だだもれ

2013年01月31日

新聞もテレビも死ぬ死ぬ言いながらなかなか死なないな。

「問題がなければいじらない」が合理的であるケースもあるし、 「さらなる改善をする」が不合理なケースもある。 しかし、組織運営まで考えれば大きく見れば、 基本的には動かないより動く方がいい。 動かない組織にはどれほど効率が良くても危険な罠があるように思える。

大きく複雑な仕組みが多いほど、特定の状況での効率は上がるが、 変化に対する耐性は落ちる。 人間には現状を肯定するバイアスがあり、また「こんだけ作ったんだから」と 過去にこだわる性質もある。 だから、完全に合理的な判断は、人間の特性まで考えると非合理な判断になる。 デカい工場を作って効率化することがそろばんの上では良いとしても、 それが将来の変化に対応する能力を奪うことになりかねない。

効率は必要で、そのために仕組みを整えるのは重要なのだが、 その仕組みがあまりに大きくなって人の行動パターンを 左右するようになると、いざ状況が変わった時にどうにもならなくなる。 その意味では、効率の追求はほどほどにしておいて変化できる余地を残すべきだ。 これはプログラミングで言えば、 「最適化しすぎたコードは災いの元」というようなことだ。 「誰も望んでいないほど高機能で高性能なプログラム」も、それ自体は善であっても、 後の変化を妨げる。効率は手段でしかない。効率と生産性は違う。 売れないゲームを低コストで作るのは、高効率ではあっても、 生産性が良いとは言えない。

チケットのシステムとかに怖さを感じるのはそのへんなんだけどな。 自動ビルドとか。その時点では完全に合理的なシステムであっても、 未来においてもずっと合理的とは限らない。 それがあることが不利になるような環境、状況はありうるのだ。 現在が過去より常に進んでいると考えるのは馬鹿げている。 例えば、過去のプログラム開発の貧弱な開発環境は 実はその時点では合理的だったのかもしれない。 SVNもCVSもなくても困らないどころかない方が効率が良い状況が、 絶対にありえないと言えるだろうか。 「新しい道具が古い道具よりもあらゆる状況で良い」 ということは、それほど多くない。新しい道具は、新しい環境において、 古い道具よりも良い事が多い、ということにすぎない。 タイムマシンで新しい道具を古い環境に持ちこんだ時に、 それが良いとは限らない。

もっとも、チケットと自動ビルドは実に便利で適用範囲が広いツールであることは おおよそ間違いあるまいという気はしている。 わかっている人間がいれば導入コストも安い。 ただし、これが害をなす状況は容易に想像がつくし、実際に起きてもいる。 そのための対処と一緒に運用せねばならない。 その意味で、「高い文明レベルを必要とする」分だけ適用範囲が狭い。 「使いこなせるか?使ってうれしいか?」みたいなことを先に考えるべきで、 布教を目的化すると道を誤る。 とは言え、使ってみないとうれしさがわからないのも事実なので、 とりあえず布教してしまってから考える、という順序にも合理性はある。 なんとも悩ましいところだ。

仕事は過大に積んでおくくらいで丁度いい。 もちろん、全てが実行されることは期待しないし、 実行する必要もない。 積んだ仕事は優先順位順に実行されるしかなく、 あふれる部分は必ず出る。 しかし、あふれないように調整すれば人間が腐る。 「確実に実行できる範囲でしか積まない」 という態度はマズいし、そこには現在しかなくなり未来がない。 過大に積まれてあふれる分の仕事というのは、未来への見通しでもあるからだ。 しかし上司が、「積んだものは全部実行しろ。できるよな」 という態度でいれば、できる範囲でしか積まないのが合理的となる。 それが固定化すれば組織が腐る。 下っ端がそれぞれの仕事の意義や利害関係者の欲求を理解して、 極力自分で優先順位をつけてやれる状況を作ることが望ましい。

もちろん上司による命令が必要になる局面もあるだろうし、 あまりに出力が悪ければ介入も必要になるだろうが、 「君がこれをやってくれるとこう会社が良くなるんだよ」 ということを納得してもらう努力をすれば、 大抵の人はそれなりに働いてくれるだろう。 そうならないくらい士気が下がっていれば また違う手を使わねばならなくもなるのだろうが、 今のところそこまで士気が死んでいる状況に出会ったことはない。 貢献する意思がある人はかなりの割合でいる。 その意思を発揮させる条件は人によって多少違うにしても、 その人が思い描いている貢献の形と、組織が必要とする貢献の形 の折り合いをつける労力を惜しまないようにすれば たぶん大抵のところではどうにかなる。 そのうちえらくなったら試そう。えらくならなくても 部分的な実験はできるが。

あー例外はあるな。たくさん積んであると集中力が削がれるタイプは確かにいる。 仕事が終わるまで次を積まないようにしないと集中できない、 というなら積んでおくことはできない。そういう人もいるわな。私とか。

連分数が熱い。

ホーナー法で多項式近似をする際の誤差に ついて自分がよくわかってないことに気づいた。 sinやらcosやらを近似する際に、 その結果が真の値に収束していることを確認できない。 ニュートン法なら収束したところで止められるが、 多項式近似は「収束したから止める」ということができない。 一回「収束したから止める」というやり方ができるアルゴリズムで sinやらcosやらを作ってみればいいんだろうな。 速度的に実用にはならんにしても、何かがわかるだろう。

1項づつ足していけば、「足しても値が変わらなかった」 というところで収束とみなして止められる。 しかし、このやり方だと、桁落ちがデカい。 cosの0度付近を想像すると、いきなり1になるため、 小さな値を足せば激しく桁落ちする。 本来桁落ちを抑えるなら高次の小さな項から順番に足すべきなのだ。 結果が単精度なら途中を倍精度にして後で丸めればいいんで話は簡単だが、 単精度だけで単精度で最後の1bitまで正しくしようとしたら どうすればいいんだろう。あー手はあるな。 実質倍精度で計算することと等価なんだが。

ちなみにcosの場合、最初の1を最後に足せば、それだけでだいぶ良くなる。

タンジェントを近似計算する、という標準関数を呼べば一行で済むことを 自力でやろうとすると、結構な量の勉強をせねばならない。 しかし、この勉強を経ておくことは無駄ではない。 コンピュータで計算するということがどういうことかがはっきりとわかる。 当然数学の基礎も身につく。 また、とりわけ浮動小数点数がどのようにインチキな代物であるかが骨身に染みるため、 アプリを書いていてもfloatに1づつ足し続けるようなバカな真似をしなくなるし、 0.0001に収まればオーケーみたいな安易なコードも書かなくなる。

ただ、ほとんどあらゆることは「知っていた方がいい」に決まっているのだ。 それでも人は全てのことを学ぶことはできないし、それは合理的でもない。 コストが割に合うことしか学べないし、学ばないのだ。 したがって、タンジェントを自力で近似計算する方法を学ぶことで 得られるモロモロのものが、それに要する労力を正当化するか、 ということが問題になる。

結論から言えば、それは何をやる人かによる。 計算っぽい事をコンピュータでやろうと言うのであれば、 およそ必要と言っていいだろう。 ただし一つ言えるのは、タンジェントを近似計算すること自体は99.999%役に立たない ということだ。そんなものは関数を呼べば済む。ゲームで言えば、 タンジェントを1フレームに1万回も呼ぶような処理には 根本的に誤りがあると言える。そして100回しか呼ばないなら 速度は全く問題にならない。 何か標準関数を使えない理由があるとしても、 テイラー展開で50次くらいまで計算するバカなコードを書けば、 速度はともかく結果は得られる。 ググッって係数を見つければ終わりで、理解する必要もない。 したがって、そのものは全く役立たずである。これに関しては趣味と言い切っていい。

これは、別にタンジェントでなくても同じだ。 データ列をスプライン近似する本でもいい。 どうせそのまま役に立つようなネタはない。 そんなネタはとっくにライブラリ化されていて自力で書くことはなくなっているからで、 そうでないネタは特殊な分野の特殊な用途だから本で扱うには不適切なのである。 とはいえ、この手の話はネタが何であれ必要な数学や 計算機科学は似たり寄ったりであり、 それはコンピュータで計算っぽいことをするなら体で覚えていなくては ならないことばかりである。その意味で、何かしらのネタをダシにして 必要な技術を身につけておく必要に迫られる人はそれなりにいる。 ただ、どのネタが比較的マシか、という問題にすぎない。

ここで、すごく良くできたテキストあるいは勉強法があって、 それにかかる労力や時間が小さくて済むのであれば、 割に合う人の率は上がる。 そして、比較的多くの人が興味を持ち、実用から遠くなく、 それに必要な技術がより根本的で汎用的であるようなネタを選べれば、 得られるものも大きくなるから、さらに割に合う人の率は上がる。 うまくやれば、そういう本には意義があるかもしれない。

しかし本当、タンジェントを自力でできる限り高速かつ高精度に計算する、 ということを目的とした本を、中学校レベルの数学しか知らず、 プログラミングも初歩しかできない人間対象に書けたとしたら、 それは結構大したものになるのではなかろうか。

つうか私が読みたい。数値計算の本は、 数学ができる人間対象で書かれているので理屈を理解するのがしんどすぎる。 数学の本が別に必要なのが本当しんどい。 「数学を勉強してから、それをコンピュータに応用する」 という順番で勉強できるのは頭のいい奴だけなんだよ。 普通はまずコンピュータで計算する必要に迫られて、数学を勉強せざるを得なくなる、 という順番なのであって、順番が逆なのだ。 高校や大学で数学なんて真面目に勉強するはずもなく、 数学が本当に必要になるのは研究室やら会社やらに入ってからなんだよ。 そういうニーズはどう考えてもたくさんあるはずで、 それに合わせて本書けば売れるだろ普通に考えて。

うまくやれば大学受験にも役立つだろうな。 単純にいろんなことの「意味」がわかる。 微積分がつまり何なのか、ということは計算という具体例をそれなりに 体験しないとわからないのだが、学校の授業ではそれをほとんど示さない。 タンジェントであれば、紙に直角三角形を書いて、「角度がわかってる時に縦横比を知るには どうしたらいいだろう?」という具体的な問題だ。問題自体は中学生でも理解できる。 なんだ簡単じゃねえの?と思うだろうが、 やろうと思うとこれが簡単には行かないということがすぐにわかる。 高校生くらいならそれを面白いと思う奴はいるだろう。 少なくともあのストーリー性のない教科書と眠い授業よりはマシなはずだ。

誰か書いてくれ。人にこのへんを教えるのにテキストがないのが困る。 「コンピュータで近似計算するって、つまりどういうことなの?」 みたいなことを最短距離で教える方法がないと辛い。 私も数学は苦手な方だが、私以上に苦手な人の方が多いのだ。 高校数学のレベルで怪しいと見て間違いない。 私より得意な人はもちろんいるが、そういう人にこの手のことをやる意思 があるとは限らない。つうか、ない。できる人であればあるほど応用へ行くので、 基礎的なところが放置状態になる。別に今更タンジェントを計算する必要がないのは 書いた通りだが、タンジェントも計算できないようではできない仕事、 というのは結構あるのである。

これは、「テトリスも作れない奴がプログラミングで飯食えるわけねえだろ」 ということからテトリスの作り方の本を書いているのと構図は同じだ。 テトリスそのものは役には立たない。

2013年01月30日

トイレに置いてあった丸元クックブックを久しぶりに開いたら、 じゃこ御飯のページで、ヤバいくらい食べたくなった。 椎茸ダシで玄米を炊く。あれで作ったおにぎりの味は素晴らしい。 本当に二度とあれを作らないのだろうか。

任天堂の倒し方かあ。任天堂に勝つ、というなら評価基準次第では 勝てるだろうし、勝っていると言うこともできるだろうが、 倒す、と言うならアレはないよなあ。

レイテンシを隠す工夫はおおよそ大規模になる。 レイテンシを短くすることができるなら、その方がいい。 その工夫が十分でないうちにレイテンシを隠す工夫に走ると、 デカい仕組みが出来上がって機動性が落ちる。 しかし、すでに出来上がってしまった後に、 余計な手間をかけてでもレイテンシ短縮の工夫を入れるべきか どうかについてはトレードオフなので何とも言えない。

つわりの気持ち悪さと血糖値には相関があるようだ。 腹が減るときつくなるという報告はそこかしこで見かける。 もし単純に血糖値が高ければいいというのであれば、 理屈の上ではブドウ糖や澱粉、砂糖をひたすら食べ続けていればいいはずだ。 下手に食べてそのあと間隔が空くと、インスリンによって 血糖値が元より下がるタイミングが来てしまう。 糖を間断なく供給すれば常に血糖値が高い状態に保てるので、 もしかしたらそれで楽になるのかもしれない。

理屈の上では、脂肪を燃やせる状態になれば血糖値は安定する。 ただし、安定したその値が気持ち悪くなるくらいに低ければ、 ずっと気持ち悪いわけだ。 それに、仮に気持ち悪さの平均が重くても、山や谷がある方が人間は耐えやすい。 ちょっと楽になる瞬間、みたいなのがあれば、それ以外がむしろ 辛くても案外耐えられる。 こればかりは主観の問題なのでひつじこが自分で決めるしかない。

血糖値が上がると、眠くなり、体温が上がる。上がった後は下がるので、 空腹感、胃の不快感、体温の低下、だるさなどが出る。 ここ数ヶ月の自分での実験から、澱粉を食うことによって起こるこれらの 症状を実感することができた。そもそも血糖値が変動すること自体が不快だ。 しかし、それは私のことであって、個体差もあるだろうし、 誰もがそうだとは言えない。

妊娠高血圧や、妊娠糖尿病がどんなもんかは知らんが、 気持ち悪いからと血糖値を上げるべく糖質を食べ続ければ、 血圧も上がるし、膵臓も疲弊するし、 体重だって増えるだろう。ホルモンのせいとか体質のせいとか言うが、 それは高血圧や糖尿病への耐性に差があるだけで、 直接の引き金は糖質過多な食生活の方なのではないのか。

しかし、理屈の話はともかく、食べて楽になるならそれでいいとは思うけどな。 2ヶ月で終わってくれればそれほどの害にもなるまい。 それにそもそも、糖質以外に何を食えるのか、という話にもなる。 食えるものが他に全くないとなれば、さすがにそれはどうにもならない。 焼きおにぎりでも焼きうどんでも、食べる他あるまい。 牛乳や卵すら吐くとなるとさすがにどうにもならん。

自転車は右の膝が反時計回り、左の膝が時計回りに交互に回るような イメージでこぐとほとんど腰だけでこげる気がする。 もちろんイメージなので、こぐ方の足のひざがわずかに内側に入る程度だとは思うが。 この際尻が椅子にはりついてしまうと股しか使えなくなるが、 尻が椅子の上を転がれるくらいの自由度を意識すれば 背筋の下の方まで使えるようになる。 上体が若干前傾して、腕にも多少の重みをかけておくことで、 尻を椅子に押しつける圧力が減って、やりやすくなる。 でも、副作用があるかもしれない。

WiMaxを試しておきたいんだがなあ。 十分使えるようなら親戚んちをそれに置き換えてしまいたい。

2013年01月29日

企業が金を溜めこんでいてけしからんと言うが、 不安で仕方ない状態でつぶれないようにしようと思えば 貯金を増やすのは当然だろう。 給料にしてバラまいて、それで金が尽きてつぶれたら 給料をもらう方だって困るのだ。 ただし、溜めこむということは使わないということで、 使わないということは挑戦しないということである。 その意味では溜めこむよりは使うべきだろう。

給料上げないと景気が良くならない、とかいうのは 会社の知ったことじゃない。そんな理由で給料を上げる会社は 社員に対しても株主に対しても責任を果たしてない。

会社の中に二つ組織があったとして、 何かを協力してやらないといけない状況になったとする。 この時、どちらにもできるだけ相手に仕事を押しつけようとする インセンティブがある。 どちらにも現実があり、正義がある。 「これは相手がやるべき仕事だ」と言う理は双方にある。 結局は合理性以外のもろもろの条件によって どれくらいのバランスで落ちつくのかが決まるわけだ。 しかし、あまり片方に割を食わせると結局自分に帰ってくるので、 それほど無茶はできない。 例えば、AがBに仕事を全量押しつけたとしても、 Bにそれを期限通りに仕上げる能力がなければ、 期限は守られない。Bのせいにしても、遅れることに変わりはなく、 それはAにとっては不利益である。 したがって、Aとしても多少の手加減はせねばならない。 そういう合理的な判断がある程度働けば、 それほどおかしなことにはならないだろう。 しかしそううまく行くとは限らない。 「遅れたのはBのせいだ」と言うことで、Aが責任を負わずに 済むのであれば、そのような主張をすることはありうる。 重要なのは遅れないことであって、責任というツールは そのための手段であったはずなのだが、 それが逆転する可能性がある。 オレのせいでなければどうなってもいい、という暗黒面に落ちないように するのは案外難しいように思われる。

責任というのは、成果を得るための道具だ。 失敗を罰し、成功を褒め、抜けを防ぐ。便利な道具である。 しかし、使い方を間違うと副作用が大きい。 人間の行動を操作するような道具には必ず副作用があるわけで、 責任も例外ではない。 ちなみに、人権や自由も私は道具だと思っている。

なんか就職機会が云々とかで人材系の会社からメールが来ることがある。 LinkedInとかFacebookとかはそれがウザい。 一回この手の人と話したことがあるが、 私の名前でググることすらしてなかったりするわけで、 本当どうでもいいんだろう。 最近は完全に無視しているが、 無視するのも心が痛む。SNSのアカウントを消したらすっきりするんだろうなこれ。

私は正直、人脈が云々とかいうのには向いてない。 一応社会人になったんだし、そういう努力もしないと人としてダメなのか? とか思っていくつかのSNSにアカウントを作ったりもしたが、 悟った。無理。面倒くさい。

twitterは完全に「放送」と考えているので、 発言を連続的に見たい人しかフォローしない。 そして、見たくなくなったり、ツイートが多すぎて追いきれなくなったりしたら、 フォローを外す。そこに人間関係を持ちこみたくない。 相互フォローとか意味がわからない。 もしtwitterをSNSとして使わねばならないのであれば、やめるほかない。面倒だ。 「個人放送」と考えると大層便利なんだけどな。おもろいし。

この腹の減り方はココアのせいか。

なんかロクに進まないうちに25時だ。帰って腹ぺこのまま寝よう。 誰にも頼まれてないのに勝手にやってる仕事についてもろもろ 考えたり議論したりすることに8割以上時間を使ってしまった。 本書かないとダメなんだがなあ。どうにも苦痛すぎて進まん。 一番辛いところに関してはあとちょっとなのに。 そこが終わって最後まで書けば、あとは図を描きながら文章を直して 回るだけだから、半ば自動的に進む。 一回くらいブチ壊すかもしれんが、それでも「一回でも最後まで書いた」 という事実が助けてくれるはずだ。

休みの日に朝から晩まで書けば2日で終わるのにな。 ついそこで人が働いているとそっちについて分析したり計画したりしてしまう。 誰にどういう方向のスキルを身につけさせるために、何をさせるべきか。 作る物の客は誰か。使える資源は何か。制約は何か。 客は何を買うのか。考えるとキリがない。 まあ上司でもなんでもなく制度的な意味では責任すらないのだが。 そんなに本を書くのが苦痛なのか。苦痛だなあ。苦痛だよ。

2013年01月28日

間接部門の類にいる人は、現場のことを知らないままに なりやすい。それは害になる。 とはいえ、現場のことを知ることにはコストが伴うわけで、 それは専門性をいくらかは損ねるだろう。 その損害を埋め合わせるほどの効果がなければ、 現場を知ることにコストをかけられない。 たぶん、現場を知る度合いは人によって変えるべきなんだろう。 間接部門で高い専門性を発揮していればそれでいい人と、 現場との深いコミュニケーションが必要な人は違う。 向き不向きは明らかにある。 ただ、間接部門は現場がその成果を活かして初めて存在が許される のであって、現場の理解がゼロというのはまずい。 コミュニケーションは放っておけば不足する方向へ行くものなので、 その傾向を補うくらいに、多少多めにしておくのが いいんだろう。

でも人によるな。 誰も会社にいるのを見たことがない、 みたいな人であっても、モノが上がってきてそれが使えるなら それでいい。そういう人は役に立つ限りにおいて放っておいていい。 苦手なことをさせようとしても非効率だし。 変な制度で無理矢理コミュニケーションを促進させようとしても、 意図を見透されて白けたり反発 したりする可能性がある。

