食い物日記

1999年12月28日

久しぶりに自分でメシを炊く。おかずはスーパーで買ったほっけ開き。 こいつをビタクラフトで2、3分蒸す。 するとまたうまい。鮮度も悪い大したことない魚だが、 ずっとマズい肉ばかり食っていたのでよろこびもひとしおである。 そしてなによりうまいのはメシ。やはり世の中玄米である。 この食感と、ほとばしる滋味がたまらない。

思えば、この数日間本当に食い物がメチャクチャだった。 小泉氏の家で原稿をかいていた間は外食かコンビニのパンだし、 移動中はほとんんど食わず、食っても菓子パン。 東京にいる間も松屋の牛丼や二郎のラーメンである。 最後の打ち上げで食ったのはまともな食い物だったが、 それだけで体の調子が戻るはずもなく、 豊橋で降りた時などあまりの腹の調子の悪さに 繊維をもとめてコンビニを探して歩いたほどだ。 それで買ったのは繊維入りビスケットと野菜サラダ。 前者はいつも食ってる全粒粉チャパティを無茶に甘くしたマズい物体にすぎないし、 後者は鮮度が悪くてとてもおいしいとはいえない。 それでもうまく感じられたのだから相当ダメだっただろう。 とにかくここ数日ずっと便秘、腹痛、下痢がついてまわっていたのである。 実家も玄米にしてくれると助かるのだが。

1999年12月23日

朝実験に向かう途中(5時)にコンビニで菓子パン2個とぶどうパン一袋、 それに牛乳1リットルを買ってゆき、 実験の合間に食っていた。ところが、このパンがこれまたおいしくない。 以前は喜んで食っていたものが、なぜこうもおいしくないのか。 そこで味を分析してみると、明らかに欠けているものがある。 小麦の味だ。 そのかわりに砂糖、バター、その他のよくわからない 「仕組まれた味」がはばをきかせている。 唯一の救いであるはずのぶどうパンすら、生地は同様に砂糖とバターまみれで、 肝心のレーズンも適当な酒につけでもしたのか味が抜けている。 おそらく低級レーズンをごまかすためだろう。 精製してまっしろにした小麦では、ただ焼いただけでは何の味も ないものになってしまうに違いない。だからわざわざ砂糖なんぞを入れているのだ。 全粒粉で焼けば味もあって栄養もあって捨てるところがすくないから コストも安くなるはずなのだが、結局日本人は白いのがお好きということであろう。 というわけで、おいしいのは牛乳だけ。 仕方ないので自分でレーズンを買ってきてぶどうチャパティを焼くことにする。 それならどこへでも弁当がわりにもっていけるのだ。 でも、それはいつの話か。今、では、ない。

どんどん市販の加工食品がおいしくなくなってくる。 いや、もちろんタダなら喜んで食うのだが、 高い金を払ってまで食う気はしないということだ。 菓子パンしかり。カレーしかり。揚げ物しかり。 高い、マズイ、栄養がない、少ない、というのが外食のイメージになりつつある。 ただし、だからといってオレの作るものがそれらよりおいしいと主張するわけではない。 味なんてのは個体差があるからだ。 コンビニ弁当がうまい人と、オレの味覚はもはや別物で、 であればうまいと思うものも違うのである。 それに金がない。いや、金が惜しい。500円というのは食い物の値段として標準的だが、 500円あれば自分でやればかなり豊かになる。 メシ2合にちりめんじゃこをわしづかみにしてかけ、 加えて、チンゲンサイやらほうれんさいなどの炒めものや蒸しものや おひたしなんかを一株まるごと食い、 鮭の切り身をちょっと焼く。500円とはそういう量なのである。

1999年12月22日

昼飯を食わないと動けない、という状態まで腹が減る。 ゆうべ小泉氏とメシ屋で食ってから豆しか食っていなかったのである。 そういうわけで、天一でいいやと食いにいくも、火曜は休み。 仕方なくジャンボカレーで有名な「くるみ」(字はわすれた) に行った。ここのカレー屋はとにかく量が多い。 標準でも2合である。今日食った中ジャンボは2合半。 サラダ付きで500円。カレーの味はまあ特徴なくハイレベルだが、 メシがうまい。ここのメシは釜で炊いているらしく、 ふっくらとしていてとてもよろしい。 2合半が苦にならないのである。 ちなみにジャンボは4合。らしい。

1999年12月19日

ほうれんそうがうまい。蒸しただけ。 まだワシャワシャいうくらいの硬さがちょうどいい。 それに甘い。少量の醤油をかけると味がひきたってなおいい。 ほうれんそうはこんなにもうまい野菜なのだ。

鮭が尽きた。麦が尽きた。 買えばいいのだが、金もまた尽きている。 豆と米。

1999年12月18日

カレー。かぼちゃでも蒸すか。

かぼちゃハズレ。選ぶのがむつかしい野菜だ。 ハズレ率が高い。

カレー。おいしいが、普通のカレーではない。 しかしおいしいので、あっという間に食ってしまった。 コストけっこうかかったのに。

1999年12月17日

とりガラ5羽を200円で手に入れる。 サウンドブラスターが売れたので 気が大きくなっているのだ。 さて、これでストックを作り、カレーを作る。 具はたまねぎ(小〜中8個)、金時にんじん(3本)、ブロッコリー(1株)、 トマト(2個)、じゃがいも(大2個)である。 肉はこの前でこりたし高いので入れない。 かぼちゃやほうれんそうも入れようと思ったのだが、 そこまで入れたところで鍋がいっぱいになったので断念した。 ほうれんそうくらいは入るが、どうせだから別にして食おう。 しかし、カレーができてもメシを炊く鍋がない。 ほとんどの料理が一つの鍋に依存している状態を なんとかしないとあまりにも効率が悪い。 いずれビタクラフトをもう一つ買わねばなるまい。 いや、他のステンレス多層鍋を試してみるのも一興か。

