10秒でやるのは無理じゃないのか?

2008年9月16日

この三日は合唱。 13が普通の練習、14は前日練習、そして 15日は本番。あまり書くことはないが、えらく疲れた。

いっぺい結婚おめでとう。そしてマジすまん。

許しが出たのでちょっとだけ触れておく。私もそのうち結婚する予定。 そのためには雑事をいろいろ片づけねばならないわけだが。 なお、この三日は未来の嫁が家にいた。

「なるほどフーリエ解析」という本のおかげで、 フーリエはおおむね理解した。 今回の用途に関しては、フーリエ級数だけで十分だし、複素数もいらん。 そして、何をしようと思うとフーリエ変換にする必要があるのか、 そして何をしようとすると複素数が必要なのか、ということについても だいたい想像がついた。 じゃあコードにするか。

荒山徹「処刑御使」。毎度のことながら非道い。 非道いという以外に何を言えばいいのか。 「半島を出よ」じゃねえよ。最初のうちは案外普通に進んでるなあと思ったが、 やっぱりすごい勢いで荒山先生だった。 他もバンバン文庫化してほしいものである。

狼と香辛料9。この異様なまでのわかりにくさはなんだろう。 ロジックを理解するのをもう放棄していた。 私の頭が悪いのはまあ仕方ないとしても、これみんな 一発で理解できてるんだろうか。

CEDECの資料を落として見ていたが、パワポだけではまるでわからん。 ただ、数学が足りてないということだけは間違いなく言える。 フーリエがらみのが片づいたら次はクォタニオンだろう。 日常的に使うにも関わらずわかってないというのは相当やばい。

2008年9月13日

チェルニー30-29終わり。30がまだ残ってるが、ともかくも40に突入することに なった。ここまで一年半近くかかったが、まあ順調と言って良かろう。 しかしだんだん練習時間が取れなくなってきている。 40は全うできないかもしれない。ここで終わるのはあまりにも惜しい。 限られた時間で最大の効果を得る練習方法を考えよう。 毎日全部やるのではなく、日によってやることを変える必要がありそうだ。

2008年9月12日

CEDEC三日目。

宮本さんの講演については何も書かない。しかし、感動した。

ロボカップサッカーのAIの話。中身の話はほとんどなかったが、 とりあえず「強化学習」「ニューラルネット」「GA」の三つは 基本的な技術として学んでおかねばあの手のマジAIを作ることは できないという印象は受けた。 所詮使い途がゲームなのであればインチキでどうにでもなる部分もあるけれども、 元々のやり方の特性を知らない状態でインチキばかりしても わかったことにはならない。一度やっておく必要はある。

将棋の話を聞くはずだったが、人がいっぱいで入れなかった。 それでやむを得ずソニックの絵の話を聞いた。 赤い壁の横にいると赤く染まる、とか、 光の届きにくい鼻の穴の中は暗くなる、とかいうことを 表現するグローバルイルミネーションという技術があり、 それをゲームに入れた話である。 その手の技術は「前もって光の反射をたくさん計算してどこがどんな色になるか 計算しておいて、その結果をゲームで使う」というやり方をするのが普通だ。 それには大変な時間がかかるし、できたものの容量も大きい。 だから何かそこをどうにかする工夫があるのだろうと期待して聞いていたのである。 が、びっくりするくらい力技だった。 計算時間はPCを何十台も並べて対処していたが、 それでも一晩とか二晩かかる状態、何か直す度にそれだけの時間をかけて 計算し直さねばならないというのは尋常でなく面倒くさい。 ゲームという奴は調整にキモがあって、いじっては遊ぶ、ということを 何回繰り返せるかが大切なのだが、もし毎回それだけの時間がかかるとしたら とんでもないことになる。まあたぶん計算のし直しはたまにだけやって、 多少物の配置を変えても計算はし直さないようにしていたとは思うのだが、 それでもそれなりに面倒くさいだろう。 容量に関しては「今の場面で必要な部分だけをチクチク ロード」という手法で対処していたが、それでもディスクに巨大なデータが あることには変わりなく、データを置いておく場所にも困るだろうし、 ディスク容量が大きいことは末期の開発効率に大ダメージを与える。 まあ、デカくて時間のかかることをやってもどうにかなるようにする、 という方向で技術を使うのは今の時代普通といえば普通なのでかまわないとは 思うのだが、自分でやりたいかと言われると答えは否だ。 元々時間がかからない方法を選んだり、容量が大きくならないようにしたい。 試行錯誤ループを回す速度を遅くするようなやり方は、 仮に多少絵が綺麗になるとしても採用したくないからだ。 しかしとは言え、絵が綺麗でないとマズいのも事実だし、 実際あれはえらく綺麗だった。あれはあれとしてありなんだろうとは思う。 何百万本も売る前提であれば何十億かかけられるわけだし。

