だだもれ

2011年07月31日

あれ?日記が三日空いた。たぶん28の後ろ半分くらいは29日なんじゃなかろうか。 今となってはわからないが。

普段まるで意識していないのだが、米って普通はいくらくらいなんだろうと思った。 最近は放射能を気にしてスーパーで買うのを躊躇する人もいるかと思うのだが、 放射能だけを理由に高い米を買うことは長期的にはストレスになる。 「放射能のせいで高い米を買わされている!」みたいな怨念が 溜まるのは良くない。 そもそも、単純に放射能を避けたければ産地に気をつければ良く、 偽装や混入で福島産が入ったとしても比率として低ければ それほどの問題ではない。 しかしえてして知識のない人はゼロかどうかだけで判断しがちで、 また、知識がある人の行動を絶対であるかのように思いこみやすい。 「こうすればいい」という結論だけを求めて、そこに至るプロセスを 無視しがちだ。自分にはわからないことだと勝手に思ってしまうところを どうにかせねば根本的な解決にはならない。

ネットで見た限り10kg3000円というあたりがまともな米の下限であるようだ。 精米後の値段なので、元の玄米で考えると1割引いて2700円あたりとなる。 精米コストもあるので、さらに低いだろう。 確かに安い。しかもスーパーには特売があり、それを狙って買っているなら さらに安い可能性もある。 さて、うちの米は10kg3100円で送料込みである。送料を700円と仮定した場合、 20kgあたりなので半分にして、10kg2750円となる。 そんなに高くないように見えるが、これは20kg単位で精米せずに買った場合のことで、 同じ農家から白米を10kg単位で買うと値段が跳ね上がる。 単純に送料が倍になるし、精米コストもかかるので当然のことだ。 10kgづつ白米を通販すると10kg4000円になり、価格差が1000円を超える。 品質に対する対価だと思ってもらえればいいが、 そうでなければ「放射能のせいで1000円高いものを買わされている」 となるだろう。これは精神衛生上良くない。

クレーマーの電話は常に録音されていると考えるべきで、 そしてその録音は当然youtubeにアップされると考えるべきだ。 フジテレビにはそういう危機感がないのだろう。

非営利組織の経営、を読んでいる。非営利組織と言われてもピンと来なかったのだが、 つまり病院や学校だ。他にもあるがデカいのはその二つだろう。 非営利組織と営利組織の間には無限の段階があって真っ二つに分けられるものでも ないのだが、つぶれるかどうかと利益が上がるかどうかに相関が弱い組織ほど 非営利度が高い、と考えればいいだろうか。 金の重要度が下がる分だけ、金以外のものの重要度が上がる。 しかし、企業だって金が全てではなく、非営利組織の場合に大切なことは 企業でも大切でないということはない。大変参考になる。

スティグリッツとドラッカーの経済政策に対する考え方の違いが面白いので、 もうちょっと考えたい。 今のところ、ドラッカーの方が現実的に見える。 スティグリッツは政府の役割は大きいと言うが、ドラッカーは 政府がその大きな役割を背負えるとは思っていない。 政府がすべきことであっても、無理なのであれば仕方ない。 乗数がでかいという点からは貧乏人に金をばらまくのは正しいが、 それが政府の役割かどうかは別問題だ。 所得の再配分が政府の役割かどうか、というところから疑ってかかるのは いいのかもしれない。 なお、この二人はそこそこ近いように見える。 不況の時にはハデに支出すべきだ、ということも一致している。

基本的に政府の財政は均衡か、若干の黒字であるべきだ、とドラッカーは言っている。 そうでないと、不況の時にハデな支出をできる余力が残らない。 中途半端な支出では貯蓄に回されて理屈ほどの乗数効果が出ない。 しかし、経済成長率以下で赤字が積み上がる分には問題ない、 という意見も見た覚えがある。

財政赤字をどうにかするには、インフレするか、支出を減らすか、収入を増やすか するしかない。しかし、増税は経済をしぼませるので未来の収入が減る原因になる。 支出を減らすのがまっとうな手段だが、 この支出が経済を支えていたりもするし、 そもそもその支出で利益を得ている団体が抵抗するのでそうそう減らせない。 しかし、インフレは貯金を持った人にダメージを与えるため、 貯金を持った人が多数派になると、理論上はインフレするような政策は通らなくなる。 未来がどうなるかはまったくわからないな。予測しようなんて思うこと自体が無茶だ。

動物性のものを入れないでカレーを作る方法がほぼ確立した。 魚だと脂が酸化するので二日目以降の味の劣化が著しい。 肉は脂っぽさが邪魔になるし、栄養的にも劣り、値段も高い。 鳥ガラダシを丁寧に取れば問題は解決できるが、今度は手間が問題になる。 野菜だけで味が保証できるならそれに越したことはない。

カレー5.5Lの鍋一杯分の作り方。 にんにく半分、生姜100円パック一個分をミキサーで粉砕し、 オリーブオイル90mlの中で炒める。油多すぎだろ、と思うかもしれないが、 これくらいないと炒め工程に時間がかかりすぎるし、 そう油っこさは感じない。油の膜が沸点を上げて煮込み時間を短くしてくれる効果もある。 どうしても嫌なら、後で油を吸い取るシートか何かを使って除いてもいいだろう。 次に玉葱を1-1.5kgくらいミキサーで粉砕して加える。 この玉葱の量が最も大切な点なので、量をケチらないこと。多すぎても マズくはならない。 後はしつこく炒める。最初の数分はふたをした方が火が通るのが早く、 涙が出る物質をまき散らさずに済むので楽。 その後、トマト缶2個、レンズ豆1カップを足し、 オプションで具を入れる。にんじん、ナス、 水で戻して下ゆでしたひよこ豆、あたり。ちょっと炒めて油でコーティングした後、 水を1リットル足す。あとは鍋の容量的にギリギリになるまでじゃがいもを入れ、 30分くらい弱火で煮る。その後少量の水で溶かした塩10gくらいと、 カレー粉(うちはインデラカレー粉) 大匙2か3くらいを入れ、混ぜたら沸騰させて火を止める。 何時間かしたら再加熱、沸騰したら火を止めて放置。 これで数時間後にはおいしい感じになじむ。

朝に作って昼まで冷まして昼に再加熱、という感じにすれば、夜には食べられる。 昼ではまだなじんでない。 ビタクラフトやジオプロダクトのようなある程度密封性のあるステンレス多層鍋が必要。 魚が入ってないので酸化に強く、時間が経っても味が落ちない。 食べて減った分軽く炒めたナスやじゃがいも、にんじんを補充してもいい。 その際は塩水も追加すること。

ダシ成分の主体は玉葱とレンズ豆とトマトとにんにくと生姜。 こいつらは絶対に必須。加えて、こいつらだけでは何か足りないので、 じゃがいもとにんじんを入れて何かを補う。なすやひよこ豆、ブロッコリー あたりはオプションだが、これもいくつかは入れたい。

オタマ電車乗れんかなあ。福島の実家までは3時間かかり、 一番長い乗車時間は131分。ベビーカーに座っておとなしくしている、 なんて芸当が到底不可能なくらいのびのび育っているため、 電車に長時間乗るのは恐ろしく難しい。

ひつじこ実家にサンヨーの冷蔵庫を買った。 SR-361U。うちにある奴の後継機で、60x61x172と設置面積が小さい割に 中はでかく、冷凍庫の容積が大きいのがいい。 事業ごと中国企業に売られるという ニュースが出たのと関係あるのかどうか知らないが、7万円を切っており、 チャンスだったので話をもちかけてみた。 あんな古くて小さい冷蔵庫では食生活の改善は難しい。電気も食うし。

円高ってマイナスばっかだな。日本人のコストが上がるので、 企業が海外に逃げる。国内で作るより海外から買った方が安くなるので、 国内の産業が縮小する。 元々輸出している産業というのは、日本が得意とする産業だ。 その得意とする産業ほどダメージを受けるので、日本の強みが害される。 中国が無茶をしてでも通貨を安く抑えようとしている 理由がよくわかった。

生産性をこれ以上上げても仕方ないみたいな意見は良く見る。 消費してくれないことには作っても無駄になるからだ。 労働は権利であり、独り占めするな、みたいな意見も見た。 ドラッカーはこういうことは言わない。 知的労働の生産性をドーンと上げるべきだ、と言う。 どこに違いがあるのだろうと考えると面白い。 同じものを作るのにかかるコスト、と考えると、 消費が制限されている状況下では生産性の向上は無意味だ。 100しか売れないものであれば、100作るのに10人で作っていたのを 1人で作れるようになれば9人が職を失う。10人で1000作っても無駄だからだ。 ドラッカー的には、もっと人に求められている別のものを作ることに 余った人間を振り分ければいい、ということになるのだろうが、 もし皆が使える金の総量が決まっていると考えると、 やっぱり同じことになる。 みんなで新しいサービスを始めても、総量が決まっていれば奪い合いになるので、 結局生産性が上がった分だけ人が余って失業することになる。 この考え方、夢がなさすぎる。何かおかしくないか。 うちらはすでに十分に豊かでこれ以上の進歩は人の幸せを増やさない、 と考えれば、進歩に価値はない。でもそんなことがあるのだろうか。

