だだもれ

2011年06月30日

なんだかとっても忙しい。今週が終われば少し気持ちも落ちつくか。 しかし、そういうことを言っていると負け決定なので、 今すぐできることをやる。 今週はピアノはちょっと無理だな。考える事が多すぎる。 夜中にこうやって考えこんだり日記を書いたりしていると、 もう朝起きるのは無理だ。 加えて最近は暑いせいかオタマが起きるのが早い。 4時に起きないと満足には弾けないだろう。 そうであれば10時には寝ねばならず、今のように仕事と考え事がてんこもりの状態では 到底無理である。丁度平均律11番と革命エチュードが終わったことになった所だし、 ちょっと空いてもやむを得ん。 今は私の人生ではそこそこ大事な時期だ。

ドラッカーはおもろい。マネジメント系以外の論文は文明論やら何やらで 見慣れないので少々難しいが、こっちもこっちで面白い。

201sの無線LANが切れる。そうだ。11nでつないでるとドライバ上げないと切れるんだった。 わすれてた。

0未満は0に、255を超えたら255にする、 という処理を分岐抜きで書くにはどうすればいいか、 なんてことを必要もないのに考えていたが結局うまく行かないうちに教えてもらえた。 算術シフトってこう使うのか。 符号付き整数が負の時に右シフトするとどうなるのかイマイチわかってなかったので 怖くて無意識のうちに避けていたが、 左から続々と1がやってくるということが今更理解できた。 そういうことならかなり使い道がある。 なお、問題の処理は普通にif文で書いた方がたぶん速い。 ?:演算子で書くとなおさら速くなりやすい。 CPUによるかもしれんが。

Intelの無線ドライバが234MBもあるんだが、一体何が入ってるんだろう。 落としてるうちに切れたら嫌だなあ。

CPUが80度超えなんですが。x201sはそういう機械だってことな。よくわかった。 普通に使ってるだけでここまで上がるわけだ。 当然ウルトラベースにつけて使うなんて論外である。 外れ引いたなあ。x200sならこんなこともなかっただろうに。 とりあえず省電力設定を絞りに絞って、クロックが1.2GHz以上上がらないようにした。 web見て文章書ければいいんだから、それ以上いらん。 BIOSでHTと1コアを殺しておこうか。

ターボブーストはこれくらいのぬるい用途だと有害。 温度に余裕があると判定されても、十分に不快なくらい暖かいのだ。 CPUの温度は50度を超えてほしくないものだが。

Intelも省エネの方向へ行くと言っているし、そのうち良くなるんだろう。 良くならなければPCの中身もARMになるだけのことだし、 5年も経てば状況はずいぶん良くなっているはずだ。 5年と言わず3年で十分かもしれない。65WのACアダプタを必要とするノートPCなんて、 あっというまに過去の異物になっていることだろう。予測というより願望だが。

オタマは大事なくて良かった。マットは風雪にさらされても問題ないので、 置いておこう。ガムテープでつないでおけばなんぼか飛びにくいと思う。 それにしても、いろいろ起こる。

朝から日射しがヤバかった。ただ、勘違いしてはいけない。 あからさまに熱を感じる日射しは確かにヤバいが、 そうでない日でもそんなに紫外線量は変わらない。 むしろ曇っている方が全方位から来るので防ぎにくいのだ。 もっとも、オタマもひつじこもすぐメラニンがたくさんできて黒くなるタイプなので、 私のようにすぐ火傷するタイプよりは防御力は高かろう。 夏場のプールはいつも憂鬱だったものだが、オタマはどうなることやら。

太陽電池や振動からの発電などで無限稼働できる消費電力ってどれくらいなんだろうな。 その範囲で作れるコンピュータってどの程度なんだろう。 遠い未来にはそれでも実用になるくらいのものができるのだろうか。 そうなってほしい。電池を気にする時代が早く終わればいいのにと思う。 最低でもメモリが全部不揮発にならないとダメだろうが。

お金の問題はいつも面倒くさい。

節電祭が始まった。断熱性能が高く、紫外線や赤外線を遮断しつつ、可視光は通し、 さらに中が見えないようにする素敵な フィルタがあるといいのだろうな。照明前提でブラインドを閉めているところも 多いだろうが、照明を消すなら外光は欲しかろう。 熱と紫外線と赤外線を遮断するプチプチシートみたいなのをうちで使ってるが、 安いしいい具合である。見た目がどう見ても梱包用のプチプチなので、 人によっては気に入らないかもしれないが。