計算で物を作るプロシージャル生成の学者さんの話。 やっぱり個別にやらないといけないんだよなあ、という印象。 一つづつライブラリの形でいろんなものを生成するプログラムを 蓄えていけばいいのだろうが、微妙に不安だ。 まあ、作る物がそれを要求するなら普通にやるのだがな。 例えば企画として「毎回形が変わるんですよ」と言われれば 自動生成を研究せざるを得ない。 これからそういうゲーム企画が増えてくれば自然とそういう方向に行くだろう。 何か汎用的に使える技術や理論があるわけでもないので、 なりゆきにまかせてもいい気はする。 「計算で作れないか?」という疑問を抱くクセをつけるようにしておけば それでいいだろう。

音声処理技術の学者さんの話。音声情報を音程とかタイミングとか音質とかに 分解して、複数混ぜたり勝手にパラメータをいじったりする。 自分の声と他人の声を補間するとか、 自分の声で他人の歌い方をするとか、そういう楽しげな技術。 初音ミクの調教にも応用していておもしろかった。 人が歌ったデータからタイミング情報と音程情報を抜き出して、 それをミクデータに自動反映させる技術である。 「神調教を自動でやるソフト」だそうだ。 それなりな年の学者さんの口から「神調教」とかいう言葉が出ると 不思議な気分になる。私もそういう年の取り方をしたい。

宴会。朝まで。今日は会社サボリ。行けなくもないが、 体調が猛烈に崩れているので大事を取った。 なにせ15日は合唱の本番で、13、14、15と三日連続歌わねばならないのである。 今日は回復に専念したい。 で、宴会はいろいろと有意義だった。人が多すぎて、 いきなり話しかけるのが苦手な私には相当な試練だったのだが、 それでもなんとか今までに比べるとマシな感じに会話できたと思う。

私、どう考えてもゲームに向いてない。ずっと前からわかっていたことだが。 しかし向いてる向いてないに関係なく、 せっかくこの世界に来たんだから一回くらいちゃんとゲーム作りに 向きあってみたいとは思う。 それをしないでこの世界から出ていくのは何かがダメだ。 だから、それはやろう。

それとは別に、どういう立場の人間になりたいか、ということも いい加減考えて結論を出さないといけない。 えらくなりたいのか、技術のすごい人になりたいのか。 この二つは一定のところまで両立可能だとも思うのだが、 場合によっては大きなところでの選択が変わってくるし、 行動原理みたいなところまで影響が出る。 講演をするとか、ライブラリを作るとか、 本を書くとか、そういうのはえらくなろうとするならあまり役には立たない。 お金がもらえたりえらくなったりするのは、 えらい人がそうしてやりたい思う人間であって、 そこは人柄の問題なのである。 基本的にポジティブかつ献身的であることが必要で、 技術や実績は必要条件の一つにすぎない。 「人間として信用できない」みたいな状態ではどうにもならないのである。 私の場合は根本的なところでの考え方みたいなところにも問題があって、 例えば「テレビは必要ないから家にない」と普通に言えてしまうような 精神構造は人としてどうなんだ?という話にもなる。 気軽に雑談できないような人間をえらくしたいと思うだろうか。

というか、毎度思うが絶望的だな、この問題は。 この問題に取り組まずに生きられる場所を見つける方がよほど簡単だが、 それはそれで逃げにも思える。 まあ、改善はしよう。どうするにしても、直すべきところは直しておいて損はない。

大学院から逃げ出さなければこんなことを考えることもなかったのだろう。 しかしこんなことを考える機会が与えられたことは天の恵みと考えるべきだ。 起こってしまったことは最大限に利用すべきなのだから。