ローカルに考える。誰かがプログラミングの標準的な教育法なるものを発明して、 それで世界のプログラミングレベルが劇的に上がったとする。人は幸せになるか。 生産物を使う人は確実に幸せになる。クソなソフトがなくなるのだから当然だ。 では、働く側はどうか。レベルが劇的に上がれば、今の生産量に必要な 必要な人数は激減する。とすれば、生産量が増えない限り人が職を失う。 もしその数を吸収できるだけの新産業が現れればそれでいいのだが、 そんなことは起こるのか。 電車が発明されなければ鉄道会社はありえず、鉄道によって世界は豊かになった。 同じようにプログラミングが進歩することでそれを基盤として現れる産業が ないと考える理由はない。もし現れなければ生産性の向上は ダイレクトにプログラマをクビにするだけだが、それでも世界全体としては 幸せは増えたと考えるべきだろう。作る人よりも使う人の方が多いのだから。 そう考えれば、やはり進歩は善だ。

進歩は善だと考えたい。無駄は削るべきだ。品質は高めるべきだ。 その世界観で生きてきたし、その世界観でなければ労働に価値を見出せない。 労働に価値がないと思いながら働くのは不幸だ。

企業は顧客に価値を提供するためにある。 そうでなければ貴重な人や土地その他を使って存在することを許されない。 そうドラッカーは言うわけだが、 一方で、企業には雇用を提供する義務がある、なんて言われることもある。 雇用を提供するために本来不必要な人間を雇い、 それによって諸々の悪い影響が出て、顧客に提供する価値が減るということもある。 このへんはどう考えればいいんだろう。マネジメントにはそのへんのことも 書かれているだろうか。というわけで、4冊まとめて予約した。 有給取ってでも読む。8月第一週のうちに読み終えないと CEDECの準備がヤバい。明日中に本業を一段落させんとな。

たぶんひつじこは先生に向いている。このまま主婦にしておくのは惜しい。 金は足りているのでそこは求めてないが、ひつじこは何かした方がたぶんいい。 ひつじこがまた社会に貢献できるようにするためにはどうしたらいいだろう。 そんなことを話していて、お習字教室でも開いたらおもしろいかも、 という話になった。 ひつじこの習字の先生は自宅で教室をやっていたそうである。 調子に乗って、お習字教室の顧客は誰か、提供すべき価値は何か。 みたいなことを話していたら、なんかそう実現不可能なことでもない気がしてきた。 10年計画になるが。

ITmediaにソフトを買うということがわかってない人がいる、みたいな記事があった。 ソフトを動かす権利を買っているのであって、ソフトそのものを買ったわけではない、 ということがわからない人は多い。なるほどそれは困ったことで、 皆がそれを理解してくれるならそれに越したことはないが、たぶん無理だ。 しかし、そのことがわからない人が多いか少ないかということ自体が 急速にどうでも良くなるし、自然に権利を買うということを理解できるように なっていくと私は思う。 ダウンロード販売がメインになればそうなるだろう。 なまじCDROMのようなモノがそこにあるから誤解するというだけのことではないだろうか。

産経が菅を引きずり降ろそうとして必死なのだが、 最近その必死さが度を越してきた気がする。 北朝鮮くらいならともかく、イタリア極左テロ組織の影、みたいなことまで書いている。 そんなに原発ラブか。

2011年07月28日

わかりやすく目に見える仕事を片づけよう。 種蒔きだ。

ドラッカーの言う通り、 死体を腐らないようにする仕事は難しく骨が折れ、そして無意味だ。 終わコン(終わったコンテンツ)に力を注ぐことの馬鹿馬鹿しさといったらないわけだが、 しばしばこのことは忘れられる。死体を柱にくくりつけて 立っているように見せかける仕事はいいかげんやめるべきなんだろう。 単に「元が取れる状態にある」ことだけではその事業を続ける理由にはならず、 他の事をしていたら稼げるであろうお金や経験その他と比べねばならない。 ただ、「まあもうからんけど元は取れるだろ」という程度の終わコンは うまく使うと人材育成や開発工程の改良のための実験台には使えて、 この効果はそう捨てたものでもない。 やるにしても自覚的にやりたいものだ。

ポスト資本主義社会を読み始めた。これ相当おもろい。 上田氏が抜粋で勝手に作った本は便利でとっかかりとしてはいいが、 所詮抜粋なので入口にしかならない。 読む覚悟ができているなら元の本を先に読むべきだ。 ところどころ読んだことがある文章が出てくるので、その度に微妙にがっかりする。

言われてみれば、漁業はいまだに野生種を対象としている。 養殖であっても基本的には野生種で、畜産のように人、類が滅んだら一緒に 消えてなくなるような品種改良されまくった種ではない。 ということは、漁業はまだ全然成熟していないということだ。 にわとりや牛、豚、羊レベルに人類に都合がいい魚が開発されるのは ドラッカー的には必然なのだろう。 誰がそれに手をつけるかと言ったら、当然日本人であるべきだよな。 陸上動物と違って稚魚の個体数は半端なく多く、 また水中であることの扱いの面倒もあるので、 品種改良はそう簡単には進まないのだろうが、 そこはバイオとコンピュータが何かしらの貢献をするんだろう。

シュタゲ、ひつじこと一緒に見られないかなあ。

今日はすごくctrl-cとctrl-vを押した。疲れた。 押した数だけ魂が汚れる。

NO.6を一話見た。フラクタルとか言われてるが、あれよりよほど見られる。

上田氏の翻訳が嫌いな人をちらほら見かける。 翻訳の分際で自己主張が激しい、というのがおおむねの意見。 ひつじこに買ったiphone版の電子書籍も評価がひどい。 ドーンと全集を買おうと思ったが、その前に原書を一冊くらいは読んでおこう。 あと、マネジメントは別の訳で読む。 自分の目で見て確かめねばな。 今のところ上田訳にさほどの不満はないのだが。

不満があるとすれば、格調高めの文章の割に「オートメ」みたいな イマイチかっこ悪い略語がちらほら入ってるところと、 ブツ切りのリズムが行きすぎてる所がある事か。 原書から逸脱してるという話は自分で確認しないとわからない。

月曜からはCEDECの準備に入りたい。 そのためにはクリティカルパス上の作業を片づけねば。

3DSが1.5万か。VITAとの戦争はどうなるんだろうなと思う一方、 ゲーム機でないとできないゲームを求める人口が減っていけば ゲーム機そのものが終わコンになる。 シュタゲもiphoneでできるみたいだし。

2011年07月27日

また仕事増えた。まあCEDECで話す内容にもつながるし、いいだろ。 問題はCEDECの準備をする時間をどこで取るかだが。 おおまかな概要は脳内にあるが、形にするには時間がかかる。 本業をある程度止めないといけないが、先に止めても文句を言われない くらいには本業を片づけておかねばならない。

この先何年もこの調子で仕事が積み上がるのだとしたら、 少々荒療治をしないとダメかもしれんな。

「ネクスト・ソサエティ」。ぶっちゃけ散漫で焼き直し的な内容だが、 これを出した時にはもう92歳だったわけで、 年寄の昔話的な意味合いが強くなっても仕方ない。 しかし、こんなべらぼうに面白い年寄の昔話もそうないわけで、 焼き直しだろうが散漫だろうが、思考を刺激してくれるものは良いものだ。 知れば終わりな事と違って、 「知的労働者が主役になる世界はどのようなもので、 自分はその中でどう生きていけばいいか」なんてことは繰り返し何度でも 考えるべき事である。繰り返し考えるには、繰り返し刺激してもらわねばならず、 同じようなことを何度も目にすることはそう悪いことではない。 本当に飽きてどうでも良くなる頃には自発的にそれらの事を考えるクセが ついたということだろう。

道具を作る人は必要だが、道具を作る人の教育をいつまでもやっているようでは問題で、 いずれは道具を使う側こそが主役になる。 例えばコンピュータはアメリカ人でなくても作れるものになった。 今問題なのは作り方より使い方だ。 ゲーム用のライブラリについても同じことが言えるだろうか。 言える。ただし、コンピュータがそうなったのと同じ条件が必要だ。 まず十分に成熟して誰が作ろうが大差ない状態になっていること。 そして、作るために必要な知識が普及して、 誰でも努力すれば作れる状態になる必要がある。 誰でも努力すれば作れるが、努力しても差別化した物は作れないので、 作る事の重要性は下がる。 さて、ゲーム用のライブラリ、ひいてはアプリケーションの中でも地味なコード部分 などにはこれが当てはまるだろうか。 もし当てはまっているなら、私が今の仕事をしているのは単なる無駄である。 誰が作ってもいいものなら、私の努力は他に回した方が良く、 他人のものを買ってくればいい。 十分に成熟していれば当然値段も安いはずだからである。

