日記

1999年12月29日

掃除とコンパがおわり、即座に仙台へ向かう。 そういうわけで、良いお年を。

1999年12月28日

24日からいままでの出来事を追ってみよう。 そんなにおもしろいとも思えんが、未来のオレにとっては有益かもしれない。

24日夜、京都駅へ突入。そのまま東海道本線で米原、大垣、名古屋、 豊橋と進んだところで日が変わる。 もう電車はないのでそこで夜を明かすしかないはずだったのだが、 天は見捨ててはいなかった。 臨時の夜行が待ちかまえていたのである。 それに乗って東京に着いたのが4時50分。 早速同じく東京にいるはずの小泉氏に電話して 新宿で合流。彼はコミケ一日目終了後オフ会で、朝までカラオケをしていたらしい。 さて、その後吉祥寺まで行き、T氏の家にたどりついたのが25日7時。 東京へ無事つけたことになる。

さて、T氏の家で何をやっていたかというと、 しかし着いてすぐかけるはずもなく小泉氏はそのまま寝てしまった。 徹夜カラオケの後だけに当然である。 しかし、オレは寝ていないにもかかわらず眠くなくえんえんT氏と話していた。 ここ数日の修羅場シフトで体が寝ないようになっていたのだろう。

昼すぎ、小泉氏が起きだしてきた。オレはというとさすがに眠くなってきたのだが、 そこに客2名。成蹊大漫研の人々である。ほとんど面識はなかったが、 すぐに会話もはずむようになる。そのために小泉氏の作業はあまりすすまず、 オレも連続覚醒時間をさらにのばしていった。さらにそこにアホ(良月)やJAGが現れ、 いくら広い下宿とはいえ人まみれ。当然余計に寝ない。

夕方例のラーメンを食った後も小泉氏の作業は進む。 オレはというと布団のなかで寝るわけでもなくダラダラしていた。 夜になったころ、我々の委託先である桂智(かつらさとし)氏が現れる。 ダラダラ話しながらも、小泉氏は色を塗る。 しばらくして「かたはらいたし」氏から電話。 アホが「原稿かいてほしそうだぞ」などといってかたはら氏に原稿をかかせることに成功。 日が変わるころにもってくるということになり、 土壇場で執筆者が増えるという幸運に恵まれた。 また、その関係で埋めねばならないページがいきなり増えたので、 オレと小泉氏で適当に4コマ漫画でも描くか、ということになった。 オレはというとそのころかなり空手時空だったので 空手な舞漫画を数十分で描いたのだが、小泉氏はどうも描くのをイヤがっていたので そこに現れたかたはら氏に刃牙なあゆ漫画を描いていただく。 比較的おちついた漫画がのっているだけだった本にいきなり空手なページが加わって、 本としてはバランスがよくなったといえるだろう。

26日3時。全原稿完了。近くのコンビニを占領してコピーを始める。 28ページの薄い本だが、手間はけっこうなもの。 5時半くらいに製本まで全て完了し、お手伝いさんにはその給料として本を もらっていただく。どうもありがとうである。

6時半くらいか。コミケへ出発。本は桂智氏に託した。 その途中、オレの漫画が読みにくいという話になる。 いつものようにつめこみすぎているということだ。 さらに、オレに絵への執着がないことからも考えて、 原作やらに徹した方がいいのではないかと言われた。 だが、だからといってオレが話を作るのがうまいのかといえばそうではない。 であればそんなものを他人に提供して絵を描いてもらうなど ということができようはずもない。 それに、オレは自分で自分だけのものを作ったという事実がほしいのである。 しかし困ったことに、それが大したことがないものだという事実には耐え難いのだ。 そしてさらに困ったことに、それを改善するために努力することが いまのところ全くないのである。 つまり、圧倒的にオレは漫画には向いていないということなのだ。 他の道に専念するのがいいのは間違いない。 しかし、そこでまた問題が生じるわけで、 他にオレに向いたものがあるのかどうかがさっぱりわからないのである。

クソ眠いなかコミケ開場。 頼まれた本を買いにいったが、すぐ買えた。 そして中を見てあぜん。絵はうまいのだろうが、内容がない。 いや、漫画の内容がないのではない。そもそも漫画がないのである。 適当にかいたイラストや文章で埋めつくされていた。 もしかしたら適当でないのかもしれないが、 適当という印象を受けるものだったのだから仕方ない。 売れっ子の人というのはこういうことをしても許されるものなのだなと思ってしまった。 売れっ子になるでの努力を思えば、その程度のことをとやかく言っても仕方あるまい。 絵のうまい人はその絵のうまいということによって、何をやっても許されるのである。 それはコミケでも漫研でも変わるまい。

日里氏に会って、前のパソコン代の精算をする。 その間に良月達とははぐれてしまったので、適当にまわってみた。 さしあたってリーフ、タクティクス、KANON系をなめるように見てまわる。 その間にあることに気付いた。それは自分が本を手にとる条件が やはり絵だったのだということである。結局お好みのキャラ(今回は舞)が描いてあって、 かつ絵がきれいなものを見ていたのだ。 ここで間違わないでほしいのは、絵がうまいものではなくきれいなものだということだ。 デッサンがどうのとは独立して見栄えのいい絵というのはあるのである。 そういうのをあまり好きではないオレも、所詮見栄えで本を判断していたということで、 絵が汚なくてはダメなのである。今の状態で考えて、 オレが全力を投入して表紙を描いたとして、それをオレが手にとるかといえば否だ。 自分すら手にとらないものなら、他人が手にとるはずもあるまい。 コミケなどに行ってどうすることができるレベルには到底達していなかったということを 実感して、さらにやる気がなくなった。