聴覚障害もたまには役に立つ。騒音で音がほとんど取れなくても、 一対一で話すのであれば唇の動きでほぼ意味は取れる。 読唇術に関しては健常な人より確実にスキルが高いはずだ。 なお、私は母音がわかりやすいように口の動きを大きくして話すので、 相手に読唇術のスキルがあまりなくてもある程度は助けになっているだろう。

でもそれはそれとして、人と話すなら静かなところがいい。 唇で読めるのは会話が一対一の時だけだから、 大抵の宴会では使えない技である。 そういうわけで、正直私は飲み屋の類は好きではないのだ。 というか、屋内は多人数で会話するには甚だ向かない。 音が周囲に散って返ってこない屋外の方が会話はずっと楽だ。 煙を出す人がいる場合にもその方が都合がいい。 コンビニでなんか買って公園のベンチででも だべってるのが最高である。安いし。 もっとも大人になると「飲み屋を使う」という常識が支配するので そういうわけには行かないし、 たぶん私以外の人はやっぱり飲み屋の方が快適なんだろうとは思う。 でなければ常識になるわけがないのだし。 そもそも、もうしばらくして冬が来ればいくら私でも外は嫌だ。

2008年9月11日

CEDEC二日目。全部AI。

ニューラルネット。 シューティングゲームのオプションの追従動作に使用するあたり、 のっけから応用するものを間違っている気はする。 しかし形にする過程がありのまま報告されていて大変参考になった。 文献調べてからやれば時間を無駄にせんで済んだ、というようなことを 言っていたが、たぶんその失敗なくしては文献を読んでも ピンと来なかっただろうと考えれば、 仮に自分でやる場合でも同じように最初から失敗を繰り返しながら 作っていく必要があるのだろうなと感じた。 しかし、何と言っても「教師信号」が問題だ。 「これが正しい」ということを教えてやらないと教育できないのは当たり前だが、 何が正しいか知っている状況では別の方法を取れるケースが多いわけで、 下手な使い方をすると単に面倒くさくなるだけで何もいいことがない。 しかし一回やってみねばなるまいなとは思う。

ガンパレの芝村氏の話。個々の技術というより、概論。 あのAIの分類は面白い。 一つ目が「単なる思考ルーチンをAIと呼んで格好つけてたもの」。 二つ目が「AIの研究をゲームにできないか、という視点で作ったAI」。 三つめが「絵はすごいのに行動がショボいのはまずいので、絵との 釣り合いを取るために作るAI」。 四つ目が「ネットゲーで人間っぽさを演出するAI」。 時代の流れに即した分類で興味深い。

アストロノーカの人の話。GAのやり方が詳しくわかって勉強になった。 しかしやっぱり何に使うかが問題。 GAなんて所詮最適化問題の解法の一つにすぎず、 仮に最急降下法でうまく行くならそっちでもいいはずなのである。 ただGAには「評価関数が微分できなくてもいい」という強力な性質が ある上に、「最適化の過程の多様性がある程度残る」という ゲームには使いやすい特性もある。 うまく利用してみたいものだ。

「勇者のくせになまいきだ」の人の話。 最後に「接待としてのAI」という伝統的アプローチを採用した話を 聞けてバランスが取れた。おもろくなければ意味がないというのは まったくその通りだ。 が、それはそれとして、おもろいかどうかを度外視して単なる技術的興味で 作ってみる段階があってもいい気はする。 基礎研究というのはそういうものだろう。

というわけで、AIはいずれやらねばなあと思った。 結局ゲームで残ってるフロンティアなんてAIくらいな気がするのだ。 新しいルールのゲームはいくらでも出てくるだろうが、 「技術」という新しい血を取りこむことで可能になるジャンルとしては AIくらいしか考えつかない。物理はAIへの入力の多様性を確保するための 手段としてなら入れてもいいが、そうでなければ大抵飾りで終わる。 絵はもう飽和した。そしてこれ以上の大規模化には耐えられないから、 ボリュームや作り込みでどうにかするのも無理だろう。

宴会とか。いろんな人と話をして、誉められて、いい気になった。 このまま放っておくと天狗になってロクなことにならないので、 自分をえんえんなじっておくことにする。 なにせまだ本は出ていないのだ。