どう考えても当てはまらない。まだプログラミングというスキルは十分に普及していない。 また、ゲーム向けの地味コードという市場は小さく、成熟しているとは言えない。 商品になっているものは多くあるが、まさしく商品としてふさわしい規模と 複雑性を持つがゆえに、どこでも使える手軽さに欠けるし、当然高い。 考えてみれば、鉄の板のインターフェイスは恐ろしく単純で、 どこから買っても、誰が買っても、使い方がわからないということはない。 単なる材料だ。 自動車くらいになると多少は複雑になってくるが、 運転操作はすでに標準化されており、その標準化された運転操作を 修得した人はたくさんいるので、買ってきた自動車を使うことに問題はない。 実際自動車を自力で作る奴はいない。 ゲーム用ライブラリはどうか。モノによってインターフェイスが全然違うということは まだ成熟していないということだ。そもそも成熟し得るのかどうかすら定かではない。 そして、標準化されておらず成熟もしていないものを使いこなせる人が 十分にいるはずもなく、買ってくれば誰でもゲームが作れます、 なんてことはまずありえない。使う方にも相当なスキルが要求される。 そして、自動車や鉄板と違って、生産に必要なものが知識だけであり、 また必要な機能がそう多くなければ自作してもそれほどの労力がかからない。 もちろんこれは自動車を自分で作るのに比べれば、という意味で 自作が割に合うかどうかは別の問題だが、 ともかく「自動車は作るものでなく買うものだ」というのに比べれば 「ライブラリは作るものでなく買うものだ」というのは自明ではない。

とは言え、長い目で見れば買うのが当たり前になると見ていい。 ただ、経済学的な意味での「長い目」なので、それが実現するとは限らない ことには注意がいる。 また、状況や用途次第では、今でも買った方が安いケースはあり、 実際買っている。たぶん、今は過渡期なのだが、この過渡期が どれくらい続くのかについてはかなり注意深く見ていく必要があるだろう。 気がついたらとっくに終わっていた、ということにもなりかねない。

2011年07月26日

キロ3000円でかえりちりめんを買ってみた。 送料込みなので、モノとしてはキロ2500円程度となる。 築地だとキロ1600円くらいからあるので、 その差額分の価値があるかは食べてみればわかるだろう。 いつも食ってるのが実は粗悪品という衝撃の事実が明らかになるかもしれない。 でもまあ、たぶん、まだ築地はやめられないのだろうな。

ディープピープルという番組をひつじこは録画するつもりだったらしいが、 あっさり録画し忘れた。 声優がかっこい声の出し方について話す番組だったらしい。 確かにちょっと気になる。

2011年07月25日

里芋、さつまいもは通販で買えなくもない。しかし多少高くなる。 スーパーでの値段は里芋が600g200円、さつまいもが800g200円くらいが相場だ。 キロあたりにすると、333円、250円であり、さすがにスーパーの方が安い。 その分品質が高くなければ割に合わないことになる。

北海道で買える農作物は安い。それ以外は大抵高くつく。 関係ないが、札幌はまだまだ人口が増えるだろうな。北海道と東北から人間を 引き抜き続けるだろう。そして増えれば増えるほど集積度が上がって さらに魅力的になる。大阪レベルになってもおかしくない。

スティグリッツのフリーフォールを読んだ。 簡単に言えば、放っておけばみんな悪事に走るので政府はちゃんと規制しろ、 ということになる。悪事に走っても怒られない状況なら人は悪事に走る。 悪事に走ると損をするような仕組みがちゃんとない限り、放置はできない。 しかし、そういう仕組みはそうそううまく作れないわけで、 放置しない、というのが現実的な解になる。

政府は一定の役割を果たすべきだ、というのは賛成だ。 しかし、政府は大抵一部の人の影響を受けてアホなことをする。 アホなことをした結果投票によって報いを受ければいいのだが、 現代社会は複雑なので、普通の人には何がアホなのかもよくわからない。 その一部の人が普通の人をうまいこと誘導できれば、 あたかも普通の人みんながそのアホに賛成するような状況を作れてしまう。

スティグリッツは好きだ。この人の言っていることが正しいかどうかはわからないが、 少なくとも私の道徳感とは一致する。

貧乏な人ほど金を使う。使い道はこの際問わない。使う率が高い、ということが 重要だ。金が使われれば、経済は回る。 また、貧富の差が激しい社会は不安定になる。犯罪が増えたりしていいことがない。 ということは、集めた税金は基本的には貧乏な人に回るようにすればいい、 という簡単な結論になる。 単純に貧乏な人にバラまくだけでも貧富の差の縮小と経済の拡大が 同時に達成されるので、 評判の悪い麻生の給付金も、また子供手当にしても、 その理屈の上では悪くないということになる。 もちろん反論はある。貧乏な人を支援しすぎると貧乏であることを何とも 思わなくなってしまう、ということだ。 生活保護で生活できてしまって働く気が失せる、みたいな状況はヤバい。 また、金持ちから税金を取りすぎると、金持ちが働く気が失せたり、 海外に逃げたりするという話もある。金持ちになる人は有能な人だから、 逃げられたり怠けられたりすると困る、というのが前提にあるわけだ。 しかし、金持ちの大半は単に運が良かったか悪党なだけで逃げられて困るほど有能な奴は そんなにいない、という意見もあるし、 海外に逃げるような度胸をもった奴もレアだから気にしなくていい、という話もある。

正直よくわからないが、規制がゼロでいいということはない。 市場に任せておけば万事オーケーなんてことはない。 文明が進むほど規制は減る方向に行くだろう、というのがおおまかなイメージだが、 技術によって出てきた厄介事を規制する必要が出てくることはありうるし、 人間の本性そのものは進化しないのでいつまで経ってもある程度の 規制は必要なまま残る。 しかし何が必要な規制なのかはよくわからんし、 そもそも絶対の答えがあるような問題でもない。 駅前にスーパーを作ってはいけない、みたいな規制は 消費者からすれば邪魔であっても、駅前の商店街の人々にとっては死活問題だ。 1000人が不便を味わうデメリットと、1人が生活に困窮して首をくくるデメリットの どっちを取るか、というような選択はそう簡単に決められるものではない。 ただ、規制によって商店街の人が商売を改善するなり、 引退して土地を売るなりするまでの時間稼ぎができ、 その規制の程度や存続期間によって害を受ける人の配分を調整できる。 社会が変化する過渡期に、その変化のダメージが一部の人に集中しないように 規制によってブレーキをかけるのは必要なことなのだろう。 もちろんその規制が役割を終えた後も残って邪魔をするような事態は避けるべきだし、 しばしばそういう事態には陥るのだが、 しかしそれでも商店街のオッサンが首をくくるよりはマシ、という考え方はありうる。

倒産は失職を発生させ、失職は当事者にとっては半ば再起不能なほどのダメージになる。 再起不能な人が出ると社会は不安定になる。 なので、多少理屈に合わなくても、アホな企業がいきなりつぶれないように 援助して時間稼ぎすることは必ずしも間違いではない。 しかし、それが当たり前になると「アホでもつぶれないじゃん」 と皆が思うようになって、皆がアホになる。 サブプライムの時はアホになっても政府が助けてくれると皆が思いこんだおかげで、 銀行がみんなアホになってああいう状態に陥った。 JALとか東電も同じ構図である。 だから、「こういう時は助けてあげるが、こういう時は助けない」 という基準がわかりやすく納得されやすいものでないといけないし、 また、そもそもつぶれると国がおかしくなるような大企業の存在自体が良くない。 デカすぎてつぶせない企業というのは、つまるところデカすぎるのだから 小さくした方がいい、とスティグリッツは言っている。 また、失職が再起不能につながりにくい社会なら倒産のダメージは減る。 新卒がどうとか言わず再就職しやすい社会になれば、 アホな企業を躊躇いなくつぶせるようになって問題が起こりにくくなる。 しかし再就職しやすいこととクビになりやすいことはセットなのが難しい。