多数の生徒を教える時、教師一人では無理がある。 例えば教室に30人いるとしたら、どう考えても漏れる。 どうにかして、生徒の中に教師を作り出す必要がある。 それを4人作れれば、一人あたりの負担は6人になる。 さらに、その6人の中で比較的マシなのが一人現れて、 そいつも教えられれば、3人になる。 教師は階層をなしているべきで、 自然にそうなるように仕向ける必要がある。

これはたぶん仕事のチームも同じだろう。 明確な権限を与えることは制度上難しいとしても、 「事実上こいつがこいつらの面倒を見る」 という状況が自然に発生するようにしむければ、 中央集権的な管理の弊害から自由でいられる。 むろんそういったものは曖昧で不安定なので 常にメンテナンスに気を配らねばならないが、 しかし全員を管理しようとして非人間的なシステムに 頼ったり、管理を放り出してしまったりするよりは よほどマシだ。 アジャイルの人々が自己組織化とか言ってたのは そういう話だろう。

格上の人間が格下の人間に何かを要求することは、 何をどうやっても命令の意味合いを帯びる。 命令の意味合いを帯びることがプラスになることもあるが、 マイナスの意味合いを帯びるケースの方がたぶん多い。 そうであれば、誰か適当な仲介者を通す ことは有効な手だろう。もちろん情報の劣化との トレードオフになるわけだが。

並列性を高めるためには、同期オーバーヘッドを 抑えなくてはいけない。しかし、 そのために複雑な同期構造を採用すると、 漏れやロックが発生する可能性がある。 ここはトレードオフだ。 また、複雑な同期構造を使った場合でも 全員を揃えた同期は何かしら必要ではある。 ロックや漏れを確実に取り除くためだ。 しかしそれを定期的に行うかどうかは難しい問題だし、 その頻度も問題になる。

一斉同期ポイントを毎日設けるというやり方もあるんだよな。 朝礼とか朝会とか言われる奴だ。 ただ、数分以上のコストは払えないし、 その範囲でやろうとするとそのために漏れる可能性があるから、 やはりより長周期の大きな同期ポイントも必要になる。 しかし、変に複雑な同期構造を導入するくらいなら、 毎日小さな同期を行うのは悪くない。 それが可能な小集団であればなおさらだ。

もっとも最大の問題は、何時に全員揃っているかが わからんということだな。 そのために10時出勤を義務づけるようなマネは個人の事情を 無視することになる。やるとすれば昼前がせいぜいだろう。 そのうち試してみるのもいいかもしれない。

「意識高い人」という言葉が侮蔑的に使われていることを知った。 わかる。だが、笑えん。紙一重じゃねえか。

オタマはすでに14インチの自転車では 小さいんじゃないかと思うのだが、 気にいっているので仕方ない。 現状握力が足りなくてブレーキもかからないしな。

信号で止まるのは覚えたし、ブレーキも握れるのだが、 どの信号を見るのかがわかっておらず、 通りすぎた信号をちらちら振り返りながら進み、 赤になると止まる。 止まることにストレスがないんだろう。 「赤で止まるゲーム」になっているようだ。

今月何ができるようになったか、と言われると難しい。 最近何かと地味だからだ。立った、とか、歩いた、とかいう 派手さはない。しかし、すべり台も上手に登るし、 自転車もはみ出さなくなってブレーキまで握れるようになったし、 順調だと思う。 ひつじこがダウンしているのをわかってくれているようで、 私とでも遊びに行ってくれる。 つわり祭もあって体重の伸びは 遅くなっているが、まあそれは仕方ない。

脂肪を食べさせる術がないからなあ。卵は一日3、4個 食べているので蛋白質は足りているが、 脂肪が足りない。牛乳の脂肪量なんて微々たるものだ。 脂肪と言えばチーズか肉なのだが、 チーズはそれほど量を食べないし、肉も調理が手間すぎて あまり出せてない。つわりが終わればサンマを 食べまくる毎日が帰ってくるので脂肪の問題は完全に 解決するんだが、しばらくは仕方あるまい。 一応今日は鳥のもも肉を買ってきた。 塩胡椒トマト缶まみれにしておいて、袋ごとゆでる。

調べたらビジョナリーカンパニーを読んだのは2007年の夏だった。 わざわざ買って読んでいる。 どこでその本を知ったのかは書かれていないし、思い出せない。 その周辺の日記は荒み切っており、 考えてみれば新人研修担当という名の 社内ニートをしていた時期だった。 あの頃に溜まった怨念が叩きつけられたのが例の本であり、 あの期間があるから今の私がある。

技術なんて大した問題じゃないんだ、 という今となっては当たり前のことに気づけたのはあの時だ。 技術を活かせる状況がなくては技術なんて何の役にも立たない。 むしろ害をなすことすらある。 技術が強みであるためには、それを活かすマネジメントが なければならない。 となれば、すべきことは簡単だ。 技術を持つ者が積極的にマネジメントを学べばいい。 自分の技術を成果に結びつける方法を考えるのは自分だ。 他人にそれを期待するのをやめて、 「オレをもっとうまく使え」と要求し、 そのためにどうすればいいのかを提案し、 さらに、可能ならば勝手にやればいい。

2013年01月27日

昨日は買い物をする余裕がなかったので、 今日オタマと川崎のカルディでブルーベリー2kg購入。 ネットで買えたらいいんだがなあこれ。

帰りに川、続いて、マルエツでひつじこ用ココアを買い、萩中公園。 どうにか3.5時間オタマをひつじこから離すことに成功。

そんな色とりどりのゲロは嫌だな。

ゆうべいろいろあって糀谷駅前の天空記でラーメン半チャーハン餃子セット というこれ以上なくアウトなものを食べた。そしてわかったことがある。 まず、多少出来が良くてもラーメンはラーメンであるということ。 綺麗な味で肉もいい具合であり、値段も高くはない。だが、ラーメンはラーメンである。 そして、チャーハンは一般的な味つけはしょっぱすぎて許容し難いということ。 調理スキルの高さが伺えるあたりラーメンよりもむしろ満足度は高いのだが、 しかししょっぱい。 そして何よりも、こいつらは私の体には毒だということ。 その後ほとんど仕事にならなかった。元々睡眠が足りていなかったとはいえ、 まさかあれほど早く寝オチして、そのまま5時間起きないというのは 澱粉の魔力と言う以外にない。 やはり、体を害するに値するだけの快楽がなければダメだ。 そう考えると天一と二郎以外にその権利は与えられない。 それにしても天一の神田店が気になる。

ニンジャスレイヤーを一冊読んだ。途中からバカ小説としてでなく、 普通の物語として読んでいた気がする。 普通におもろいじゃないかこれ。もちろん、このネタっぽさがなければ 「単なる普通の何か」にすぎなかったわけで、 それあってのことではあるのだが、 しかし単なる一発ネタでないというのは素晴らしい。 あと、オハギが麻薬扱いなのはあんまり違和感がない。 実際そうだ。スーパーで見かけるたびに抗し難い魅力を感じる。

つうか、これを外人が書いたとか、ねえよ。 だが、できれば本当であってほしい。 その方が夢がある。

円安でもうかっているのだが、これが本当にもうけになるのは、 今すぐこのお金を使った場合だ。放っておけば物の値段が 上がって実質では同じになる。事実、すでにトマト缶は10%以上値上がりしていた。

異常なもうかり方だな。円ベースで見ればだが。 プラス20%とか、意味がわからない。 サブプライムやリーマンの直後ですら マイナス20%になったことはなかったわけで、 マイナスの最大値よりプラスの最大値が大きくなるとは、 奇妙なこともあるものである。 株や外貨は恐いとか良く聞くが、 そんなに変動は激しくないというのが私の実感だ。 余裕資金が一時的に20%失われる、 という程度なら、大したこともあるまい? まさかそのタイミングで全額換金せねばならない状態に 陥ることもあるまいし。

今回の円安で日本企業が持ち直すとも思えんよなあ。 むしろやらないといけない変化を怠って 死期を早める方がありそうである。 エコポイントやエコカー減税の類が 逆効果だったという説は、私にはもっともに思える。 今回の円安もそういうものになるのではないか。 もっとも、変化を怠っているのではなく、 変化によって致命傷を負う人達を守るために ギリギリまで変化を遅らせているのかもしれない、 という気はしなくもない。 変化によって負け組に落ちる人が自然な世代交代で十分に減るまで 時間稼ぎをする、というのは日本の基本戦略だ。 「基本ジリ貧だが、案外しぶとい」という日本の特性は たぶんそれによる。大改革をして失敗して即死、 みたいなことは滅多にない。 たまに社長を外から連れてきてそれをやらかす会社もあるが、 大抵はそれをやらない。単純に短期的な痛みを嫌って先延ばしにしてるうちに、 社内の誰かががんばって辛うじて生きのびるネタをひねり出す、 ということがえんえんと行われて延命される、というのが基本パターンだろう。 これはもう文化と言っていいんじゃないかと思う。

日本人の世界における比率は減る一方である。 国内市場は減る一方である。 これは決まったことで動かせない。 ただし、日本人を雇うべきでない、というのは短期の判断としては合理的でも、 長期の判断としても合理的かは必ずしもわからない。 まず、長期的には海外と国内の賃金格差は小さくなる。 日本人は相対的に貧乏になり、新興国は相対的に金持ちになるからだ。 だから、今高い国内人件費にあえぎながらも耐え抜ければ、 将来的には今より楽になる可能性はある。 また、国内向けに作るのが不利だとしても、 日本人が作るのが不利であるとは必ずしも言えない。 多様な人種と文化を集めてこそのイノベーション、という側面は確かに大きいが、 日本の文化に根差した人間が濃縮された組織でしか出来てこない物もあるだろう。 そしてそれが世界で売れないとも限らない。 とりわけ娯楽の類は「分析できない空気」みたいなものが重要な分野であって、 グローバル化が進めば進むほど、グローバル化から取り残された「ヘンな物」 の価値が上がるということはありうる。 というか、その道以外に生き残る道があるとは思えない。 たぶん、もう一回明治維新みたいなことをしないといけないんだろう。 外から使えるものを持ってきて、それを日本の文化に適合させる努力をすべきなのだ。 そういう意味でも外人と働きたいがなあ。 自分が行くんでもいいし、誰かが来てくれるのでもいい。 とにかく自分達の姿を客観的に見るところから始めないと仕方ない。

市場は世界だが、会社はローカル、という生き方はありえなくはないと思うんだよな。 というか、日本人は放っておけばそういう方向に行ってしまう。 海外から広く人材を集める、みたいなのは苦手で、そうそうできるとは思えない。 生き残る会社の多くは、結局日本人の会社でありつつも、 うまいこと世界に物を売ることができるような会社なのではないか、 という気がする。もちろん。日本人の会社であることをやめるという選択肢は あっていい。ただし、それは社員の大半がそれに対応できるような恵まれた状況が あっての話だ。そうでない会社が無理にそれをやろうとしても、 たぶんひどいことになる。そういう実験をしている会社もちらほらあるようで、 数年後が楽しみだ。成功しても失敗しても貴重なデータになるだろう。

万が一私が社長とかなんかそういう大それた地位になれたとしたら、 絶対に「抜本的改革」なんてことはしないようにしよう。 間違いなく失敗する。人間の慣性を甘く見た人間は必ず報いを受けるのだ。 ビジョナリーカンパニーにあるように、重い円盤に少しづつ力を加え、 気がついたら止まらなくなっていた、というような改革がいいんだろう。 ここ10年のたかだか数十人の組織しか見ていない範囲でも、 人間の慣性は絶望的なまでに大きかった。 10人の集団すら変えるのは非常な困難を伴う。 数百人数千人でそれをやるとか、どれだけ無理ゲーなんだよ。

twitterで自分の本の感想見つけたんでレスしようと思ったんだが、 びっくりされるだけで無益だよな。やめよう。

newが速いか遅いかは、人によって違う。作る物によっても、回数によっても、違う。 何%食ったら遅いとみなすかも違う。 したがって、遅いか速いかは議論で決まる性質のものではない。 話して合意できるとも限らない。結局のところ主観の問題だ。 なお、私はプロファイラにかけて全処理の1%を超えていたらアウトだと思っている。 1%をくれてやるほどの価値はnewにない。 newを削減した書き方をするためのコストは、 どこか他のところで1%の最適化作業をすることになるコストよりも安い。 もちろんそれはここまでの私の経験ではそうだったというだけで、 これからもそうとは限らない。 例えば「一切最適化作業をする必要がないくらい性能が十分なケース」 においては違った結論になるだろう。 毎フレーム数千回のnewをしても気にならないくらい性能が余っているケースは ありえなくはない。それならそれで結構である。まあそんな開発は見たことがないが。 また、メモリが大量に余っていたり、 定期的にミリ秒以上の時間をかけて掃除しても良かったりするならば、 メモリ管理の実装をいじることで速度の問題をほとんど消し去ることはできる。 まあそんな開発は見たことがないが。

関数引数は11章で説明できた。問題は関数の戻り値を何を題材に説明するかだ。 1章で新機能は一つ、というのが暗黙のルールになっている気がするので、 戻り値は次の章かな。2マスに増やして回転を足す。 その過程で戻り値がないと辛いところも出てくるだろう。たぶん。

12章もヘヴィだな。11章の列消去は1マスづつ落ちてくる時しか通用しないので、 列消去も修正せねばならない。さらに、2マスづつ落ちてくると データの持ち方がごっそり変わるし、衝突判定も厄介になる。 12章は結構長くなるかもしれん。

だがさらにきついのが13章。4マスづつ落とすために、回転処理が修正を強いられる。 2マスならハードコーディングできるが、4マスだと最低でもテーブル化の 概念がいる。加えて座標変換の概念も入れるとなおいいが、 これは無理かもなあ。 消す方は1マス用を4回呼べばいいから楽なはずだが。あと、ここで足す機能は定数かな。 それで一応完成する。そして14章でJavascript版のコードを見せて 多少の説教をして本編を終える。後書き、文法マニュアル、早見はすぐ書けるだろ。 ファイル分割と、配列アクセスの構文糖、マウスの入力取得、 は文法マニュアルでのみ説明ということになるなあ。

前作った四角の塗りつぶしと矩形コピーの仮想ハード機能は削除するか。 そこは本質じゃない。むしろそれがない方が最適化の道に踏みこむきっかけになる。 あと、去年はあったBMPを画像ロム領域に読みこむ機能もいらんな。 データの初期化手段さえあればそれで十分なはずだ。 そしてそれは関数で代替できる。Sunaba特有のテクニックにはなってしまうが。

12,13あたりは2章に分割しないときついかもしれん。 なんつうか、もうゴールは見えてるので、あとは気分さえ乗れば一気に書ける はずなんだよ。単純に首をつっこんだ仕事に頭が半分以上奪われているのと、 ひつじこのオエーが気になって仕方ないのが問題だ。 気分さえ乗れば、たぶん最後まであと一日で書けるレベルなのだが。

単なる体調不良なら、寝てれば数日のうちに回復する。 しかし、オエーはなんぼ休ませても回復しない。 かといって休ませないわけにも行かない。 ひつじこを疲れさせないのは何にも増して優先する。腹の子の命に関わるし、 そもそも一番キツい人間を楽にするのは当たり前のことだ。

つうか、他のご家庭は一体どうしてんだ。この時期普通に働いてたりするだろ。 専業主婦だったとしても、旦那が一日に2回も帰ってくる家が そうそうあるとは思えん。自分で言うのもなんだが、 私以上に家事を引き受けている人間がそうそういるとは思えんぞ。 奥さんどうやって乗り切ってるんだ。また、奥さんが旦那に怨念を抱いたりしないのか。 私はそれなりにやってるつもりだが、それでも怒られるんだぞ。

もっとも、ひつじこのつわりは多少キツ目であるようだし、 祖父母が近くにいるわけでもないし、 保育園や幼稚園を活用してもいないし、 ママ友少ないしで、楽ができない状況にある。 加えてひつじこはなんぼしんどくてもオタマをほっぽって寝てるようなマネはできない 見上げた根性と愛の持ち主だ。 いや、もっと手を抜けばいいと思うんだがなあ。

Sunabaでドラクエを作れるのか試してみたい気持ちでいっぱいだ。 しかしグラフィックだろうな問題は。メモリ収まらんだろ。 なにせデータとプログラム合わせて40000番地しかない。 ビット演算がないSunabaにおいては無茶はできんわけだし。 あと解像度が100x100というのはさすがに表現力的に辛いかもな。 色は100万色使えるから補えなくもなかろうが、フォント辛すぎる。 あと、その規模になると開発環境が辛すぎる。 しかしデカいものを作らないと開発環境として どんなものを用意すべきかが見えてこない。 そのうちなんかそれなりな品質のゲームを作らんと示しがつかんよなあ。 そういうものがあれば、「がんばればこれくらいは作れる」 という一つの極限を読者に提示できる。

2013年01月25日

WiiU欲しくなってきた。 春からバーチャルコンソールか。 30円キャンペーンも気になるが、 そのために遊べないのに買うのもどうかと思うしなあ。

風のタクトやってないんだよな。秋か。

なんつうか、感じいいよなあ。ニンテンドーダイレクト。 何かにつけて、感じがいい。

春の更新が最初から入った本体っていつごろ出荷されるのかなあ。

そう遠くない未来にエネルギーや水資源が危機的な状況に陥る、 ということは結構ありうると思っている。 戦争の可能性を排除するならば、 そうした資源の枯渇は価格の上昇という形で見えてくるだろう。 肉や魚はすごく高くなるかもしれない。 相対的に安い蛋白質である乳や卵への移行が重要だし、 それすら高くなるようなら大豆や落花生への移行も 重要になってくる。

もっとも、まだ開発してない土地はなんぼでもあり、 人類の数も100億くらいでピークになってあとは減る一方だから 問題にはならない、という意見もある。 そうであってくれればいいが、果たしてどうかな。 100億でも十分ヤバイと思うんだが。

世界の出生率を下げるには、 まずはテレビを普及させることだと言う。 今からならネットとタブレットだろうな。 また、女性が働くようになれば子供は減る。 機械化、IT化が進んで、知識労働者の比率が増えるほど、 女性を労働市場から締め出すのは難しくなる。

階級が上がるほど面倒なこともあるんだよな。 発言が命令の色彩を帯びやすくなる。これは年齢も同じだが。 だから、その分だけ会議の類では発言を控えねばならない。 自分の意見を言って議論するよりも、 自分が持つ意見に相手が到達するように誘導する方が効果が高い。 うまくできればの話だが。 オッサンになるというのはそういうことなわけだ。

ベラベラしゃべらないこと。聞くこと。 しゃべるならば、基本的には疑問を発するという形で しゃべること。激しく私には向いてない。 しかし、やりたくないし、できる気がしないとしても、 それが必要であることは確かだし、 それが必要であることに気づけたのだから、 やらざるを得ない。 プラトン作品の中のソクラテスになればいいんだよな、 つまるところ。

今やってることに関して、 私は階級は上がってしまったし年も中で一番上だが、 上司ではなく、リーダー等の肩書もなく、 何の権限はない。これは、 何か言うと押しつけと取られやすく反発されやすいにも関わらず、 それを相手に受け入れさせる強制力がない、 というなかなかにしんどい状態であることを意味する。 しかしある意味それは好都合だ。 その状態で相手にこちらの考えを受け入れてもらえるとしたら、 それは理解以外によってはありえない。 私の言うことには相手が理解できる合理性がなければならないし、 それをわかってもらえるように説明しないといけないし、 また、私もまた相手の意見を理解して尊重せねばならない。 その手続きを経ないと、相手は私の言うことを 聞いてはくれないだろう。 嫌でもそれをやらねばならない状況にあり、 私にとっては理想的な訓練場となっている。

マネジメントの経験積めたらいいなあとか思ってたが、 これがマネジメントでなくてなんだ、という話になる。 管理職階級まで上がらなくても、リーダーの称号さえなくても、 マネジメントの訓練はできるわけだ。 やろうと思えばこのチームにいる誰もが5年前に 同じことができた、ということなわけで、 思い立つということの重要性が良くわかる。 もしドラには感謝せねばならんな。読んでないけど。

もしドラが3年早く私の目に触れていれば、 だいぶ変わっていたんだろう。しかし、 3年遅いのに比べれば今の方がマシだ。 遅すぎるということはない。

どういう自動生成スクリプトを使えばできるんだろう、 と思うようなブログがある。 まさか人間が書いてるんじゃないよなあこれ。 しかし、自動生成だとすれば、相当に高度だ。 それなりに文章になっているのに内容が意味不明、 というのは自動生成で作るのは難しかろう。 アフィブログ、と言っていいんだろうけどなあ。 その中に私の本があって発見したのだが、 まるで意味がわからない。 そこそこに引用されてたりするのに意味がわからない、 というあたり、やっぱり人間が書いているのか。 こわいからリンクは貼らない。 これが電波か。