テクノロジストの条件を読んでいる。 「ある市場がある時に、どんなイノベーションが現れればこの市場は消滅するか」 という問いは重要だ。 ゲーセンの利点がマシンの性能だった頃、 ゲーセンにあるマシンと同等のものが家庭に置けるようになれば ゲーセンは当然のように脅かされた。 また、ネット接続が当たり前になることによって、 「未知の他人と遊べる場所である」という利点が消えた。 「初期投資が安いこと」や「カードやグッズなどの実体を扱える」 という利点はまだ残っている。 例えばゲーセンで商売をするならば、これらの利点が何によって脅かされるのかを 考えておかねばならないということになる。 ちなみに、前者の利点は無料ゲームの出現によって猛烈な勢いで脅かされている。 後者の利点を他の業態で実現する方法が見つかれば、後者も脅かされることになる。 時計の針は戻らないのであって、別の強みに集中するなりせねばならないわけだ。

ドラッカーは考える道筋をくれる。素晴らしい。 よく「当たり前のことしか書いてない」と批判されているが、 これが当たり前と思える人は、よほど賢い人か、自分がよほど賢いと思いこんでいる馬鹿か のどちらかだろう。90%は後者だと思われる。 わかっている、というのは自分の体験と結びつけられるということを意味するわけで、 字面の論理構造を理解できたというだけなら、わかったとは言えない。

ゲームの強みはなんだろう。ライバルとして考えるべきものは、本、web、新聞、テレビ、 映画、携帯電話での友達との会話、スポーツなどなど無数にある。 これらはお金の配分を争うライバルであると同時に、 時間の配分を争うライバルでもある。 世界のお金の総量は発展途上国が経済成長すれば増えるだろうし、 世界の余暇の総量も同様だ。 しかし、さしあたり先進国だけ見れば、お金の総量も余暇の総量もそうそうは増えない。 その一方で、ライバルたる他の時間の使い方は増える一方となる。 この状況でゲームというものにはどんな強みがあるのか。 正直、よくわからなくなってきた。 夫で父親で会社員、という3つの事が同時に進行する今の状況において、 自分一人の時間なるものはこのトイレくらいである。 ゲームをする時間はもはや取れない。別にゲームに飽きたというのでなく、 私が時間を使える娯楽には厳しい条件が課せられるということだ。 まず、場所を限定されないこと。据置きゲームは設備の関係からこの条件を満たさない。 本はかなりいいが、暗いところでは読めないとか、持ち歩きに制約があるとか いう問題がある。例えば夜歩きながら読むことはできない。 また時間が細切れになってもさほど質が落ちないこと。 据置きは起動や終了に時間がかかり、この意味でも論外である。 携帯ゲーム機は悪くないが、あくまで機械としての特性であり、 細切れにやってもおもろいかどうかは別問題だ。 それはゲームの内容に依存する。 一方、本はモノによっては相当にまとまった時間を要求するが、 ドラッカーのようなものなら一節だけ読んでこうやって考えたりもできるので、 案外融通は効く。夜歩きながらでも考えることはでき、 そのネタは前もって明るいところで5分かけて読んだ一節でいいわけだ。 テレビやアニメの類は論外なくらいに制約を満たさない。 25分確実に取れることなんてなかなかないし、大掛かりな機械が必要な段階で 据え置きゲーム機と同様の問題がある。 webは機械さえどうにかなれば制約を満たしやすいが、 得られる質が低いという問題がある。 おもろいものを探すのは案外面倒だし、 「鑑賞」に価するものを探すのは面倒どころではない大作業だ。