適当にまわったので、委託先にいって売子をする。 さて、案の定我々のはあまり売れない。 しかし傾向がひとつあって、中を見る人がめったにいないのは事実だが、 中を見た人はかなりの確率で買っていくのである。 200円ということもあるが、ちゃんと漫画を描こうとしている姿勢が評価されたの だと思っておきたい。 そしてそういう時にはうれしくなるのだが、 オレの漫画が足をひっぱってはいないかと思うと 気が気ではないのでそう単純でもなかった。 さて、なぜ売れないかと考えれば、考えるまでもなく 表紙のイメージだろう。しかし、小泉氏は絵がうまい。 クーピーで短時間で描いたとはいえきれいだし、 かなり普通のアニメ絵っぽく絵柄を変えてもいた。 だから、 ここでおそらくいえるのは、絵のうまさより 絵柄の種類の方が重要なのだということと、 淡いぬりかたよりアニメ、ゲームっぽい派手なぬりかたの方がよく目立つということだ。 となりで売子をしていた小泉氏も大部状況が厳しいことを感じていたようだ。 オレはといえば 余計にうちのめされた感情がつのるだけだったのだが。

4時。コミケ終了。結果我々の本は15部売れた。だが、 うち5部近くは小泉氏が自分で買って知り合いに渡した分だし、 3部くらいは京大漫研関連の人がたまたま来て買っていった分だ。 それを考えるといささか状況は厳しい。 小さいイベントに行けばもう少しマシだとは聞いたが、 そのイベントは2月27。2ヶ月も先のはなしなのである。

なぜか成蹊の人についていって打ち上げ。 いろいろな話をしたが どこの漫研も似たような問題がおこるものらしいということを実感した。

さて、京都へ帰る電車は11時43分東京発ムーンライトながらである。 しかし、東京から乗ったのでは途中で日がかわるので18切符が無駄になる。 そこで横浜まで行って、そこから18切符で入りなおして乗ることにした。 打ち上げがおわったのが8時すぎで、別れて一人さみしく横浜についたのが9時すぎ。 3時間どうすることもできず、もらった印刷所の資料を駅の改札の前の柱に こしかけて、コブラの主題歌を口ずさみながらただただ調べつづける。 その結果だいたい5万で100部48ページ表紙カラーの本ができるのだな、 ということがわかる。コミケと自分の能力や適性の現実にうちのめされている状態 で到底オフセットなど考えたくないのだが、 やると決まったものは仕方ない。

1部の原価が500円を割れば500円で売ることができる。 コミケ相場で考えれば48ページで500円は良心的な値段の範囲内だろう。 あとはそれが100部売れるようなものにする努力をすれば良い。 そう単純に考えると気が楽になった。 小泉氏もなにかと手を打ってくるだろうし、 かたはら氏はとにかくやる気まんまんである。 あとはオレが足を引っ張らぬようにすればいいだけのことであり、 現実問題そうせねばならない。 とにかく、数ページに全力を投入するように路線を変更し、 あとはえんえんイラストを描く機会を作ってペン入れの練習をする。 見栄えが悪いのは、絵柄とペン入れの汚なさと仕上げの粗さの3つによる。 絵柄に関してはさほど変更はできないが、次第にこなれてくるはずだ。 仕上もトーンの使い方の基本に慣れて、 とりあえず普通ならはるだろうというところに横着せずに貼っていけばマシになる。 ページ数が少なければ途中にイヤになることもあるまい。 一番重要なのはペン入れで、これは修行がモロに出る。 であれば修行するしかあるまい。 「しかない」という状況は辛いものだが、仕方ないのだから仕方ないのだ。 これで自分に自信がもてるようにでもなればいいのだろうが、そこまで期待はしない。 それに加えて名を売るには、WEBの利用ももっと積極的にせねばなるまい。 つまり我々のサークルのWEBサイトを作るということだ。 サークルというより適当に寄って本を作るだけなのだが、 やはりまとまって何かやっているイメージがほしいところだろう。 というわけで、相談してさっさとサイトを作ってしまうことにする。 そして、今あまっているコピー本の裏表紙にURLを描き加えて配布するのである。 いくらか効果が上がるはずだと信じたい。

27日朝9時、京都につく。バスで北上して家に荷物を置いたあと、 すぐに研究室の掃除に参加する。終わったのが4時半。これを書いている現在に至る。 最後にまともに寝たのがいつだか思い出せないだけあって眠いのだが、 メシを炊いて例会に行く。コピー本を売りに行くのだ。 だが、身内に売るのはあまりおもしろいことではないのであまり気はすすまない。 ところで、最後にフロに入ったのも修羅場が始まる前のことで、 いつだったか思い出せない。しかし、今日は用事ができたので入れない。 明日も無理そうとなるとあさって実家で入ることになる。なんと遠いことか。 かゆい。

イラスト強制作戦第1号。月刊誌の公的イラスト。 パンチラをかかねばならないという妙な伝統があり、 きっと勉強になるだろう。描きたくはないが。

好き好きの参加手続きをすませてしまおう。 もう後へは引けないのだから。

1999年12月25日

原稿はあがったが、本はできていない。 表紙も後書きも奥付もないのである。 こいつらは明日東京で作って印刷。 まだまだ地獄は続く。

小泉氏の作業をみていて、自分に執念がたりないことを実感した。 ケンシロウにはなれそうにない。

午後8時。これから行く。が、着くのは朝というより昼だろう。

1999年12月24日

ペン入れ、ベタ半分くらいが終了。 次はベタの残りと、修正ペン入れ、 効果線、ホワイト修正、トーン(ゲハツ)と続く。 今日中にあがるのだろうか。 なお、間にあわなかったら編集も印刷も東京でやるらしい。 ギリギリっていいなあ。