体調が悪いので、今日はみかんを食った。7個89円。安いと言っていい値段だ。 あまり甘くなかったのでハズレとも言えるが、まあこの値段だ。 ビタミンC。 さらにかぼちゃを蒸して牛乳とまぜて飲んだ。 ビタミンA。 あとはこの野菜ミックススープカレー風味を玄米にかけて食えば完璧である。 しかし、4リットルはあるように見えるのは気のせいか。 3日間はカレー。

小豆は便利な豆だ。あんこにもなるし、いきなりメシと一緒に炊ける。 大豆もまたいい豆だ。もやしにして食えばおいしいし、 納豆にもなる。こんぶと煮てもおいしい。 そして豆最強の栄養を誇る。 その点大正金時はどうしてくれよう。 あんこ同様に砂糖で煮ればいいのだが、それなら小豆の方がいろいろ使える分強い。 豆サラダも大豆もやし蒸しにはかなわない。 さっさと煮て食いつくしてしまおう。 そういえば最近ダールを作っていない。 というのも、ストックなしで作ってもいまいちだからだ。 水で煮ても十分おいしいのだが、 もっとおいしくする方法があるのに それをしないのはどうも気がすすまない。 しかし、ストックを作ったら作ったでダールに使うのはもったいないのである。 困ったものだ。

1999年12月16日

生わかめを買ってくる。 ダシにつけて食うとおいしい。それだけ。 ほうれんそうのおひたしを食った後にのこったダシ汁の使い道。

かぼちゃと牛乳を買ってくる。かぼちゃを蒸して、 ミキサで牛乳とまぜて塩、こしょうで調味して終わり。 アホみたいなスープである。だが、うまい。 体調がおかしいので、ビタミンAその他を補充しようという企みである。 本来なら普段から補充されているはずなのだが、 金がなくて野菜を買うのを控えていたのだ。 そしてこれで完全に金がなくなった。 大量に昆布ダシ豆ごはんを作ってそれを食いながら生きよう。 おかずはこんぶの煮物。

1999年12月15日

とうもろこし粉の使い道を発見。 こいつはほとんど澱粉なので、水を吸ってもネバらない。 そこを利用して、打ち粉に使う。 そばやらを打つ時にくっつかないようにまく粉のことだ。 どうも小麦粉を使うよりも向いている気がする。 そうやってみた結果、おもしろいようにのばせる。 とうもろこし粉の風味も加わって、 もっとおもしろいうどんができそうだ。 しかし、もううどんとは別の物体である気はする。 でも、いいや。

この技術によってチャパティの厚さを2ミリ以下にまですることに成功した。 チーズ、トマト、バジル、セロリなどを仕入れればピザもどきができる。 やはりトマト。京都はトマトがなかなか手に入らないのでそこが問題だ。 缶詰を安く手に入れられれば挑戦してみよう。 だが、上から直火で加熱する機械がないのがしんどいといえばしんどい。 ま、ビタクラフトで蒸せば煮たようなものだろう。きつね色にはならないだろうが。

ほうれんそうのおひたしを作る。 作り方は簡単。巨大ななべに大量のお湯をわかし、 洗ったほうれんそう(切る前)をゆでる。 一束づつ沸騰を保ったままやるのがコツだ。 ゆでる時間は10秒で十分。色が変わったと思った瞬間でいい。 そうしたら流水で2、3秒冷やし、水をかるくしぼって、 ダシ汁につけて冷蔵する。 数日は食える。ダシ汁はかつお、こんぶ混合ダシを醤油と 酒で調味したものがいい。砂糖など入れようものなら一撃でほうれんそうの風味が 粉砕される。料理に砂糖はいらないのだ、ということを忘れてはならない。 さて、こうやって作ったおひたしはおいしいし、 野菜の栄養はほとんど失われてはいない。 ほうれんそうにはこんなに甘味があったのか、と驚きすら感じるのである。

里芋をダシ汁で煮る。今のところ里芋はめんどくさい野菜ランキング堂々の一位である。 なんといっても皮をむかざるを得ないのがひどい。じゃがいもくらいなめらかなら 洗うだけでいい気もするが、あれくらいイボイボして毛まで生えていると、 もう皮をむく以外にきれいにする手段はないのではなかろうか。 しかし、それでも1kgの里芋の皮をむいて煮てみた。 ダシ汁の匂いがなんともいえない。 市販のダシや、そのへんの食堂の煮物からはこんなにいい匂いはしない。 入っているかつおぶしや昆布の質と量が桁違いだからである。 ああ、幸せな気分だ。

メシを炊く。今日はなんだかんだチャパティを2回も作って食っているのだが、 あれはすぐ腹が減る。 細かくひいた粉を使うようになってから 一段とひどくなった。 すぐエネルギーになるので朝飯にはいいだろうが、 やはり腹にたまって行動の原動力になるのはメシである。 というわけで、玄米1.5号、麦1.5号、小豆0.5号の配合バランスで炊いてみる。 水は5号。少な目かもしれない。

前に作ったじゃがいもとねぎのスープを解凍し、 せっかく手に入れたミキサーで粉砕してみる。 元々はそういうふうに作るものだったのだが、 その時にはミキサーなどなかったのである。 すると、なめらかでおいしい。よりねぎとじゃがいもの味が一体になった。 コストも安いし、おいしいし、栄養はあるし、楽だし、 申し分ない料理だ。