経済系の本は頭を鍛えてくれて実にいい。

財政赤字をあんまりふくらませるのはヤバイよな。 子供手当をやるならその分ちゃんと削らないとダメだ。 例えば医療費は金持ちからはもっと取っていいと思う。 オタマがタダで病院に行けることはうちとしてはありがたいが、 国としてはどうかと思う。うちくらい裕福ならオタマに払う医療費をケチる必要はなく、 3割負担でもちゃんと病院には行く。 予防接種のように受けない子がいることでそこが感染源になって周りに 迷惑をかけうるケースではタダにすべきだが、 皮膚がかぶれて薬をもらいに行くなんて事であればタダにするべきではないだろう。 もちろん医療費をケチって大事になるリスクはあるので、安いに越したことはないが、 安くするためにかかる金が莫大すぎて払えないような状況で そんな生温いことを言っている場合ではないのではなかろうか。 あと、子供手当が貧乏人へのバラまきを真の目的とするならば、 子供手当とかいう名前をつけないで、ストレートに貧乏人にバラまく金に した方がいいんじゃないのか。貧乏すぎて子供を作れない人は大勢いるのだから。 子供が出来れば子供手当なんて吹き飛ぶくらいの出費が発生する。 安定して生活できる基盤がないくらい貧乏な人に子供手当目当てで結婚して 子供を作れと言っても無茶な話である。 子供手当が何を目的としているのかさっぱりわからない。まあ、票なんだろうが。

考えることがあるとトイレが長くなる。もう1時半だ。5時に起きてピアノを 弾くのは極めて困難だが、やらねばならない。 全然できてないからな。いっそ徹夜してそのまま弾くくらいの覚悟があれば いいんだろうが、眠い状態でピアノを弾くのは無理だ。 結局防音を完全なものにはできなかったため、朝の5時を過ぎるまでは ピアノは弾かないことにしたのである。

読書をしてじっくり考える時間は欲しい。 しかし、現状読書できるのは夜のトイレか、土曜の電車の中くらいである。 夜のトイレはピアノの練習と二者択一だ。 後者はメモが取れないため読んだ内容は数時間後には忘れており、 じっくり考えることはできない。 ドラッカーなんてビジネス書と言えないこともないし、 平日会社で読んでも許されないだろうか。中途半端な時間ができてしまうこともあって、 そういう時間には読めるのだが。 ある種の人々は当たり前のように30分とか休憩に行くわけで、 それが許されるなら私が読書したっていいように思える。

とはいえ、問題は他人がどうかではなく、私が請け負ってしまった仕事を 私が消化できるかどうかであって、消化できていれば残った時間で何をしようと 問題はない。それが裁量労働制というものだ。 ただ、抱え込んだ仕事量が想定外に多くなってしまってタダでも余裕がない上に、 時間があるだけ質を上げることに使ってしまいがちなのでなおさら残らない。 CEDECの準備なんて完璧を期そうと思ったら二ヶ月丸々使っても足りないのだ。 それに、本を読む時間があるなら製品に問題がないかのチェックをするのに 時間を使うべきだという正論も成り立つ。 まだ売られていない製品には無限に改善点があるはずだから、 時間が余ることは原理的にはありえないのだ。 まあ、トイレで読んでる段階で一緒なんだけどな。 その時間会社で働けば理論上は品質が上がるわけだから。 そのへんはうまく両立しないと私の未来がない。

CEDECの準備の前に借りられる範囲でドラッカーを片づけておきたい。 というのも、物の考え方の指針をドラッカーからもらえるという期待があるからだ。 今回のネタは単なるプログラミングの話で終わらせると面白くならないので、 もう少し上の話も混ぜてせねばならない。 「そもそもライブラリって何が目的なの?」みたいな。 その視点がないとなんでこんな設計でなんでこんな実装なのか、 また、運用はどうだったのか、みたいなことを話しても説得力がないし、 一本のストーリーにつながらない。 せっかくなのでもうちょっとよく考えておきたいのである。 ライブラリの顧客は誰だ?それは会社の中でどういう位置付けを持ち、 どういう貢献なのだ? そういう事を考えるに際してのBGMのようなものとしてドラッカーを読みたいと思っている。 何冊か読むうちにたぶん新しい視点ももらえるだろう。 そして「もうちょっと広い視点で考えたらこれは間違いだったわ」という所も 出てくるはずだ。それもきちんと話したい。

2011年07月24日

マネジメントは英語だと2400円で買えるが、日本語だと7000円を超える。 英語で楽に読めるなら英語で読むべきなわけだが、さてどうしたものか。

とりあえず、図書館で借りられる範囲のものは予約した。 鉄は熱いうちに打つべきなので、会社を休んででも読みたいが、 家で読書は不可能。

有賀訳のマネジメントは容易に借りられる。こっちを借りよう。 上田訳よりいいという意見も良く見る。

上野訳の評価は結構分かれている。 どうもありえないレベルに意訳されているそうなのだが、 それがいいという意見もあれば、それじゃダメだという意見もある。 上田氏はインタビューで、 ドラッカーが日本語で書けたらこう書くだろう、というような訳にしていると 言っていた。翻訳家の顧客は読者であって他の翻訳家ではない、 と言い切っている。他の翻訳家の批判を恐れていてはダメで、 著者が言いたいことを伝えることを優先すべきだと言う。 この台詞を独善的と取る人は多いだろう。 しかし、 元の英語が想像できるような訳では、ドラッカーを読みたいと思うようなタイプの 人の心には届かないわけで、少なくともドラッカーに関しては これでいいような気はする。原著を読んだらまた考えが変わるかもしれないが。

翻訳という奴は厄介だ。著者は大抵翻訳の質を確認できない。 翻訳を読める友達の意見を聞く、というのがせいぜいだ。 自分のものがねじ曲がった状態で伝わらないか怖くなる人は多いのではなかろうか。

2011年07月23日

ドラッカー本の何冊かはiphone版がある。買おう。 そうすればひつじこも読める。

マネジメントは買おう。図書館を待ってる場合じゃない。

「P.F.ドラッカー理想企業を求めて」を読んだ。 現代において具体的にドラッカーの言葉を行動に移すいい指針になる。 入門としてもわかりやすい。ドラッカー入門は上田氏のドラッカーへの ラブレター的な部分が多くて読みにくいところもあるからな。 とはいえひつじこは読書をするならipodだろう。

顧客は会社の外にいる。そんなのは本当に当たり前のことなのに。

うさぎドロップを2話まで見た。すんごくおもしろいとは言わないが、 地味に出来がいい。カット割りとかカメラワークとかが地味にハイレベルだ。 先が気になる。

あることを今やっていなかったとして、今からやる気になるか。 この質問は本当に使える。 必要ないことをしているかどうかがそれですぐわかるからだ。

あしたアナログ放送が止まるらしい。めでたい。 空いた電波を有効活用すること自体は賛成だし、 これをきっかけとしてテレビというビジネスの崩壊が早まればなおおもしろい。

2011年07月22日

定年が問題になるのはクビにできないからか。 クビにできないから定年が存在してバランスを取っていた。 定年を引き上げたりなくしたりするなら、クビにしやすくしないとバランスが取れない。

輪るピングドラムの1話を見た。なかなかに変なものを見てしまった。 勢いが意味不明すぎてついていけるか不安だ。それにしても声が一部不自然。

漫画のコマ割りは単に技術であるという以上に、 何をどう伝えたいのかという根本的な欲求と深く結びついているので、 技術として学ぶのには限界があるように感じる。 見開き単位での構成ならともかく、10ページ、さらには100ページという規模 になってくると難しいのではないか。 原作が面白いのに読めたもんじゃない漫画が出来上がる 事がままあるが、そこが足りないんだろう。

ナルトは1話だけ児童館で読んだが、面白いとは思わなかった。 ワンピースは昔一巻だけ読んだが、面白いとは思わなかった。 私が年を取りすぎただけなのだろうか。 いつか5冊づつくらいは読まねばなあと思っているのだが。

うなぎはおいしい魚なのか。正直よくわからない。 イワシを焼いてあのタレをつけたら大差ない料理になるような印象がある。 しかしおいしいかどうかと関係なくうなぎうなぎ言ってる人々を見ていると 食べたくなるのは事実だ。 ひつじこの両親が来たら出前を取るか。

じゃこと干物とわかめをどうにか通販で買いたい。探すか。

冷凍の魚というのもあるのだよな。考えてみれば。

2011年07月21日

良月、泣かせすぎ。少しは自重しろ。

2011年07月20日

台風は来る来る詐欺だったが、来るより来ない方がいいのでこれでいい。 個人的には微妙にガッカリだが、台風が来れば人が死ぬので、来ない方がいい。

2011年07月19日

次から次へと仕事が湧く。手を広げすぎたか。 8月入ったら本格的にCEDECの準備もせねばならんし、 一体いつになったら会社をハデに休んで本書きたいなんて言えるんだろうか。 半年くらいなら給料くれなくてもいいんだがなあ。 それだけの価値がある。

作ってるものが完成する前に次の仕事が来るのが普通になった印象。 作った物の評判を2chで探して一日が過ぎる、 みたいな時期がちょっとくらいあったっていいと思うのだが。