1999年12月23日

時計がズレてる。 日付を入れるショートカットキーがあるのでそれを使っていたのだが、 それがズレていたのである。 時計をみたらなぜか一ヶ月先になっていた。 なぜntpで直らないのだろう。 月単位のズレは直してくれないのだろうか。 そしてなにより、どうやって一月ズレたのだ。

実験終了13時。5時半から始めただけあって、早くおわった。 明日することはあるかもしれないが、ないことにしておこう。 明日だけは実験なんてしていられない。 さて、ペン入れするか。 しかしねむたい。

1999年12月22日

朝まで小泉氏の家で下書きしていた。やっと2ページ細いものまで描いた。 あと6ページやったらペン入れ。 なんとかしないと、大変だ。

実験を終えて5時。さて、小泉氏の家に行くか。 今度はちゃんと買い出しをしておこう。 のどは痛いし、熱はある。それでも描かねばならんのだ。 水分、カロチン、ビタミンC補充用のエネルゲン粉末を大量に買いこんで行くことにする。 みかん4キロもいいのだが、出町商店街までいく気力はないのだ。 それに描きながらみかんは食えまい。 こういう時は化学合成飲料に頼るのもやむを得ないし、 むしろ効率が良かろう。

5時。ただし22日朝。いままで小泉氏の家で原稿をかいていた。 下書き、わくせん、フキダシ、かきもじが終わり、 次はペン入れ本番である。 しかし、眠くて、疲れてて、腹が減っててこれ以上は無理だ。 そこでこれから実験に行く。 早くおわれば早く原稿にとりかかれるのだ。 いつねるかというと、実験の合間。 けっこう待ち時間があるので寝れるのである。 ただし、数十分づつこまぎれではあるが。 それが唯一の睡眠時間なのだから、不健康なほどが知れるというものである。 ちなみに食い物も外食に頼らざるを得ないため、極めてアンバランスで悪い。

1999年12月21日

金はないときによりなくなる。時間もまたないときによりなくなる。 ちなみに、「金はさみしがりやだから」とよく言うが、 金があるからといってより増えた経験はないので、それは特別な人の話なのだろう。 しかし、こまった。 何がこまったかというと、研究室の大掃除が27、28であることだ。 なんとか逃げおおせると思っていたが、どうも絶望的な気がしてきた。 ここで「オレこれません」という勇気はない。 あと2、3ヶ月のつきあいとはいえ、そこまで印象を悪くするのはイヤだからだ。 というわけで、26の東京→仙台のバスはキャンセルし、 18切符で夜行にのって京都へとって返す。 ついでなので24のバスもキャンセルし、25の早朝に出発する。 着くのは25の夕方。本を渡すならそれでも十分間に合うだろう。 さて、コミケが終わって即座に京都に戻った後は、 28に大掃除及びそれにともなう小コンパが終わり次第 夜行で一気に東京へ向かう。 4時に東京に着いたらすぐ東北本線を登って仙台へ向かい実家へ帰る。 京都に戻るのも夜行で、日が変わってから東京へ向かい、 早朝着き次第さらに西へ向かう。こうして帰省は完成するわけだ。 金があればバスやら新幹線やらでラクチンなのだが、金もまたない。 それに、バスも夜行もかかる時間にそれほどの差はないのである。 結果、京都−東京、東京−京都、京都−大垣、大垣−仙台、仙台−京都 と5枚できっちり今回の年末年始の移動を完成することができる。 辛いが、金のためだし仕方ない。バスも時間がさほど変わらないことを 考えれば意味はないし、新幹線は高すぎるのである。 実はコミケをあきらめるというのが普通の選択肢なのだが、 もはやそれもできない。25に着くように郵送することが不可能なほど原稿が 遅れているからである。一人なら企画そのものをなかったことにするが、 二人だからそうもいかない。あぅー、と泣いていてもどうしようもないので、 なんとかすることにする。なんとかならなかったらハラキリって感じだ。

腹が減った。今実験の合間である。寝る予定だったのが、 切符のキャンセルやらで寝ることすらできなくなったので、 腹いせにこれをかいているのである。 しかし腹いせはいいとして、腹が減った。金がない、いや、 正確に言うと使えないこの状況でも 腹は減る。そしてメシを炊く時間も豆を煮る時間もないのである。 一体どうしろというのか。夕方小泉氏のうちでなんか食わしてもらおう。 それまで我慢だ。…8時前後。ギャー。

1999年12月20日

無気力人間と化して何十日。 そろそろ焦りが出てきた。 思えば、夏あたりまでは根拠のない自信に満ちていてやる気満々だった。 しかし、秋あたりには物事がうまくいかないのに嫌気が差して 気位だけは高いままやる気が減衰。 冬に入ってそんな自分にも嫌気がさして、 根拠のない自信も消えた。 やる気満々のころに立ちあげた企画が重くのしかかってくる。 そして昨日、やる気がまるでないことに焦りがつのって 少しやる気にしてみた。 来年の春頃にこれを読んだオレが今のオレをどのように分析するか見物だろう。

手がかじかんで動かん。メシくってこたつを駆使しよう。

14時半。 下書きA(ページのレイアウト、構図決め。コンテともいうが、 オレの場合原稿用紙にいきなりやってしまうのでそう呼ぶ)が4ページ終わった。 一番頭を使うのはネーム(脚本)だが、 次に頭を使うのはこの構図決めである。 漫画の漫画たる所以はこのファクターの存在によるわけで、大切な部分といえよう。 これが済んだら下書きB。ペン入れできる状態にすることである。 しかし、今回は時間がないということで 背景は減らしているし、 とんでもない角度もあまりない。 戦闘シーンもないに等しい。 というわけで楽といえば楽なのだが、 オレにとっての難関は以前なくなってはいない。 すなわち、女の子の顔。 描いてもかわいくない。美しくない。 そしてこの制服。一体どうなっているのかさっぱりわからない。 そして舞の髪型。後ろはどうなっているのか。 困った。でも、困るのは下書きAが終わってからにしよう。 今はとりあえず栄養補給だ。 ただ、玄米を食う。