1999年12月14日

以前ktoreishi氏、小泉氏と夜更けにメモリを買いに行ったその帰り、 「このラーメン屋はヤバい」ということをktoreishi氏から聞いた。 東大路東鞍馬口を南に少しくだったあたりにある店である。 今日、不幸にも買いものの帰りに通りがかった時にそのことを思い出した。 金はないのだが、昨日のかせぎがある。 ついネタのために入ってしまった。 そして、その瞬間に第一の後悔をする。 匂いがヤバい。酸化した脂とかそういうヤバさでは天一にかなわないのだが、 総合的に何か危険を感じさせる匂いがする。 そして、ラーメンが出てきた。 そこで第二の後悔をする。匂いがヤバい。目の前にするとヤバさが何倍にも増幅される。 だが、食べる。食べなければならない。 ソクラテスが毒人参を飲んだ時の緊張も、 何万倍かに薄めたらこんな感じになるのかもしれない。 そして、食べてみて第三の後悔をする。 ヤバい。味、匂い、そしてもっと何か根源的な感覚が ヤバいという信号を出しつづける。うまい、マズイの問題ではない。 ヤバいのだ。オレともあろうものがほとんどスープを飲めず、店を出る。 二郎ですら飲み切らずに出たことはないこのオレがである。 とにかく、何か普通でないものが入っている。それは確かだ。 それも、普通でないものを入れた結果ではなくて、 普通なものを入れて後莫大な時間を経て普通でない物質に変換されたような印象がある。 …このスープはクサっているのではないか? そういう疑念を抱くに十分であった。 この文章を書くために550円をドブにすてたとするならば、 それは高いのか安いのか。

少し値のはる卵を買ってきた。ポーチドエッグ、つまりは温泉卵にするためである。 並の卵では白身が広がってしまってあまりうまくできないし、味もよくないからだ。 しかし、割ってみてびっくり。ぜんぜんダメだ。 いい卵は白身が二段になるはずである白身がだらしなく広がってしまった。 そして食ってみると、案の定普通の卵並み。ハズレ。

食い物は基本的にその栄養が壊されないでいるほど味が濃い。 例えばりんごは生なら何もつける必要はないが、 煮ると砂糖なしでは食えなくなる。 卵も例外ではない。 ただ、吸収を妨害するタンパク質が白身にあって、 あんまり生で食っていると害になる。また、菌もヤバいのがいる可能性がある。 そこで、そのタンパク質と菌を壊せる最小の加熱で食うのがいい。 そのための技法が温泉卵、あるいはポーチドエッグである。 試しに卵をいろいろな食べ方をして味を比べてみるといい。 生卵、目玉焼き、入り卵、卵焼き、の順に味が薄くなるのがわかるはずだ。 さて、ポーチドエッグの作り方だが、アホみたいに楽だ。 3センチくらいの深さに湯をわかして卵(割って、だ)を入れ、 ふたをして3分待つだけ。何もつけないで食える。 そして、この料理法が一番よく卵の質がわかる。 ダメな卵だと白身がバラバラになってしまうのだ。 そして、今回の卵はバラバラになる程度のものだった。 昨日の朝に白身が二段になるようないい卵を食わせてもらった直後だけに、 ダメージは大きい。

うどんが食いたい。そう思って、小麦粉を練ってゆでてみる。 だが、これはうどんではない。小麦全粒粉なので味は濃くて、 舌ざわりもザラザラしてそばみたいなのだが、 どうも違う物体だ。 よく考えると大量の水で煮てせっかくの栄養を流してしまうこともない。 おとなしくチャパティ焼いて食おう。あれが一番うまいし楽だ。

1999年12月13日

友達の家に言ってコンピュータの改造をしてきたのだが、 バイト料がわりにいただいてきたものがある。 うどんのつゆ2本に鮭節ダシ醤油2本だ。前者は讃岐うどんのつゆらしく、 なんとか賞をとったものだという。後者は謎だが、 鰹ぶし同様に鮭を鮭節にして、そのダシと醤油を合わせたもののようである。 前者は少し甘味が強いものの、ダシは濃くなかなか使える。 煮物にすると少し強いかもしれないので、 その名の通りうどん系のつゆに使うのが良さそうだ。 後者は甘みが強くなく、ダシも少し変わった感じでおもしろいので、 ただの醤油ではちと物足りないような時に使えそうだ。 納豆にかけたり、おひたしなどに良さそうである。

川を登った後の鮭は生命力を使い果たしているために脂が落ち、味も落ちている。 産卵後の鮭の価値など0に等しいと言ってよかろう。 沖で漁獲した最高級のものが、川のかなり上流で網でとったものの15倍以上の値段 なのもその表れだ。 だから、使い道がみつかるともったいなくなくていい。 鮭節というのはそこから生まれたアイディアだろう。 燻蒸して乾燥させてダシに使うなら、脂などどうでもいいから、 この使い方はなかなか理にかなっているように思える。

1999年12月11日

「買ってはいけないは買ってはいけない」を見てみた。 だいたいわかった。「買ってはいけない」は健康教信者、 あるいは化学物質恐怖症の人が書いたものらしい。 極端で信憑性がない。 そして、「買ってはいけないは買ってはいけない」 もまた、「買ってはいけない」をけなすことに終始していてどうでもいい。 何が体に悪いか、ということは確かに考える必要があることだが、 なんでもかんでも悪いということになると生きてはゆけない。 玄米だの麦だのいってるオレすら、 甘いものが食いたくなって菓子パンを買うことはあるのだし、 砂糖はいかんとは言いつつも 自分であんこを作って食ったりもするのである。 なんらかの分野で行動の指針を示すような本を書く人というのは 世の中の平均よりも行動的な人なわけで、 当然そこに書かれているのは世の中の人の平均よりも行動的な人の意見になる。 そうすると、世の中の人のたいがいの人はそれを実行できるほど行動的ではないので、 つまりほとんど実行されない。 丸元に従って鮭を市場に買いにいくようなおかしい人は1000人に一人もいまい。 そのへんをわかって、できるだけやりやすく、 Z極端に走らないように「普通な人々」に歩みよって書かないと、 誰も共感してくれないという空しい目にあうのだ。 ああいう類の実用書を書く人にはそういうことを 考えることが求められていると思うのだが。