2008年9月9日

CEDEC一日目。

最初のは学者とゲーム屋の協力について。 使ってほしいものを研究するか、研究の結果を使うか、 みたいな話がメインだったが、私が思うにもっと根本的なところに問題がある気がする。 ゲーム屋の中に論文を読んで云々できる奴がほとんどいない、ということだ。 そういうレベルのプログラマがゴロゴロしているならば、 技術を導入するコストは下がる。導入コストが下がれば、 技術による利益がもっと良く見えてくるので、きっと最新の研究を チェックしようとも思うだろうし、それが進めば学者に注文を出すようにだって なるだろう。しかし、現状では夢物語だ。

シェーダ管理の話。ものすごく自由度の高いシステムを作って実際に運用している、 ということは本当にすごいと思う。しかし、 あそこまでせねばならないのかと思うと気が重い。 絵描きが好き勝手シェーダを作れる状態で物事をうまく回すのは どう考えても大変だ。 前もってそのゲームで使う技術を定めて、その組み合わせを 絵描きに選ばせるところから始めて少しづつ自由度を上げていく、 というくらいでないと怖くて仕方ない。

プロシージャルの話。手でチクチク作らず、できるだけ数式やルールで 生成しようという話だ。絵もそうだし、キャラクターの行動もそうだし、 下手するとゲームシステムそのものがそうだったりもする。 シレンはダンジョンが自動生成だし、アストロノーカは敵の挙動が自動進化だ。 そういう話である。 私はこういうのが大好きだ。大人数ぶっこんで長い時間かけて大量のデータを 作って垂れ流す、というゲーム作りにはいい加減嫌気が差している。 ゲームを作る人間の大半が「作業員」と化すようなゲームの作り方は どう考えても悪だ。しかし、一方で、 そうやって自動生成を積極的に取りこんだゲームが売れるとは あまり信じられない。 シレンの地形生成くらいならまあいいが、 アストロノーカが売れたとは聞かないし、 きっと評判のSPOREだってそんなには売れないだろう。 「面白いかどうかなんてどうでもいい。その技術を試したいから試すんだ」 という考え方には大変賛同できるが、たぶん世間的にはダメだろう。

プロシージャルな絵の話。木の作り方とか。 そういうのが必要になってみないとわからない、というのが正直なところ。 自動生成と言うとなんか自動な雰囲気があるが、 しかしプログラムを書く手間というのは個別に発生する。 木を生成したければ、木を生成するプログラムを書かねばならない。 そしてそのプログラムを書くことがおいしいのは、 木がたくさん出てくるゲームだけである。 木くらいいろんなゲームに出てくるものならともかく、 もっとそのゲーム固有の何かになってくると、いちいちプログラムを書いて 使い方を人に教える手間が無視できなくなる。 よほどデカいゲームならいいだろうが、 逆に「そもそも自動生成しないとマズいほどデカいゲームである必要ってあるの?」 という話にもなりかねない。 なにしろ、水増しに見えないように自動生成を活用するのは本当に 大変なことなのだ。 そういえばアンビエントオクルージョン計算をひっくりかえしてやると とがった所が検出できる、というアイディアは面白かった。 言われてみれば「そりゃそうだ」としか思えないようなアイディアが 案外思いつきにくかったりするものだが、これもいい例だと思う。

最近技術が信じられない。勉強して試すのはいいが、 それを実際に使うとなると想像を超える面倒にぶちあたる。 みなが容易に新技術を理解できるレベルの教養を持っていたら そのあたりの事情も変わってくるだろうか。

2008年9月8日

いろいろある週末を過ごした。

明日からCEDEC。

四八(仮)、すげえ。さすがはクソゲーオブジイヤー。 何をどうするとこういうものが出来てしまうのかと思う。 これだけ失笑と嘲笑に値する要素を揃えるあたり只者じゃない。

しかし私が思うに、 クソゲーを作るのにそれほど多くの物が必要なわけではない。 とんでもない悪人や、とんでもない馬鹿や、とんでもない納期や、 とんでもない予算。そういったものがなくても、 たぶんクソゲーは作れる。 取りたてて何が悪いわけでもないのにクソゲーになることなんて ありふれた現象だ。

AFRIKAを見た。PS3で最近出た、動物の写真を撮るゲームだ。 複数人でやらないと絶対面白くないと思うが、 複数人でやっていれば案外面白いかもしれない。 それは例えば、カバが口を開けるのをじっと待っているプレイヤーを 眺めているのが面白い、というような二重の構造があるからだ。 さあどれくらい売れるんだろう。日本では結構出たらしいが、 むしろ海外でどれくらい売れるのかに興味がある。