コンピュータアップグレード依頼が来た。 機械が届き、 いまから振りこむから頼むという。 ギャー。原稿ー。なんとかしよう。 睡眠時間をけずればできないことなどない。 たかが一週間。人間にはけっこうなことができるはずだ。 こうなったら修羅場モード。 帰ってきて片づけたら即座に小泉どのの家へ行こう。 二人寄れば寝ないのだ。なんだかピンチになるほど萌えてくる。 おっと字をまちがえ、てもいないか。

機械を開けてみた。ギャー。なんじゃこりゃー。

どうせいっちゅーねん。総とっかえやんか。 しかも今からですか?

3時半。依頼遂行開始。データのバックアップをとり、 おかしいといっていたCDROMドライブを調べて、 中から紙屑をとりだす。 4時。出発。デカいATケースをかかえて外に出る。 途中郵便局で入金された金をおろして出町柳。 5時半。ヒーヒーいいながらdos/vパラダイスに到着。 売り払うが、今日中には間にあわない。 振り込みにしてもらう。 どうせ手数料を払うのはオレではない。 もっともオレのものも売り払いはしたのだが。 6時前。ソフトアイランド、ソフマップ、dos/vパラダイス、 パソコン工房をまわり、物色。 それ以上回る気力も時間も体力もない。 とりあえず無難にi810やらceleron400やらを買い集め、 年末特売だったパラレルスキャナを7000円で購入。 6時55分。全てを終えて日本橋駅。 8時5分。疲れ切って出町柳。 そこからこんどは二つのデカい箱をかかえて自転車にのる。 一つはかごにのせ、一つはリュックからぶらさげるという奥技。 8時25分。帰り着く。今度は組み立て。 瞬時にかたづける。音もなるしスキャナも動くが、 CD-DAだけならない。ケーブルに異常はないので、 マザーかCDROMドライブだが、 たぶんCDROMドライブ。オレの範疇ではない。 ちなみにこのCDROM。回る時はうなりを上げ、 シークする時にはモデムのようにキューピュリュリュリュリュ… という音をたてて非常に不気味だ。CDくらいならなくても不思議はない。 というわけで、コンビニまで重みを増した箱2つをかかえて歩き、 送りつける。11時30分。激闘8時間。のまずくわず。でもおわった。 バイト料は5000円。 さあ、原稿かくか。って眠い、腹減った、疲れた。 でも描かないとこの遅れはとりもどせないのよ。

朝6時。14時間ぶりに腹にものを入れる。 いろいろと不可抗力で原稿は進んでいない。 ライ麦チャパティ4合。りんごソース。 そしてりんごソースが尽きた。 そしてやはりチャパティだけでは腹は満たされない。 では何を食えばいいというのだ。 もうここには豆と米しかないというのに。 とりあえず眠気にあらがえなくなるまで原稿を描き、 しんどくなったら実験に行く。 実験の待ち時間を最大限に使って研究室で寝る予定。 目覚し時計とまくら代わりのバスタオルは必須の品。

1999年12月19日

舞漫画のプロットが完成。コンテ兼下書きに入る。 間にあうか勝負だ。 というか間にあわなかったらオレはダメ人間になってしまう。 上げるのだ。無理にでも。

停電当番なので朝早く起きると寒い。窓がくもってる。 食いものもない。帰ってきたらメシを炊こう。 それで部屋も体もあたたまる。でも、おかずは? ない。

1999年12月18日

論文をえんえん読んではWEBで参考資料を探す。 便利だが、便利な手段があるために求められる水準が高くなるので あまり便利でもない。便利なものは誰にも知られずに使えてこそ 本当に便利なのかもしれない。 ああ、それにしてもめんどくさい。 こいつがかたづくまでは原稿も描けん。 本当に上がるのか?一週間ないんだぞ。

セミナーは終わった。これが最大の障害だったはずなのだが、 ちょこちょこ障害がわいて出る。さしあたって研究室の停電当番。 停電する間冷蔵庫その他を非常用電源につなぎかえる仕事。 これをちゃんとしないと菌やら薬品やらが全滅する。 そういうわけで、たいしたことはない仕事とはいえ面倒くさい。

D.C.氏、のじり氏、K-Ten氏とともに数時間ダラダラした。 道場をサボって合流していれば食事に行けたのだが、 金がまったくないこの状態からして仕方なかった。

1999年12月17日

CPUファンがある。ちょっとクロックを上げてみた。 112×3.5=392MHz。体感できるほど違うならファンの音もやむを得ない。 なぜいきなりそう思うようになったかというと、 最近やけにHDDがうるさいからである。 うなりを上げて回り続ける。 静かと評判の富士通製で、実際に昔は静かだったのだが、 今はギャーギャーうるさい。 だからCPUファンの一つやふたつ問題ではないのだ。 本来もうHDDを買いかえる時期なのだが、 金がない。「今の私の状態を貧困と呼んでおこう」 とは丸元の名文句だが、今のオレにもあてはまる。 で、体感できるほど速いのである。 しかし、同時にgnomeを追放したので、 そのせいかもしれないとも思ったりもするのだが、 snes9xの動作速度からして明らかに違う。 K6-3がますます欲しくなった。

gnomeを削った。gnomeからどういう恩恵を受けているのかと考えてみると、 実は何も受けていなかったのだ。 単純にして明解だが、 今までなぜそういう結論が出なかったのかは謎もいいところである。