仕事が多いのでニュースの類をまったく見ていない。 おかげで放射線がどうなってるかもさっぱりわからない。 しかし、うちにはガイガーカウンターがあって、 異常があればすぐわかる。 食料に関しては一番消費量が多い主食類は全部範囲外から来ているので あまり心配していない。肉は滅多に買わないし、 魚はほぼ北海道、愛知以西、そして海外だ。 野菜類はやむを得ないが、 ひつじこが調べている範囲では、 茨城産ですら最近は濃度がかなり薄まって検出限界以下になっている。 成育に時間がかかる野菜類はこれから出る可能性があるが、 葉っぱ系のものに関してはもう心配はいらないだろう。 一番心配なのは水だが、これはもうどうしようもない。 浄水場で検出された時にはもうこっちまで来ているわけだから。 原発からの放出速度がかなり下がっている今となっては、 3月4月ほどの量が降るとは考えにくい。 もう一回爆発すれば話が別だが、その時も備蓄を使えば数日は問題ないだろう。

偽装はされまくりだろうな。山形産として売られている桃が 福島産だったとしても驚かない。 この前買った桃はひつじこによれば「おいしすぎる。福島産かもしれない」 とのことだ。山形にあやまれ。

原発の作業員の人達は造血細胞のバックアップを取っておくべきだ、 と言っている人がいる。しかし、いろいろあってやらせてくれないらしい。

どんな作業をしているのかはtwitterで流している人がいておぼろげには伝わってくる。 今すぐどうこうなる話でもなく、 頭数でどうにかなる問題でもないっぽい。

政治はどうにもわからん。彼等はアホなのか?それともアホではないのか? そう簡単な話ではないのだろうが、少なくとも首相だけはアホに見える。 それとも、首相という責務の重さゆえに、 それほどアホではない人間でもアホに見えてしまうのだろうか。 そういうこともあるかもしれない。 会社でもえらくなるとえらくなる前よりアホに見えることはままある。 自分がそうならないように注意せねばな。

2011年07月18日

naturally7を見ているとragfairがおもちゃみたいに思える、 とのひつじこの言。かわいそうだがまったくもってその通りだ。 すごすぎて笑えてくる。楽器いらねえ。

2011年07月17日

昔の政治家のイメージは悪い人だった。 しかし、今のイメージはアホな人だ。 首相はドイツまでサッカーの応援をしに行こうとしたらしい。 そういうことを言い出したこと自体もアホだが、 そんな話が漏れて新聞に載るあたりはさらにアホだ。 本当にアホなんだろうな、あの人。

クーラーの設定を1度上げるより、テレビを消す方が1.7倍省電力なのだそうだが、 テレビを消せとテレビで言う奴はいないようである。 さらに言えば、デカいテレビはそのものが電気食いであり、 皆が20インチくらいの液晶でがまんしておけば消費電力はずっと減る。 普通の家庭に42インチとかを売りつけようとする連中は反エコだ。

私にはデカいテレビの価値がよくわからん。 臨場感臨場感言うが、その言葉の意味自体がよくわからない。 所詮テレビの画像なんて画像だろ、と思ってしまう。

ガイガーカウンターを貸した。 今となってはあまり意味もないが、 自分で測ることで納得できるということはある。 心の平安を得るためには必要な儀式だろう。

2011年07月16日

ケーキを作ってみようかと思ったが、相当面倒くさいことがわかって、 結局ホットケーキにすらなれない何かになりそう。 できるだけ手軽に、普段ある材料で、甘い菓子っぽいものが作れれば それでいいと思ったのだが、ケーキはそこから外れる。

頭を坊主にしてきたら、オタマが泣いた。識別できないらしい。 どうやら新たに人間関係を構築せねばならないようだ。 オカリンもこんな気持ちだったのだろうか。

頭にタオルを巻いて過ごすことにする。

ケーキにならなかったが、なにやらおいしいものができた。 干しなつめやし100g、小麦全粒粉100g、牛乳100g、卵2個、オリーブオイル30ml、 をグッチャグチャにして、鍋(ジオプロダクト)に入れて20分限界の弱火で焼いた。 元々、卵を泡立てて粉を合わせてそこそこふんわりしたものを作るつもりだったのだが、 干しなつめやしをミキサーで粉砕するのに失敗した時に全てが狂って、 ふくらまないホットケーキ以下のものになった。 のだが、不思議と食感も悪くない。失敗したケーキはういろうっぽい物になるらしいが、 そんなにムッチリしたものにもならず、歯触りは悪くない。 そして味に関しては文句ない。甘味はなつめやしだけで十分すぎるし、 砂糖ではないので重くない。なつめやしの甘さの主成分は果糖であり、 果糖は砂糖と違って多少食べすぎてもオエーとはならないのだ。

路線は間違ってない。砂糖とバターを入れずにケーキっぽい 焼き菓子を作るという目標は達せられている。少なくとも味に問題はなく、 食感もこれ以下にはならない。というわけで次は改良する。 まず、なつめを先に牛乳でふやかしてやわらかくした後に粉砕する。 鍋で焼く時はオーブンペーパーを使う。 あとは卵を泡立てた後に粉と粉砕なつめとオリーブオイルを混ぜて なんとなく混ざったところで焼けば今回よりはふんわりしそうな気がする。 とにかく粉と汁を一緒にした状態で混ぜるとネッチョネチョになるので、 粉を入れたら極力混ぜないようにしないといけない。 まあ混ざるのかどうかは謎だが、仮に混ざらないで二層になってもかまわないと言えば かまわない。

で、作ったものはほとんどひつじこが食った。私は1/5も食べてない。 ちなみに、オタマもよく食った。初お菓子である。 砂糖は入れてないし、もう卵も解禁だろう。

モツァレラを買ってきた。白い丸いのが水に入って売られている奴で、高い。 高いが、オタマがどういうものを食うのかを知るための実験だから仕方ない。 で、オタマはそこそこ食った。なるほどこういうものなら食うのか。 オタマの摂取カロリーをできるだけ乳以外からのものにしたいので、 高タンパク高脂肪なチーズはうってつけだ。 というわけで、チーズを常食させたいわけである。

成城石井で売られているデンマーク産ブルーチーズは安いわりにうまい。 今日の晩はスパゲティソースにして食おう。 さすがにこれはオタマは食わないな。 もう一種類買ってきたのは100g147円のチェダー。安い。 暖めて溶かせばオタマでも食えるだろう。 ごはんに飽きた時に刻んでかけたりしてみる。

スーパーで買ったにんにくがびっくりするくらいうまくない。 臭いと見た目は一人前だが、生で食べてみると 辛味だけけで味がないことがはっきりわかる。 作ったものがどうにもおいしくないのでおかしいとは思ったが、 やはり犯人はにんにくだった。 青森の農家(種子さん)に注文はしてあるのだが、出荷は7月末。待ち遠しい。

このうまくないにんにくはさっさと食べてしまえ。

ちりめんじゃこを通販で探したが、訳有りでもキロ3500円くらいする。 いつも買っているキロ1600円のものは一体何なのだ? 何か問題があるのか?確かにエビやカニがよく混入しているので それほど選別をしているものではないだろうという想像はつく。 また、天日乾燥かどうかも確認していないし、 添加物の有無についても、店の人に確認しただけで箱を見たわけではない。 一回買ってみるべきなのか。味が大差ないならまた築地に行けばいい。

ちりめんじゃこに混ざってるエビやカニなどを「チリメンモンスター」とか 呼ぶらしい。これが入ったちりめんじゃこは子供に大人気なのだそうだ。 探して遊ぶのは確かに楽しい。タコとかイカとかだと見た目に変だしな。 単純に選別が甘いだけなのだろうが、おもしろい商売を考えるものである。 下手すると選別でのけたものをわざわざ混ぜたりもするんだろうな。

買うなら高知の水産加工業者からが良さそうだ。他の干物も一緒に買えるなら その方がいい。

2011年07月15日

仕様に何が書いてあっても、まずはコンセプトだけ受け取って 自分で作り、作った後にまた仕様を見て細部で何を表現しようとしたのか 汲み取って微調整。この流れだろう。 モノにもよるが、仕様書見ながらコード書いちゃダメだ。 そもそも紙でもらう前にコンセプトだけを納得できるまで口頭で聞くべき。 それさえできていれば紙はいらん。