2013年01月24日

ニンジャスレイヤーを借りたわけだが、諸々調べて事情がわかった。 若干興が冷めたが、まあそれはそれとしてなかなかにおもろい。 まあ土曜に電車で読むとしよう。

2013年01月23日

難しい。実に難しい。しかし、なんだろう。難しい、というのは違うな。 結局私の人格は制約条件であって、容易に変わらん部分というのは あるわけだよ。まずすべきことは、技術で対処できる部分を見つけることだ。 そうでない部分は、仮にそれが悪影響を及ぼすものであっても、 制約条件として考慮に入れるべきで、それを消せるとは思わない方がいい。

とりあえず、この手の仕事を始めてから、メモを取るようになった。 webサービスのチケットとかいう奴も使う。 ゲームを作ってる時も使ってたが、基本チームのルールにしたがってただけで、 自発的に使おうと思ったのは今回が始めてだ。 あと、会議の類では、「で今日何すんの?」ということが何かしら出るまで 話を終わらせない。 「そのうちこうしたいね」とか言ってるだけで話が終わるのは、 何も決まってないのと一緒だ。 会議室を取ると時間制限でうやむやになるので、場所は取らない。 逆に必要なことが決まればすぐ終わらせる。

どんなに遠大な計画であっても、「今日何をするのか」 は決めねばならない。もしそれが決められないなら、 それをいつ決めるのかを決めて、それまで保留する。 また、「今日やること」に関しては、担当者と、 それをやっていることを確認する手段も一緒に決める必要がある。 誰が責任を持つのかは明らかでないと、どうにもならない。 確認についてはチケットというシステムがなかなかに良く出来ているが、 あれは所詮「凝ったメール通知」という程度のものだと私は思っている。 結局は自分で見に行かねばならない。

あと、建前を放棄しない。あらゆる活動は、なにかしらの目的のために 行われる。実行の段でそこに寄り道を入れるのはかまわんし、 それがある程度ないとドン詰まりになるので、 意識的に寄り道を入れるべきであるとも言える。 例えば多少効率が落ちてでも教育の要素をつっこむ、 というようなことは意識的にやらんと長期を犠牲にすることになる。 しかし、 主目的が何で、それを果たすための手段である 「当面の目標」が何で、それを達成するために何をいつまでにどうするのか、 というのがメインの話の順序である。 これを曖昧にしたり、ここから外れることは、しない。

誰が正しいかではなく、何が正しいかだけで話をする。 何をしたいかでなく、何をすべきかで話をすることを全員に要求する。 何をしたいかは、やることが決まった後、それをどう行うかという段階で アレンジ程度に入れればいい。それはアリだと思うし、 現実問題止める手段はない。3割増の時間を要求して、 その3割で趣味の勉強をしていたとしても、止めることはできない。 相手はその道の専門家なのであって、その専門性は尊重すべきだ。 専門家が必要な勉強だと言うなら、それを必要でないと言うことはできない。 ただ、組織として今すべきことが何なのか、 ということに関しての合意は尊重してもらわねばならない。 そこの合意をきちんとやれるか、ということなんだろう。

まあ、うまく行かんわけだよ。 気をつけることが多いので頭の回転が遅くて漏れるし、 私にも感情というものがあって、こいつが邪魔をする。 とりあえず、極力しゃべらないようにせんといかんなあと思うのだが、 軌道に乗るまでは無理か。しばらくすれば私がいらんことをせんでも 勝手に目的に向けて回り出すんじゃないかと思うんだが。

メンバーはそれぞれ専門家であり、私はそうではない。 だから選択肢として何があるのかを提示することは 専門家に任せた方がいい。ただ、そこから選ぶのはチームとしての意思決定だ。 もし私が責任者なら私が選ぶことになる。

今年はちょっとお金がかかりそうだなあ九州。

私の方が妻をかわいいと言ってる回数は多いね。 ふと張り合いたくなった。

最近ひつじこはオエーなので、よく辛そうな顔をしている。 そういう時には、即座にカメラを持ち 出してひつじこの写真を撮り、それを見せる。 すると、大抵ひどい顔なので笑ってしまう。 そんなことで多少でも楽になればいいと思うわけだが、どうだかなあ。

今日はフロ上がりで髪の毛がおもろいことになってる写真が撮れた。

サーバ側でいずれいろいろ動かすつもりでいるわけだが、 そうなるとCPUはそんなにショボいものでは困る。 サーバ側のプログラムって何で書くのが普通なんだろ。 PHPは良く見るが、それが一番速度的にもいいのだろうか。 プロセス起動のオーバーヘッドを考えると、 apacheのモジュールになってる処理系でやれるものがいいんだろう。 perl、python、ruby、phpあたりから選べばいいんだな。 私はpythonでいいや。いくつも言語覚えるの面倒くさい。

疑似乱数がどれくらい乱数っぽいかを評価する方法はたくさんある。 というか、たくさんありすぎる。 理屈がどこにあるのか全然わからない。 理論的に「乱数っぽいかどうかが確実わかる」方法があるのかどうかを まず知りたい。 レンダリングで言えば、無限にレイトレースすれば正確な絵ができることは 明らかだが、この分野にそういうのはあるのか。 あるとすれば、レンダリングと同様に、サンプリングによって 「おおよそ乱数っぽいと言えるだろ」という妥協ができるはずで、 問題はサンプリングのやり方だけになる。そうすれば、 なんたらテスト、なんたらテスト、の羅列にならずに済んでスッキリするだろう。

ないんだろうなあ。たぶん。クヌース先生みたいなのがたくさんいるのに そういう手法が本に書かれてないってことは、ないんだろうなあ。

「このテスト通るならこっちのテストも通る」ということが明らかなら、 後者のテストはいらないはずだ。なんつうか、知られているテストは そのへんの検証がなされている臭いが全然しない。 既存のテストに関して相関関係を調べた研究はあるが、 「試してみた範囲では、このテストはなくてもいい気がした」 と言うに留まっている。

連検定って01の偏りも一緒にわかるし、計算速いし、 最初のテストとしては悪い選択じゃなさそうな気がするんだが、 「32bit単位で見た時に、最下位ビットが交互に01を繰り返してる」 みたいなケースを検出できる気はしない。 なお、「32bit単位で見て最下位ビットに規則性がある」みたいなことは、 それ用にテストを作ればわかる。 しかし、そのテストで「31bit単位で見て最上位ビットに規則性がある場合」 が見つかるとは思えない。そう考えると、 その手の専用テストは妥協の産物にすぎない気がしてくる。 統一的な理屈がないか、あっても実用にならないために、 適当にいろんな検定を試して「現実的には大丈夫」という曖昧な答えを 返してるだけなんじゃなかろうか。

任意のビット数ごとに抜き出して、任意の次元の空間に配置した時に 均等にバラつくかどうかを確実に調べる方法ってあるんだろうか。 32bit単位で3次元なら大丈夫、とは言えても、 それが31bit単位で2次元でも大丈夫であることを保証するわけじゃないよな。 メルセンヌツイスターは623次元で均等に散るそうだが、 それはどういうテストを書けば確認できるのだろうか。 29ビットづつ取って622次元でも大丈夫で、17ビットづつ取って248次元でも 大丈夫、みたいなことをまとめて確認するテストはあるのか。 それがなければ、「本当にそのように実装できていること」 を確認できない。 たぶん、確認はできないんだろう。MTの場合、理論が大丈夫であることを 保証してくれているからそんな確認をする必要がない、ということなのかもしれん。

この分野、よくわからんなあ。 まあ知る必要はないんだけどな。乱数の質で困ることなんて、 乱数の使い方を間違ってひどいことになることに比べればはるかに少ない。 どんなに理想的な乱数でも、使い方を間違えればそれまでだし、 そっちの方がよほど難しい。 昔のゲームは「何歩歩くと敵が出て、アイテムは何々を落とす」 なんてのがバレバレになってたりしたものだが、 今でもそういうのあるのかね。

メルセンヌツイスタが素晴らしいと評判で、たぶんそうなんだろう。 ただ、置いてあるやり方まんまだとメモリを食う。 ちょろっと関数内でスタック上に乱数オブジェクトを作って、 100回か1000回呼んだら終わり、 みたいな用途は結構ある。そんな時にはオーバースペックだろう。 線形合同法の、「下位ビットがヤバい」「2次元でもヤバい」 という二つの許容できない弱点さえどうにかなるなら、 99%の用途では十分なんじゃなかろうか。

状態データ8バイトでできる 範囲で最高の品質のアルゴリズムって何だろうな。 周期は64乗もあれば十分なので、8バイトでいいはずなのである。

ちなみに、「下位ビットがヤバい」は剰余でなく除算で使えば気にならない。 6面サイコロを6で割った余りで実現すると大変なことになるが、 最大値の1/6で割った商で実現すればこの問題はない。 ただ、剰余で書きたくなるのが人情であり、コードもわかりやすい。 だから、剰余でやって問題になるような乱数はダメなのである。 また、「2次元でもヤバい」はサイコロを複数振るような場合に問題になり、 たぶん線形合同法である限り逃れようがない。 結局、線形合同法は捨て去るべきなのだろう。 MWCとかXorShiftにこれらの問題がないなら、これらが線形合同法に とってかわるお手軽乱数ということになる。

2013年01月22日

雨だったのでオタマを外で遊ばせられず、 早く出勤した。しかし、コミュニケーションと業務改善で 朝が終わった。進まねえ。進まねえよ。 これは土日しかない。本当に土日しかない。

前の本に.xファイルから本の中ででっちあげた独自フォーマットに 直すツールを入れた。あの時は、そのへんに流通しているモデルフォーマット で仕様がわかっているものといえば.xくらいだったのでそうしたが、 聞けば今は.xなんて古くて、MMDのPMDだと言う。 じゃあPMDを読み書きするSDKとかあるのか?と聞いたら、ないらしい。 皆勝手に解析しているそうだが、SDKの形に整備されたものはないのだそうだ。 これ、もし改訂の時にPMDから独自フォーマットに直すツールを代わりに提供 するのだとしたら、まずはPMDのSDK的なものを作らんと始まらないということになる。 読めりゃいい、と最小のコードで済ませることはできなくないが、 デバグができんし、後でメンテナンスで困ることが目に見えている。 誰かやってくれんかな。使えるものがライセンスの問題なく転がっているなら それを使うんだが。もし改訂をやる時になってないようなら 作る他ない。まあ、本当に改訂できるかはわからんがな。 なにせ今の本ですらこれだけ難航しているのだ。 改訂はそれに比べれば屁でもない作業だが、 それでも単なるプログラミング仕事に比べればはるかに苦行である。

コーディング規約の類において、「見やすい」という理由は理由にならないと 考えている。見やすいかどうかは99%慣れの問題であり、 客観的に見やすい書法などというものがあるかどうかは怪しいものだ。 演算子の両側を空けた方が見やすいかどうか、などは最たるものである。 ただし、信頼のおける母集団において統計を取って「見やすい」 という結果が出るのであれば、それはそれで使えなくはない。 例えばコードコンプリートには「インデントは3がいいらしい」 という記述がある。インデントに関しては0ではダメなのは明白であり、 100もダメである。人間の認識機能などの生物学的側面からある程度の 絞り込みはできるにしても、2か3か4か8か、といったあたりは 客観的合理性によって一意に決まる類のものではない。

そして、99%慣れであればこそ、なんでもいいから統一することに意味がある のである。しかし、その統一範囲内では合理的であっても、 組織が多数あって流動的だったりやりとりが多い場合、 下手に特定のルールに慣れすぎると、適応性の問題が出る。 人ごとにバラバラであっても、バラバラであることが当然であれば、 自分と異なるスタイルのコードを読むことに慣れやすい。 恒常的に無駄なコストがかかるのは事実だが、 どうせ統一できないのだとすれば、ハナッから統一をあきらめる方が 合理的であるという結論はありうる。 最近、それでいいと思うようになった。 コーディング規約は、それを議論する過程で利点のほとんどが得られており、 それを実際に適用する必要はない、とすら思う。 ただし、一つの製品として客に提供するものにおいてヘッダの書き方が モジュールごとに違う、なんてことは許したくないが。

演算子の両側空けるのはやめようかなあ、と最近思うようになってきた。 空けてない人はたくさんいる。私も昔は空けていなかった。 空けるのには空けないよりも文字数を要し、 読む際にも横に長くなるからより広い画面を必要とする。 この2点は明らかなデメリットであり、 「読みやすい」という曖昧なメリットがそのデメリットを上回ることを 証明できなくては合理的であることを強弁できない。 また、演算子の類でもモノによって合理性は異なり、 例えば関数引数のカンマの後を空けるなんてのはとりわけ合理性が低い。 なぜなら、カンマはすでにして空白に近く、空白がなくても それほど読みにくくなるわけではないからである。 セミコロンなどの「白い」文字も同様である。

改善改善。だが、改善とは別に11章をどうにか書き始めたぞ。

テトリスの行消しって、結構難しいぞ。 いや、プロなら書けて当たり前で、 これが書けなかったらアウトもいいところなのだが、 素人にこれをどのように考えてどのように思いつき どのようにコードにするかを教えるのは相当に難しい。 「こう考えれば思いつく」という「思いつく経路」も 説明せねばならない。 「こう書けばいい」では意味がないのだ。

ThinkpadX230sが出るらしいのだが、 中身ivyだよな。解像度が気になる。 1600x900だったりするならivyでも買いたくなるかもしれん。

11章は行消しなのだが、関数引数と戻り値なしでも行けるかなあ と思って説明を書いていた。 しかし、途中で無理だなとわかった。 単純にサンプルコードが長くなりすぎる。 また、メモリに引数を埋めて呼び出し先で取り出す、 ということをする場合、この言語では絶対アドレス決め打ち にならざるを得ないが、これがバグの元になる。 呼んだ関数の中でさらに関数を呼んだ時に、 埋めた数のバックアップを取る必要が出たりして エグいことになる。 本当ならスタックポインタをメモリに埋めて そのアドレスに引数を埋めていくべきだが、 そんなクソ面倒くさいことはやらせられない。 現状「四角を描く関数は3番に縦、4番に横、5番に色を入れて呼ぶ」 みたいなことになってるわけで、 多重に呼び出すとその決めうちの番号がかぶって えらいことになるわけである。 行を消すくらいまではギリギリもつかなあと思ったが、 無理。耐え切れない。

というわけで、11章で引数と戻り値を導入して コードを整理し、12章で行消しをやろう。 「読者に耐えられるギリギリまで新しい機能の登場は遅らせる」 がコンセプトだが、ここは妥協せざるを得ない。 読者の脳を酷使しすぎる。 もしこれが本でなく、横にいる人間に教えるなら、 一旦ひどい目に遭ってもらってから道具を出すだろうが、 これは本だからな。 個別にフォローできない以上、 かけられる負荷には限界がある。 しかもその負荷はそう高くはできない。

と思ったが、11章の途中で導入することにした。 11章の前半まではギリギリ耐えられる。 それに、元々11章には新規要素がないので、丁度いい。

2013年01月21日

人が仕事してるのを眺めてると何かしら業務改善ネタが思いつく。 その思いつきで人をまきこんでしまうのがいいのか悪いのかは 現状わからない。私がいなくても回っていたわけだし、 無用なでしゃばりなのかもしれないとも思う。 しかしとりあえずはやる他ない。 とはいえ、思いついた瞬間に人を邪魔するのもなんなので、 思いつきをメモしておく場所を作ることにした。まあ、 そのために人を邪魔しているのだが、 これがあれば今後は邪魔せずに済む。

また麻生さんが失言をこいたのか...70過ぎのじいさんが言ってるんだから そうおかしくもないんだが、でもまあ、もうちょっと慎重に行ってほしいなあ。 あの人好きだし。政策がまともかどうかはわからんが。

業務改善について考えるのが楽すぎて、本が進まない。 こんなのいくらでも思いつく。 細切れの時間でも仕事になる。 本書くのに比べたらすごく楽だ。 後で落とし穴にはまっていたことに気づいてヘコむのかもしれんけどな。

金になるスキルというものがある。 直接客に売るものを作らなくても、 何かを生産する工場の効率を上げるスキルは、直接金になっていると言える。 コストが下がれば利益が上がるはずだからだ。一方、金にならないスキルもある。 例えば今となってはサインコサインを高速に計算できても金にならない。 今更そんなものはいらない。何かのライブラリの性能が倍になったとしても、 それが金を産むとはもはや言えない。倍の性能のマシンが現れるのに 2年くらいかかるとすれば、2年待てばいい。あるいは、 今は半分で作ればいい。それで根本的に何かが失われることはもうない。 大半の場合において、すでに今のコンピュータは十分に速いのだ。 画質やら何やらでガチ勝負をせねばならない時代はすでに去っている。

しかし、この手の金にならないスキルが、教育的な側面からは馬鹿にできない効果を 及ぼす可能性がある。 大学教養のようなものを捨ててかかることがどういう副作用を生むかは 必ずしもわからない。 例えば、連立方程式の解き方をいくつか勉強して実験したりした 時期があったが、これが直接金を生んでいるとはとても言えない。 しかし、それなしでも現在の私になれたと自信を持っては言えない。 あれがあるからこそ、そういう問題領域があることを知っているわけだし、 そういう類のことに手を染めるのに向いた人間がどういう人間かもおおよそ想像がつく。 いろんな分野をつまみ食いすることの威力は私が身をもって味わっている。

今までやったプログラミングのジャンルをリストにしたら結構幅広いと思うんだよな私。 前の本につけたコードに入ってるものは少なくとも私一人で書いた。 あれに加えてシェーダに、最近の独自言語処理系、 幾何計算、関数圧縮、など諸々ある。 アセンブラも書けたし、計算機アーキテクチャも並よりは詳しくなった。 それにかかった時間は、たかだか10年だ。 遠回りや無駄も多く、デバグしてたり、アプリのコードを書いてたり する時間も大量にあることを考えれば、 カリキュラムとして最適化すれば半分以下の時間で おおよそ同じところまで人を連れてくることができるはずである。 私が特別に優秀な人間なわけではなかろうと思えば、 それは実際に可能なはずであり、試してみる価値がある。 つまり、私が今までに身につけたものを、 誰もが最短の時間で身につけられるようなカリキュラムを 作ることはできるはずだ。 さらに、いまいち役に立たなかった分野を削ったり、 ウェイトをいじるなりすれば、さらに効率が良くなる。 やろうと思えば大学4年間で、素人から今の私と同レベルのスキルまで 連れてくることだって、できないとは言い切れない。 4年というのは本来それくらいの重みがある期間なのではないのか。

私は人生における使命を「自分ができるようになったことを、 他人がはるかに楽にできるようになるための道を作ること」と思っている。 前の本が売れたからそう思っているわけだが、 壮大な勘違いである可能性もある。 しかし、とりあえずもう一冊本が出るまではこの方向で進みたい。 その売れ行きで正しいかどうかが判断できるだろう。

つうか、本当どうやって書く時間を確保すればいいんだろう。 どうにかひつじこのオエーが収まらんかなあ。 オタマが寝るまで夜出勤できん状況では、夜の時間がどうしても短くなる。 そもそも行けないことも多い。 加えて朝はオタマを外で遊ばせねばならんので、早く行くこともできん。 昼休みもあるし、連続5時間確保できる場所はどこにもない。 しかし、今一番辛いひつじこに割を食わせる気はない。 これは私が選び取ってやっていることだ。 だがそれはそれとして、もういい加減本当にヤバい。 4月に出版できないと、今年の九州大学の授業で使えない。

いや、それはもう無理か。 あと10日でいきなり完成しない限り間に合わない、 というところまで遅れている。 学生には書きかけのPDFを配るしかないなこれは。

夜行っても、結局誰かいるとその誰かの仕事に首をつっこんで 業務改善祭になってるんで、ダメなんだけどな。 たぶん土日にやらんとダメだ。

オタマの皮膚もあと一歩で以前に比べればはるかに手間が減ったし、 不妊騒ぎもめでたく終わったので、それに関連するひつじこのストレスも減った。 しかし、今度はつわりだ。オタマがいる状態でひつじこがつわりに襲われる、 ということがどういうことかをまともに想像できていなかった。 オタマがいる分だけしんどいので辛い。 まあ、あの時よりひつじこが健康なので、それが救いではあるのだが。 つわりが来るのはわかっていたのだから、その前に集中的に 書いておければ良かったし、そうしようとも思ったのだが、 いろいろあってそうはしなかった。