ついでだからウィンドウマネージャも疑ってみよう。 enlightenmentであることに意味があるのかどうかが問題だ。 オレがウィンドウマネージャに期待するのは、 最大化、仮想デスクトップ移動、アクティブなウィンドウの切替え、 画面のスクロールのショートカットがあることである。 デザインは度外視だ。ページャもいらん。 あやしい画面効果もいらん。音もならんでいい。 背景も出んでいい。そう考えたら、fvwmでいいという結論になりはしないか。 入れて設定してそれらが満たされるなら、それでいい気もする。 でも、そんなことをしているヒマはないので、とりあえず放置。

1999年12月16日

体調がよろしくない。のどの痛みが長びいている。 金がなくて本来あるべき食い物がそろわないのもあるだろうし、 かなり長いことこたつ寝をくりかえしてきたダメージもあるだろう。 金はどうにもならないにしても、 こたつ寝の方は改めねばなるまい。 さしあたってなんとかふとんを敷くスペースを開けてみる。

SB16が売れる。買い手はktoreishi氏。サウンドカード4枚差しをするつもりらしい。 さすがだ。ところで、いろいろと話を聞くうちに、 Debianはどうしようもないのではないかという念がふつふつと大きくなってくる。 そしてふと見ると空の4.3GBのハードディスクが。 売れば5000円になるのだが、 どうせだから実験してみるのもいいかもしれない。 「FreeBSD」。試しにもってきてみるか。

1999年12月15日

またコンピュータ改造(ほとんど新造)の依頼。 時代はセレロンである。 今週末に買いに行くだろうから、 その時にもらいものも売り払える。 交通費がタダになるので、非常にありがたい。

タクティクス・オーガ。おもしろすぎる。マズい。 ハマってしまう。とにかく全く隙がない作りだ。 ストーリーも何かなにかかならずひっかかるものがあるのがいい。 ファイヤーエムブレムみたいな単純な図式でないのだ。 硬派だ。いぶし銀だ。絵もかっこいい。曲もかなりのものだ。 すごすぎる。2つほどマップをクリアして、とりあえず中断。 ふー、ヤバいヤバい。これやってるとゲームつくりたくなる。

小泉氏の家に行く。コピー本に彼も参加するという。 こうなるともう落とすわけにはいかない。 一人の問題ではなくなるからだ。 というわけで、やるか。 セミナの準備やらなにやらはさっさと処理してしまおう。

1999年12月14日

例会後、ヴァイオリンを弾いてみる。ひさしぶりだ。 指は思うように動かず、ストレスはたまる。 しかし、昔よりもずっと綺麗に弾ける気はするのだ。 頭の中に曲のイメージがもっと豊かに表れてくる。 それが実際の音にどれだけ表れるかはわからないけれども、 音楽というものがもう少し近くなった気がするのだ。 適当に指を動かして即興で弾いていても、 なんとなくメロディーができてくる。 どこかで聞いたようなメロディーではあったけれども、 そこに自然に生まれてくる旋律は気持ちいいものだった。 作曲。無理というわけでもないかもしれない。 プロになるわけでもないのだから、気楽にやってみようじゃないか。

ふとドラクエIIIをやってみる。スーパーファミコン版の方だ。 最初に心理テストもどきがある。なんだろうと思って答えると、 「みえっぱり」。気にしていることをモロに言われた。 現実と理想のギャップに悩んでいませんか、とか、 もっと本当の自分をありのまにうけとめろ、とか。 わかってるからこそ腹が立つ。そしてまたそんなことに 腹が立つことに腹が立つ。 やめた。画面もゴテゴテして見にくい。

名作と誉れ高いタクティクス・オーガ。 オレがつくりたかったものに極めて近い。 高さ、行動順処理、投射軌道。それら実装したくて仕方なかったものを、 見事に実装している。そして、それにおぼれずにストーリー、キャラクタ、 絵、音楽、操作性、利便性を全て高レベルに備えているのだ。勝てるはずがない。 ただ、多くの人はこの圧倒的なデータ量に引いてしまう気はする。 最初に提示される知識が多すぎるのだ。 腰をすえてじっくりととりくむべきゲームだろう。 あれだけファンが多いわけと、そのわりには売れた印象がないわけがいっぺんにわかった。

fortunecityの異常がおわったようだ。 更新できるようになった。 というわけで、ひきつづき更新を行う。 部から金が出れば引越すのだけれど。

1999年12月13日

2日がかりで 友達の家にコンピュータの改造に行ってきた。 いろいろと大変だったが戦利品も得たし、 そいつの妹君や母君と話ができておもしろかった。 戦利品は近いうちに売り払う予定だが、 ほしい人がいるかもしれないので以下に書いておこう。 言ってくれればゆずる。

これらはタダでもらったものである上に オレはまったくいらないものなので、安く売る。 ケースがあれば2台目が組めてしまうとはいえ、 いらないものはいらないのだ。 ファイルサーバにするのは魅力的なアイディアではあるのだが、 デカイ箱が2個になるのはジャマだ。

コピー本の締切が近づいてきた。自分一人だからギリギリまではいいのだが、 それにしてももうヤバい。そこで、下書きがほとんど進んではいないことを逆用して 電車の中でうかんだアイディアを採用して8ページまで削る。 ただのポエーになる確率大とは言え、今回は丁寧に絵をかいてみたいので これくらいが限度だろう。 しかし、またページを削るのか。 思えば今まで十分なページ数でかいたことなど一度もない。 ところで、12ページ本ならコストは60円。 100円で売っても全部はければ利益が出る。 表紙くらいカラーにしてみようか。コストが100円ぴったりになる。 小泉氏が色を塗るのを見ていて、やってみたくなったのでそれもいい。