シュタゲのアニメはよくできている。再構成が上手だ。 そして、声を楽しんで聞くのはアニメの方がいい。 ゲームは自分のペースでやるのでつい飛ばしてしまう。

公園を綺麗に使わせるいい手はないものか。 頻繁に公園に言って現場を見つけたら文句を言う、 というのを繰り返すのが一番素直な手段だが、面倒が予想される。

オタマに躊躇なく食べさせられるタラコを見つけたことは大きい。 じゃがいものマッシュやごはんに混ぜれば簡単に味を変えられる。

わかめが尽きた。じゃこも尽きる。アジが尽きた。ほっけが尽きた。 こいつらを通販する方法を探そう。見つかればいいが、見つからなければ築地だ。

2011年07月14日

焼けば濃縮されるので、灰の放射性物質濃度は高くなる。 問題は7万ベクレル/kgがどれくらいかである。 100万ベクレル/kgも行けば第二種のTRU廃棄物で、 法律上そのへんに捨てられる代物ではなくなるが、 そうなるにはまだ10倍以上の猶予があり、 たぶんそ知らぬ顔をしてそのへんに埋めるつもりだろう。 まあそのへんにあったら嫌な気分になるのは確かだし、 埋めるにしてもどこに埋めるかでもめるくらいには高い。

仕様をもらって作る作り方は私には向いてない。 コンセプトだけ聞いて自分で作った方が気分もいいし、モノも良くなる。 仕様なんて信用してないのに、つい仕様をもらうとその通り作って それで終わりにしてしまう。ありゃダメだ。

2011年07月13日

外野2.2uSv/hとか言いながら野球するくらいなら、さっさと土を捨ててくればいい。 放射性物質の大半は空気中に舞っているわけではなく、地面に積もっているのだ。 もっとも、数時間しかいない場所の掃除をするくらいなら、 学校や公園こそ優先すべきなので、順番が回ってこないから放置されている というのであればそれはそれほど間違ってはいない。 しかし、どうせそういうことではないだろう。

ノベルゲーといえばループであり、ループは必然的にタイムトラベル 的な意味合いを帯びる。当然Yu-noを思い出すわけだが、 あれからずいぶん経つのにああいうものは出てこない。 あれを作るのに必要な資源が揃わないのだろう。 ゲームシステムとストーリーが一体となったものを構想でき 実際に組み立てることができる人、 UIまで含めてゲームとして成立させるためのプログラミング、 商品として成立させるために必要になる物量をこなすだけの組織力と資金。 考えるだに無理臭い。 シュタゲの作りはその点手堅い。

根本的にプレイ時間をプログラムの力で水増しすることが歓迎される世の中ではない。 同じ感動が得られるならば、プレイ時間は短いほど良いのだ。 とりわけストーリーがあるものに関しては。 そして作る側にとっては客に与える感動が同じならばコストが安いほど良い。 というわけで、単位感動量あたりの開発コストとプレイ時間は小さいほど良い。 分岐があることが正当化されるのは、分岐があることによって かかるコストの割に感動量が増える場合だ。 一部のプレイヤーしか見ないものを大量に入れるのは、 かかるコストの割に感動量が増えないので効率が悪い。 車ゲーで車をたくさん入れるのは、 車がたくさんあることによって感動が増えると考えているからだろうが、 しかしプレイヤーの大半は一部の車でしか遊ばず、 車の数を増やしてもプレイヤーが感じる感動の量は増えないこともある。 格ゲーのキャラ数も同様だ。一定の数までは増えることによって ゲームが深くなってそのキャラを使わない人にとっても感動が増すが、 ある程度以上は効果が薄れて、最終的には逆効果になる。 分岐も同様で、プレイヤーの一部しか見ない分岐は感動効率が悪い。 また、分岐が複雑で攻略が面倒なゲームは、 攻略が面倒であることで感動を増えるような出来でない限り、 プレイ時間あたりの感動量を減らす。これも感動効率が悪い。

感動効率が良い作り方をしたいものだがなあ。 ゲーム屋が売っているのはゲームではなく感動なのだから。 コンピュータという機械を使って人を感動させることが一番広い意味での事業の定義に なるのだろう。感動の種類はいろいろあっていいし、その手段も様々だが、 感動がないものは確実にダメだ。

軸になる感動は何か、という問いが一番大切だ。そして作り始めたら、 感動を邪魔する要因がないかをチェックし続けることが必要になる。 減点を減らす地味な作業だが、漫然とやっていると単に欠点を削る作業に なりがちだ。全ての欠点が感動を邪魔するとは限らない。 欠点であっても、感動を邪魔しないならそれは問題ではない。 例えば絵がショボくても、もしそれが感動を邪魔しないなら気にする必要はない。 逆に、長所であっても、感動を邪魔するならそれは削るべきである。 もし綺麗な絵が長いロード時間を招いてしまいそれが感動を邪魔するならば、 感動を邪魔しない範囲で、絵をショボくしてでもロード時間を削るべきである。

ロード時間を客が気にしないならロード時間は長くてもいい、 という意見もあるが私はそうは思わない。 人の時間を浪費させるのは社会に対する罪だし、感動の時間密度が下がることは 自覚のあるなしに関わらず最終的には商品の評価に悪影響を与えると私は思う。 そして客の人生を無駄に浪費させるのはロード時間ばかりではない。 過剰な演出もまた害悪だし、会社のロゴの類も同様だと私は思う。 例えばシュタゲ起動時の角川書店ロゴうぜえ。 人件費をかけてこのロゴを入れることによって角川書店はいかなる利益を 得ているのだろうか。 ブランドイメージを定着させるため、という説明は良く聞くが、 本当にそんなもので良いイメージが広まるのか。 スタッフロールだって人件費を使って作られ、容量を消費し、 電力を消費して表示されている。 スタッフロールはそのコストに見合う感動を客に提供しているのか。

2011年07月12日

トゥルーエンドした。回収しきったな、伏線。大したものだ。

実に気持ちよく終わった。 キャラはみんなが作る空気として好きなので、誰が好きとかは特にない。

ヒロインはヒロインであることによって制約を受ける。 そのため、本来の魅力を発揮できないことも多い。 クリスシナリオは少々感動的すぎたのかもしれないな。 悪いわけではないが、終盤のクリスよりも 厨二病を罵るクリスの方が、私には魅力的に見える。 トゥルーに行く際にはクリスとメールのやりとりで仲良くなる必要があるが、 そのメールのやりとりが親密になっていく階段に見えないというのもある。

オタマの主張が激しい。要求を通す手段として泣く。 早く言葉を覚えていただきたい。是非とも。

そこそこ忙しい。だが、CEDECが迫ってくる。 シュタゲも消えたし、仕事をしよう。 だが、仕事ばかりしているとやっぱりいろいろ良くない。 配分がどうとか言ってられる余裕がだんだんなくなってきているのだが、 どうにかするしかない。 CEDECの準備くらい家でできんかなと思わなくもないが、 家で仕事をする場合、「家にいるのにかまってくれない!」 とひつじこがかえってお怒りになる可能性が高い。

ケーキは大変なので、隙があったらでいい。 ダメなら生クリームはブルーチーズパスタのソースとして使う。 鍋で暖めたクリームに刻んだゴルゴンゾーラを入れてパスタにかければ それだけでうまいのである。調味料を使うとすれば、せいぜい胡椒。 さて、クリームチーズだが、酸味はあるもののアミノ酸が弱く、 チーズとして扱うのは難しい。 油の多いヨーグルトと考えれば何か用途が出てくるだろうか。

料理をする時、味見せずに味を感じられるかどうかは相当重要な気がする。 材料や調味料を並べた時に、それらを合わせた味を想像できないと レシピ通りに作る以上の事はできない。場数を踏まないと身につかない スキルだとは思うが、レシピしか見ていない人はいくらやっても身につかないだろう。 数こなせばいいというわけでもない。 このへんをひつじこが身につけてくれると大変ありがたいが、 少なくともオタマが小さいうちは無理そうだ。 料理に集中してはオタマを見ることがおろそかになる。 しばらくは集中が必要なことは私が担当すればいいだろう。 というわけで、ケーキも私が作ってみようかと思ったのだが、 ケーキやパン類に関してはどうにもできる気しない。 材料を見ても完成形の味を想像しにくいし、食感なども重要なので 普段の料理とは違う何かを要求される。

カイジはいい漫画だ。東京電力やら政府やらの話を聞いていると、 「大人は質問に答えたりしない」を思い出す。 答えることにメリットがない限り、彼等は答えない。 答えざるを得ない状況でない限り、答えない。 どちらでもいいが、どちらにしてもそのお膳立てをするのはうちら全員である。 とりあえず東京電力の売上を減らすべく日夜がんばるとしよう。 オタマのために必要な電力は削れないが、それ以外は比較的どうにかなる。 とりあえずモニタがなくなったのは大きい。

カメラが2年経った。最近は進化してるんだろうかと思って うちのの新しいのを見たら、大して変わってるようには見えなかった。 GPSはあんまり使いものにならないらしいし、動画性能が上がっても 圧縮形式がこれではあまりうれしくない。 暗いところでもっとマシな写真が撮れる奴があるといいんだが。