CEDECのセッションのリストを見た。 学者との協力が大きなテーマとして扱われている印象を受ける。 物理をゲームに使おうと思う冒険心が眩しい。

フーリエ。N個のデータがある時、 サンプリング定理から2/Nまでしか周波数は入っていないと仮定してもいい。 周波数一個につきサインとコサインの二個のパラメータがあるので、 ちょうどデータがN個になる。 マイナス方向に折り返して偶関数化すれば、 データが2N個になるかわりにサインの係数が全部0になるので、 コサインの係数がN個できる。なるほどこれが余弦級数展開か。 それと、周波数0の項だけ1/2なのも、 本来は「負の周波数」というものがあって、マイナス無限からプラス無限まで 周波数について積分せねばならないところで、 マイナス方向は式変形の結果プラス方向と一緒にできるっぽく、 結果プラスの周波数を持つ波はマイナスの分と合わせて係数が2倍になる。 そのへんは手で式変形をしていないので推測だが、 たぶんそんな感じになっている。

で、フーリエ級数展開が、「とあるベクトルと、基底ベクタの内積を係数として、 基底ベクタの線形結合で元のベクトルを表現する操作の一種」 であることが微妙に納得できてきた。 斜めを向いたとあるベクタvを(1,0)と内積を取るとxという係数が、 (0,1)と内積を取るとyという係数ができて、 v=x(1,0)+y(0,1)という線形結合で分解できる。 テイラー展開もフーリエ級数展開も一緒だ。 ただ、内積の計算方法が違うだけである。 くそう、最初からそう教えてくれればすぐわかるのに。 なんで本を何冊も読んで説明を見比べなくてはならないんだ。

「よくわかる信号処理」という本を掘り出して読んでみたが、よくわからない。 いきなり何の前提もなくフーリエ級数の式が出てきやがる。 まあ、百歩譲っていきなり出てきてもいいとしても、 なんでそれでいいのかを何かしら直感に訴える形で説明してほしいと 思うのは私だけか。 webで何十と解説サイトを見たが、満足の行く説明はどこにもなかった。 みんな、ちゃんとわかってるのか? それともわかってなくても本当に支障がないのか?

数学については、証明まではいらないが、納得はさせてほしい。 「あーなんかそれっぽいわ」と思えるレベルの説明だけでいいのに。

私は「音でかいし圧縮したいよね」と思っただけなのだが、 たぶん世の中的にはそういう望みは身の程をわきまえない望みなのだろう。 段階を踏んでいない人間に高すぎる目標を達成させるような本は 確かに非効率なのである。 線形代数が必要ならそれは別の本で学べばいい、 というのは効率の面から考えれば当然だ。 もし一冊の本にまとめてしまえば「線形代数だけでいい人」も「圧縮だけでいい人」 も取りこぼしてしまう。モジュール化してないライブラリみたいなもんだ。 しかし、本当にそれでいいのか? 別々の本をきちんと選んで自発的に勉強するほど皆が やる気に満ちてるとは私には思えないし、 別々に学んだ知識をうまく統合するスキルを皆が持っているとも思えない。 「オレのニーズに一冊で応えろよ!」というのは 誰もが思っている願いなのではないのか? 定食みたいな本はなにかしらあった方がいい気がする。 少なくとも私は欲しい。なんで フーリエごときでこんなに苦労せねばならんのだ。

会社の本棚にある本の値段を見ていた。3000円を超える本の大半は翻訳だった。 そして残りはなんか何冊も出してて有名っぽい人の本だった。 普通の本は、 CDROMがついて2800円、というあたりが限界っぽい。 編集さんに3000円を超えたら高い本ですよと言われたが、 それが今更実感できてきた。やべえ。 一応比較的近いノリの本として「自作OS入門」という本があったが、 書いたのはたぶん有名な人なので比べるのもおこがましい。 しかしCDROM付き700ページ超、というところでは似ている。値段は3800円。 たぶんそれくらいの値段になるんだよなあきっと。