近頃、金にいじきたなくなっている気がする。 美しくない。けちと守銭奴は違うのだ、ということを忘れている気がするのだ。 そういう意味でもバイト探さねばならない。 金、それも使う権利がある金が十分にある状態であればそれだけゆとりが出るはずだ。 ゆとりとは別に無駄遣いをする状態という意味ではなく、 金が所詮は金なのだということを実感できる状態である。

そういえば、ジーンダイバーのBGMをMIDIにしてくれと頼まれた。 しんどそうだが、おもしろそうだ。 供給が0なので需要がなんぼ少なくても不足しているはず。 というわけで、ソースが手に入りしだいとりかかるとしよう。

1999年12月11日

以下京大漫研サイトについて: 漫研サイトがサーバのエラーでどうしようもなくなりました。 行きたい人は http://members.xoom.com/hirasho/manken/ に同じものを置いてあるので、そちらでどうぞ。 掲示板にも書いておきましたが、 サイトからリンクで飛んでいてブックマークで直接行っていない人は どうしようもないでしょう。 本体が更新できなくてもこちらは更新できますので、 頻繁に見に行かれる方はブックマークに加えておいてください。

やる気のなさに追い打ちをかけるように、雑務やアクシデントが 打ちよせる。自分で本を作るというささやかな野望 (この言葉はいま大ブームである)の実現を阻むものが多すぎるのだ。 やる気満々ならそれでもやれるが、元々やる気が著しくダメなところにこうだと、 それをいいわけにしてダラけてしまう。昔のオレのようにとりあえず 無理矢理やるしかもはや道はないのだが。

1999年12月10日

メールをみると、また漫研サイト更新のネタが届いた。 漫研サイトが次第に充実してゆく。 主力メンバーじゃない長老連中(4〜7年目) が勝手に公式サイトの運営をやっているというのも いいかげんでおもしろい。 それにしてもえらい時間がかかった。 そして、やっとこ体裁を整えても、 サーバがログインさせてくれなければそれまでである。 10回試してダメだったらその日は更新しない。

それにしても、まともなHTMLを出力するソフトはないのか。 ないのだろう。

例会後、みやざき君の家へときメモの見学に行く。 あの、ときメモである。 とりあえず紐緒シナリオを見終えて帰ってきた。 感想。おかしい。精一杯おかしくしようとして、 その努力が十分に報われるくらいおかしくなっている。 称賛するに値するおかしさである。 しかしまあ、キャラの魅力がどうこう言いだすと、おそらく大したものではあるまい。 ネタとしてのおもしろさと、複数キャラへの配慮を絶妙な度合で必要とするゲームバランス がこのゲームの真髄だろう。よって、 一番ネタとしておもしろいところを見てしまった以上、 もうこのゲームはいいのではなかろうか。 それにしても使えるセリフが多かった。

1999年12月9日

古い文書を発見する。 見つけなければよかった…。最悪だ。 しかし、この文書は最大5部ほどこの世にある可能性があるのである。 おそらく半分はなくなっているはずだが、残り半分は…。

論文読みながら 漫研サイトの手入れ。逃避だ。 しかし、手入れをしようにもログインできない。 いきなり拒否されるか、パスワード入力を求めるところで向こうが止まるか二つにひとつ。 こんなところやめてしまえばいいのだ。 ためしに昔とったxoomの方にまるごと送ってみる。 おーおー。楽に更新できるし、こっちの方が転送速度がマシな気がするぞ。 しかし、ディレクトリ名がhirashoなので問題ありか。 移転するなら新しくとらねばならんようだ。 もっとも、移転するかどうかはオレが決めることでもないが。

1999年12月8日

ドラクエを片づける。一瞬で終わった。竜王は弱かった。 スーファミ版は10倍くらいぬるい。

友達のキャプチャーボードのトラブルを始末する。 オレは何をやっているのだろう。 もっとクールに生きられぬのか。 時間がないのではなかったのか。 だが、トラブルが解決して「ありがとう」といわれると、 それでうれしいのだ。なぜうれしいのかもわからず、うれしいのだ。

9日にはひとつの不安が消える。その代償に多少のものが必要なのだが。 ところで、学相に行ってもバイトがない。 半日つぶれて5000円くらいになるのにしようと思っていたが、 もうえりごのみせずやってしまうか。 とりあえず引越しやパン工場でなければそうひどいことにもなるまい。 ずいぶん前にやったバカボンを消すバイトより辛くなければ十分耐えられる。

1999年12月7日

もちはもち屋。 経験や慣例が理論に勝る場合が多い分野ほど、 生半可に手を出すべきではないのである。 自分が手を出す範囲というのをしっかりと考えておこう。 ちなみに、かつおぶし削りは範囲内。

道理や道徳に忠実に美しく生きるより、 適当に無礼に生きた方がいいこともあるようだ。 決定から実行までが迅速であることが常にいいとも限らないし、 自分で最大限の努力をして知識や技能を身につけることすら裏目に出るかもしれない。 そういった思いで人は 川の石がだんだん丸く削られるように、だんだん小さく保守的になってゆくのだろう。 ナニワ金融道でも読んで、世界への絶望を深めるのもいいかもしれないと思ったりもする。

ところで、 KANONの全年齢対象版(エロシーン抜きKANON)が出るという話はご存知だろうか。 至極残念なことに、定価が5800円になって エロシーンが削られ、数枚のCGが加わる以外に変更はないという話である。 しかしながら圧巻なのはそこにあるQ&A。「予定はありません」 「仕様です」のオンパレード。 Key のブランドイメージが一撃で地に落ちる見事な出来栄えだ。 そんな文章を読んですら買うかどうか迷うであろうオレは、 もう堕ちきっている。