とりあえず、つわりでひつじこが私が作ったものを食えないので、 料理をするのをやめた。オタマと私はそこにあるものを食えばいい。 卵、肉、乳、チーズ、豆、あたりを飽きもせず食っておれば良い。 料理をする必要はない。今日も温泉卵を大量に作っておいた。 昨日作ったゆで肉は2,3日は食える。だから手間は削れる。 あとはどうやって時間を空けるかだけだ。 やっぱり土日しかないよなあ。そんなことはずっと前からわかっていたんだが。

結局、本を書くことが後ろめたいのが全ての元凶だ。 ひつじこの視点から見れば、私の仕事は趣味でしかない。 休みなのに趣味にかまけて家にいない、ということでしかない。 私が本を書くことはオタマやひつじこに何ら益を及ぼさない。 どう考えても、家を基準に考えると、本を書くという仕事を選んだこと自体が 間違いとしか言いようがない。「オレの使命はこれだ、キリッ」とか言っても、 そんなのは私の勝手だ。 ひつじこは子育てに縛られて仕事という自己実現ができない状態にあるわけで、 私にだけその権利があると主張することはできない。 私には本を書く権利がないのである。

そんなことばかり考えるから、余計に集中できん。 明日も朝オタマを公園に連れていかねば、とか思うと、 もし調子が乗ったとしても、1時過ぎには中断して帰って寝ないといけない。 でないと体が持たない。 そう思うと、11時過ぎに仮に一人になれたとしても、 そこから書く気力が湧いてこない。

ここ三週間くらい完全に心が折れていた。1文字たりとも進んでない。 もう書けないんじゃないかと思った。 facebookに前書きを置いてみたりしたのは、 誰かに応援してほしかったからでしかない。弱さでしかない。 やはりすべきじゃなかった。今折れているようでは、とても全うできない。

つまるところ私の精神の問題だ。30分でも1時間でも ゾーンに入って書けるようになる以外に解決方法はない。 強い意思を持ってやるしかない。

強い意思か。苦手だ。意思が弱いからこそ仕組みを作って自動的に 努力するようにしてきたわけで。そういう意味では私には著述の類は 一番向いてないんだよ。プログラミング仕事なら 机に向かえば自動的に進むが、著述はどうにもそうはいかない。

せめて、誰か催促してくれればと思うんだが、 誰も催促なんてしてくれないんだよな。締切もない。 まだですか、と誰も言ってくれない。 これは私一人の戦いでしかない。私が律速であり、私が書き終えるまでは 誰一人として動き出さない。ただ遅れていくだけだ。 そして遅れて損失を被るのは事実上私だけだ。 だからこそ、意思の力がなければどうにもならぬ。

大学の時に漫画を描いていたことを思い出す。 あれは必ず締切があった。だから描けた。 思い出してみれば明らかだ。私は締切なしにはできないタイプなのだ。 16年前から人間性の根本が変わっていないのだとすれば、 そういうことになる。 考えてみれば漫画に限らない。夏休みの宿題だってそうだった。 受験勉強だって3年の夏休みまで何もしていなかったくらいである。 私はそういう人間なのだ。 しかし逆に言えば、締切さえあればできたのである。 大学末期には精神状態が悪化してついに漫画を描けなくなったりもしたのだが、 その時期を除けば、おおよそ締切さえあれば何でもできた。 その締切が、今はないのだ。

しかも今はなお状況が悪い。 以前は、「それをやることは正義」だった。 漫画を描くことは正義だった。描くことが何か他の人を 犠牲にすることはなかった。受験勉強だって夏休みの宿題だってそうだ。 だが、今回本を書くことは違う。それに没頭することは ひつじことオタマに犠牲を強いる。書き上げても、 見える範囲においては私がうれしいだけだ。 読んで恩恵を受ける人がいるかもしれないし、そうでなければ出す意味など ないのだが、読者なんて広く薄まった現実感のない存在にすぎないし、 今はまだ存在しない。今私の前にいる人間に比べるべくもない。 だから本を書くことはもはや正義ではない。 書けるはずがない。 そもそも私にとっての漫画と一緒で、その行為自体は苦行なのである。 逃げ道があれば逃げるに決まっている。

出版社の人が催促してくれるもんなのかなあ、なんて思ってたが、 そんなわけもないんだよな。甘えにすぎん。それにこの手の出版では 多数の著者候補がいて、そのうちのわずかな割合しか本を完成させないという。 だから、完成する前に出版社が積極的に関与することはコスト効率が悪い。 完成して出版するまでは出版社側に出費がないのだから、 完成するまで放っておく方が合理的である。 実際前もおおよそそうだった。 だいたい、売れたとしても利益は微々たるものだ。 仮に2000円の本で粗利が1000円あったとしても、 1万部で1000万にすぎない。5万部売れてもなお5000万だ。 こんな小さなもののためにコストを割けるわけがない。 私は自分一人で戦わねばならない。 投げ出せば楽になるが、そうすれば私は自分の信念を丸ごと捨てることになる。 決定的な線がそこにある気がする。

無理やり少しだけ書いた。10行くらい。明日この続きを強い意思を持って書く。 とりあえず処理順に説明するだけなら前後の流れもコンセプトもない。 事務的に説明する文章を書くだけだ。それで良ければ書けるはずだ。 前の章を読み直したりせず、いきなりそこから書き始められるはずだ。 気分は乗らないだろうが、それでも書けはするはずだ。 今日はもう2時なので帰って寝る。さすがに明日起きられない。

2013年01月20日

そんなに雪おろししないとダメなのか青森県。

ひつじこがジャンクの虜になった。その一方で天一のスープ の臭いで吐き気をもよおす。もはや何がアウトなのかさっぱりわからん。 ひつじこの食べ物は本人にまかせよう。

鶏胸と豚ロースを袋ゆで。デカい鍋のおかげで冷めにくくなったはずだが、 発泡スチロール箱に入らない。高さ24.5cm以上の箱がないとダメだ。

私にはfacebookは使いこなせないような気がしてきた。 なんかfacebookから送ってきたメールに変なボタンがあって 押してしまい、それで知らない人に友達申請が送られてしまった。 申しわけなさすぎる。いろいろあってそのままにして頂けることになったのだが、 なんつうかダメだ私。 ますますfacebookには書きこめなくなる。 何か書くとそういう人にも書いたことが送りつけられてしまうわけだろう? 相手のタイムラインを汚すようなマネはしたくない。 twitterの場合は好き好んで見ている人であることはほぼ確定なのだが、 facebookの場合には必ずしもそうとは言えまい。 そう思って、twitterがfacebookに流れないようにしておいたわけだが、 それだけでは不十分な気もしてきた。

なんつうか、基本SNSの類は無理っぽい。twitterが限界。 しかし、それを学ぶ意味で有益なので、アカウントは消さない。少なくとも今は。

オタマがgalinha pintadinhaというのを気にいって、一日中かけっぱなしにしている。 ブラジルの幼児番組らしい。言葉はさっぱりわからないが、 ラテン系の言語はどれも似たりよったりに見える。 一個覚えたら後はどうにでもなるんじゃなかろうか。ナメすぎか。

日本人は英語をがんばりすぎると効率が悪い。 コストが高すぎる。最低限で割り切って、他のことをすべきなんだろう。 その最低限が相当に高いのが問題なのだが。

2013年01月19日

ひつじこは麦が食べたくて仕方ないらしい。食え食え。

2013年01月18日

夜中。ひつじこが吐いている。嘔吐はどうにかならんのか。 血圧との相関もあるようでもあり、ないようでもある。 無理矢理吐き気で活動を止めて流産を抑えるとか、 そういう話なのか。だとすれば、集団のサポートなしでは 生きられたはずもなく、発生当時から人類は群前提の生き物だったことになる。

まおゆう読み終えた。

おいしく食べられるといいな、柏餅に塩豆大福。 そして、その程度で「糖質制限をやめる」とは言わない。

thuderboltって何かと思ったらPCI Expressが外に出てきてるものなわけか。 使い勝手としては、USBとLANケーブルとディスプレイケーブルが みんな一緒になるぞー、みたいなイメージなんだろう。 現状高すぎてどうにもならないが、 そのうち安くなれば普及するのかもしれない。

やし油のような短い脂肪酸は燃えやすく蓄積されにくいので、 糖質制限時にもいいらしい。しかし、 これでいいかどうかは大規模な実験なしには確かめられない。 たまにココナッツミルクを使おう、という話になって終わりだ。

つわりに関しては英語のwikipediaが詳しい。こういう時は日本語じゃダメだ。

血糖の低下。胃の動きが悪くなること。このへんが吐き気の原因としては とりあえず疑われる。 血糖を上げるにはでんぷんを食えばいいが、これはこれで負担だ。 砂糖食え、という話になる。 もう一つ胃の動きが悪くなることに関しては、滞留しやすい脂肪や食物繊維を減らし、 よく噛むなり元々細かくするなりして消化速度を上げるのが良い。 いよいよ牛乳やヨーグルトでもヤバイ状況になってきた以上、 もう少しどうにかせねばならない。 かといって、液体は胃液を薄めるので、それはそれで問題である。 粉末に近いレベルの蛋白質と、若干の糖。 それ、もしかしてプロテインじゃね?あるいは生に近い卵。

まずは温泉卵を試すか。あとは無脂肪乳も「高濃度蛋白液」 としては悪くないが、卵に比べればはるかに薄い。

オタマの体重が減っている。つわり対応で使える食材が減っているので ある程度はやむをえない。しかし改善の努力はせねばならぬ。 オタマに関しては脂肪の摂取量を増やさないと、 蛋白質が燃やされて効率が悪い。なにせ澱粉が少ないからな。 しかし、肉と魚が使いにくい今の状況では、乳由来の脂か植物油。 オリーブオイルを多めに使える何かでオタマが食うものはないか。 あとは、プリンかな。牛乳でなくクリームで作れば、高脂肪プリンができる。 問題は、それをひつじこが食えるかなんだが。 どっちかしか食えないものは極力作りたくないんだよな。

昼に鶏肉を塩胡椒オリーブオイルに漬けた。夜にトマトとにんにくで煮る。 あとプリン作っておいた。今日オタマは卵を食べすぎなので、これは明日。 低脂肪乳をテスト予定。

鶏肉はトマト缶で煮た。中心温度が65度に上がった所で火を止める。 しばらくしたら肉を取り出してソースだけもうちょっと煮詰め、 こんなもんだろと思ったところで醤油を加えて香りを添える。 ひつじこは結構食えた。

2013年01月17日

「虚数の情緒」がいい。これをプログラミングでやる、 と言うのは一つの指針ではある。しかし、これはやりすぎだ。 本気がほとばしりすぎて、それを楽しんだり受け流したりする余裕がないと 耐えられない。また、読者には読者の現実があるのであり、 教育が劣化したとか文化が死んだとか言われても老人の説教としか感じない。 同意したとしても、それは自分ができないことを周りの大人のせいに しているだけかもしれない。 加えて、目的が見えないことが辛い。 オイラーの贈り物は例の式を理解するという明確な目的があった。 しかし、この本にはそれがない。 「数学ができるようになる」では漠然としすぎているのであって、 受験やら何やらに追い立てられている青少年にはこれを読む余裕はない。 精神的な余裕を持てる少数の学生か、あるいは趣味で読む大人しか ターゲットにできないだろう。

もし私が数学で本を書くなら、まず何かしらの目的を設定する。 その目的は、学生なりのターゲットにとっての現実で意味のある 目的であることが望ましい。例えば、受験に使う微積分を理解する、 というどうしようもなく即物的な目的でいい。 ただし、読者に対しては、それが仮の目的であり、 真の目的が数学全体、あるいは数学的な思考を鍛えることであることは 一応示しておく。それが、微積分を理解するのに必要なさそうな ことを含めることの言い訳になる。 「カレー作りを通して料理というものを学んでみよう」 というのが今回の本のコンセプトだが、これを数学にも応用する、 ということだ。著者は具体例を多く体験して、そこから法則を導き出す、 という順序を重視している。しかし、それを目的そのものや 本の構成にまで適用してはいない。 私なら、「受験の微積分」という具体例を窓にしてその向こうにあるものを チラリと見せる、という方向にする。そうすれば、内容を絞れるから ページ数を減らせる。値段が下げられる。そして、 それほどの時間をかけずに、一定の具体的な成果が得られる。 この例なら、とりあえず受験に必要な微積はわかる。 その過程でその向こうに行きたくなってくれればそれで良いし、 よしんばそうならなくても成果はゼロではない。 名著にはならないだろうが、より多くの人に、具体的な効果を及ぼせる 可能性が上がる。

この本の最初にドカンとある思想の表明、 あるいは説教の類は、私も書きたくなるし、ゼロにしては本気が伝わらない から多少は必要だ。しかし、それは本の中に分散させるべきだし、 極力後半に持ってくるべきである。なぜなら、説教の類は抽象的になりがちであり、 具体例を先に示すべきだという大原則を考えれば、 まず何かしらのことをできるようになってもらってからでなくては 心に刺さらない可能性が高いからである。 そしてもちろんのこと分量は抑えねばならない。 こんなに書いちゃダメだ。気持ちはわかるし、 私はこういうのが好きだから、読者としては歓迎する。 著者はこの世界に波紋を起こすのが目的っぽいので、その意味では間違ってない。 しかし私なら、「読者にとって役立つ」ことを最優先にする。 私の思想の表明はその害にならない範囲でしか許されない。 どのような意図で本を書いたかは、本の中には概略のみ記し、 詳しいことはここにでも書けばいい。実用書であれば、 読者にとって不要な文字は一文字でも削るべきだ。

その意味で、私は謝辞は本文中には不要と考えている。 本当はCDROMの中に入れたかった。それなら読者の邪魔にはならないし、 ページのことを考えて分量を削らずに済む。 どんな経緯でどんな協力をしてもらったのかを 事細かに書いて感謝の意を示すこともできる。 しかし、それはそれである。謝辞を書くのは出版という文化においては 常識であるらしく、それを無視することはできない。 今回も謝辞は書くだろう。しかしそれはそれとして、 データの中に謝辞詳細版を書くのはいいかなあとは思ったりする。 そうすれば一人1ページくらい書ける。 そこまでやれば、たぶんそれは読者にとっても面白い物になるだろう。

実用書と文学あるいは娯楽の境界は曖昧であり、 そこに線を引こうとするのは文化的な貧しさの表れである、 とか言われるかもしれない。 しかし、買う人間が何を買おうとしているのかは考えるべきで、 まず何よりも客が期待することを提供せねばならない。 期待した以上のものを提供できればなお良いし、 そうでなくては私としては失敗なのだが、 それは期待したことを提供できた後の話になる。 今回は、とにかくテトリスを作れるようになってもらわねば困る。 ゼロからコードを書けるプロになるための基礎を身につける、 という裏の目的はあるが、そのためにテトリスを犠牲にすることはできない。 だから、テトリスを作るのに必要であると言い訳できる範囲でしか 脱線はできない。それがどんなにプログラミングとして重要な内容であってもだ。 それに関しては売れてから別の本でフォローすることを考えれば良い。 私はあくまでも実用書を書かねばならない。

もっとも、そうは言っても、結局のところ私は書きたいように書くだろう。 前回もそうだった。こう言ってはなんだが、 同じ目次、同じ技術的内容で別の人が書いたとしても、 私の本と同じにはならなかっただろう。 言うならば、私には「キモさ」という武器がある。 普通の技術者が書いた文章には、この「キモさ」がない。

それにしても、虚数の情緒の書き出しはたまらん。 「諸君、勉強を始めよう勉強を」と来たもんだ。 なんかこのレベルにキモい書き出しが思いつかないものかな。

facebookに前書き上げといた。ついでに「こんな本が欲しい!」の リストや、自分で書くとしたらこうする、という妄想をメモしておいた。 マジ誰か代わりに書いてくれ。苦行すぎるんだよ本を書くのは。 ましてこんな状況では。はやくつわり終わらないかなあ。 料理しても食えるかどうかわからず、残って私が食うことになるので やる気も失せるが、全くやらないわけにも行かない。 とりあえずオタマの相手で、「どれだけひつじこからオタマを引き離せるか」 というゲームである。仕事に集中なんてできやせん。

反応を観測したくてfacebookに上げたわけだが、早くもそれなりに反応が 観測できてうれしい。もっと早くやればよかった。 しかし、これはこれでデメリットがある。 まず、いいねとかがたくさんつくと私がいい気になる。 本を書くというのは苦行だが、苦行でなければならないし、 苦行でなければ書けない。 気が楽になれば、苦行でなくなるから書けなくなる。油断する。 自分を否定し続ける力が出なくなる。 それともう一つは、内容やコンセプトに対する批判、改善要求などが 来るはずもなく、つまり、実質的に役に立つ反応は皆無であるということ。 「いいね」とかつけばそりゃうれしいが、うれしいだけでは役に立たない。 「この路線で欲しがる人がいるようだ」ということはわかるが、 存在することと、それが十分な数いることは異なる。

ひつじこの吐き気がひどいことになっているので、気功的な何か。 オタマの時もやってたな。下手すると夜通し。 でもオタマの時に比べれば悪い何かはあまり見当たらない。 ただ胃が止まっているので、動かす助けをするだけだ。

算数には案外難しいネタが入っている。面積を求める方法や、体積を求める方法を 暗記に頼らずに理解するのは結構骨だ。 四則演算をなぜ筆算でやれるのかも、一回くらい考えてみた方がいいし、 「10mの道に1mごとにコーンを置いたらコーンはいくつ?」と聞かれた時に 「10」と答えるようでは、プログラミングをした時にひどい目に遭うだろう。 分数の四則演算なんかも暗記と反復練習だけでは罠に落ちやすいネタだ。 私は運が良かったので、全く引っかからずに小学校を終えられた。 しかし、それは運が良かっただけであって、 相対的に運が悪い人はなんぼでもいる。 そして、この段階ではどのような教え方をしているかが致命的に効いてくる。

吉田氏の言うように、具体例の体験から仮説を抽出し、それが仮説でなく 一般的に正しいことを証明し、この出てきたものから新たな具体例へと広げていく、 という経路は小学校でも使うべきものだ。 ただし証明はおそらく省くことになる。 ただ、数学的には証明が正しいかは0か1かであるとは言え、 現実的には「なんとなく納得できる理屈」がありさえすれば、それは証明の代わり と言って差しつかえない。分数の分子と分母に同じ数をかけても結果が変わらないのは なぜか?みたいなことは、適当に想像できる具体例を2,3挙げておけばそれで足りる。

円錐の体積が円柱の1/3、なんてのは、先に粘土かなんかで作って重さを はかって納得しておくべきなんだよ。適当でいいから。 円の面積だって、それで行ける。重さの測定で面積を代替する方法は、 公式より先に知るべきものだ。あるいはサンプリングしてもいい。 方眼紙を上に置いて、上に乗るマス目の中心全部にピンで穴をあければ、 下の図形にあいた穴の数が面積の近似値になっている。 アルキメデスだって最初はそうやって実感を育ててから 式を編み出したらしいわけで、いきなり式を習うなんて正気じゃない。

考えてみれば、高さが同じならなんぼゆがんでも台形の面積は同じ、 というのも納得するのは結構な手間だよな。 例えば、「下と上の辺が1kmくらい離れたら、さすがにデカくなるんじゃねえの?」 とか思うわけで。その分ちゃんと細くなるんだよ、ということは 理屈だけでなく直感としても納得しておかないといけない。 また理屈にしても、 包含する長方形から三角形を2個引く、ということが思いつかなければそれまでで、 これを確実に思いつくためには、「面積と言えば分解」というくらいに 分解の考え方に親しんでいなくてはいけないし、 分解する際には自分がすでに知っているものに分解するのだから、 自分が何を知っているのかを整理できる頭がいる。

プログラミングと問題は全く同じだ。できてしまった人間には、何が難しいのかが わからないのである。できていない人間が、何が原因でできないのかを明らかにして、 それを修正せねばならない。また同時に、それができることで何がうれしく、 できないことで何がマズいのかを、実感できる形で伝えねばならない。 でなければ、道がつながっても歩こうとはすまい。 私にテスト駆動開発やアジャイルを勉強させたければ、 それが得であることを納得させねばならない。それと同じだ。

料理も同じなんだよな。ひつじこに料理をさせるためには、 プログラミングや数学と同じことを料理でもやらねばならない。 まあ、やればできるのはわかっているので、これはそう難しくないのだが、 なにせ手間がかかる。