不安だ。これ、売れるのか。売れなくても私はそんなに困らないが、 でも相当悲しい。

2008年9月7日

株サイトの一角に毎週市場の動きについてレポートが載るのだが、 電車のモニタに映ってる「蟹座の運勢はこうです」という のと同レベルに見える。 むしろ、まだそっちの方が役立つとすら言える。 占いの文をきっかけに何かを考えたりすることもよくあるからな。

無限の住人のアニメを1話見た。いつも通りだが、それなりに 出来はまっとうな気はする。実際かっこいい。 シグルイこの人がやってりゃああはならなかっただろうになあ。 だが、続けて見たいかと言われると微妙。

別のアニメ。 見てはいけないものを見てしまったな...。

2008年9月6日

徹夜カラオケの途中で帰るというのはなかなか辛いことである。 だが、明日の練習に差し仕えるわけにも行かぬ。 ピアノもそうだが、合唱は本番前だからな。

にしても、私、歌うまいなあ。明らかに上達してる。 絶叫「に見える」テクニックを手に入れた。 どうも曲によっては発動しないテクニックらしく、 高音が急に出なくなったりもするのだが。

フーリエ。やっぱりわからねえ。FFT以前だ。 なんでこれで動くんだ?そもそも複素フーリエ変換って必要なのか? 実は、実フーリエ級数だけで足りるんじゃねえの? あと出来る数の数もわからん。 任意のN個の離散値から取る実関数を完全に再現するには2N個の 値が必要なんじゃないのか?サインの係数と コサインの係数がN個づつあるわけだから。 波一種につき振幅の定数と位相の定数が必要な気がしてならない。 そして、離散コサイン変換にするにしても、 ひっくりかえして2N個のデータに水増しして偶関数化してるんだから、 コサインだけにしてもやっぱり2N個数字が出てくるんじゃねえの?

多分、ものすごく基本的なところで全然わかってないんだと思う。

というわけで、最初から手を使って勉強しないとどうにもならんという 結論に達した。実フーリエ級数の最初から考え直す。 いい本ないかなあ。

投資信託とか外貨って、落ちる時は本当に落ちるな。 マイナス7%とかになってる。 そしてマイナス20%とかになってるREIT。 もう当分見ないで放置だろうなこれは。

ピアノ。チェルニー28終わり。くそう29も終わると思ったがなあ。 来週こそチェルニー30を片づけてやる。 あとシンフォニア2も終わり。3のミク化をしないと。 3も2ほどではないが複雑なので、ミク化なりなんなりで 構造を理解しないと弾ける気がしない。 今週はシンフォニアに集中しよう。 まあCEDECがあるしあんまり時間は取れないんだろうが。

下痢、腹痛、背中にゾワゾワ感、微妙に頭痛。 何これ?変なもの食ったか?冷蔵庫に入れてる米が腐ったか? それともただの風邪か? いずれにせよ寝よう。あしたもイベントなので休めないが、 今日ほどハードなわけではないし大丈夫なはず。

銀盤カレイドスコープ、完。うしろ三冊は熱かった。 しかし思い起こしてみれば、一巻だけ浮いてるよなあ。 どう考えても一発ネタだったのだから当然か。 作品全体として見れば超常現象要素は明らかにマイナスである。 しかし、あれなしでこの作品はなかっただろうし、 うまく忘れられる作りになっているのでそれほど気にもならない。 というわけで、なかなか面白かった。 アニメがあるなら見てみたいものだが、 よほど動画が良くないと面白くない気がするので期待はできない。

もし今度実家帰った時にフィギュアスケートがテレビに映っていたら、 じっくり見てみようと思う。オリンピックでもない限りそんなことはない だろうが。

2008年9月5日

ラテン語とギリシア語を10時間づつくらい勉強してみようと思った。 ヒマになったらの話だが、最初の2時間は薄い本を流し読みするだけなので、 電車で事足りる。それで満足すればそこで終わってもいい。

2008年9月4日

浸けておいた米が腐った。 朝洗って水を換えてから十数時間でここまで腐るとは。 もう繰り返すまい。

フーリエ変換。理屈がわかってないことに気づいた。 根本がわかってないから、FFTがどうやって編み出せるのかがわからない。 しかし話の順番はわかった。とにかく、適当にブロックに割ってフーリエし、 その後エントロピー圧縮、というのが基本手順だ。 これだけだと演算誤差以外の面では可逆だが、 エントロピー圧縮前に情報を適当に削ってやれば簡単に情報を削れる。