1999年12月10日

小豆をあんこにするだけではつまらないので、 ダシ汁(かつお、こんぶ混合)で煮てみた。 ところが、まるで異次元な味である。 ダシの味はいい。豆の味もいい。 だが一緒におそってくると暴力的な響きすらある。 おそらく昆布はいいが、かつおが問題なのだろう。 とにかくダメだ。まったく合わない。 仕方なく例会に持っていったところ、まさひろが 全部食ってくれた。ありがとうと素直に言いたいところだが、 複雑な思いもないでもない。

1999年12月9日

朝は冷えた麦飯。確かに冷えた方が味がわかる。 おいしい。よく噛んで食うと非常にうまい。 これで味噌汁があったなら。

食い物にかける金を減らさねばならない。 当分あるものだけで生活しよう。 あんことリンゴソースが自作できるようになった以上、 あと甘味欲求が起こりそうなのはチョコレートくらいである。 パンも焼ける。メシも炊ける。鮭もまだある。 昆布の煮物も作れる。納豆も作れる。 豆サラダもつくれる。煮豆もつくれる。 タマネギもスプリットピーもあるからダルは作れるし、 じゃがいもは焼けばおいしい。これで1月末まではなんとか生きよう。

チョコレートはなんとかならないか。 カカオ豆はさすがに手に入らんから、粉末状のものを手に入れ、 あとはそれを何かに溶かして砂糖を入れればできるはずである。 市販のものは油と砂糖がキツいので、 自分でいい感じなのを作れはしないだろうか。 もし市販のよりも安くあがるなら、甘味の双璧たるあんことチョコレート両方 を手にすることができるのだ。

突然だが、 スクロース(砂糖)は消化で負担がかかってあまりよくない。 インシュリンの代謝が必要なので、とりすぎると膵臓がダメージをうけるのだ。 それの極端なのが糖尿病である。 そこで、インシュリンがいらないフルクトース(果糖)やグルコース(ブドウ糖) が安く手に入ればいいのだが、売ってるのを見たことすらない。 スクロースはグルコースとフルクトースがくっついたものなので、 砂糖を分解して分離すれば簡単に手に入るはずなのである。 ちなみに、フルクトースは砂糖の倍甘い。つまり半分の量入れるだけで同じ甘 さになる。その分カロリーが減っていい。 ちなみに、アスパルテームと呼ばれる物質が甘味料として流行しているが、 あれはアミノ酸が2個くっついたものがちょっと変化したものである。 極端に小さいタンパク質と思ってもいい。 あれは砂糖の200倍甘い。つまり200分の1の量入れるだけで同じ甘さになる。 これを使わない手はないということで、 ダイエット物には必ずといっていいほど入っているのである。 いっそアスパルテームそのものが手に入ればいいのだが、 そんなものはどこにも売っていない。 ダイエット砂糖とか言っているものも、 砂糖に1%以下のアスパルテームをまぜただけのものである。 仮に1%まぜたとすれば、だいたい3倍甘いわけで砂糖の使用量が3分の1になる。 おそらく、純粋なのをなめると味覚が破壊されるほど甘いに違いない。 それに、あまり性能が高いとはかるのがしんどい量になってしまう。 家庭では10gははかれても、1gははかれないだろう。

グルコース、フルクトースなどがなんでそんなに甘さが違うのか。 それは甘さを感じるところとの相性である。 舌の表面には甘味を感じるタンパク質がいっぱいついている。 このタンパク質によくくっつく物質は、つまり甘いのである。 で、このタンパク質には鍵穴のような場所が2箇所あり、 2箇所同時に鍵のようなものがぴったりと差しこまれるといい感じに 「甘いぞ」という信号を脳に送るようになっている。 グルコースも、フルクトースも その2つの鍵をもってはいるのだが、 こいつらはその鍵同士の距離、つまりは柔軟性が少し違うのだ。 グルコースは近いために2つがあまり自由には動けず、 フルクトースは遠いのでかなり自由に動ける。 化学的には6員環と5員環の違いである。 そのためグルコースではひとつがはまるともうひとつが 動きにくくてはまりにくく、 フルクトースはひとつがはまってももうひとつが自由に動けるために はまりやすいのである。 スクロースはこいつらがくっついたものだが、 フルクトース部分とグルコース部分両方が働くので、 その平均くらいの甘さになっている。 アスパルテームはというと、 こいつはグルコースやフルクトースのように輪になっていないので構造がやわらかく それぞれがかなり自由に動きまわれる。おかげでメチャクチャに甘いのである。 料理は化学だ、というお話。

パンを焼いたついでに、リンゴピューレを食いつくす。 甘すぎて失敗したやつだ。 この先ずっとたたられるより、今死力をつくして滅ぼした方がいい。 ところが、地獄。食った後も腹がもたれ、動くこともままならない。 たかが300g程度である。リンゴ2個にも及ばない。 砂糖が数十グラム入っただけでこれだ。立派な毒と言えよう。 だが、これで悪は滅びた。まだ残っている分のピューレは 今食ったやつの半分しか砂糖が入っていないので、 これほどひどいことにもなるまい。

カレーが食いたい。 とりガラがないと作れない。 とりガラを一羽分40円で仕入れ、 野菜くずを八百屋でもらえばカスのようなコストでいける。 だが、備蓄だけで生きようと決心したのではなかったか。

WEBで栄養について調べていると、いろいろみつかる。 「ご飯をみなおそう」という文書では、 ごはんでカロリーをとればその分肉を食う量が減って健康的である、 と書いてあった。確かにそれは一理あるのだが、 どうもご飯はただのカロリー源であるかのような記述である。 もっとも白米の話だから仕方ない。 一方玄米は繊維、アミノ酸、ビタミン、デンプンなどが豊富で あれを食っていれば栄養がおかしいなどということはまずありえない。 しかし、江戸時代にロシアに漂流した大黒屋光太夫達も、 漂流中ですら玄米は食べられんと白米にしてしまって ビタミン不足でひどい目に会っている。 死んでも食いたくないほどマズいということなのだろうか。 だとすると毎日のように食っているオレは一体なんなのだ。