2011年07月11日

何をどうしてもクリスが死ぬので、やむをえず攻略サイト。 わかるかこんなもの。おまけ要素だろと思って適当に選んでいた選択肢が致命傷。 しかも相当前。

スキップがべらぼうに早ければこれくらいわかりにくくてもどうにかなる。 しかし、PSPのスキップ速度では相当に苦痛だ。 今時攻略サイトを見るのが普通の遊び方だ、というなら仕方がないのだが、 作った人はどう思ってるんだろうな。 選択肢が10個あって、もし正しい組み合わせが一通りであれば、 適当に選んで合う確率は1/1024しかない。 大抵はどうでもいい選択肢が混ざるので確率はもっと高いのだが、 問題はどれがどうでもいい選択肢なのかがわからないことだ。 選んだ直後に当たり外れがある程度わかる選択肢ならいいのだが、 シュタゲのメールの場合、答えがわかるのは メールの返答が来てからであり、いくらか遅れる。 そして、返答が来てもそれほどあからさまではない。 国語が得意でもこれではどうにもならん。 でもまあ、この作りは意図的なのだろうな。 360版は実績があるおかげである程度は意味のある選択と意味のない選択を 識別できるようだが、オリジナルはPCなわけで、 実績前提の作りというわけでもないだろう。

攻略サイト見てその通りにやることの無味乾燥さと言ったらない。 たまに未読テキストで止まっても、その寸前までスキップしていたので どうにも気分が盛り上がらない。ようやくクリスと仲良くなりはじめて、 クリスがいい感じな事を言ってくれているというのに。

シュタゲを書いてる人は科学にちゃんと詳しそうなのに、 ところどころありえないくらい豪快なウソをつく。 ブラックホールで人間の記憶を36バイトに圧縮とか、 人間の記憶が海馬にあるとか、実に清々しい。

毎度思う。この手のゲームで最初のエンディングを見た後は作業になりがちだ。 fateみたいに実質一本道なゲームの方がこの問題は起こりにくい。 クリス以外はシュタゲもそれに近い構成で作業感は薄いのだが。

攻略サイトにしても、どの選択肢が必須なのかを全て明らかにしているわけではない。 「たまたまこうやったら行けた」という記録にすぎず、 どの選択肢がどうでもいいのかはまずわからない。 なので、こうしてクリスと明らかに仲良くなっていても、 このまま進んでクリスルートに行けるのかどうかは不安だ。

2011年07月10日

日記を書く暇が出てこない。

シュタゲはエンディングを3つほど見た。 マユシィは助かったがクリスは死ぬ。 ルカ子エンドは綺麗だった。フェイリスエンドは辛かった。 シャイニングフィンガーはさすがにエンディングはなかった。 さて、なんだかんだ言ってPSPでやっているのだが、 エンディングを回収する作業はなかなか辛い。 スキップの時も律儀にロードしてくれ、 ロードの度に秒単位で止まる。 しかし、さすがにもうちょっとだろう。もうちょっとなのであれば、PC版で やりなおすのはやりすぎだ。

バイト戦士と一緒に行ってしまうエンディングを見た。 さて、一体どうすればクリスは助かるんだ? とりあえず最初からやるか。スキップすればそんなにかかるまい。いくらPSPのスキップが 遅くても、PC版でやりなおすよりは早かろう。今日中に何としても片づける。

ひつじことあの花を最後まで見た。ひつじこは最後の方は泣きっぱなしだった。

私は女の人と仲良くなれるとしても、それはつるこみたいな種類の人間だろう と思っていた。しかし、実際結婚したのはめんまだった。 こういうキャラはフィクション、とりわけギャルゲーの影響下にある フィクションにはよく出てくるが、現実にはそうそういるものではない。

ToHeartなどで良く見た「よかったな」という台詞がどうにも 気に入らなかったのだが、こんなに自分が言う羽目になるとは思わなかった。 そして言うようになって、彼等がどういうふうにその言葉を発していたのかが 少しわかるようになった。

めんまは一応は皆に好かれていて、少なくとも面とむかって 嫌われたことはない。まゆしぃにしてもそうだ。 この手のキャラがいじめられる展開になる例もあるが、 いたたまれなさすぎて受けないせいかそれほど多くはない。 しかし、こういう種類の人間が敵を作らないのは現実には難しいようだ。 こういう種類の人間とつきあえば、嫌でも自分の心の汚いところを直視 せざるを得ない。それに耐えられない人間は排除しようとするだろう。

明らかにあの花の影響で、 ひつじこが蒸しパンを作った。真面目にレシピ通り作ったので出来がいいのだが、 悲しいかな我々の体はこれで満足できるものではない。 納豆とグレープフルーツを食べて一息ついた。 蒸しパンにはカロリーはあるが、他のものがない。 納豆でタンパク質を、グレープフルーツでビタミンを補った感じである。

なお、ひつじこが 思い立ったのは夕方だったので、蒸しパンが晩飯になってしまった。 そして、ひつじこは晩飯が蒸しパンになってしまうことに、 蒸しパンが出来上がるまで気づかなかった。

萌えキャラっているもんなんだな。現実にも。 大人になってもこれなわけだから、若い頃はさぞや生きにくかったことだろう。 私と一緒になったことでいくぶんかでもマシになっているといいのだが。

2011年07月07日

ままならんなあ。マルチスレッドは人間の能力を超えてないか。 少なくとも私の能力は超えている。 ロックが最小になるようなアルゴリズムを考えようと思うと 頭がムチャクチャになる。 そして、「これを通ればバグはない」というようなテストを作ることができないのも 問題だ。現実には一晩回しておかしなことが起こらなければ大丈夫だろうとは 言えるにしても、100%ではないというのはなんとも気持ちが悪い。

Inspector+の在庫があるっぽい。うちにある安物とは比較にならないくらいマジな 奴だが、さてどうするかな。なにせ値段が10万だ。 このまま収束するなら単なるおもちゃになる。

ちょっと調べてみると、結構いろんな機種が普通に買える状態に なっている。シンチレーション式のPA-1000 Radiも2ヶ月待ちくらいで買えるようだ。 10uSv/h以下での精度では右に出るものがいないようだが、 電池が50時間で切れるのでつけっぱなしにするのはしんどい。 Inspector+は9V電池ではあるものの2000時間連続稼働するらしく、 つけっぱなしには良さそうだ。 なお、この機種は高めに出るらしく、ustreamにある 京都のデータは0.11とか0.13とかになっている。

なりゆきでLinkedInというもののアカウントを作ってみたが、これ、 面倒なだけかもしれん。文化がわからないので、 接触を求められた時に無視するのがどれくらい失礼なのかよくわからない。 とりあえずあからさまな人材ハンターに用はないな。

2011年07月06日

シュタゲのPSP版のモッサリ感がひどい。 立ち絵のキャッシュくらいできんのか。 そこそこメモリあるはずなのに。32MBもあれば直近の10枚くらいは キャッシュできるだろう。 あと、鼻すすりすぎ。ディスクアクセスの音のことだ。

長崎からじゃがいも10kgを注文。 ついでに、北海道からじゃがいも15kgとかぼちゃ10kgと、 あと贅沢品ながらとうもろこしを10本予約。

いろんなところでいろんな人が精一杯がんばっているのだとは思うが、 全体としてみると何故かダメになる。 日本人の性質としてあきらめるしかないんだろうか。 一定以上の規模の組織でまともに回っているところが一体どれだけあるだろう。 企業ならまだ望みもあるが、政府や役所がまともに回るのは本当に難しい。 腐らないようにする方策がまるで思い浮かばない。

組織が腐らないようにする方法は理屈の上では簡単で、 ドラッカーは綺麗に整理してくれている。 みんながちゃんと役割をもって充実するようにすることが大切で、 そのためには必要最低限の規模を保たなくてはいけないし、 組織の構造も基本的な条件を満たさないといけない。 しかし、もう腐ってしまった組織があって、その組織が妙に大きな力を 持っていて容易に除けない場合は一体どうしたらいいだろうか。

捨てるしくみが必要だ。個人にも、家庭にも、会社にも、そして政府にも。

2011年07月05日

オタマ、2回目のおふろうんこ。全長15cmくらいの立派な奴をした。 ひつじこが味噌の空き容器でお湯ごとすくってトイレに捨てた。 海水の中のナマコみたいだった。

いきなりの大規模要求。しかも緊急。 徹夜を覚悟したが、本当にギリギリ必要なところだけ抽出したら豪快に必要作業量を 減らすことができ、加えて運良くあまり罠にはまらずに済んだこともあって、 日が変わるくらいで済んだ。 使い勝手とか整合性とか、そういうのを考えると全然ダメだが、 最悪用が済んだら即捨ててなかったことにするという手もある。 それにしても、私は明らかにドラッカーの言うところの「読み手」だ。 私はリアルタイム系の頭の良さを 全くといっていいほど持ちあわせていない。 事前によく考えていない話題についてミーティングなんてしてもさっぱり頭に入らない。 聞いて理解しようとすることにエネルギーを取られて、その場では考えられない。 聞いた情報をミーティング後に組み立て直して考えないといけないので、 ミーティング中にまともな結論はまず出ない。 一対一ならまだいいんだがなあ。