質が優れていれば高くても売れるが、 その場合は品質が相当に高くなくては価格差を補えない。 安いものは高いよりはいいが、同程度の価格のものに比べて品質が良いか、 圧倒的に安くなければ売れる見込みはない。 ゲームにおいては無料という究極の価格が存在するので、 「タダの割には品質がいい」という辛いゾーンを目指す羽目になるが、 この戦いはなかなかに厳しい。ちょっと日和って、100円の割には、とか、500円の割には、 とかいう中途半端なマネも可能だが、「トレードオフ」の分析を真に受けるならば やはり分が悪い。今となってはSimple1500シリーズみたいなのは成立しないだろう。 実際最近はまるで聞かなくなった。1500円がゲームとして高い時代に なってしまったということである。 また、質が優れていても安くても客の制約条件を満たさないものは売れない。 売り手のエゴを通していいのはゲームの内容くらいのもので、 客の制約条件を無視するのは無茶だ。 さらに、そもそも客が何をどうしたくてそれを求めるのか、 ということを理解しておかねば一切の商売はできない。 時間つぶしをしたいだけならタダ以外の選択はなく商売は広告ベースにならざるを得ない。 人とつながりたいのであれば、ソーシャルのアイテム課金は理にかなう。 何か感動を得たいのであれば、安物を作っても無駄だ。 もちろん、「時間つぶしをしたいが、あわよくば感動したい」 みたいな中途半端な欲求は存在しうる。しかし、 トレードオフの分析にもあるように、中途半端なゾーンにあるものは、 人間のちょっとした気まぐれで容易に隣接する別のゾーンに移られてしまう。 「100円の割にいいもの」を極めたとしても「200円払ってもいいからもうちょっと いいのにするか」と思われてしまえば終わりだ。隣のゾーンとの距離が近いと 客のニーズが安定しない。その点0円は1円とも遠く離れており非常に優秀である。 0円を求める客が1円に行く可能性は低い。無料にはそれくらいの力がある。 しかし、今となってはその無料ゾーンは地獄のレッドオーシャンであり、 血みどろの競争に足を踏み入れることになる。 そして、無料ゲームは広告やアイテム課金によって収益を出さねばならず、 いずれにしてもユーザ数が重要になる。 自然ネットワーク外部性が強く発生しがちであり、先手必勝だ。 よほどのイノベーションがない限りそのゾーンで勝ちを得るのは難しい。

なんとかして絶妙に他から遠くにありつつ客がたくさんいるゾーンを見つけろ ということなんだろう。あるいは、客がたくさんいるゾーンの中で 血みどろの戦いに参加する覚悟をするか。 ゾーンを見誤るくらいなら力技で競争する方がマシ、という考えは そう間違ったものではないのだろうな。 いや、会社のえらい人の仕事って大変だわ。 ちょっと甘く見てた。申しわけない。 技術だけやってていいなら技術屋は本当楽だと思う。 まあ最近はそうも行かないわけだが。

CEDECは落ちたんだよな。たぶん。

作業を分解して、いらん作業を削り、よくやる作業を単純な繰り返しに還元して 能率を上げ、最終的には道具で置き換える。 これをプログラミングの類に適用するのは結構難しい。 確かにある一定のところまではやれるが、 ちょっとした変化で全体の工程がガラリと変わるので、 せっかくの分析が無に帰すことがある。 例えば、コンパイル待ち時間がすごく長いことがわかったとして、 これを並列コンパイルやら、コンパイルサーバやらでどうにかするとしよう。 前者ならまだいいが、後者は結構な出費な上に、 こういうややこしいものが工程に入りこむと、他の工程がこいつの存在によって 制約を受ける。要するに、このコンパイルサーバを使う前提で他の作業も 設計されるようになる。 こうなった後で、誰かがヘッダのインクルードがアホだったのを見つけて ちょろっと直したらビルドが1分になったとする。 もはや凝ったしくみは不要だ。しかし、こうなったからといって コンパイルサーバを捨てるのは大変な作業になる。 非生産的な作業はどんどん自動化しよう、 というのがプログラミング業界では流行りであるようで、 テストの自動化やらビルドの自動化やらいろいろと聞く。 バージョン管理システムもいろいろある。 こういうものを使うことが先進的とみなされている。 実際、便利でありがたく、ないと困るものもあるわけだが、 たまに原点に立ち戻ることはあっていい気はする。 「あれ?この仕組みはなんで必要なんだっけ?今でも必要なんだっけ? 何を改善すれば存在意義がなくなるんだっけ?」 と考えてみる必要はある。 とりあえず、並のゲームであれば コンパイルの高速化のために大掛かりな仕組みを作る必要は ないなと思う。ソフトをインストールして放っておいたら速くなる、 というレベルに楽ならあっていい。実際並列ビルドソフトは大層便利で、 これはあった方がいい。 しかし、皆がヘッダのインクルードに気を使っていれば、 それがなくてもさして気にならない程度にはコンパイルは速くなる。 そして、コンパイルが速いことと、コードの構造がシンプルなことには ある程度まで相関があり、勝手にバグも減る。

とはいえ、毎晩勝手にビルドしてビルドエラーが出ると文句をメールで送る システム、なんてのは大したものだと思う。 構築が楽で、工程に与える影響が小さいなら入れるべきだろう。 でも、テストは嫌い。テストを先に作ってテストドリブンだ、 という声を良く聞くし、なるほどなあとは思う。 それが必要な場合にはやろうと思うし、実際やる。 客のニーズから出発するのに似た思考の流れになるので インターフェイスが綺麗になりやすく、この考え方は便利だ。 しかし、毎度そうしようとは思えない。 テストドリブン開発がおいしいのは何故か?おいしいための条件は何か? このやり方が無意味になるような条件は考えられるか? このへんの問いをもうちょっとつきつめた後なら、 もうちょっとテストドリブンなやり方を日常的に使えるようになるかもしれないな。