2013年01月16日

オタマに発疹。蒸し大豆が多すぎた可能性が高い。 あるいは牛乳や卵への依存度が高まりすぎたか。 ひつじこが吐くからなあ。まともに料理するのは難しい。 なにせ魚に頼れない。ちょっと前まで三日に一回はサンマを食べている ような状態だったのだ。しかし魚はどうしても臭いが出る。 仮に鍋で煙が出ないように焼けたとしても、完全に無臭というわけには行かない。

牛肉を買ってきたが、トキソプラズマのこともあるし、 ローストビーフ的なことはできない。加熱しすぎれば固くなっておいしくない。 薄切りにして焼けば食えなくもないが、おいしくはない。 なにせ赤身だから固くなるし、うちは焼き肉のタレの類を良しとしないのである。 となると、ミンチにしてハンバーグ的な何かだろうなあ。

にしても、67度2分か。56度10分の文献もある。 しかしいずれにしても文献をたどれない。わからない。 役所の通達はかなり安全側に振っているはずだが、 ここで危険を冒す利益があるかと言われると微妙だ。 いや、あるんだがな。「肉をおいしく食べられる」 は明らかに利点で、これが失われれば肉を食べる気は失せるため、 食材のバリエーションが失われる。しかし、 今回のケースではとにかく安全側に振らざるを得ない。

タレや衣で工夫して加熱しすぎで固くなっても食べられるようにすることはできる。 しかしそれはうちで料理するには効率が悪い。買って終わりにすべきだ。 しばらくは肉料理は買って済ませろということになる。 家でやるのは肉をダシとして使う料理くらいということか。

温度は肉を薄くすればコントロールしやすいが、 分厚い状態でないと汁が逃げる表面積が大きくなる。 理想は恒温槽での加熱なんだがなあ。温度計からのフィードバックで 加熱されるような素敵な装置が欲しい。 67度というのは肉が固くおいしくなくなる温度ギリギリであり、 焼きや蒸しだと、中央部がその温度になる頃には全体としては加熱が 過ぎる状態になっている。

プチフリがひどいのだが、これどうしたらいいんだろ。 webで調べて出てくる対策も本当か? とりあえずテンポラリファイルの書きこみをメモリ上にするのは 原理的に考えても効果がありそうである。 だが、そんなにメモリねえよ。メモリ増設しろというのか。

お年寄向け商売が難しい理由。 経験豊富なために若い層より多様であり、数を出しにくい。 収入が乏しく不安が多いため、財布の紐が固い。 情報を届かせる経路が少ないため、アピールが難しい。 しかし一方で、社会における参加度が下がっていることによって、 社会参加に飢えを感じている。

よって、おおまかに言えば、こうなる。 きめ細かくニーズを拾うこと。大量生産のやり方ではダメだということ。 また、「意味のある消費」であること。節約の手段となるサービスは一番簡単で、 例えば「モノの所有権を買わず、モノの使用権を買う」というような サービスがその一つになる。使わないものが置いてある無駄感が薄くなるし、 節約にもなる。 社会参加の意味合いを持つとか、誰かのためになるとか、 そういう何かを提供するのが良さそうでもある。

コンピュータを使った娯楽、という枠で考えても、これは結構参考になる。 初期投資のデカい家庭用ゲーム機を売るのは困難であり、 売るにしてもスマフォのような「他の用途もあるもの」である方が良い。 そういう機械があることをどうやって伝えるかという問題は別途考える必要がある。 ゲームセンターのいいところは、店に行きさえすればわけのわからんことを 考えなくて済むところだ。初期投資も小さい。人がいれば関係も生まれる。 もっとも、場所が必要ということの弱みもあるわけでそう簡単ではないのだが。

投資関連の記事は大半何の役にも立たない。 5日間移動平均がどうとか言ってる記事はその時点でゴミだ。 気配とか、底固いとか、そういう表現が出てくる記事もゴミである。 投資はその道のプロ、つまり賭博屋でない限り、長期でしかできない。 一般人にとっての長期というのは20年以上のスパンであって、 30で開始して60になった時にどうなっているか、というのが関心事である。 というか、そうでない人にとっての投資は賭博あるいは趣味だ。

だって、無理だ。短期においては、経済成長はゼロ以下とみなせる。 したがって、もうかる人がいれば、損をする人もいる。 賢い半分がもうけ、愚かな半分が損をするならいいが、 現実はそうではない。賢くても損をするし、愚かでも得をすることがある。 自分より賢い人達が損をする側に入る状況において、 自分がもうかる半分に入ると信じる理由は何もない。 まして、手数料の存在によって、合計がマイナスであることは保証されている。 期待値はマイナスなのだ。 したがって、短期の投資は不可能である。 個人にできるのは、分散によって最悪時のダメージを軽減することと、 世界の経済成長のおこぼれをもらうことを期待する程度のことだ。 しかし、それ以上を求める人がたくさんいて、そういう人向けに こういう記事が書かれている。こういう記事を書く人が生活できるくらいの金を、 こういう記事を読む人は直接的にであれ間接的にであれ払っているのだ。

2013年01月15日

普通に考えて、お金たくさん刷ります、と言っている国の通貨は売る。 価値が下がるとわかっているのだから、売るに決まっている。

「食と文化の謎」が素晴らしい。 果物を食べている猿は、実はその中にいる虫を食べている可能性がある。 虫がいそうな部分以外は吐き出したりするらしい。

人肉食がタブーになる条件は何か、という問いをできる段階で ただ者ではない。 この著者は異端視されてるらしいが、その理由が私にはわからん。 普通に理屈を立てて書いてるじゃん。このどこにかみつく理由があるんだろう。 拷問殺害描写がエグいのが嫌だ、というのはわからんでもないが、 そんなの大した問題じゃない。

肉食は生物学的事情から言って効率がいい。 問題は、現在の世界において経済的には効率が悪いということだ。 草が勝手に生えてて土地も余ってた時代なら牛や羊が最強だっただろうし、 森にドングリが落ちてれば豚が最強だっただろう。 しかし今は土地も水もエネルギーも足りない。 というか、人が増えすぎた。 人が減ってくればまた変わってくるんだろうが、 こうなると大豆の有効活用くらいしか救う手がなさそうな気がする。

ひつじこが酢豚を食べたがったのでスーパーで買って帰った。 玉葱やピーマンなどの野菜だけが綺麗に残されたので食べた。 玉葱は半ば生で、辛かった。 それにしてもひつじこの食欲がわからない。これがつわりか。

トキソプラズマ。検査しよう。肉内部にいるという話であれば、 うちの加熱では甘い。この前の牛二回だけだが、 万が一ということがある。日本ではそうそうないが、 そもそもあったかなかったかをきちんと調べていないという事情もあるので、 検査して損はない。自費とは言え大した額じゃないし。 もっとも、周囲に猫もおらず、豚でもなく牛で、しかもオーブン加熱で 空気に触れる場所は加熱済み、ということであればリスクは相当に低いはずなので、 「安心材料を増やすため」と言ってもいいレベルではある。

私を公共空間で君付けで呼ぶ人なんてそう多くないはずだが、一体誰だろう。 twitterで97の奴を読んだ人が「平山君」とか書いてる。

2013年01月14日

冷蔵庫に入れっぱなしだったひき肉で肉味噌的なものを作り、 天一の麺とからめて食べたが、恐ろしく胃に重い。 塩漬けひき肉はまだ半分あるが、 これ以上消費するのは無理だ。すでに若干臭いが怪しいしな。 断腸の思いで残りは捨てた。 ひつじこの食欲読めなさすぎるので、当分まともに料理はしない。

唐揚げ、天麩羅、焼き鳥というリクエストがあって 買ってきたらそれなりに食べた。全く読めない。

オタマは卵と牛乳とチーズを食ってりゃいいだろしばらくは。 あと予想外に蒸した大豆を食べる。しかも箸で。 試しに持たせてみたらあっさり使えた。 変な輪が3つついた幼児用箸とは言え、 まさかこうもあっさり使えるとはな。

ビブラム、こういう日は辛いな。足の指が冷たすぎる。雪水でグジョグジョ。

雪の中、良月が来た。オタマ大興奮。 来てしばらくは「バイバイ」とかひどいことを言われていたが、 だんだん面白くなってきたっぽい。 それにしても飛行機ないらしい。

夜、肉味噌の残り。豆腐を載せて食べていたら、ひつじことオタマが 豆腐だけを食べていった。そして肉味噌だけになった。味濃いわ。

もう挽肉は買わない。何やらマズいし、塩まぶして冷蔵庫入れとくにしても 3日を超えると怪しくなってくる。 挽肉が欲しかったら、塊肉を自分で粉砕すればいいんだよ。今後はそうする。

2013年01月11日

ひつじこの血圧が低すぎる。85-36。 低血圧は調べてもあまり情報が出てこず、さてどうしたものか。 医学系の情報はあまり出てこず、女性向け健康系の記事はあるが 科学的な裏付けがなく使い物にならない。 とりあえず大きい方が100を切ってれば低いとみなしていいようだ。 私も106-65だからギリギリだがな。

血圧とは何か。血を動かす圧力だ。それより強く締めると血が動かなくなって そこの脈拍が止まる。だから、どこまで締めれば 脈拍が止まるかを調べれば測定できる。そういうことだな。

探すとこれくらいの値はちらほら出てくるな。つわり中の妊婦で。 つわりの重さと血圧に相関はあるのか。 血圧を上げるような何かをしたら改善したりするのか。

血圧は、血管が細くなれば上がる。血が増えれば上がる。 塩を食うと上がると言うのは、ナトリウム濃度を一定に保とうとして 水量が増えるからっぽい。 なお、だからといって「塩を減らせば高血圧が治る」 というものではないようだが。塩によって変動する分と別に高血圧 なのであって、塩を削ることで高血圧の害は減らせても、 高血圧が治るわけではない。 うちの母には是非とも糖質制限してほしいんだがなあ。 高血圧が劇的に治ったという報告があり、試す価値はある。 2月に帰った時に多少強めに勧めてくるか。

糖が血の中に増えると薄めようとして水を増やす。 結果血圧が上がる。そういうことらしい。

ひつじこに関しては、食えってことだよなあ。蛋白質と脂肪を。 豆腐入り天一スープは結局食べられたみたいだし、 これからもそういう食べられる料理をどうにか工夫して作っていこう。 あと栄養素として何かあるかな。 とりあえずマルチビタミンの類は飲ませている。 あと塩の量ってどうなんだろう。血圧との相関と言えば塩だが。 一日10gくらいは食べてもいいはずだが、今は明らかにそれよりかなり少ない。 牛乳に岩塩でも入れて飲ませてみようか。 最近しょっぱいのを好む気もするし、試す価値はあるか。

夜中の2時だが、ひつじこがオエーで起きた。塩生姜牛乳を飲ませてみた。 本当に困った。私には何もできん。

オタマが一日に400ml牛乳を飲めば、それで蛋白質を12gとれる。 卵2個が加われば24g。あとは肉か魚を100g食わせれば44gという計算だ。 牛乳も馬鹿にできない。特にこんな状況では。

焼き鮭の食いつきが悪い。筋繊維が固くなってしまうと食べないんだよな。 63度加熱を試そう。多少生っぽくても食えるグレードの鮭だし。

明日はゆで鮭を試すのと、ひつじこ用に麻婆豆腐もどきでも作るか。 考えなしに買った白菜とにんじんをどうしたものかなあ。 ひつじこは今繊維質を食える状況にないし、 オタマもそう大量に食うわけでもないんだよな。 まあ、ゆで豚を薄切りにして一緒に煮るか。 十分煮込めば食えるだろう。

次のマシンをNUCにしたくなってきたぞ。 さようならmini-ITXと言いたい。 だが、2.5HDDを2台入れられなければ無理だ。

なんにせよ、つわりが終わらないと家でPCを組むとか無理だし、 それまでは考えないようにしよう。 逃避だ。

会議の類3つで一日が終わった。うち二つは私が主催であり、 いろいろしくじった点はありつつも、 従来のやり方ではありえない速度で物事が動き始めた手応えはあるので、 有意義だったとは思う。 しかしそれはそれとして、こんなことやってたら本なんて書けん。

まおゆうの1話を見た。嫌いじゃないんだが、 アニメを見終わった後の感想は「物足りん」だろう。 基本は乳アニメだからなこれ。 原作読みたい。貸してくれる人が会社を辞めてしまったので、 確か3巻で止まっていたはず。 正直似たような物としてはA君があり、その方が私は好きだが、 あれは永遠に完結せんだろうし仕方ない。

経済や軍事をへぬるい世界観につっこむラノベの類はたまに見かける。 ゲームでやっても良くね?と思うが、今のところそういうものは知らない。 結局、ゲームにすると「面倒くさい」んだろう。

昔やろうとしたことがあったが、 あの時は私にそれをやるだけの余裕がなく申しわけないことになった。 私はいつからか「やりたいこと」よりも「すべきこと」を優先するようになっていて、 私にとって「すべきこと」とは、ひつじことオタマのためになることか、 社会のためになることなのである。あれは私が「やりたいこと」だ。今でもやりたい。 だが、それゆえに、できない。

本を書きたい、というのは、本を書く過程が好きだ、という意味ではない。 「私は本を書くべきだ」という思いを、 その「べき」を共有しない人に対して言う時には 欲求として表現するしかない、ということにすぎない。 だから、具体的に本を書くその行為自体は苦痛というか苦行だ。 前書いた本もそうだし、シーグラフやセデックの講演の原稿を書くのもそうだし、 社内でドラッカーの要約を紹介するプレゼンを作った時もそうだった。 やってることはこれと同じで文章を書くことだが、 その苦行っぷりは比較にならない。 それがあまりに苦行だから、今こうして進んでいないのである。 他にすべき仕事があれば、それをついやってしまうのだ。 それで、プロジェクトを始動してみたり、 社内の業務改善策を提案してみたりしてしまうのである。 もし本なんて書いていなければ、それらもまた苦行なので、 自発的にやろうとは思わなかっただろう。 コード書いてる方がよほど楽だ。 しかし、私は「二番目にしたくないことをする」生き物だ。 そして「会社に対しての貢献は本を書くよりも大きい」という理屈が、 その逃避を後押しする。 さらに悪いことに、本を書くにはゾーンに入らねばならない。 5時間かそこらは全く妨げられない状況がないとまず無理だ。 だが、今の状況ではそれはどう考えても無理である。 今日やってた「逃避仕事」は時間が細切れでも比較的やれる仕事であり、 多少しくじってもリカバリが効く。どうせ仕事の大半は他人がやるのであって、 私がやるのは現状方向付けと管理だけだ。 OSみたいなもので、プロセスをCPUに振ったり、 CPUに割り込みを入れたり、イベントやメッセージの やりとりをすればいい。 適切にやらねば全体の性能がガタ落ちになるという意味で重大な責任はあるが、 それ自体は大した時間がかかるわけではない。 今のように集中して仕事ができない状況では こういう仕事はうってつけなのである。

前回の本の時には、私の中にそういう 「別にやれと言われたわけではない仕事を自分で作ってでも積極的に貢献したい」 という思いはなかった。だから逃げようがなく、しんどくても進められた。 しかし、今は会社に貢献する手段がいくらでも見つかるし、 それをするべきだという思いがある。 だからそれが逃避先として機能してしまうのである。 まあオタマもおらず、ひつじこもいなかった、というのが一番大きい気はするが。

やっぱ昼夜逆転させるべきだよなこれは。夜なら周りに人はいない。 オタマもひつじこも寝ているから、心配して気を散らすこともない。 寝なくて済むならどんなに楽だろう。

とりあえず、つわりを軽減させる方策を探そう。 今日はレア度の高いローストビーフ的なものを食わせたら、結構食えた。 比較的楽になったというので血圧をはからせたら、結構高かった。 どうも血圧と吐き気には相関があるようだ。

フライパン加熱だと、鍋に接しているところは加熱されるが、 他はほとんど加熱されない。だから、肉の表面にいる菌を抹殺しようとすると、 溝の奥まで熱を届かせるために強めに加熱せねばならない。 しかし、オーブン加熱なら、空気に接している、つまり菌がいる可能性がある 所は高温の空気によってまんべんなく加熱される。 その分だけ、より生肉に近い状態でも安全性を確保できる。 また、加熱がおだやかなので、中心部と表面の温度差も小さくできる。 ジオやビタにオーブンシートを敷き、肉を載せ、ふたをして加熱する、 というやり方で、簡単にオーブン加熱的なことができるわけで、 これはフライパンで焼くよりもずっと良い。鍋もほとんど汚れない。 これだ。 温度計を刺して内部の温度も見るようにすれば安全性も確保しやすい。

それにしても、生っぽい肉はつわりのひつじこもいい具合に食べられた。 明日も試してみる。二日連続普通に食べられるとすれば、 ここには何か理由があると考えてみても良さそうだ。

人類が元々肉食だったとすれば、遺伝子的には想定する肉は生だよな。 火の利用開始から遺伝子的な適応が起こるだけの時間があったかどうかに 関しては私はなんとも言えないのだが、とりあえず。 代謝の進化に何万年必要なのか、みたいなことがわからんと何とも言えんが、 普通に考えれば、 遺伝の進化にかかる時間は文化の変化にかかる時間よりずっと長いと思っていいだろう。 あと、火の利用が始まっても、 肉の加熱度がそれほど高かったとは思えないというのもある。 煮込みとか地面に埋める蒸し焼きとかが開発されるのはだいぶ後だよなきっと。 そして直火によるあぶりや、石に乗せての焼きでは、加熱効率はさほど高くない。 中は結構生だったんじゃないのか? そのへんは真面目に調べてないのでなんとも言えない。

人類がそもそも肉食だったかどうかについてはいろんな議論があるが、 煮炊きせねば消化できない澱粉主体の穀物ではなかっただろう。 また、果実は秋に偏る。 野菜の類はカロリーが足りない。肉食だったんじゃないかなあと私は思う。 それが陸上動物なのか、魚なのか、貝なのか、虫なのか、 みたいなことはわからないにしても、 何かしらの動物性のものが主食だったんじゃないかという気はする。 ひつじこがつわりでも生肉を比較的楽に食べられるのだとすれば、 そのへんがつながってたりしないんだろうか。

このへんは池上の方まで行かないと標高20mとかの場所がない。 しかし、想定される津波の高さは最大でも2mとかで、堤防を抜かれる恐れは ほとんどない。もちろん想定外はありうるが、なにせ東京湾だ。 うちらは津波よりは地震そのものを心配すべきなんだろう。 ただ、最近近所の掲示板に 「海抜1.8m。高いところに逃げましょう」みたいな表示がついたし、 ひつじこは以前から心配している。 逃げるならとりあえず蒲田を目指すんだろう。標高4mくらい。 たぶん無用とは思うが、心がまえくらいは持っておいてもいいかもしれない。

2013年01月10日

洗濯し忘れた。明日も風呂入らんといかんなあ。 風呂の湯がない状態で洗濯しようと思うと、そのためにお湯を出さねばならん。 石鹸は湯じゃないと溶けないのだ。

糖質制限によって、血管系の病気になる確率が激減するのだとすれば、 将来の医療費削減効果は相当に大きいものになる。 今多少食費がかさんでもかまわん。 いろいろわかってくれば食費のかかり具合も減ってくるし。

今日はオタマが起きるのが遅くて、8時半。普段なら 何か食べさせてからにするところだが、それでは間に合わないので、 いきなり外に遊びに行った。自転車は3周で飽きた。 平日のこの時間は子供が他にほとんどいないので、張り合いがないのだろう。 今日は赤信号でも停止線までは進んでいいことを微妙にわかってくれた気がする。 あと、挽肉に塩胡椒をして、鮭を焼いて、風呂を洗って、布団を干した。 今日はひつじこは比較的楽らしい。皿洗ってた。 このまま最後まで吐かずに済むといいなあ。吐くのは苦痛だし、栄養のロスもある。

糖質制限しながらで、妊婦として必要な体重増加が得られるのかが若干不安ではある。 しかしほうぼう調べている感じ問題はなさそうだ。 妊婦健診ってどれくらい血液検査するのかね。 頻度が足りないなら何かしらの手段で検査しよう。献血が使えないので、 区のサービスか何かだろうな。キットで自分でやるのは指が痺れるとかで 良くないっぽい。ひつじこの体質が向いてないんだろうが。 あと血圧と体重もちらほらチェックしておくか。