本来フーリエでなくてもいいのだということもわかった。 復元可能な変数変換で、その後のデータが偏ってくれさえすれば 何でもいいのである。ウェーブレットがどんなものかはわからないが、 その条件を満たしている関数の一つである、ということは想像できる。

さて、音声からやるべきか、画像からやるべきか。 まあ音声だろうな。まずは一次元が良かろう。 元のデータとの誤差評価関数を用意しておこう。 とりあえずは人間の知覚特性を無視して、単純な誤差評価だけで 物を考えてみる。

塩野七生ローマ32-34。がっかりがおもしろい。 帝国がどんどんダメになっていく。大企業病そのものだ。 本当に勉強になる。人間がどういう生き物なのかを考えて行動すべきだというのは 最近身に染みて思うのだ。 「社会的にうまくやる」という能力は私に最も欠けている能力なので、 なおさらそう思う。

プログラムを書けば書くほど特許なんてなくなればいいのにと思う。 ところで、特許って何をすると侵害したことになるんだろうか。

調べた。わけがわからん。 「業」として「実施」すると侵害らしい。 まず、何が「業」なのかはいまいちわからない。 一応何が業でないのかはまだ明確で「個人的、家庭内」なら 業でないらしいが、個人の範囲は微妙だ。 例えば「試しに作ってみたプログラムをサイトに置く」は業に当たるだろうか。 そして、「実施」の方も微妙だ。作る、使う、渡す、というあたりだが、 プログラムの場合には「作る」の意味が微妙な色合いを帯びる。 例えば「やり方を説明する文章を書く」は作るに当たるだろうか。 たぶんこれなら大丈夫だろう。 しかし、ここで説明を詳細にするためにサンプルコードを入れたらどうだろう。 まして親切にVisual Studioのソリューションの形で、 F5一発でビルドできるような代物だったとしたら。

結局、「どこまでやったらお縄になるか」は過去の事例から 判断する他ない。mp3エンコーダである「午後のこーだ」は過去にバイナリで 配っていたが、怒られてやめたらしい。 サイトで配る事は「業」と判断されたということだ。 そこで彼等は「実施」の方に抜け道を求めることにし、 コンパイラ付きでソースを配り、ボタン一発で コンパイルされて動く状態になる、という気合の入った方法を採ったそうである。 それがオーケーならVisual Studioのソリューションを配るくらいは 大丈夫だろう。たぶんだが。

技術の公開を促すための特許と言うが、 どうせ隠していても他の誰かがすぐ発明するだろうし意味なくね? とか思うわけだが、まあいろいろあるんだろう。

タダで手に入った権利はうれしくない。七生ローマに書いてあった言葉だ。 選挙権はいい例である。 いっそ、がんばって何かしないと選挙権がもらえない方が いいんじゃなかろうか、と思ってしまったりする。 まあ選挙権に関しては良く知らないので不適切かもしれないが、 このことは他のいろんなことについても言える気がする。

携帯電話のある生活にどうやらまだ慣れていないようだ。 会社で音が鳴ると気まずいので音が出ないようにしたままにしているのだが、 大抵家に帰ってもそのままにしてしまう。 会社にいれば電話が体に密着した状態なので振動で気づくが、 家に帰ってくると体から離れてしまうので、本当に気づかなくなる。 忘れずに音が出るモードにすればいいんだが、どうにも慣れない。 最近はいろいろあって以前に比べて使う頻度が増したので マシにはなってきたのだが。 というわけで、マジすまん。家にいそうな時間には家電話にかけるのも手かと。

2008年9月3日

炊飯失敗。浸透圧が高すぎた。 でんぷんがアルファ化するまでの間に水を抜かれるほど浸透圧が 高かったということか。仕方ないのでこいつは粥にして食う。

味は悪くないな。食感は最悪だが。 水増しで量が増えているので食べにくい。

韓国、またすごいことになってたのか。 ワロス曲線のことは初めて知った。

2008年9月2日

CDROMにDirectXを入れようかと思ったが、やめた。 ネットに取りに行ってくれということにする。 条件を調べるのが面倒くさすぎるのだ。 それに、たぶんXP以上なら何もしなくても動くだろう。 D3DXを使っていないので、最近の更新はなくてもいいはずなのだ。