ゲーム作りのような知的労働において、部分だけ見てていい人というのは 存在しえない気がしてきた。もちろん、部分に分解して、個別に最適化をかけることが 有効なケースは確かにある。 スポーツ選手1000人の画像データを作る、みたいな仕事ならなるほど有効だろう。 しかし、とりわけプログラマに関してはこの手法は通用しにくい。 では、プログラマの生産性はどうしたら上がるのか。 これに関してはいらんことを削ることから始まる気がする。 というか、それがほとんどではなかろうか。 それは根本的にゲームデザインやゲームのボリュームをどうするかという 問題とも無縁ではない。無縁ではない、というより、それこそが本体だ。 結局のところ、プログラマは自分の作業を効率化するために、 「何を作るのか」というところに踏みこまざるを得ないし、 そうでなければ効率化は不可能となる。 プログラマは作っている商品の全体像を見ていなければダメだ。 よほど閉じた部品を作ることに特化していない限りは。

豪華系ゲームにおいて、絵描きの人件費はメインのコストだ。 絵描きの生産性はいかにして上げられるだろうか、という問いはとても重要になる。 いずれにしてもどんな作業があって、何に時間を食っているのかは よくよく分析される必要がある。 絵描きの作業の何にどれだけの時間がかかっているのかを計測して 分析することが必要なんじゃなかろうか。 「その作業、そもそもいるの?」という問いかけが必要なのだろう。 とすれば、やはりこれも「そもそも何を作るのか」ということに関わってくる。 やっぱり誰しも無関係ではいられない。 あたかも無関係であることが良くできた組織であるかのように語られてきた 気がするが、やっぱりそれは変だ。 とはいえ、何を作るのかという根本的なところに大量の人間が関わっては 何も進まなくなる恐れがあるわけで、 そうだからこそ現実の状況があるわけでもある。 もしかしたら物の決め方や人間同士の関わり方にはもっと 別の方法があるんじゃないのか。 そこにイノベーションが起こせれば本当にたくさんのことが改善できるのではなかろうか。

やはりマネジメントは読まねばならんな。

体調まで悪くなったので帰ってきた。寝る。全然寝てないからな。

2011年06月28日

タマが14ヶ月になった。

カメラ勉強中。といっても、中身的な話で、写真をうまく撮ろうという話ではない。

痔。

2011年06月27日

NHK教育テレビの画質が悪い。640x480くさい。 調べてみたところ、どうも1チャンネルの帯域を3つに分けて複数の番組を やっているらしく、そのせいだ。 ただでも遅延してる今の状況ではこれ以上賢い圧縮はかけられないだろうし、 当分改善しないだろう。

2011年06月26日

醤油を11.4L買った。1Lパック6本、一升瓶3本。 1Lパック4つはひつじこ実家用。残り2Lはたぶん誰かに分ける。 送料を考えると800円くらいか。

食器はコレールがいい。軽く、電子レンジに耐え、 プラスチックのように汚れが落ちにくいこともなく、 ガラスの割には強いのでオタマが割る心配はさほどない。 値段は高いが。割れやすいものや重いものをコレールで置換していこう。 直径30cm級の皿と、おわんの類が足りないな。 熱い汁物を入れるにはガラス器は向かないが、 うちで熱い汁物を作ることは稀だ。 プラスチックは汚れ落ちと耐久性に難があり、 木は素敵だが電子レンジでは使えない。

食器の素材の性能には 耐久性、割れにくさ、軽さ、洗いやすさ、耐熱性、断熱性、電子レンジの可否、 という7つがある。やっぱり一番優れているのは強化ガラスだ。 断熱性以外は高レベル。

イカがうまい。築地で買う場合外れを引く可能性があるが、 通販の場合それがない。外れなく毎回このレベルなのであれば築地で しんどい思いをして探す必要はない。 そもそも、送料を別とすれば、築地で買うより安い。 また、1本づつバラバラに冷凍されているので、1本づつ解凍して使える。 築地で生のものを買ってきた場合全部まとめて処理せねばならず大変だったが、 これなら圧倒的に楽だ。 さらに、凍っている方が処理が楽だ。グニュグニュした肝臓を綺麗にしぼり出すのは なかなかに手間だが、凍っていれば肝臓の外皮だけを捨てることは容易である。