鍋が来たんだが、最初に使うのは何になるかな。 なお、ビタクラフトがいらなくなるかもしれんなあと思ったが、 今日早速鮭を焼くのに使った。焼き物は面積がないとできないので、 今回の深い鍋ではできない。 しかし、焼き物にしか使わなくなるなら、 ビタクラフトの深さはマイナスだ。 焼き物専用に浅いのを別に買った方がいいだろう。 そしてもし、ステンレス鍋+オーブンシートで焼くことが、 鉄フライパンで焼くよりも優れていると確認できれば、 鉄のフライパンがお役御免になる。 本当に焼きにしか使ってない。 1ヶ月使わない器具があれば、 それはなくてもいい器具だと断言できる。 その意味でフライパンはすでにして怪しい。

つうか、蒸しもあるな。今蒸しをやる時はビタクラフトの中に 皿を入れてやっているが、いろいろと不便である。 もし頻繁に蒸しをやるなら、ジオを蒸し器つきで買う方が いいんだろう。しかし、炒め蒸しや蒸し焼きは頻繁にやっても、 本当の蒸しはそうはやらないか。 肉や魚の場合、蒸しをやると出た汁が下の水に落ちてもったいないのである。 そういう時こそヘルシオを使うべきだ。

まな板は具合がいい。なにしろ軽い。 買ったのは、 この軽い奴。一緒に買ったゴムまな板も使えそうだ。 切ったものを鍋に放りこむ時や、デカいまな板を使うまでもない時に使える。 プラスチックのは捨てよう。

ひつじこが人気ブログと、それをウォッチする2chのスレを 一緒に見て、面白がったり、そのブログの主の子供を憐れんだりしている。 私は見てないが、水疱瘡で入院、とかいう段階で予防接種受けろよと言いたいし、 その退院直後に初詣、さらに箱根マラソンの応援、 なんてのが本当なら無茶としか思えない。

まあ、うちのもそうやってウォッチされて笑い物にされたりもするんだろうし、 変わらんか。 事実そうやってウォッチしてはああだこうだ言ってる人間がいるのは確認済みだし。 しかしそれも責められない 。本人から見えにくい場所でああだこうだ言うクセは私にもある。 自分の性質の中で一番嫌いな部分だ。 ただ、ここに書く場合には私の素性は明らかであり、 私に対して反撃する方法がある。そして何よりも、私のそういった下劣な行為は 必ず私にはねかえってくる。

うちの極端な食生活や、装飾性や文化の排除っぷりは、ウォッチして馬鹿にするに 値するレベルだろう。私はそれを自覚的に捨てているので違うと言いたいが、 もしかしたらそのブログの主も健康への悪影響を受け入れた上で 変な料理を作っているのかもしれないし、 健康よりも初詣という文化的な要素を重視しているのかもしれない。 そうであれば笑ったり憐れんだりする筋合いはない。 実際オタマは苦労するだろうからな。

昼帰ったらひつじこが寝込んでいた。天一が届いたのでスープに豆腐を入れて 食べさせたが、あまり量は食えないっぽい。 そして、オタマに卵やら何やらを食わせ、丁度ウンチをしたのでおむつを替えた。 なんつうか、困ったなあ。恐るべしつわり。

これがチケット駆動開発かあ。とうわべだけしか触ってないのに言ってみる。 ログが残ることに価値があるのはわかった。 UIに慣れたらコストが下がるので、たぶん良くなるんだろう。 慣れてきてから再度考える。

ダイエットコーラの方が普通のコーラよりも鬱病との相関が高いという とかいう研究があるらしいが、 それは、ダイエットコーラを飲むような人間はすでにして健康に問題を 抱えていたり、そういうことを気に病むような性格だったりしている ということで、ダイエットコーラの方が体に悪いということではないだろうと思う。 この手の研究は科学的である以上に社会学的なので、 解釈には十分な注意が必要である。 そもそも、コーラの量と鬱病の相関が高いというのは、 ひっきりなしに甘いものを求めるような人間はすでにして病んでいるという ことであって、コーラによって病んだとは言えないかもしれない。 まあここの所の糖質制限によって、甘いものが悪影響を及ぼすのは 間違いなかろうという気はしているのだが。

そろそろどうにか函館行きたいところではあるよな。春あたり。 ついでにコジマんとこに寄ると。 どうにかならんかなあ。

ドル88円。止まる気がしない。FXやってる連中は盛り上がってるんだろうな。 このまま120円くらいまで振り切れてすごいことになるのを見たい。 前回激しい円安になった時に経済状況がどうだったかはまるで見ていなかったので、 今回は良く見ておこう。

株を持っていないことはリスクだと、こうなってみてよくわかった。 株は為替とおおよそ逆相関する。円安によって実質賃金が下がった時に、 それを株高が補ってくれるのだ。 ただし、株安と円安が一緒に来る可能性はなくもない。 そうなった時のダメージは甚大であり、 日本株のみを持つのは危険だ。 つうか、世界経済ファンドの類を自動買い付けして放置しておく のが一番楽で危険も少ないような気がする。 最低限それくらいはやらないとマズいんじゃないか。

でもまあ、定期預金が明らかに損であるような状況では定期預金 をする人が減るわけで、それはそのままにはなるまい。 そう考えれば、十分な時間があればあらゆる投資手段は同等だと言える。 ただ、非連続的な変化によるダメージは取り返しがつかない。 いきなり激しくインフレしてそのまま固定された場合、 その瞬間に発生した損害は回復しようがない。 だから分散しとけ、というわけだ。 例えば、円安によってミューズリが10%値上がりした場合、 お金をミューズリ以外に使わない人がいたとすれば、 それは財産が10%失われたのと同じことになる。

あと、現実には元本保証があるものとないものでは、 多少期待値で劣っても元本保証があるものを選ぶ傾向がある。 つまり、元本保証がないものはその分有利でなくては選ばれず、 期待値で見れば元本保証がないものの方が高い。 価格が変わることに耐える覚悟と準備があるのであれば、 「期待値としては」その方が得をする。 それと、多くの人は元本保証とあっても インフレとか倒産とかで損をし得るという可能性について考慮していない。 それを考慮に入れると、元本保証の価値は下がる。 つまり、元本保証は過大評価されている。 「構造的な情報の非対称性」という奴だ。 その意味でも、元本保証を捨てることで得られる利益は大きい。 預金をやめて国債の直接保持や国債メインの投信に切り換えるだけでも それなりに得をする。もっとも元の利率がゴミ同然なので、 「それなり」と言っても微々たるものだが。

2013年01月09日

朝はにんにく半分、玉葱3個を炒めて茶色くなってから、 ゆで豚を作った時に出た肉汁と、肉100gかそこらの薄切りと、 豆腐、水500ml、生姜パウダーちょっと、塩2gくらい、 を入れて煮た。しかしこれはひつじことオタマ用。 私も食えるくらいの量を作ると玉葱が増えすぎて手間がかかりすぎるからだ。

ゴミ出し、風呂洗い、皿洗い、料理、晴れていれば布団干し、 オタマと外遊び、というあたりが毎朝私がやること。 朝7時台に起きられないと無理なので、夜は1時よりも前に寝ないといけないし、 短い睡眠時間で耐えるには極力でんぷんを避けないといけない。 というわけで、誘惑に負けて菓子を買ったり、ラーメンを食ったりすることは 許されない。 あと、買い物、オタマ風呂入れ、オタマの寝かしつけ、 爪切りチェック、顔ハイドロコロイドチェック。 このへんも私がやる。

家事負荷が大幅に増すので、元々最大の手間がかかっていた料理を徹底的に犠牲にする。 どうせ野菜はロクに食べない。繊維が多いものは消化が遅く吐く原因になる。 買い物も調理も手間だし基本切り捨てる。 植物性食品はトマト缶、ねぎ、にんにく、大豆加工品、ピーナッツ、りんご、 あたりがあればとりあえずは良かろう。 主力は、ゆで肉、ゆで卵、牛乳、チーズ、ピーナッツ、ヨーグルト、豆腐、 といった食品だ。これを食べられる時に食べれば良い。 それ以外は、ひつじこが食べたいと言ったものに近いものを 手間のかからない範囲で作る。今日の玉葱スープもそういう類だ。 ひつじことオタマの分だけならそれほど手間はかからない。 私はひつじこがつわりで食えなくなった備蓄食品をちびちび消費するなり、 外で調達するなりすればいい。もっとも外での調達はかなり難しいのだが。

今日の私の食事は、ゆで卵、味噌のおまけの煎り大豆、ひつじこが食えなくなった クリームチーズ、というあたりだな。 あと夜にイカとタラコを解凍して和えて食べるか。もう古いし。

ホタテは食えないだろうなあ。焼いてオタマと食べるか。 あとサンマももう残り少ないが、これもひつじこは食えまい。 一匹づつ出してオタマに食わせよう。焼く時はグリルで焼くと臭いが出て ひつじこが吐くので、鍋で蒸し焼きにする。

風呂も毎日入らなくていい気がする。これも手間だ。 もともと人類はそんなに洗わないといけないようにはできてない。まして冬だ。 オタマの顔は、布を湯につけて拭うだけで済む。 ダメかもしれないが、ダメなら改めれば済むことだ。 わからないことは試す方がいい。

最悪で前回と同じくらいの重さとすれば、 ひつじこがそれなりに動けるようになるまでに2ヶ月かかる。 2ヶ月あるならそれに対応したシステムを構築するだけの価値がある。 健康を損ねない範囲で徹底的に手を抜こう。

自分の専門性を発揮する、ということと、客にとっての製品の価値を高めることが 矛盾することがある。 例えば、最適化担当はフレームレートを上げることに責任を持ち、 専門性を発揮する場所はそこだ。 しかし、製品全体として見た時に、フレームレートを上げることよりも 大切なことがある、ということはある。 そういう時には、フレームレートを上げる努力を止めてでも、 他の問題に関わるべきであり、 例えばテストプレイをしておかしなところを指摘すべきだ。 「今日仕事すればフレームレートが上がるけど、敢えてテストプレイをするぜ」 と言う方が全体として良いことはありうる。 とはいえ、最適化というスキルを持った人間を、 最適化というスキルを持っていなくてもできる仕事に使うことが 正しいかどうかは考えるべきだ。 その仕事は他の、より重要でないスキルを持った人間に 回した方が良いかもしれない。 一方で、プロたるもの製品全体を考えて仕事をすべきだ、 というのはモラルの面からは正しく、 モラルの側面を経済的な側面に優先させる決断もまたありうる。 部分の合計は全体にはならないのであって、 自分の専門だけ見ていては製品は完成しない。

つまるところ、これは匙加減の問題である。正しい答はない。 分業は、部分間の相互作用が小さいほど効率が良い。 しかし、完全な分業はありえず、 分業が進むほど、それによって失われるものが大きくなる。 作るものの性質、規模、そこにいる人間、などによって 最適解は常に異なる。 「プロたるもの製品としての完成度に全員が責任を持つべき」 と言っても、それが過ぎれば分業の効率を失わせることになり、 各要素の品質は下がる。 「それぞれがそれぞれの専門で最大の貢献をすれば良い」 と言っても、それが過ぎれば複数人が協力せねばならない所で抜けが発生し、 それぞれが自分の分野だけを見た結果、製品としてはダメになる。

「この人は画質だけ見ていればいいが、他の人は製品全体に責任を持たねばならない」 という具合に人で分けてしまうこともあるだろうし、 「これから三日間は全員で仕事を止めてテストプレイする」という具合に、 時間配分によって調整することもあるだろう。 やり方は場合による。前者にはチーム内に壁を作る危険が伴うが、 後者は経済性に難がある。 前者をやるならば、そういった専門の人間を臨時メンバーとして扱いを変える 方法が一つあるが、これはこれで疎外の問題があり、それが製品としての品質に 悪影響を与えることもありうる。 なんにしても、場合による。完全な方法はなく、 デメリットが最も小さいと思われる方法を採用するほかない。 加えて、この問題は人や立場によって見える景色が異なるので、 全員が納得する方法はおそらくない。 要するにマネジメントってのは、そういう問題について考え、決定し、ケツを拭く仕事 なわけだろう。なるほど困難な仕事で、そりゃやりたくねえよ普通は。 マネージャーという肩書がつく人間は、単に人を管理するのみならず、 そういった舵取りをすることに対して給料を払われている。 ここがダメだとあらゆる人的資源がゴミと化すわけで、 技術力なんてこれに比べれば大した問題ではない。 技術力の有無よりも、技術力を活かせるか活かせないかの方がよほど問題だ。 それはほとんど全面的にマネジメントの質に依存する。

問題を見つけても言わない下の人間には問題がある。 問題に気づけない上の人間にも問題がある。 さて、どちらの責任とすべきか。 ここで「どちらも悪い」と言うのは正しく、まさにどちらも悪いのだが、 より建設的に考えるならば、上がより悪いと言うべきだ。 まず、下の人間より上の人間の方が数が少ない。 人間を変える必要がある場合、変える人数が多いよりは少ない方が簡単であり、 上に責任があるとして上に変化を迫る方が実現の可能性が高い。 また、上の人間の方が給料が高いので、経済的な見地から言えば上の人間に より責任があると言える。 さらに、上の人間の方が経験を積み有能であるはずだという原則から言えば、 より有能であるはずの人間が問題に気づけない事の方が罪が重い。

むろんのこと、上だけに罪があるわけではない。 「オレの責任じゃねえし」と思う下の人間には罪がある。確かにある。 しかし、ここで問題になるのは罪があるかどうかではない。 「どうすれば改善できるか」である。ここにおいて責任とは、 道義的な概念ではない。改善するためのツールである。 改善するためのツールとして考えた時、責任をどこに負わせるべきかと考えれば、 上という以外の答えはない。下に責任を負わせる実際の手段がないからだ。 自分の分業範囲にしか興味を持たない者が多くいる状況なのであれば、 それはそういうものとして、その状況で いかにして良い最終製品を作るかを考えなければならない。それは上の義務だ。 分業範囲以外に興味や責任感を持つように仕向ける方法を考えねばならないし、 持たなかったとしてもそこにいる人間を資源として使う方法を考えねばならない。 これはどちらかではなく両方必要であり、その比率はやはり場合による。

私は「誰が悪い」と考えるのはやめることにした。 意味がないからだ。「誰誰が悪い」と言うことで事態が改善するならば、 それは改善のためのツールとして有益だが、まずそうはならない。 ごく少数の人間が圧倒的に悪いというなら、その人間を直すなり替えるなり すれば済むので意味もあるが、大抵の場合はそうではない。 「日本国民には主権意識が足りない」という時、 それが正しかったとしても意味はない。 それは容易に変えられることではないからだ。 それを直接的に罰する方法もない。 むしろ、それを物理法則か何かだと思って受け入れた上で、 それを思うように制御する方法を考える方が良い。 会社なら皆が良い製品を作りたくなるように仕向ける方法を考えればいい。 経済学的、心理学的な考え方をこそ使うべきで、 倫理学的、道徳的な考え方は、人心に訴える手段としてしか役に立たない。

それはそれとして、私は数多くの罪を犯してきた。それ自体は悔いるべきことで、 悔いている。おそらく死ぬまで思い出しては苦い思いをするだろう。 しかし、過去のそれぞれの時点において、罪を犯さずに済む方法があったとは思えない。 他の人達も同様に、罪を犯さざるを得ない状況に 置かれているのだと考えることは自然だ。 人は自分であってもそう自由にできるわけではない。 高い能力や、高い道徳を持つ人間が、自分の意思によってその高い能力や高い道徳を 身につけたとは必ずしも言えない。 それが完全に運でないと言える人はおそらく勘違いをしている。 私はそれなりにプログラミングができ、たぶんそれなり以上に努力もしてきたが、 しかしそれでもこれは運である。努力をする気になったことも運だし、 努力によって上達できる人間であったことも運である。 ひつじこは私を好いてくれているが、 これもまた運だ。運良く、ひつじこが好いてくれるような人間に育つことができた。 あるいは、運良く、ひつじこが好いてくれるような性質を持つ人間になるための 努力ができたにすぎない。

能力の高い人間は、たまたま運良くその能力を得た。自分の功績ではない。 だから、その能力を社会に役立てる義務がある。 サンデル教授の本にそんな感じのことが書かれていたが、私はこの考えは好きだ。 私がたまたまうまくやれることがいくつかあり、 私はそれを誇りに思うし、それによって給料をもらえたりもする。 これは宇宙とか神とか、そういう何かからの贈り物であり、 私はそれに対する返礼をする必要がある。 だから、私は自分の能力を、一番役に立つ形で使いたい。 とは言えもちろん、飽きたことはやりたくないし、 面倒くさいこともやりたくないわけで、 その日の気分次第では何もせず2chを見て終わったりもするのだから、 こんな思いはあやふやなものでしかない。所詮建前だ。 しかし、この建前は大事にしたい。

2013年01月08日

10Wのivy bridgeを積んだマザーは出ないものか。 17Wのものはあるのだが、このくらいになるとファン付きになるので嫌だ。

数人で話してる時に、片っ端から音声認識で文字化してくれる 素敵ツールがあれば、議事録書く手間が楽になる。 議事録を書く人に配慮してしゃべる速度を落とすという 本末転倒なこともなくなるし、また、議事録を書く人によって 情報が変なふうに取捨選択されてしまう問題も軽減できるかもしれない。 単に音声ごと記録しても記録を残すことはできるが、 閲覧性が悪すぎるし、保存コストも高くつく。 また、音声の持つ情報量の多さがしゃべる内容にフィードバックをかける可能性がある。 要するに、萎縮しかねない。認識精度が適当で文字だけなのであれば、 それほどの副作用はあるまい。

という思いつきだったのだが、タダ同然の値段で手に入って試せる範囲で まともに使えるものはないという結論。 リアルタイムの音声認識でまともな品質のものはなさそう。 人類はまだそこまで進歩してない。

録音データを食わせて後処理するものなら もう少しマシかもしれないので、 調べてみてもいいかもしれない。 しかし、基本は「コストがタダとみなせる範囲での改善」 であり、手間が増えるなら歓迎できない。 数年経ってから調べるとしよう。 CPUが速くなったり、GPU利用が一般化することで 多少の変化はあるかもしれんし、 アルゴリズムも改良されるだろう。

そもそも議事録を取る必要があるか、ということや、 そもそもその会議は必要なのか、ということは常に考える必要がある。

部下なんていないし何の権限もないのだが、何やらマネジメント気味の仕事に 手を出している。話し合いを開いて仕事を押しつける。 権限がないので、その段階ではただの案。その後上司に承認をもらうし、 そもそも話し合いを開く前になんとなく上司に相談を持ちかけたり、 そもそも話し合いに呼ぶ人々と個別に話して雰囲気を合わせておくことも必要。 とりあえず重大なネタが二つあるので、この二つを押しつけて、 次のチェックの日時と内容だけ決める。 ここまでやれば、そのチェックの日までは自分の仕事ができる。

自分でやらない、という仕事の仕方を練習する。 細かいところにこだわらない。不必要に頻繁に状況を見に行かない。 仕事を押しつける以上、押しつけた人に期待していいのは成果だけだ。 また、実行状況の確認は自分でやることも重要。 報告されると思ってはいけない。そんなものは当てにならない。 もっとも私は上司でもなく、報告を要求する権限もないので、 そうせざるを得ないのだが。

なんつうか、全身全霊で越権って感じだな...