金が必要になった。そこで学生相談所に行って登録してきた。 バイトの紹介をやっているところである。 しかし、可能なバイトはまるでない。 最初はとりあえず日雇いものにしようとおもったのだが、 見事なまでにない。毎日行ってなんとか探そう。 そんなに条件のいいものである必要もなければ楽である必要もないのだ。 どうせだから、 ズバぬけて辛いわけではない程度の肉体労働が筋トレがわりになって丁度いいのだが。

JOJO第六部第一話を読む。ものすごく完成度が高いが、 変じゃない。見なれた効果以上に変さがないように感じる。 もうオレ好みの荒木ではないのか。魔少年BTや、ゴージャスアイリンや、バオー来訪者や、 JOJO第一部のようなおかしさと鋭さはもうないのか。

ゴージャスアイリン。「私、残酷ですわよ」。こんな台詞が誰に書けるものか。 バオー来訪者。コナン・ザ・バーバリアンのように、名の後に修飾、 あるいは称号をつける英語的なタイトルだ。ましてやなんら称号っぽくない「来訪者」 という言葉を使うあたりがなんともセンス(むしろ変さ)を感じさせる。 この違和感ある題名をつけられた段階でもう勝利だろう。 演出というよりハッタリにおいて、荒木はこのころすでに完成されていたとすら言え、 ストーリーも構成、アイディアともにすばらしい。 そしてJOJO第一部。 それまでの作品より成熟した漫画センスと、 相変わらずの炸裂したセリフとアイディアが光る不朽の名作だ。 今までに何人の人間を殺したかを問われたDIOの 「おまえは今までに食ったパンの枚数を覚えているのか」というセリフに どれだけの人々が痺れたことか。蛙を殴った音が「メメタァ」で あったことにどれだけの人が衝撃を受けたことか。 そういうおもしろがり方をする人間にしてみると、 ちと5部は驚きに欠けた。いや、十分おもしろかったのだが。

例会後5人ほどうちに来て話す。おかげでいくらか片づいた。 しかし、聖闘士星矢はそんなにおもしろかったのか。 アニメがみたくなった。

1999年12月6日

自分が流されやすくて、ダマされやすくて、 足が地についてなくて、 実感をもって生きていないということがなんとなくわかった。 わからされた。今年は挫折の年だ。 頭で知っていても実感がともなわなず失敗することがものすごく多い年となったのだ。 自分がこの程度か、というのが見えてしまうのはしんどい。 1999年は、まだ一ヶ月もある。

ゴージャスの表紙はまだ上がらない。 早くあげねば。やけに調子がいい。 今回でペン入れもベタなのだということがなんとなくわかった。 線も所詮狭いベタ領域で、黒くぬることに変わりはないのだ。 全部ベタなのだと思うくらいの気構えで描くと、 時間はかかるが見栄えはマシになる。 しかしまあ時間をかけて絵をかく時にはそれでいいが、 果たしてそれで漫画がかけるのだろうか。 オレの理想としては線はリズムや流れで一気にひけるのがいいのだ。 線が汚くても全体としてなぜかととのって見える絵というのはあるもので、 そういう方が好みといえば好みなのである。 遠い、目標だ。

小泉氏の家にいって、「海がきこえる」を見る。 青春アニメだ。そんな青春に触れてみたかった。

1999年12月5日

タイマーが壊れた。 電池がないわけでもない。いや、仮に電池が切れたとしても、 こんなに早く切れるようなものは使い続けられない。 というわけで、機械式のタイマーを買い直そう。 電子式は電池を使う段階でうっとうしいのだ。

これが夢だったなら、はやく覚めてくれ。

格闘技同好会みたいな感じで道場の支部というかなんというかを 作るという話が、我々京大生組の 知らないところでどんどん大きくなっている。 もはや作る以外に道はない。 聞く所によると、 張恩煌氏が京大にサークルを作るなら散打の講習会をしてもいいと 言っているらしい。 張恩煌氏は台湾の散打のナショナルチームの教練(コーチ)のトップらしい人だ。 若い時には重量級で5年連続優勝したらしい。 以前散打の講習会の時に実際に会ったが、 とにかくデカかった。身長は低いが幅がデカい。 もちろんデブではなく、筋肉ダルマである。 プレートアーマーがあるいているような威圧感があった。 聞くところによると、身長170cmで108kgらしい。 しかし、 動きを見る限りでは異様に速かった。どうも本当に強いらしい。 そういう人が日本に来た時にわざわざ京大で散打の 講習会をするとまで言うというのだから、 相当メチャクチャな話である。2月という話だから、さっさと作らなくてはならない。 道場の先輩や、指導員の人も時間があれば京大まできて練習に参加するといっている。 もう本当に葵ちゃん状態。なんとか人を集めないとシャレにもならない。 マジです。

1999年12月4日

正月休みのために切符をとってくる。 24夜にバスで東京へ。25は東京で夜を明かし、26にコミケ。 その日の夕方にはバスで仙台へ。なかなか地獄なスケジュールだ。 コミケの余韻もなにもあったものではない。 それにしても、仮に無事コピー本が出せたとして 売れ残りは仙台まで持って帰る羽目になる。 結構それはイヤかもしれない。 それにしても、本当に出るのだろうか。 出るとしてオレ以外に誰かが描くのだろうか。 だれもかかなかったら20ページ。 100円で売れる。

昨日月刊ゴージャス61号の表紙をかかないかといわれたが、 その場では決断しなかった。 しかし、どういうわけかここに下書きができている。 道場が終わったらペン入れだ。 最近絵を描くのが妙に楽しい。 面倒くさがってなかなか始めないのだが、 始めるともう一心不乱という奴だ。 何がそんなに楽しいのやら。