1999年12月8日

酒をなめてみたのだが、あんなに味が薄く感じられた越の初梅が やけに甘く感じられる。味覚というのは日によってえらく変わるものらしい。 今日は敏感なのかな、 と思ったが、前の久寿玉と比べてみると、濃いはずの久寿玉の方があっさりしている。 そんなバカな。どういうことなのだ。一体。 冷蔵庫に入れている間にどんどん変化していくとでもいうのだろうか。 それくらい味覚というのはあてにならないということなのか。わからん。

麦飯を炊く。おかずは鮭。だが、明らかに味が落ちている。 密封が甘かったために酸化がすすんでいるのだ。 冷凍庫の匂いがうつるということもある。 もっと密封には気をつかわねばなるまい。 しかしそれにしてもおいしい麦飯。 玄米と裸麦の組みあわせはまったくすばらしい。 納豆も食うが、うまい。 熟成が進んで味が丸くなっている。 たべごろは6日後だな。

1999年12月7日

高野を上がったところに健康系スーパーがあった。 野菜やらなにやらは高いので興味はないが、 一つ目をひいたのが「裸麦」。脱穀しただけの大麦である。 押麦はついて(米でいう精米と同じ作業)、 さらにローラでつぶしてあるので煮えやすく匂いがない代わりに 大部栄養がすてられているのだが、 この裸麦はいうならば玄米と同じ精製していないものなので栄養と味が濃いはずだ。 キロ360円と値段も安い。これを玄米と1:1で混ぜて炊いたところ、 ものすごく味の濃いごはんができた。 おかずがなくても噛むごとに味が出る。 むしろ噛まないと食えない。 味噌汁やちりめんじゃこがあったら完璧なハーモニーだ。 こうなるともはや味のうすい押麦は入れる気にならない。 この押麦の余りどうしよう。誰かにやるか。

小豆やっぱり茅が出ない。5日目になって茅が生えたものがほとんどないのである。 やむを得ずあんこにする。どうやら今回は大豆以外の発芽は無理なようだ。 ちなみに今回の砂糖量は、小豆一合あたり30g。これを標準とする。 片手坊主のおかげでえらく簡単にあんこができる。

1999年12月5日

今日の朝昼飯。玄米、鮭の切り身、大正金時のサラダ、黒大豆納豆、かぶの酢漬け。 なんて豪華なんだろう。それにしても秀逸なのはかぶの酢漬け。 栄養が流れていようがなんだろうが、これはおいしい。 時間がたったら余計においしくなった。 酢の酸味の中にかぶの甘味が広がる感覚がたまらない。もう少しかける三杯酢の組成と 量を調節したらよさそうだ。今回のは醤油、酒、玄米酢を1:1:1でまぜて 一度煮たてたもの。かぶの色はどうでもいいとしても、醤油が多いのかちと塩辛い。 よく考えればもともと塩をふったものなので、辛いのも当然だ。次は酒と酢だけでいい。 それに量をかけずぎた。もっと少量でいい。またひとつ賢くなった。 それにしても、これはそのへんで食うものとは比較にならんほどおいしい。 大正金時もボリボリとおいしいし、納豆も匂いがさほどなく、 豆の中ももちもちとした食感でやはりおいしい。 そして玄米のうまいことうまいこと。白米もおいしいのだろうが、 おいしさの質がまるで違う。 玄米はかんでいると、ふらっと気が遠くなりそうなうまさがある。 いや、それはいいすぎにしても、白米よりも味が濃いことは確かだ。 ちなみに、コストは250円程度。 なお、納豆を売りに出そうと思っていたが、本当にこれが納豆なのかがわからないので、 保留。もしクサった豆だったとしてもわからないかもしれないからだ。 とりあえず味も匂いも納豆で大丈夫くさいが、 数時間後に腹痛をおこした場合はクサっていたとみなす。

腹は痛くならない。調子もおかしくない。 よって、あれは納豆であると認定する。 命知らずな人には原価で分けます。

豆を、(1)ビタクラフトで蒸す(2)ビタクラフトで煮る(3)片手坊主で煮る。 どれが一番おいしいか。これは実験の結果(3)か(1)だ。 (1)は蒸すので形が崩れにくく、豆そのままで食うなら一番であるが、 味をつけようがないし、他のものとも煮られない。 発芽大豆をそのまま食う時や、豆をサラダにする時にはいい方法である。 (3)は煮汁に味が逃げる上に温度が高く豆がくずれるという欠点こそあれ、 どうせ煮汁はにつめられてうまみは豆にもどるし、 何よりも味をつけられ、他のものと一緒に煮ることができる。 いわゆる煮豆はこの方法をとる。 そして(2)がおいしくないのは、煮汁に味が逃げるにもかかわらず 煮汁を捨てざるを得ないからであろう。 ビタクラフトはふたをしておけばほとんど蒸発しないので、 煮つめるという芸当は不可能なのだ。 ふたを開けてしまえばただの鍋であるから、形状から言って片手坊主の方が優れている。 そういうわけで、2つをうまく使いわけるのが良いという結論である。

1999年12月4日

ふと思った。納豆を作る意味ってなんだろう。 まずひとつは吸収率。 そして、元はなかったのに発酵で作られる栄養。 考えたらこの2つしかない。 味もおいしくなるわけでもない。 ネバって、匂いがつくだけだ。 考えたら、オレは今まで豆を食うために納豆を食っていたような気もする。 納豆以外におかずとして豆を食う手段がなかったからだ。 そう思うと、わざわざ作る気もしなくなってきた。 とりあえず、発芽させて蒸せばおいしいのだから、それでいいのではないだろうか。 しかし、発芽したのを納豆にすれば、さらに栄養が高まって良いことは確かだ。 一回試してみよう。食べ方が多いのはいいことだからだ。