朝は9時から萩中公園で自転車。4歳の子が一緒に遊んでくれたのだが、 2歳ではさすがにちゃんとは遊べない。つうか、オタマの方がデカいんだけどな。 デカいだけ。 9時45分くらいにコーナンに行って、ひつじこ用に1680円の座椅子を買って、 自転車を押して帰ってきてから出勤。

17時半前に一旦帰宅。 風呂に入れて、オタマ寝かしつけ。 19時に寝かせることができた。ごんちゃんとぞうさんを5回くらい読んだ後、 バーバパパ3回。予定通り夜出勤。

チケット駆動開発ってのがどういうものかなんとなく想像できてきた。 正直面倒くさいが、そのうち恩恵を受けることもあるんだろう。 現状耐えられる面倒くささなので、とりあえず慣れる。 ただし、本当に恩恵があるのかどうかは後々ちゃんとチェックしたい。 その度合い次第でどれくらい真面目にやるべきかが変わってくる。

AMDの新作発表がされたが、売られるのは上期。6月までのいつか、 という程度か。まあ本書いてたり、つわりだったり、 今回手を染めた仕事があったりするので忙しかろう。 サーバを更新してるヒマはあるまい。 でも、4コアで9Wのがあるなら、性能が4倍以上に跳ね上がる計算になる。 それは魅力的だ。なにせ遅いからな。 HDD容量、CPU速度、筐体サイズ、消費電力の順に優先順位が高いと考えると、 N2800でとりあえず組んでしまった方がいいような気もしてくる。 でもi386か。

そもそもamd64とi386のどっちで入れるのがいいのかをよく検討していなかった。 調べてみたら、amd64にしてうれしいのはメモリをたくさん使えることだけだ、 みたいな記述は結構ある。ただ、いつの記事かはバラバラなので、 現時点でどうかはよくわからない。 次のマシンのメモリ量はたぶん2GBで、気が変わったとしても4GBだ。 これくらいだと、64bitにしてもコードサイズが増えてメモリ使用量も増えるので たぶんまるでおいしくない。 現行マシンは1GBしか積んでないのにamd64にしているが、 本当に無駄なのかもしれない。 速度的にもかえって遅くなるという意見すら見かけるし。 コードサイズが増してキャッシュに乗らなくなったりするのかね。

うん。i386でいいや。 たぶんメモリサイズが8GBを超えてこないとそれほどうれしくない。 そうなるとN2800でいい気がする。10WでかまわなければD2700の方が 性能は上か。でもここは電気優先だろう。 でも、もうちょっと待ったら10Wのivyを積んだマザーが出たりするのかもしれず、 買う決断ができない。とりあえず、ひつじこのつわりが終わるまでは どうせ無理だし待とう。

今年は九州大学行けるかなあ。7月ならつわりも終わってるだろうし、 かといって出産も遠いし、本も出てるはずだから私的には問題ないのだが、 すげー本業で忙しいとかないかね。まあないか。 なにせ他人に押しつける仕事の仕方を勉強している最中なのだからな。 頭と心はえらく疲れるが、時間そのものは空くはずだ。

VisualStudio2012のexpress版がすでにあるようだ。落としてみよう。

2013年01月07日

夜働けるかなあと思ったが、オタマが昼寝をしてしまい、 寝るのが遅くなったので断念。11時就寝。 バーバパパのすうじの本を10回以上読みながら寝かせた。 どうにもこのシリーズは教育色が強すぎてつまらん。 そもそも翻訳に無理があるし。 しかしオタマは気に行っている。 その割にベタに読むとアレンジを求められて面倒くさい。 明日はもっと読みやすい絵本だといいのだが。

夕飯は残ったようかんを全部食べた。500gくらい食ったんじゃなかろうか。 もう当分ようかんはいらん。 なんぼ甘さ控え目でもこれだけ食うときつい。

昨日ひつじこが孤独のグルメのタンタン麺の回を見ながら 麻婆豆腐が食べたいとか言うので、今日の朝作ってみた。 昨日買ってきた挽肉に塩胡椒をまぶして一晩置き、 にんにく、ねぎをみじん切りにしてオリーブオイルで炒める。 たぶんごま油の方がいいが、うちにはこれしかない。 ひき肉を入れる。中国山椒をやれる範囲で刻んで入れる。 ショウガパウダーを入れる。 しつこく炒めたら、豆味噌を入れる。豆腐を入れる。湯を入れて、少し煮る。 以上。豆板醤も唐辛子もないのでその手の辛さはない。あったらオタマが食えない。 胡椒と山椒と生姜をほどよいバランスでミックスできれば なかなか悪くないものができる。実際おいしくできた。 ひつじこも結構食べられたし、オタマもかなり食べた。 しかし、私が食う分はない。何分試験的に作った料理なので、 挽肉が300gしかなく、とても三人分は作れなかったのだ。 今日の食事は羊羹でいいやと思っていたので問題はない。 あと、ひつじこの兄上にもらったチーズを弁当にした。 というわけで、今日は羊羹とチーズしか食べてない。 量的にも蛋白質的にも十分なので、問題はない。

どうも米味噌はひつじこ的にきついようだ。米がきついんだろう。 豆味噌ならいいようなので、マルカワに注文しておかねばならぬ。 キロ2500円とかでベラボウすぎる値段なのだが、これほどうまい豆味噌は そのへんでは手に入らんし、 つわりの間だけだと思えばやむを得ん。 下手に安物を買って食べられなかったら話にならん。

そういえば朝は9時から10時ギリギリまでオタマに自転車で遊ばせた。 これからはこれが日課になる。申しわけないが、 10時半くらいまでは遊ばせたい。しばらくは遅刻させてもらおう。 オタマが昼寝しなければ、夜9時くらいには寝るはずだ。 それならその後働いて辻褄を合わせられる。 それもダメなら土曜や日曜の夜だな。

羊羹も尽きたし、しばらくは澱粉を徹底的に避けて体調を整えよう。 澱粉を食わなければ睡眠時間も短く抑えられることはわかっている。 夜の睡眠時間を削って仕事に回し、昼間は 極力オタマの相手をしてひつじこをガードしなければならぬ。 いや、他のうち一体どうしてんの?

unxutilsというものを知った。おお、これでいいんじゃね? cygwinいらんかもしれん。 しかし、pythonとかperlとかも入れちゃいたかったりするので、 そうなるとcygwinの方が楽だなあ。 cygwinは綺麗にアンインストールできないとかいう話なので、 確かにそれは嫌なのだが、 しかしあのインストーラで適当にそれなりなアプリを入れられるのは やっぱり楽である。pythonとperlくらいで済むならいらんのだが、 他になにかしらあったりすると面倒だ。 まあ、次にマシンを買った時に試そう。夏ごろかなあ。

コマンドラインで何かを処理するという経験自体が薄い人に 今からやらせるならbashだろと私は思うのだが、 それについても意見が分かれるようだ。 batでなければできないこともあるので、 batを全く知らんのは困る、という事情は確かにある。 何もせずにダブルクリック起動できるのはbatの決定的な長所だからな。 しかし、MSから出ても通用するというbashの価値は そう低く見積っていいものではないような気はする。 まあそのあたりは任せよう。

make系の何か、perl系の何か、bash系の何か、 の3つは覚えておいて損はないが、 必要な局面に直面していない状態で覚えるのは苦行すぎる。 できるだけ早く直面するように仕向けるべきなんだろう。 そういう経験がない人に優先的にそういう経験をさせるような 配慮がいる。

本が進まない。たぶん明日も進まない。 明日進むかどうかは、オタマが昼寝するかどうかにかかっているな。 明後日以降どうにかしたい。

今年も九州大学の先生から頼まれたが、さてやれるかどうか。 なんとしてもやりたいんだがなあ。

味噌屋に質問メール。疑問点とリカバリ方法について。 泌尿器科に質問メール。精索静脈瘤の手術の効果について。 効果は期待できなくてもいいと思っている。 何か妙なリスクがないかどうかと、手術の対象になるくらいに重いかどうか を聞いた。 20万払って3日痛くて苦しむ、という以上のデメリットがないならば、 やって損はないだろう。この鈍い痛みはなおるんだろうし。

2013年01月06日

なぜか4時に起きてしまった。この空腹感、ようかんのせいだな。

今回の円安がそのまますごい所まで行ってしまう展開を希望。

円以外の通貨から見るというのは新鮮だ。 円安になるほど、私の給料は減るわけである。 この給料の減少を外貨資産と株の値上がりで相殺できれば、 ダメージは軽く済む。さらに、通貨以外のものまで含めるともっと視野が広がる。 なるほど分散が大切なわけだ。

web見てたら相続のサイトに行きついて、なんとなく読んでた。 遺留分というのがあって、 配偶者や子供に財産を全く遺さないことはできないのだそうだ。 オタマと、もう一人生まれてくる子には1/8づつ行くことになる。 また、うちらの親が死んだ場合も、 放っておけばいくらかは来てしまうということになる。 これに関しては遺留分の放棄を自発的に行うことができるが、 そうするまでもないといいな。

わざわざこんな規定があるのかと思ったが、確かに 納得行かないケースや、犯罪の引き金になるケースはありそうだ。

遺言状ってそれなりに形式守らないと法的根拠ないんだな。 手書きじゃないとダメとか、日付が必要とか。 このへんもそのうち変わってくるんだろうか。

円はシェアが小さな通貨だから、変動が激しい。 円で給料をもらうということはそれ自体がすでにリスクとも言えるわけか。

改訂したいなあ前の本。でもそうすると、 本屋に置いてある在庫がゴミになるんだよな... 本の場合本屋側には損害が出ないのが救いだが、 出版社側にはコストがかかることになる。 それと改訂にかかる編集組版その他の出版の固定コストを 上回るだけの利益が出せないと無理だ。

名前空間が違ったとしても標準ライブラリにある名前は使わないようにすること。 ファイル名はかぶらないようにすること。 読者がVisualStudioをまともに使えるとは思わないこと。 用語については再検討すること。 サンプルコードはテストの仕組みから考えること。 環境変数は使わないこと。 サウンド機能はなくても起動するようにすること。 このへんだよなあ。 あとは、サポートをうちのサイトで直接やれる状態にしないと対処が遅れすぎる。 会社で出している本で私の本ではないのだが、それは建前にすぎん。 更新版ライブラリの配布やエラッタに関しては 私が個人で面倒を見た方が合理的だろう。 出版社のサポートサイトに置いてもらうのには時間がかかりすぎる。

問題は、不特定多数からうちのサーバがアクセスされるような状況は 想像してないってことだな。一回セキュリティを見直さないと。 その意味でもマシンの置き換えはやりたい。 動いているマシンはいじりたくないからな。 とりあえずは増設して2台並列で動かして、徐々に移行すべきだろう。 今日買ってきてハード側だけでもさっさとやってしまうべきか。

そういえばうちの近くのマルエツの2階にある本屋にも置いてあってびっくりした。 なんだろうなこの現実味のなさは。 自分が書いたものが近所の本屋にあるとか、意味がわからない。 何かがどうかしている。

秋葉原行くとか不可能。ひつじこの吐き気がえらいことになってきた。 これで明日から私が会社とか、一体どうすんだ? 実家戻ってご両親にオタマを見てもらうなんてことができればいいかもしれんが、 オタマの皮膚が悪化することは必定。 糖質制限につきあわせるわけにも行かんし。 これが序の口で、二ヶ月続くのはキツいなあ。 まあ単純にどうしようもないことはどうしようもない。 金で解決できることはないかなあ。

最近のCPUは良く知らんのだが、速いんだろうなあ。 core2の段階ですでに「これで処理落ちする奴バカだろ」 とか思ったもんだが。もちろん 作るものが高度になれば当然きつくなるわけで、 絵やら物理やらが豪華絢爛だったり、 RTSなんかで数百数千の何かがうごめいてたりすれば60FPSで動かないのはわかる。 今までそういうものを作る経験を積めなかったのはマイナスだが、 まあ時代が時代だし良かろう。 しかし、3GHzで4コアとかのCPUをフル活用しないと実現できないような ゲームを作ってみたいものではある。

つうか、うちのi5 U520とかi3 2310Mとかってどれくらいなんだろ。 ゲームを作ってみないとピンと来ない。

オタマの自転車サイズは14インチ。 近くの萩中公園には幼児用のサーキットというか教習所のコース というかみたいなのがあり、 信号がついていたりして交通ルールを学べるようになっている。 そして自転車も貸し出している。 オタマにはお気に入りのマシンがあるのだが、 どうも人気のようでなかなか空かない。 仕方なく他のに乗るのだが、サイズよりも色で選ぶので、 選ぶ幅が狭くなる。意に沿わないものに乗ってしまうこともあるが、 そういう時は一周する前に嫌になる。 それでも一応最後まで進んではくれるのだが、オタマがゆっくり歩くよりなお遅い。

オタマは赤信号で止まるルールを覚えたのだが、 どんなに遠くても見えれば止まる。 また、横断歩道の前の信号の場合、 進みはじめてから運悪く横を向くと、 歩行者用の信号が赤になっているのが見えてしまい、そこで止まる。 交差点で左折する時も、左折中に赤になると、交差点の真ん中で止まる。 まあ所詮幼児用コースで、周りの速度も知れているし、 基本オタマより年上なので避けてくれるから追突されることもない。 どうしても邪魔な所で止まった時には路肩まで運ぶが。

オタマは移動に魅力を感じていない。だから、待っている時間は苦痛でもなく、 青信号になるとうれしいと感じることもない。 どうも「赤信号なら止まるゲーム」だと思っているようだ。 青になって進みはじめても、赤になる前に通り過ぎようなんて思わない。 交差点前で青になって進み始めても、左折中に赤になって止まってしまうくらい遅い。

オタマは見てくれのために自転車に乗っているようだ。 乗っている最中も周りの子の服やら自転車の色やらばかり見ている。 これが女の子か。ローラーブレード で遊んでいる子を見て、「あのおにいちゃん、ころんじゃった、ねー」 とか言ってるくらい、自転車には集中してない。 ちなみに、男女関係なく「おにいちゃん」である。

久しぶりの友達が来てくれた。すまんのう、うちの食生活がこんなな上に つわりその他でロクにもてなすこともできなかった。

絵本「とんねるとんねる」を10回以上読みながら、寝かせた。 途中アレンジを要求されたりして、 あまり華麗にアレンジするとそれで盛り上がって寝なくなるので、 匙加減が難しい。 あと、退屈なところの扱い。眠気を誘えればいいが、過ぎれば 起き上がって自分でめくろうとしたり、アレンジを要求したりして目が 覚めてしまう。

ひつじこがどうしようもなく相手をしてくれない場合には、 オタマも妥協して私を使うらしい。 調子が悪いことを理解して容赦してくれているのか、 たまたまなのかはわからない。

2013年01月05日

韓国って政治犯という区分がまだあるのか。 運用はともかく、今時の国であれば 思想の自由が法的には確立されているはずで、 政治犯という区分の存在自体が今時の国でないことを示すことになる。 加えて条約破り。反日の世論と、中国に対する恐怖は、 それだけのデメリットを受け入れてでも配慮すべきものなんだな。 正直、大変だと思う。

円安。消費者としては損をする。輸入品が高くなる。 エネルギーが高くなるので、輸入品に限らずありとあらゆるものが高くなる。 しかし、給料は増えないし、採用が増えるわけでもない。 輸出企業の業績が改善しても、しばらくは利益を溜め込んで 将来に備えようとするはずで、設備投資を復活させたり、 給料が上がったり、採用を増やしたりするのは、年単位でそれが続いた後だ。 ゲーム屋みたいに人間以外に資産がない会社であれば なんぼか動きも速かろうが、家電大手や車、電気みたいなものは 遅れるだろう。

ひつじこが本格的につわりに入って、何もできない状況に。 これ、本なんて書いていられるのか? こうなる前に書き終えたかったわけだが、今更言っても仕方ない。 こりゃ夜だな。オタマとひつじこが寝てる時間に働き、 起きてる時間は極力家でサポートする、という生活リズムに持っていく以外に どうにもならん。

米、豆、芋、果物という、冷蔵で長期保存できる備蓄食料が 使えなくなった結果、冷蔵庫の容量に余裕が出てきた。 当分買い換える必要はないな。もちろんデカい方が使い勝手はいいのだが。 もしまた容量が必要になるとしたら、塩漬け肉を大量に作っておくような パイプラインを作った場合だろうか。

オタマはカカオマスを平気で食う。好みらしい。 甘いチョコレートを知らなければ、これでも 十分うまいのかもしれない。なお、カフェインがきついので微量しか食わせない。

オタマ、なめこの操作に熟練してきたなあ。 なめこ図鑑でページをめくっては、「これは?」と聞く。 ボタンを認識できるようになったわけだ。タッチパネルというUIが どれだけすごいものなのかを改めて思い知る。 つうか、なめこのゲームをちゃんと起動しているぞこいつ。 アプリを終わらせてメニューに戻る方法もわかっている。 3バージョンのなめこを切り換えて狩っている。 生える速度が3倍だ。

うわ、デラックスの図鑑でスワイプしてめくってるぞ。 そんな操作可能だったのか。知らなかった。

アンパンマンのキャラを丸暗記することに記憶力の無駄遣いをする 子供はよく見かけるが、オタマはなめこになるのかもしれん。 でもさすがにもう飽きるだろ。

これ、ボタンとか、キーボードとか、マウスとか、無理だろ。 もしフィードバックつきのタッチパネルがまともに普及するのであれば、 ほとんどのUIはそれになるのではなかろうか。 ミリ秒単位のレスポンスが問題になるような用途でも、 いずれは満足できるタッチパネルが現れるのかもしれないし、 ピクセル単位の精度が必要な時にもそれなりに使える操作が 発明されるかもしれない。

掲示板で指摘された件。 あー、国際法上の政治犯か。よく知らんがなんとなくわかる。 韓国の法律に政治犯というのがなかったとしても、 それに関係なく「靖国への放火は政治犯だろ?」と言うことはできる、 ということな。確かにそうだ。韓国の法律がどうかとは関係ない。 そもそも日本という外国での犯罪だからな。 もちろんその理屈と今回の判断が今時の国としてどうかということは また別の話だろうとは思うが。

ひつじこが、玉ねぎと豆腐の卵とじを作っている。 しばらくはやりたいようにさせたい。 オタマの食べ物だけ考えよう。 蛋白質の所要量を満たした上で、適当に野菜を何か食わせればいい。 私の食事はそのおまけで考えよう。

たまねぎは炒めること。水を抜かないと味が出ないし、 水中での100度加熱では不足。 この際ジオプロダクトやビタクラフトならば油なしでいい。 多少茶色くなっても、後で汁を入れるので問題ない。 水は最小にすること。 まして豆腐やら卵やらの水分の多いものを入れるのだから、 その分水を減らさないといけない。 卵を半熟にするなら、卵を入れる前に味を完成させておくこと。 そしてもちろん、卵を入れて薄まる分だけ濃くしておくこと。 醤油は沸騰させると香りが飛んで味がなくなったように感じるので、 火を止めてから入れること。 味を染みこませたい場合も、半分で煮て、半分は後から入れること。 ダシは足りないとマズいが多すぎてもさほどマズくならないので、 かつおぶしや昆布は多めに入れること。

神楽坂だけでなくて神田や水道橋もまともな天一なのか。 神田はさほどタイムロスなく寄れるぞ。 しかし、糖質制限の禁を破るのは二郎だけで十分だろう。 ひつじこが吐き気で苦しむ中自分だけ孤独のグルメの真似事をするわけにもいかん。

天一の通販でスープを手に入れ、そこに豆腐なり肉なりねぎなりを 入れて食べれば、麺を回避できる。 ひつじこは食いに行くこともできないのだから、これが唯一の解決策だ。 天一はどこの店でも中央から送られてくるスープで作っているはずで、 通販してもスープの味の基本は同じだ。 もっとも、店によってそのスープをどう使うかはかなりズレているのだが。 なぜ川崎みたいにマズくて薄い店が出来上がるのかは理解に苦しむな。 別にスープを作って混合してるんだろうが、 それはコストの問題なのか、店の工夫によるものなのか。

早速注文した。 これから2ヶ月くらいは食費が倍になってもやむをえん。 ひつじこが食えるものを食わせねば、健康に害を来す。 とはいえ、糖質制限は続きそうだ。 今日も試しにスーパーのカツ丼(10%引き)を買ってきてみたら、上だけ食べた。

そういえば昼間にプリンを作った。 クリームと卵3個、バニラエッセンス、砂糖16gを混ぜたものを耐熱容器に入れ、 鍋に1cmくらい湯を沸かし、そこで蒸す。以上。 クリームがスジャータの紛い物だったためにイマイチだが、 ひつじこもオタマも食べられた。甘さ控え目とかいうレベルでなく控え目なので、 これくらいなら害も少ない。 そして何より、簡単にできる。ヨーグルトの付属砂糖が2つ溜まればいいだけだ。 それにしてもクリームには気をつけねば。 「純脂肪」みたいな文句があったのでつい買ってしまったが、 原材料を見たら混ぜ物入りだった。ちゃんとしたのを使えば それなりにうまいものができるだろう。

あこがれの羊羹食べ放題状態。まともに夕飯の料理をしていないため、 私が食う物がないのである。ひつじこはこんなだし、料理する意味がない。 オタマは今日は十分に食べている。 そして、この羊羹は砂糖が少ないのでそう長く保つとも思えない。 急いで食べる必要がある。 だが、さすがにこれだけの量食うと苦行だな。もうちょっと食うか。

2013年01月04日

キネマアートクリニック(不妊の病院)に検査結果をもらいに行った。 ひつじこが猛烈に行きたくなくて、実際オタマごと連れていくと面倒なので、 私が行って結果だけもらってきた。 感染症なし、抗精子抗体なし。3人目をもし作るなら 後者の情報は重要だ。要するに、おおよそひつじこ側の問題ではなく、 私の問題だということである。 これから1年くらいかけて何かを改善しよう。 とりあえず医者に精索静脈瘤の相談をしておくか。 それで手術するレベルじゃないとか、手術してもデメリットがデカすぎる ということになれば、それこそ生活習慣でどうにかするしかないな。

それにしてもあそこの医者は技術者なんだなあ。 「おめでとう」の一言もなく、検査結果の説明だけして一方的に終わった。 技術的なサービスを売っているのであって、そこで専門性を発揮すればいい、 という思想が徹底しているのだろう。 無駄話には1秒たりとも割かない、というのはある意味プロの姿勢ではある。 待ってる人のことを考えればそれが正義だ。 ましてうちらはもう客じゃなく、無駄な時間は損害でしかない。 愛想が悪いがうまいラーメン屋、みたいなものか。 まあ「うまい」かどうかはわからなかったわけだが。

ひつじこはその姿勢が嫌で仕方がないわけだが、 そんなことを気にする人はそう多くないのかもしれない。 あれだけ人が行っているわけだし。 成果を出すことを求めると、どこかでそういう問題は出てくるものだ。 病院はとりわけそれが顕著で、効率化しようとするとどうしてもそうなる。 とりわけ不妊治療なんかだと、成功失敗が明確なので、 心が入りこむ隙間なんてないんだろう。

富岡産婦人科も似たような感じだったなそういえば。 まああそこは院長が亡くなってあわあわしてたというのがあるので 仕方なかったのかもしれんが。 気になったのでサイト見たら、院長の挨拶的なものがなかった。 元々なかったかどうかは思い出せない。 スタッフの写真とかあるのが普通な気がするんだが。 考えてみれば医者の写真をサイトに載せたところで、 何の情報にもならんのだが、 あれがあるのとないのとでは何かが違う気がする。 医者の気迫みたいなもんだろうか。

帰りにラーメン大。新橋まで行く時間はなく、その予定もないので近場で済ませた。 野菜ニンニクカラメ。全て失敗。あそこはプレーンでいい。 あと肉がパサパサなので、汁に漬けておいて後半に食べるという工夫が必要。

ちょっと潤と迷ったが、帰ってきてから写真見たら味が想像ついたので 選択は間違っていなかった。ラーメンに興味はない。二郎が食べたいのだ。 ツルツルシコシコな麺はいらん。 糖質制限の禁を破ってまで食う以上、それだけの力があるものでなくてはならない。

だが、だったら大はないよなあ。

12章まで書いたら品川行くんだ...