道場。ああ、まだ顔に何かが飛んでくるのが恐い。 足が動かない。戦いのスタイルができてない。 高度な技術ばかりを見かけだけ習って、そういうものが欠けているのだ。 もう少し早く入っていれば毎回決まった メニューでやっている期間が長くなったものを。 オレが入ってしばらくするとメニューがどんどんいいかげんになって、 その日その日でどんどん次の技術へ進むようになってしまったのだ。 それについてこれる人はどんどん上達していくのだが、 いまひとつオレはその速度に適応しきれていない。 ここらで気合いを入れねばダメか。 来年のことを考えると本当にそう思う。

サイトの更新をしつつうとうとしているところにのじり氏がくる。 その間に3人くらいICQで話しかけてきたりで大変だったりもした。 4時半近くになってのじり氏が帰る。 ああ、ペン入れしたいが、眠い。 ねる。あした提出してしまおう。

1999年12月3日

実験を終えて帰ると、T氏(今の通り名はなんでしたっけ)から荷物が届いていた。 中身はDragon Magazineの山。富士見の軟派小説雑誌の「ドラゴンマガジン」ではない。 もちろんアメリカのTRPG雑誌である。もちろん英語。 これを全部読むのは骨だが、ヒマを作って読むことにしよう。 アメリカンな紙面が新鮮である。このエルフこわいよ。

買い物に行って店から出ると雨。 またか。ちょうど傘が一本もなかったので買う。 一体今まで何本の傘をぬすまれ、あるいは忘れてきたか。 そこで、今回はあえて1280円のちゃんとした傘を買い、 マジックで相当目立つところに名前を書いた。 2箇所。これはかなりはずかしい。 こんなものを盗むバカはそうそういまい。 恥ずかしいのはオレが我慢すればすむだけであって、 慣れてしまえばすむことだ。実益をとろう。

8時ごろ例会に行く。いろいろ話して気がつけば9時。 カルドセプト組と麻雀組にわかれたので一人帰った。 どっちかに参加すればいいのだが、ああ、 考えてみるとなぜオレは参加しないのだろう。

すでにこたつで寝ざるを得ないほど部屋がダメになって2週間がすぎた。 思えば学園祭がはじまってからずっとである。 もう慣れてしまったのか、別にどうもない。 電気代を無駄に食いはするが、結局部屋全体があたたまるので、 朝寒くて動けないよりはいい。 しかし、カゼをひかないのは不思議だ。 健康的な食い物を食っているとは言え、 一日単位で見ればバランスはメチャクチャである。 にしん4尾をえんえん食って一日が終わったり、 豆をえんえん食ってて一日が終わったり。 米を炊く機会がえらく少なくなっている。 それというのも、他のものを作るためにビタクラフトがあかないからである。 今はいろいろな実験をしてみる時期で、新しい食い物を買ってきては 初めての料理ばかりしているのだ。 しかし、なによりも冷めたメシがうまくないのが大きい。 なべで冷めたメシは水分が一箇所に寄ってベチャベチャの ところとカラカラのところに分かれてしまうからだ。 こうなると「おひつ」がほしい。 あのメシを入れておく木製でふたつきのおけである。 あれは適度に水分を吸うので、そういう悲惨なことにならない。 これで冷やせば冷めた方が味がよくわかっておいしいという話もきく。 なんとか手にいれようではないか。 おそらくけっこう値がはるんだろうが。

13000。記録しておく。

1999年12月2日

実験テーマが変わった。 今までのテーマはほとんど進展がなかった上に、 それ以上に教授が知りたいことができたからである。 四回生というのは要は労働力で、 いわれた作業をこなす存在なのだ。 そういうことで、12000個のコロニーをつついた努力は、 「それが無駄であった」という知識だけを残して空しく消えた。

実家にコンピュータを一台組んで送ることになった。 液晶ディスプレイでできるだけ安く組めば良い。 もしSiS620でサウンドものった安いマザーがあれば、 celeronにしてもいいかもしれない。 そうしたらオレがもらうな。当然。 どうせ表計算やらワープロしか使わんのだろうから、 K6-2の400もあればおつりがくるほど速いのである。 celeronにしたらGIMP速くなるんだろうなぁ。

実験が早くかたづいたので日本橋へ。 ついたのが4時40分。 5時すぎにはdos/vパラダイス、ソフマップ、ソフトアイランド、 パソコン工房3軒、twotopとまわって価格調査を終え、 6時半には買物を終える。 そしてメインイベントであるはずだった道具屋筋へ。 だが、ほとんどの店はしまっていた。 唯一開いていた大手の店に行って念願の片手ボーズ鍋をさがすも、 ない。注文するか、と問われて勢いで注文。直接送られてくる。 ものも見ないで買ってしまうなんてなんて愚かなんでしょう。 ついでにすりばちとすりこぎを買ったが、 帰りの電車の中ですりばちを落として割る。 420円。残骸を駅のゴミ箱にすてるという残虐非道なふるまいを経て帰る。 オレに割れ物は似合わないとわかった。 なす術もなく光の速さで組み立てて実家に送る。 いま、一息ついたところである。

1999年12月01日

「夢は語ると罪になる」。 ここからリンクのあるサイト(負けたリンク2個目)にあった言葉だ。 至言である。そしてこれは他のものにも適用できる。 「努力は見せると罪になる」のようにだ。 結局人間は自分の行動に関して他人に理解を求めるべきではないのだ。 やっていることがいいことで、かつ運がよければ自然に理解してくれる も出てくることだろう。 仮に自分が正しくても、自分に正義があることを宣言することは罪なのである。 プログラムの格言で 「プログラムはプログラマの意図した通りに動くのではなく、 プログラマがプログラムしたように動く」というのがあるが、 現実はそのようなものなのだろう。

今日は料理な日なので、こちらの日記はスカスカ。

友達の書いた小説を読む。改訂してさらにパワーアップしていた。 やはり知り合いがこういうおもろいものを書くとうれしい以上に焦るな。 オレもがんばらねばという気になる。


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