かぶを煮る。ダシ汁で煮るだけ。 これがまたおいしい。食い切ったら、残った汁でまた何かを煮る。 たぶん里芋。あれが安い。ちょうど片手坊主が明日とどくだろうから丁度いい。 さて、残った半分を薄く切って塩をふり、水が出たら酢につける。 おいしい。しかし、 よく考えたら水といっしょに相当の栄養が出てるはずだ。 水を抜いたかぶ独特の風味があっておいしいのはいいのだが、味が薄い気もする。 酢が強すぎるだけかもしれないが。 なんにせよ丸元め。ちゃんと首尾一貫してくれ。 汁を飲むならわかるのだが。

大正金時を蒸した。弱火30分余熱20分。 冷ますとまだボリボリいうくらいの硬さでおもしろい。 次は5分くらい加熱をのばしてみるか。やわらかいのもおいしそうだ。 煮るより味が濃いし、豆もくずれない。焦げる心配もない。 しかしながら、下には色の濃い汁が出ているので、 味が抜けていないわけでもないようだ。 片手坊主が来たら、煮汁がなくなるまで煮つめてみよう。 味はどちらが上か。

いろいろ作っていいのだが、メシを炊くヒマがないのは問題だ。 どうしてくれよう。こいつらはみんなメシのおかずに最適なのに。 パンを焼いてもいまひとつ合わない。 ちなみに、冷蔵庫のスペースも足りない。 酒瓶が2本も入っているのが致命的だ。 早く一本は使い切ってしまおう。 しかし、どちらもそれぞれの特徴があって、 両方おいておきたいという気持ちもある。

余った鶏肉を焼いて食う。普通の焼き方ではない。 火にかける前に鍋に入れ、ふたをして極弱火でじわじわ焼く。 油もひかない。そうやってある程度したら裏がえしてさらに焼く。 そうすると、まったくといっていいほどこげめがないものができる。 こうするとさすがにおいしい。加熱がすぎていないのでやわらかいし、 汁も最大限肉の中に留まっている。味つけは少量の塩とこしょう。 それで十分である。しかし、同じようにレバーを焼くと 比べものにならぬほどおいしいので、やはり普通の肉はいらない。

ハラが減った。メシを炊けばいいのに、つい冷蔵庫のおかずだけを食ってしまう。 かぶの煮物を食いつくしてしまった。汁は残念ながら薄くなっていたので、 飲んでしまった。おいしい。ダシが濃く、 かぶの風味に満ちている。オレはものすごくいいものを食っているんだなと思った。 それにしてもメシを炊かないと納豆が減らない。起きたら炊こう。

1999年12月3日

ダシをとって保存。ついでににしんを煮る。 このにしんはカラカラに乾燥した昔ながらの身欠きにしんで、 そのへんのスーパーで買ったもの。 市場で大量に買う前にどんなものか確認しなければならないからだ。 普通の手順だとアク水に一晩つけて米のとぎ汁で煮る というものすごい手間をかけるのだが、 玄米ではとぎ汁もでないのでそれは不可能である。 というわけで、いきなりダシ汁ににしんを放りこんで、ふたをして煮る。 時間はとりあえず30分。だが硬い。時間をのばしていくうちに致命的な失敗。 焦げた。早めにきづいたので、なんとか食えるレベルだが、 味が濃い。だいたい1時間でいいことがわかっただけでも良しとしよう。 なお、この方法では最後までそうやわくはならない。 しかし、こちらの方が脂まみれの生干しよりもおいしい気もする。 骨ごと食えるのもいい。しかし、やはり硬いか。 大人しく生干しにしよう。

ジャムを作ろうとした。だが、ジャムにする必要はまるでないことがわかった。 要はリンゴを保存できるペーストにすれば別にデロデロしている必要はないのである。 ただでも甘いりんごをこれ以上むだに甘くする必要もあるまい。 そこで、ミキサー(3980円)を買ってきて、 適当に切って種をとったりんごをたたきこむ。 面倒くさいので皮はむかない。そのためのミキサーである。 片づいたら鍋に入れて数分煮る。 これは酵素を粉砕するためだ。 細胞のとある部分には細胞の成分を壊す酵素が封じこめられており、 細胞の構造が壊れるとそれが暴れ出すのである。 それを防いで栄養と味を守るのだ。 なお、ミキサーのおかげでやわくする必要はすでにない。 皮が入っているのでザラザラするが、それくらいなんだ。 5分も加熱したら終わり。 急いだつもりだったが初めて使う機械だけに手間取り、 大部変色してしまった。味も薄くなったので、 砂糖をりんご1個につき30g(大さじ2)ほど入れたが、 すこし甘すぎたと後悔しているところなので、たぶん大さじ1で十分であろう。 おそらく、もっと処理を迅速にやって、 かつ加熱を瞬間的にすれば砂糖などいれる必要はないかもしれない。 茶色くなっているのは化学変化している証拠で、 どんどん味がなくなっていく。 だから、粉みじんにして細胞を破壊したら可能な限り速く加熱して酵素を壊し、 さらに酸素から守らねばならない。 そこで、次のように手順を改良する。

  1. りんごを全部ミキサーにかけられる大きさに切る。 ミキサーにかけた後に比べればはるかに表面積が少ないので、 劣化はさほどすすまない。
  2. 鍋をあたためる。
  3. 第一陣(だいたい2個分)をミキサーにかける。最初は水半号が必要。
  4. 第一陣が粉みじんになったら半分を鍋に移して 即座にふたをして火にかけ、 りんごをミキサーに足す。
  5. 粉砕したら、また半分を移してミキサーにりんごを足す。
  6. りんごがなくなるまでくり返して、 最後のを鍋に移してから2分加熱して完了。すぐに滅菌したびんに入れる。