糖質制限的にアウトで、実際に食わせたら皮膚が悪化した小豆。 小麦粉と違って100%アウトでもなく捨てるのも忍びないので、 私の趣味で全部羊羹にすることにした。 いろいろ失敗したが、好みの羊羹を作る方法はおおよそわかった。 二度と作らんと思うが。

小豆844gをいきなり煮る。水は3倍量。沸騰したら差し水。水の1/3量。 沸騰したらザルにあげて水を切る。これでサポニンとタンニンを捨てる。 水を3倍量入れて、また煮る。沸騰したら差し水。 あとはひたすら煮る。で、ここが失敗。水多すぎた。 やわくできるギリギリで良かった。 このために、この煮汁も捨てざるを得なくなった。 煮詰めるのに時間がかかりすぎるからだ。 横の鍋で水600+寒天13、もっと増やしてもいいのかもしれないが、 これ以上は溶けないという情報があったのでとりあえず従った。 明日出来上がればこの量で良かったかわかる。 沸騰させて溶かし、そこに砂糖を480g入れた。 昔の残り80gと、今日追加で買った400gで、量に根拠はない。 砂糖はうちにあってはならない調味料なので、余らせたくなかったのだ。 500gの袋しかなければ100g増えていただろう。 ただ、豆の半量あれば甘さは足りることは以前確認してある。 あと、塩を5gくらい入れた。0.2%以上で羊羹としてはしょっぱいが、 これくらい入れると砂糖が足りないことを補えるし、 そもそもしょっぱいのが好きなのでこれでいい。 砂糖寒天水を豆に合流させ、ひたすら煮詰める。 かき回していると鍋底が見えるくらいにドロドロにして、 さらにこれ以上は焦げそうだなあとか、もう面倒くさいなあ、 と思ったところでデカいタッパーに流し入れて、冷蔵庫。以上。

繊細さの欠片もない。とても人にはお出しできないし、 そもそもひつじこに食わせる予定すらない代物なのでこれで良し。 鍋に残ったのをなめた感じでは少々しょっぱいが、 明日には塩がなじんでいるだろう。でもまあ、塩入れすぎだ。 全重量の0.1%で十分だなこれは。

夫婦の財布が互いに透明であることは重要だな。 見えないと、片方が使いまくった時に、使わずにいる方が割を食うことになる。 いざとなっても助けてもらえると思えば、 真面目に溜める動機が弱まっても無理はない。 夫婦の関係のあり方によってどれくらい透明にするかは違うだろうが、 半分くらいは透明でないと面倒だろうと思う。 それすら許容できないのに結婚するということが私には想像できないが、 人それぞれだからな、そこは。

夫婦によっては、結婚時に片方がもう片方の資産の管理権を持つケースもある ようだし、ひどいケースでは一切開示もしないという。 相手のお金だったものをFXで溶かしてしまった、 なんていう話がちらほら出てくる。さすがにないだろうと思うが、 世の中は広いから、いろんな夫婦がいるはずだ。 本当にいるのかもしれない。

うちはおおよそ透明で、どこにいくらあるかはいつでも見られるのだが、 ひつじこが興味を持たないので、実質私が二人分管理している。 ひつじこの貯金は基本触らず、私の収入から全ての支出をする体制。 ひつじこの貯金を使う日が30年以内に来たら負けだと思っている。

しかし、私の支出が完全に開示されているわけではなく、 その意味では不公平。外食などでレシートがなかったりすると、 家計簿に書きこまれないことがしばしばある。 昔はメモしていたが、それも面倒になってしまったからだ。 また、家計簿にしても、全項目書きこむわけではないため、 例えば食料の買い物のついでに菓子パンを買ったとしても、 それは「食費」の中に溶けてしまう。 まあこれはお互いさまなのだが、買い物はほとんど私がしているし、 ひつじこはあまり外出しないので、実質的には不公平ではある。 私が心を強く持つ以外にないということだ。

まあ、結構コンビニで買ってるんだけどな。家計簿には「コンビニ」と記録し、 種別は「娯楽」としてある。糖質制限開始以来 結構な頻度で揚げ肉を買って食べていたが、 最近あれにかなりの糖質が入っていることを知って買わなくなった。 味がくどくて飽きたというのもある。 あと、眠気に対抗するためのコーラも自販機なのでレシートが出ず、 家計簿から漏れている。糖質制限開始以来、食後の眠気はほぼ消えたので その意味では必要ないのだが、単純に睡眠不足でどうにもならない日は 結構あるので、まだ頼ることは多い。オタマはだいたい夜起きるからな。

円安と株高が激しいな。未だかつてないほどプラスになっている。 もっとも、ドル建てで見れば大して変わってないだろう。 円建て、ドル建て、ユーロ建て、の3つくらいで値を見て、 いずれも増えている時だけが意味のある利益だろう。

病院の帰りにひつじこに電話したら「カツが食べたい」とか言う。 一旦はかつやでカツ丼を買って帰ろうかと思ったのだが、 ごはんは食べたくないっぽいので、糀谷商店街のさぼてんで トンカツだけを買って帰った。 しかし、どうも卵とじっぽいものは食べたかったらしい。 カツ丼買って、ごはんだけ私が消費、というのが良かったのか。

ひつじこ、糖質制限どうなんだろうなあ。 ある程度脂肪を蓄えておかないとマズいというなら、 炭水化物を食べないと太らない。 ここ数ヶ月の実感から言って、糖質さえ食べなければ、 脂肪をなんぼ食べても体に脂肪はつかないのである。 つわりで2ヶ月とかロクに食えない状態に陥るのであれば、 体脂肪をつけておかねばならない。 しかし、ひつじこはすでに澱粉を食べたがらない境地に達しており、 米や麦というわけにはいかない。 もし太る必要があると言うなら糖だろうなあ。 果物と菓子。

糖質制限で吐き気が出ない、という展開が望ましいがなあ。 とりあえず、昨日アホみたいに餃子を食べたので、糖質制限にはなってない。 今日はおおよそ糖質なしなので、明日吐き気が出るかどうかというところだろう。

2013年01月03日

mediatomb設定しようと思ったが、sqlが云々とかで 面倒くさくなってきた。mysqlのアカウントを作って云々とか、 そもそもmysqlを動かすための情報は別に探せということか。 sqlサーバーの立て方も知らん奴がやるなということかもしれんが、 実に面倒くさい。 nasne2台用意して、片方はもう片方と同じ状態に なるような何かの仕組みを作る、という方が実は簡単なんじゃないのかとすら思う。 要するにミラーリング状態にしたいだけなわけだし。 しかし、サーバマシンと無料ソフトでできることはできるだけ やるようにせんと、unix系スキルが完全に消えてなくなる。 将来のための保険として、多少無理をしてでも その手の文化には触れておかないと。 そのうちネットワークやれとか言われるかもしれんわけで、 その時にこの文化への耐性がないと恐ろしく不利になるからな。

rc.confに何を書くかとかの情報源が、誰かのブログというのは マズイよな。しかし、rc.confはFreeBSDのもので、 mediatombのマニュアルを読んでもそのことは書いてはあるまい。 rc.confにその設定を書きこむようにしたのはそもそも誰だ? とか、rc.confってそもそも誰が作ったもので、 そこに書かれる項目を決めているのは誰だ?追加は誰がやる? みたいなこともわかってないのが論外なのだろう。 FreeBSDハンドブックをそろそろ読み直すべきか。 あるいは、いよいよlinuxへ行くべきなのか。

なんでこういくつものサイトを見てそれぞれが前提とすることの差異を 吸収しながら読まねばならんのだろうと思うが、 この文化圏ってこうだよな。 OSの種類、バージョン、用途などによってやる事が微妙に変わってくるわけで、 自分と完全に一致することはまずない。 portsのどのカテゴリにあるのかすら記事によって違う始末だし、 mysqlの使用が必須なのかどうかすら「こうしたら動いた」というブログを 見るだけではわからない。どうも必須ではないようなのだが、 それぞれのブログの主がそのへんがわかった上でそうしているのか、 また別のブログを見て特に考えもせずにやっただけなのかはわからない。 検索して出てくるやり方に従ってやってみてたまたま動けば良し、 みたいなことを繰り返すしかないこの状況がどうにも許し難い。

sqlとか何もしなくても動いたぞ。文字化けだけどうにかしたら問題ない。

<import hidden-files="no">
  <filesystem-charset>UTF-8</filesystem-charset>
  <metadata-charset>CP932</metadata-charset>
という具合にconfig.xmlに書けばいい。importの行は元からあるので、 下2行足すだけだ。/usr/local/etc/rc.d/mediatomb startして、 ブラウザで49152番ポートを見に行き、なんとなくいろいろいじって +アイコンを押して回ればいい。

あとはルータの外にデータが出ないかだけテストしておくか。

なんだ簡単じゃないか。簡易的なデータベースを中に持ってるんだろう。 本気運用したければmysqlを使え、ということなんだろうな。 性能の問題なのかなんなのかはわからんが、まあ問題ない。

mediatombの負荷がえらいことになってるな。 誰も何も再生してないぞ。スキャンの負荷かこれ。 あとは、見られない形式が出てきたらまた考えよう。

.mtsと.aviがダメ。写真はjpgなので見られるが、4000x3000とかのものが そのまま置いてあるため、速度的に実用にならない。 数年待てば状況も改善するだろう。 拡張子ごとに中身が同じものとみなしているのか。 ダメな拡張子は設定の問題か、クライアント側の問題かは現状わからん。 まあ後でいいや。新しく作るものはmp4にしとけってことだな。 古いもの再エンコしておこう。

出生前診断にしても、元旦の営業にしても、 国なり何なりが規制という形でどうにかしようとするのは好かん。 元旦の営業に関して言えば、 それが望ましくないと思えば利用しなければいいだけだ。 それが多数派なのであれば、元旦に営業する奴はいなくなるだろう。 逆に、多数派が使うのであれば、少数の知識人やら良識派やらに正当性などない。 それは「皆が望んでいること」だ。 「皆バカだから自制効かないだろ?頭のいいオレが規制してやるよ」 と思う奴はまともではないと思う。 しかし、企業が大宣伝して、良く知らん人がノリで検査して、 結果であたふたしたり罪悪感を持ったりする事態は間違いなく起こる。 血液検査の通販並に簡単にやれるようになるのは目に見えているわけで、 普及は早かろう。 こういう時に、 何が起こるかわからんのでとりあえず変化速度を遅くしてデメリットを薄めよう、 という考え自体は合理的で、 この手の議論は内容に関係なく結局そういう効果をもたらすものだ。 TPPだろうが年金だろうが、結果どうなるかわからん変化に対しては とりあえず変化速度を遅らせて対処する、というのは日本のお家芸である。 タイムリミットがある類の問題でなければそれも良かろう。

とりあえず、今回は新型の出生前診断は間に合わないのでできない。 モノ自体はあるが、ガイドラインやら何やらでもめていて、 利用可能になるには年単位の時間がかかる。 やるかやらないかを考える必要もなくなったな。 覚悟を決めよう。旧型の検査は確度やリスクに問題がありすぎる。

会社でこの「日本のお家芸」が発動するとロクなことにならない気がするが、 この体質が、本当の危機になった時の180度転換能力の基礎になっているという ドラッカーの分析にも一理ある。 会社がなくなるかどうか、くらいの瀬戸際にならない限り 大きな意思決定を行えない、というのは長所でもあり欠点でもある。 トップダウンで決定はしたが、具体的なところで抵抗と摩擦が発生して 一向に実行されず、そのまま気がついたらなかったことになっている、 というようなことは良く見るわけで、決めればいいというものではない。

職場の同僚がひつじこの実家のご近所さんっぽい。年賀状で発覚した。 にしても、あそこから通っているとしたら大変だ。 ちょっと前までは電車一本で来られたはずだが、 今はダイヤ改正で乗り換えが最低2回必要になっている。

うちの日記を刷新してwebから書きこみできるようにせんといかんと思いつつ 何年過ぎたことか。そのうちな。

2013年01月02日

明日は味噌漬肉と白菜を煮る。

オタマは良く食う。この調子でデカくなってほしい。 どんどん賢くなるし。

初詣に行った。ただし、そのへんの神社。 大きな羽田神社にも行ったが、人がいっぱいだったので 何もせず帰ってきた。

帰りはフルだっこ。重すぎる。

/usrをSSDに置くとビルドで止まることがあるという記事があった。 あと、メモリ上にsrcやobjを置いても数秒しか高速化しないという話も読んだ。 大半のファイルがメモリにキャッシュされているせいだろう。 これはwindowsでも同じで、初めて読む時以外は大差ない。 SSDはまだ早いか。

やっとmediatombインストール開始。

WiiUつないだり、セットアップ時にサーバにつないだり、 家電と化しているX220につないだりする予定のPCモニタ。 IPSでスピーカーつきでヘッドホン端子付き、 という条件だと23インチより小さいのがない。

まな板がカビてきて、もうそろそろダメかなという雰囲気。 プラスチックと言えども、長く使っていればカビてもくる。 ここは何か買うべきか。

白菜肉味噌汁。鍋が小さい。5.5Lではダメだ。 白菜のかさが減るまでねぎや肉を入れられなかった。 あと、シチューの類みたいに100度加熱を続けてはダメだ。 味噌の香りが飛び、嫌な味が出る。 保温調理を基本とすべき。 それと、同じ体積なら口が狭いほど実効体積は大きい。 結局「淵から何cm下まで使うか」ということだからだ。 また、表面積が小さいほど冷めにくいわけで、 広くて浅いよりは、ある程度狭く深い方が表面積は減る。

体積はpi*r^2*hであり、表面積は2pi*r^2+2pi*r*hだ。 体積を同じにして、表面積を最少にするrとhの比は、 h=V/(pi*r^2)を代入して、A=2pi*r^2+2V/r。 rについて微分したものが0になる時が最少で、 4pi*r-2V/r^2=0からr^3=V/2pi。5.5Lの鍋なら、r=9.57cm。h=19.13cm=2r。 「直径=高さが最小だろうな」という何となく予想を裏づける結果になった。 要するに、いわゆる寸胴が正しいってことだ。

最小の計算量でh=2rが出てくる方法ないかなあ。 先にh=krと置いて、piが邪魔なのでV=r^3*k、S=2r^2(1+k)と置き (V=体積/pi、S=表面積/pi)、 V一定でSを最小化する。k=V*r^3をつっこむと、 S=2r^2(1+V*r^3)=2r^2+2V/rからr^3=V/2が出て、 元に戻すとk=2。なんぼかマシだが。もっと素敵なひらめきで、 「そりゃ当然2だよ」と言える解法はないか。絶対あるだろ。

ジオ6.8Lの寸法。横31cm、縦24.5cm。ビタ5.5Lはなにせ直径がデカいので、 保温箱にも入れにくい。この方が肉を湯煎するにしても有利だ。よし、買おう。 買った。ビタクラフトが二軍落ちしかねないな。 結局広い鍋は使いにくいのだ。冷めやすく、容量の割にかさばる。 焼きや炒めはまた別だが、うちはほとんど蒸しや煮込みになっているし、 焼きと炒めにはフライパンがあるわけで、鍋を使う必然性がない。

ついでにまな板と、簡易ゴムまな板を購入。 プラスチックまな板を今まで疑問も抱かずに使っていた自分が信じられん。 考えてみれば、こいつが猛烈に能率を落としている可能性がある。 水切れの悪さ、包丁への負担、重さ、などなど問題がありすぎる。

簡易ゴムまな板はちょっとリンゴを切る時とか、 切ったものを鍋に入れる時とか用。 プラスチックの奴は消耗品だし使い勝手も悪く二度と買わなかったが、 ゴムはどうかな。

クーラーボックスも先の理屈が通用するわけで、立方体に近い方が 表面積が減って保温性能が高いことが想像できる。 しかし、長細い直方体ばかりだ。 一番長い辺が60cmとかになると邪魔でもある。 ワセリンカットにも肉の調理にも納豆にも使うわけで、 邪魔にならない使い勝手のいいものが欲しい。 内寸35x35x35の立方体とかないのかなあ。これで40L超えるのに。

ひつじこの友達のブログを見ると、 なんか赤い器でお屠蘇とか飲んでたり、餅を作る機械があったり、 家族で紅白を見てたりする。これが日本の正月か。 悪いがオタマに日本文化を継承することはできんな。 他の家にまかせる。

2013年01月01日

あけましておめでとうございます。

mediatombはmultimediaでなくnetにあった。 しかし依存するものが多く、インストールだけでもしんどい。 このあとの設定も面倒くさそうだ。

portupgradeも入れる。

varとかtmpとかがSSDにあったらマズいかなあ。 普通の用途なら寿命が来るようなことはない気がするが、 アクセス時刻の記録を止めて、/tmpはメモリに置く、 というくらいはした方がいいのか。

そもそもサーバを更新するのはいつになるかなあ。

ひつじこが楽になるといいなあ。今年は オタマの皮膚の問題はなくなるはずで、気分は楽になるはずだ。 しかし、もう一人うまれればそれはもう大変なことになる。 本格的に吐く前に本を片づけないと。

portupgrade中。なんかいろいろおかしいし途中で止まるかもしれんなあ。 それにしてもコンパイル遅い。

もしかして、BOXDN2800MT買って、mSATAのSSDとHDD2台差したらいいんじゃね? と思った。amd64でなくi386になるが、実用上何か問題になるわけでもないし。

と思ったが、そのマザーのmSATAとSATAは排他使用だった。2個しか差せない。 今やるならC60M1-Iしかないなあ。やはり待つか。 17Wで良ければceleron 847が圧倒的だが、放熱が不安だ。 10Wや7Wのivyが出るなら、これが最強だろう。 それに、もう半年くらい待ってたら1.5TのHDDが出るかもしれない。

portupgradeはダウンロードとビルドが並列したらいいのになあ。 無理な相談だが。あと、 このビルドは並列化されてるんだろうか。

1Tの2.5インチが出たのが2011年の7月らしい。 1年半近く経つのに容量が増えてないのか。 PC向けの市場がすごい勢いで萎んでいて、 単価を上げて凌ぐしかない状況だ。 単価を上げられるうちはいいが、 保てなくなれば容量を増やすしかない。 そこで増やせないとなれば、いよいよ終わりだ。


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