今日のおかず。にぼし。わかめ。かいわれ大根。 わかめは、黒酢+醤油+みりんで加熱してエタノールを飛ばしたものをかけた。 みりん、偉大だ。これは常備する価値があるな。 にしても、この混合調味料を米を炊く時にぶちこんだら 結構酢飯っぽくなるんじゃなかろうか。今度試してみよう。2合くらいで。

にしても、黒酢はちょっと主張が強すぎる。次は普通の玄米酢くらいにしとくか。

グルタミン酸源としてトマト、 イノシン酸源として肉。この組み合わせは鉄壁だ。 一方、グルタミン酸源として昆布、イノシン酸源として鰹節、 というのもまた鉄壁。 だが、トマトと鰹節はヤバそうだ。

2008年9月1日

本の本文を明朝にするかゴシックにするかで悩んでいる。 大半の本は本文が明朝であり、慣れているものが読みやすいと考えれば 明朝がいい。 それに、斜め読みしやすいのは線の太さの変化によってコントラストが出やすい 明朝の方だということに気づいた。このぶ厚さを考えれば斜め読み しやすいことは恐ろしく重要に思える。 何度も繰り返し読まねばわからない部分もあろうから、 そういう時には斜め読みしにくいことは大変なストレスになりうるのである。 しかし、明朝だと怖そうに見えるので、素人に読ませるには ゴシックの方がいい、という意見もわかる。 それに、ゴシックが目に見えて読みにくいというわけでもなく、 むしろ見た目の印象は明朝よりもスッキリして読みやすそうに見えるのである。 本文がゴシックの本もまるでないわけではなく、OS自作入門、みたいな感じの 名前の本がゴシックだった。結構ぶ厚かったので、 もしあれで読みにくいという人がいないのならばそれでもいいのだろう。 また、紙が薄いと明朝は透けて読みにくいらしい。 なんというか、私には判断がつかん。 私が買うなら明朝の方がいいとは思うが、 これに関しては私の感覚で決めることが 多数の人々の利益になるという自信がまったくないのである。 いろんな人に聞いた感じ「ゴシックの方が難しくなさそうでいい」 という意見が多かった。ならばそれでいいのかもしれない。

ただ、「怖がる人が減る」というのは 買ってしまった人には関係がないのだよな。 読み始めてしまえば、フォントがどうあれ中身に変化はなく、 難しいものは難しいのである。 私は正直、本がたくさん売れるかどうかは二の次だと思っているところがある。 買った人が良い思いをできるかどうかが最優先で、 もし良い思いをしてくれればめぐりめぐって数も出るだろう。 ゲームのように賞味期限が短いものでもないのだから、なおさらそうだ。 たくさん売れるといいなあと思うし、それは私の人生にもそれなりに 影響を及ぼすかもしれないとは思うのだが、 しかしそれはそれとして、 仮にゴシックにすることで「明朝で刷ってくれればもっと読みやすかったのに」 と思う人が一人でも出たとしたら、それはものすごく嫌なのである。 しかしもちろん、逆に「ゴシックにしてくれればもっと読みやすかったのに」 と思われる可能性があることを考えれば、結局どちらでも同じである。

ぶっちゃけわからん。今の感じから言って、たぶんゴシックになると思う。

Intelマシンで絵が出ない原因がわかった。 32bitインデクスバッファに対応してねえ。 そんな馬鹿なと思ったが、事実だから仕方ない。 確かにcapsの最大頂点インデクスは0xffffだが、 それは単にそれ以上の数は受けつけないよ、という意味ではなかったのか。 さらに調べると、DirectX8開発者FAQという文書に、 これが0xffffより大きくない限り32bitは不可、と書かれているのが見つかった。 そんなことcapsの説明に書いとけよ。 これ、ごっそり書き直しだぞ。インデクスバッファへの書きこみを行っている コードは全部直さなきゃダメだ。 Intelで動かないコードなんて到底配布できん。

考えたら、インデクスバッファなんて概念を導入する必要はなかったのだ。 頂点をダラダラ並べれば、性能がちょっと落ちはしてもちゃんと描けるのである。 しくじった。つい性能を上げることを考えてしまった。

筋肉痛がすごいことになっている。全然ダメだ。型やらなきゃ。 さすがにこれはダメすぎる。 明日くらいには動けるレベルになってるだろう。たぶん。


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