これで最大限変色を防げるはずだ。 今回はミキサーにいれる度にその分だけ切っていたためにもたついたし、 全部を粉砕してから加熱をはじめたために、相当変色してしまった。 次はこれで行く。ちなみに、りんご4つで1リットル近くできてしまう。 今回は8.75個のりんごを投入してしまったため、2リットルにも収まらない。 次は少しにしよう。

1999年12月2日

金針菜を炒めて食ってみる。うわ、すげえ。 妙な酸味と妙な苦味。強烈に主張のある味である。 うまいとかまずいとかいう次元ではない。 花の香りが生きている、とでも言うべきか。 とにかくこれだけを炒めて食うのはキツすぎる。 鶏肉かなんかとスープにしたり、 他のものと一緒に炒めるのがよさそうだ。 特にスープにすればいいダシになりそうである。

豚肉のかたまりと鷄ももを買ってきて、丸元本にあるように焼いてみる。 本当は牛肉がよかったのだが、どこにもかたまりでは売っていないのだ。 なにしろ3センチの厚さがいるというのだから、 そのへんの薄切りではどうしようもない。 これを3センチの厚さに切って油をひかずにごく弱火で4、5分焼き、 裏がえしてさらに2、3分焼く。 確かに下手に焼きすぎたり煮てしまったりするよりはるかにおいしいが、 所詮は肉であり、硬い筋繊維と脂の固まりだ。 比べられるものではないが、昨日のチンゲンサイの方がはるかにおいしい。 丸元も肉などいらないと言っているが、オレも同感である。 栄養的にも見るべき点はない。 レバーだけで十分だ。

日本橋で腹があまりに減ったので、 ラーメンを食う。とんこつでレベルは高い。 腹があまりに減っていたので、替え玉をして2玉食う。 しかし、何かが足りない。味はいいし、量も食ったが、やはり足りない。 もうラーメンでは満足できない体になってしまったのだ。

道具屋筋で丸底鍋(別名片手坊主)を探すが、 一軒しか開いていないうえに、そこにない。 どうしても欲しかったので、勢いにませかて注文。 4400円。送料を入れると5000円を超える。 この鍋の特徴は底が丸いことである。 そのまんまだが、これが重要だ。 おとしぶたをして適当に煮ていると、対流がいい感じにおこって具が踊り、 焦がさずに煮つめることができるのである。 ビタクラフト以外で豆をまともに煮る方法はこいつしかない。 また、里芋のにっころがしなんかはこいつでしかできない。 丸いので、一人分の味噌汁もなんなくできる。 底が平だと、少量のものを煮るのは大変なのだ。 そういうわけで、値段分の価値はあると信じよう。 ちなみに、すり鉢とすりこぎも買った。 ごまを買ってきてすり、そこにメシをたたきこんで茶碗がわりに使おうと 思っていたのである。だが、帰りの電車の中でもろくも割ってしまった。 420円がパーである。どうせこんなもん京都にだって売っているさ、と 自分を慰めつつ、われたすり鉢を駅のゴミ箱にたたきこんで帰った。 なんとなく腹が立って、コンピュータを組みながらヨーグルト500gを一気食いしたが、 余計に気分が悪くなったのは言うまでもない。 ラーメンを食っていくらも立っていないのだからなおさらである。

納豆が完成する。今度はカビも生えていない。 微妙に市販の納豆と匂いが違うのが気になるが、イヤな味はしないし大丈夫だろう。 よく考えたら、食って大丈夫かを確認する方法は匂いと味と、 食った後の腹の調子の3つだけなのだ。 最初の2つをクリアーするようなクサり方をされたらどうしよう。 どうしようもない。 とりあえず今回の反省点。まず豆が少し硬い。もう少しやわく蒸すべきだった。 そうすればもっと中まで納豆になっただろう。中央部がまだ発酵していない気がする。 粒が小さければもっといいのだが、それは望めない。 なんにせよ、ちゃんと納豆ができることは確認された。 今度は今発芽中の大豆を材料にして作ってみる。 果たして発芽大豆も納豆になるのか。乞うご期待。

1999年12月1日

あんこを作ろうとして間違って煮る前に砂糖をいれてしまい、 いくらたっても豆がやわくならなくなった。 本当に煮えなくなるので注意だ。 豆を煮る時は味付けはやわくなってからしなければならない。 仕方なく圧をかけて一気に煮たところ、食えるようにはなったが、 やはりあんこでなく煮豆である。甘納豆もどきといってもいい。 仕方ないので弁当がわりにもっていく。 砂糖は少ないので、そのまま食えるのだ。 はごたえがあって、これはこれでおいしい。

チンゲンサイを蒸してくうが、しくじって生のところが残った。 しかし、生のチンゲンサイには 大根に似た風味があるということがわかって勉強になった。 しかし、うまい。 ただ魚醤の匂いが部屋に充満するのだけはちょっと問題だ。

実験が終わって帰ると、腹が減っていた。 今日はねぎとじゃがいものスープを作る予定だったが、 そんな余力はない。そこで最後のチンゲンサイを蒸して、 オイスターソースで味をつけて食う。 やはりうまい。本当にうまい。これ以外の料理法は必要ない。 最後にのこった汁まで間髪いれす食ってしまった。 これ以上のものはどこにもないと思えるほどのうまさである。 こんなにうまいのは明らかに最近豆ばかり食っていたからだ。 豆と穀物は食生活の核だが、それだけでは足りないものが当然ある。 しかし最近は穀物すらあまり食わず、 本当に豆ばかり食っていたのだ。 だからこんなにうまく感じるのに違いない。 空腹だとなんでもうまいと思われる方もおられるだろうが、 空腹だからといって、 どーでもいいものを大量につめこんでも満足はしないのである。 やはり足りないものを補うものを食うのが本当の幸せな食生活なのだ。