今頃になってCEDEC通った。7月まで合否が出ないのはどうか。 まあだからといってやらないという選択肢はないのだから最善を尽そう。 さて問題はこのx201sにパワポが入ってないことだ。 OpenOfficeで作るか、PDFにしてしまうか、パワポビューアでやるか。 まあPDFだよな。変に凝らずに普通に作ればレイアウトが崩れても気にせずに済む。

パワポと言えば、何かと挿入されているあの意味がないイラストが嫌いだ。 説明の役に立たないアニメーションも嫌いだ。 おおまかに言って、パワポ臭いパワポが嫌いだ。 白地に黒い字がドンドンと並んでいるだけでも気にしないくらいの度胸を持ちたい。 もちろん飾りつけをしたくなる気持ちはわからんでもないのだが、 それによって講演がわかりやすくなったり面白くなったりするわけでないなら、 それは無駄だ。 CEDECで用意してくれるテンプレートを使えば それだけでいいだろう。あれの使い方がいまいちわかってなかったりもするのだが。

HTMLにページの概念があるならHTMLでもいいんじゃないかと思ったりする。 texにはページの概念があるが、パワポのように強固なものではない。 そういえばスライド用のtexがあったので試してみてもいいのだが、 アプリから出ずに作図ができるパワポの利点は捨て難い。 やっぱりパワポか。

LinkedInとかいうものに成り行きで登録したが、これを活用する日が来るんだろうか。

はじめてのドラッカーシリーズを読み終えたが、重複が多く、 後になるほど進みが早くなった。まるでギャルゲーのようだ。 さて、次に読むとすれば当然マネジメントだろう。 図書館は予約がいっぱいだし、本気で読むなら2週間で返すのは辛いので、 ここは金を出して買うべきだと思う。

モニタをどけるに際して、とりあえずあげたり捨てたりしないとするならば 押入の中を空けねばならない。 というわけで、とりあえずすぐに捨てられてかさばるものを選別しようと思う。 Thinkpadの箱とかもとってあるが、もういいだろ。 売ることはないだろうし。もし十分使える状態でいらなくなったとしたら、 うちの親なりひつじこの親なりにあげてしまえばいい。

BenQのFP241W、欲しい人いるかなあ。24インチ1920x1200のVA。 うちまで来て持ってってくれる人限定だが。

今日も想定外のことを勉強できた。まったくありがたい仕事である。

FP241W、会社で使うかなあ。1920x1200が2枚あれば確かにはかどる。 問題は、そこまで解像度が上がってくるとアナログではつなぎたくなくなるという ことだ。1本はアナログなんだよな。

明日は仕事がないといいなあと思ったが、帰る間際に仕事が湧いた。 まあそう時間はかかるまい。

あの花を最後まで見た。感動しなかったとは言わない。 しかし、感動したとは言いたくない何かがあの作品にはある。 うまいし、おもしろいし、出来もいいと思うんだが、何故こうも気にいらないのか。 そういえば、とらドラも結局最後まで見なかった。 原作でいいやと思ったのもあるが、 それだけで見なくなったとも思えない。

2011年07月04日

組織の利点は分業によってそれぞれの弱点を意味のないものにできることだ。 なんでも自分でやっちゃダメだということである。 ただ、自分に関わる分野については基本くらいは知っておかないと、 他人に任せる際にもコミュニケーションが取れなくなる。 問題は、基本ってのがどこまでなのかということだ。 例えば画像認識とか音声認識を作るのは無理で、この手のものを入れようと思えば 買ってくるのが唯一の選択肢になる。それはそれでいいのだが、 本を一冊読んで基本中の基本くらいは作ってみて自分の限界をはっきりと 知ってからにすべきなのか、それすらやりすぎで中身もわからんうちから 買ってくる方がいいのかは判断がつかない。

企業は新しいことをやらないとしぼんで消える。 しかし、新しいことは大抵すぐにはもうからない。 「それぞれの部門で利益が出るように計画せよ」 なんて命令が下ると、利益がでない新事業や研究は片手間でやることになる。 また、そうでなくても、すでにある事業をやってる人が兼任してやる場合、 すでにある事業はリアルに金を稼いでいるためにそっちの優先度が高くなり、 やっぱり片手間になって進まない。 新しいことは、独立した部門で、短期的な利益を云々せず、 優秀な人材を少数投入してやるべきなわけだ。 帳簿上はお金をあまりかけないようにして小さく始めるべきだが、 人材の質をケチると何も始まらない。

新しいことをやりやすい体制を整えるには、古いものを捨てることを 習慣化しないといけない。 捨てないで新しいことを始めると全てが中途半端になる。 捨てるかどうかを決める時に問うべきことは、「まだもうかるか?」では不足で、 「今そこに使ってる人間を他に使えなくなる欠点を補うほどにまだもうかるか?」 と聞かないといけない。手堅く稼ぐ部分と、新しい挑戦。 この二つにどれくらいのバランスで資源を投入するかは本当に難しい問題だ。 しかし、この問題は、捨てる習慣さえできてしまえば自然に解決してくる気がする。 「捨てる」という決断がなされる組織になることが重要なんだろう。 まずは「問題なければ継続」を「続ける理由がなければ廃棄」 というふうにもっていく必要がある。

マネジメント云々以前に、 「会社の目的は顧客の創造」ということを体で理解して、 そのための行動を習慣化できるかどうかが一番大切だろう。 そこができていればその他のことは後からどうにかなる気がする。

24インチモニタが熱を出すので、極力使わないようにしているという。 12.5インチで足りてるならそれでいいんだが、さてどうしたものかな。

通販でコレールの皿を買った。割引してる奴を選んだので柄はバラバラ。 コレールの欠点は、断熱性がなく、下に台みたいな部分がないので熱い汁を 入れるのは無理だということ。あと、もし割れた場合は とがった破片ができやすいという話もある。 とは言え、軽い、硬くて傷がつきにくい、洗いやすい、熱に強い、 重ねられる、だいぶ割れにくい、とこれだけ条件が揃えば使わない手はない。 汁を入れるおわんはまた別に入手しよう。 耐熱性だけは捨てられないのでプラスチックしか残らないのだが、 それにしたって比較的固いものや洗いやすいものはあるはずだ。

食堂にたくさんあるようなプラスチックのコップ5個と、 これまた食堂にたくさんあるようなプラスチックの箸5膳を買ってきた。 これで客が来ても対応できる。

やっぱりサンサスのそばうまい。一玉140円と贅沢品だが、 二人で600円も出せばおなかいっぱい食べられ、 おいしいそば湯もできる。 100%そばなのにモソモソせずちゃんと澱粉がアルファ化しているのはすごい。 普通の乾麺もこうだったらいいのにと思うが、 生そばでないと不可能な技術なんだろう。

これがニッチ戦略か。 「高品質な生そば」という市場は、 他のメーカーが奪おうと思うほど規模が大きくはない。 それでいて、他で代替できない独自性がありファンがつく。 ファンが飽きない限りは競争もなく安泰なわけだ。 あくまでファンが飽きない限りは、なので この戦略もそれなりにリスキーではあるのだが、 しかし戦略としては理にかなっている。 なんかこういう戦略を取るのに使えるネタはあるかな。

つうか、これ、私の本のことか。 他のメーカーが本気で奪いに来るほど市場は大きくない。つうかもうからない。 いつまでも競争相手が出てこいわりに、それなりに必要とされているものなので、 いつまでも売れている。やっぱりもう一冊書いて確かめねば。

2011年07月03日

シュタゲをPSPごと弟から借りた。 アニメに比べてキャラがまともで驚いた。 ダル、アニメ版ひどすぎだろ。 あれくらいやった方がわかりやすいんだろうが。 なお、まだアニメの8話にも追いついてない。

ドラッカーは短い言葉でズバリと言うことにかけては天才的だ。 「企業の目的は顧客の創造」「利益は目的でなく制約」「すでに起こった未来を探せ」。 どれを取っても一言ですばらしく大きな内容を表現している。 それだけに、理解できてない人でも言葉だけを語ってえらそうにできてしまうという 危険はある。

顧客とは、会社がその事業によって幸せにする人のことだ。 顧客の創造というのは、会社が幸せにする人を新たに見つけるということだ。 ゲーム屋はゲームを売った相手を幸せにせねばならないし、 そもそも客は自分が幸せになるためにゲームを買い、 そのゲームによっていくらか幸せになる。 こんなわかりやすく当たり前のことが心に刺さるのは何故か。


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