勢いにのって、丸元の「システム自炊法」と「システム料理学」を買ってくる。 金が入るあてが定まったので、この程度はいいのである。 この2冊は丸元がかなり爆発しており、 読み物としても異様におもしろい。 特にシステム料理学はすばらしく、極めてまっとうなことを、 異常な執念と絶妙にアンバランスな例え話でつづった丸元の最高傑作である。 思えば小林よしのりのゴーマニズム宣言は内容をよく 見ればたいがいまともなことしか書いていない。 そのくせあれだけ物議をかもしておもしろいのは、表現がイカれているからである。 それと同じで丸元も表現がズバぬけておかしい。 ただし、小林はおそらく計算してやっていると思われる一方、 丸元は一生懸命伝えたいことを伝えようとして 知恵をつくした結果こうなっていると思われるので、 こちらの方がおかしさのレベルは高いだろう。 エンターテインメントとしてもすすめられる一品である。

酒が尽きそうだったので、 今度は「越の初梅」というのを買ってきた。当然新潟の酒である。 そう高くもなく(2247円)、辛口(日本酒度+4、酸度1.4)というのが目をひいた。 帰って味見してみたところ、味は薄い。 これがいわゆる淡麗辛口というやつだろう。非常にのみやすいが、力がない。 前の久寿玉とは全く対極といってもいい酒である。 さて、日本酒度というのは比重のことだ。 プラスのものは重く、マイナスのものは軽い。 プラスだと甘味より酸味が強く、 マイナスだと酸味より甘味が強いということになるようだが、 それと比重がどう関係するのかは謎である。 ただ、酒のラベルに印刷されていた表(横軸:日本酒度、縦軸:酸度)によると、 日本酒度が高いほど濃醇から淡麗に傾いてくるので、 ひょっとしたら日本酒度とは味の薄さのことなのではないか。 酸度は久寿玉も同じ1.4なのに片方が甘口で片方が辛口ということも、 それならば合点が行く。酸味が強いのではなく、 甘味その他が弱いから酸味がきわだつということなのだ。 どうもオレの好みとしては味がそこそこ濃くて辛口のものがいいらしいので、 酸度が高く日本酒度のそこそこ低いものがそれに近い確率が高い。 しかしまあ、この酒けっこうおいしいわ。 だから問題なし。それにしても、酒ってのも異様に奥が深そうだ。 人類というのはどうしてこうも生命維持に 必要ないものに心血をそそいできたのだろうか。 まったく不思議な生物である。 ちなみに、創作活動に熱中するのも同様の意味で不思議な現象ではある。

じゃがいもの食い方を開発中である。なぜなら、こいつは鉄分も多いし、 ビタミンCも多い。そしてでんぷんも多いのでエネルギーになる。 さらに安くて保存が効く。オレの場合皮なんて剥かないので手間もかからない。 そういうわけで常備野菜の一つである。ちなみに皮を剥くとビタミンの大半と 鉄などのミネラルがさようならして味が格段に落ちるので注意だ。 さて、こいつを適当に切って煮てやわらかくし、 次にじゃがいもと等量のねぎを薄い輪切りにしてたたきこむ。 じゃがいもがキロならねぎもキロで、一見ねぎ地獄に思えるがこれが秘訣である。 この時に水が多すぎると最悪なので、水は多すぎないようにすべし。 多すぎた水は飛ばすしかないが、 飛ばすには莫大に無駄な加熱をせねばならず味が落ちまくる。 かといってじゃがいものうまみがとけだしているので捨てることももってのほかである。 ちなみに水が足りなかったらお湯を足す。冷水を足すと味がこれまた落ちる。 さて、ねぎが生の時の刺激を失うまで煮たら、 なんとかしてじゃがいもをつぶす。 とりだしてミキサーにかけても棒でつぶしてもいいが、 オレは面倒くさいのでなべのままかつおぶし漉し用金網をおしつけてつぶす。 いい感じにつぶれたら適当に塩とこしょうで味付けしておわり。 ここが一番慎重にならねばならないところで、よく味見をしながらやる。 味見は少量なめるものだが、問題なのはたくさん食った時の味だ。 だから、味見の時はかなりうすめでも食う時には十分濃いということも多い。 そういうことで塩もこしょうもえらい少量でいいはずだ。ねぎのパワーである。 こいつは冷凍保存もできるので、一気にリットル単位で作って保存しておくといい。 フランスの家庭料理らしいが、こんなものは日本でも作れるので作ろう。 これがまた、やけにおいしいのである。

豆腐の冷凍保存は可能か。 そう思って試そうとする前に丸元本に豆腐を冷凍した話があった。 できるらしい。とすれば自分で豆腐を作るのもありである。 みそ計画は時間がかかりすぎて却下となったので、 大豆の利用法がもう少しほしかったのだ。 調べてみよう。

以前小豆が茅が出ないと書いた。 しかし、丸元本によると、小豆は発芽に4〜5日かかるのだという。 4〜5日!なんと長い時間か。しかしそれよりも、 以前3日待って煮てしまったのが惜しくて惜しくて仕方がない。 今一度栽培に挑戦しよう。

スープはタッパーに入れて冷凍し、今度は大豆を蒸しにかかる。 もちろん納豆にするのである。ふきんやザルは買ってきた。 準備は万全である。

ご飯は冷めた方がおいしいという話だ。 もちろんそれは玄米の話である。 よく味がわかるのだという。 もしそれが本当で、冷めた方がおいしいのなら、 大量に炊いて冷蔵しておけば楽ちんではないか。 試してみる。それにしても精製していない大麦はないのだろうか。 この押麦は真っ白なのである。きっと精製するまえはもっと味があったに違いないのに。

忘れていたが、金針菜を買ってきた。 ゆりの花のつぼみを干したもので、ミネラルの宝庫らしい。 10分もどして炒めれば食えるという伝統インスタント食品である。 150gで350円と乾物にしてはそこそこ安いので、 もしおいしければ常備するだろう。 しかし、今日はいろいろと食ったので実験はまた明日。


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