おそらく、ひつじこが児童館で会う多数派の人々は、 「印象を綺麗に」というレベルではない何かを要求している。 おそらくその人たちの価値観と同じであることを 外見で示さないと仲間には入れてくれない。 高い服を着る人は、他の人が安い服を着ていることを、 自分の価値観への挑戦と受け取る可能性がある。 化粧をしている人は、他の人が化粧をしていないことを、 自分の価値観への挑戦と受け取る可能性がある。 髪の毛を染めている人は、他の人が髪の毛を染めていないことを、 自分の価値観への挑戦と受け取る可能性がある。 自分の中の価値基準によって高い服を選んでいる人もいるだろうが、 多数派とは思えない。 健康的な生活をし、ボロくない服を普通に着ていれば、それで十分である。 太ったり痩せたりせず、しわくちゃだったり汚れていたり奇抜だったりする 服を避ければ、それで人間としては十分だ。それを受け入れないような人種と 関わりを持ってもロクなことはない。 むろん、私が言うまでもなくひつじこはそんなことは理解している。 ひつじこは自分の深いところが否というようなことを我慢することはできない子だ。

客が喜ぶ物を作らないと会社は存続できないし、 そもそも会社が存在するのは、客が喜ぶ物をつくるためだ。 利益が上がらないと存続できないので利益は必要条件であり絶対 に黒字でなくてはならないが、あくまで手段である。 それに、客が喜ばないようなものを作っていれば長期的には黒字を保てなくなって 企業が消える。やむを得ず良くないことに手を染めることもあるかもしれないが、 それはあくまでやむを得ないことであり、自分は悪に手を染めているのだという 自覚と覚悟を持たねばならない。利益のためだといって正当化してはならない。 それくらいのことは全員が体で理解しないとダメだ。 それもえらくなればなるほどはっきりと理解しなければならない。

そのような緊急の策を取らずに済ますだけの余力を会社は持たねばならないのだろう。 リスクを取れる体質を保つためにも、非常事態に備えるためにも現金を持つべきだ。 内部留保があることを叩く労働組合はそのへんをわかってないんだろう。 「そこにある金をオレによこせ」以上の意味はない。

労働組合が原発反対を叫ぶのはおかしい。 労働組合は組合員の利益を守るために存在する。 給料を上げる交渉をするのはわかるが、 原発を止めろと言うことが組合員の利益になるかどうかは定かではないし、 そもそも一体誰と交渉すると言うのか。

はじめてのドラッカー自己実現編。これが一番切実な課題か。

オタマが初めて地面を歩いた。歩いたというか、走った。 今までの号泣がウソのようで、 30分以上は走り回っていた。 転んでもまるで気にしない。 これで、「こんなに大きいのに歩かないの?」なんて言われずに済むわけだ。

米はもっと安いところは結構ある。30kgで8000円を切るのも珍しくない。 味にしても、そういろんなものを試したわけではないので、 もっとうまいものがある可能性はある。 しかし、とりあえず農家から買うことは原則として外したくない。 作ってる人に全額払いたいし、なにせ主食なのだから信頼関係を築きたい。 そして今買っている所は非常に感じがいい。 品質には満足しているし、 値段も送料込みで20kg6200円は高いとは言えない。 減農薬をウリにするような米は10kg4000円を超える所の方が多いのだ。 5kgづつ小分けしてくれているのもありがたい。 あとこんな状況なので、放射能汚染がありえない土地から来ているのも まあ利点とは言える。

そういえば、サイトの出来が悪い方印象がいいことが多い。 出来が悪いと言うと語弊があるので、「楽天っぽくない」と言い換えてもいい。 楽天で良く見るような派手なレイアウトのサイトは 作ってる人についての情報量が驚くほど少ないのだ。 自作っぽいサイトには不必要なまでに作り手についての情報 が含まれており、それがいい。飼ってる牛の写真とか。 アムプリンのサイトはその意味で最強だが、 何分プリンは生活必需品ではないのでそうそう買えない。 まあそもそも半年待ちみたいな状態なので買おうと思っても買えないのだが。 気を良くして増産したりしないことを祈ろう。 生産性を上げる工夫は何かしらできればした方がいいと思うが、 増産は危険すぎる。

もちろん、機能的によく出来ているサイトであっても作り手がよく見えることはある。 池田屋酒店はその例だ。 パシーマファンはレイアウトその他は相当に楽天っぽいが、 そこかしこから熱意が伝わってくるのがいい。 ちなみに買うと手書きの手紙が入ってて圧倒される。 レビュー書いた方がいいかなあといつも思うのだが、 単純な賞賛以外を書きにくいああいう形のレビューよりは、 こういう場所で素直な印象を書いた方がいいだろう。

パシーマはみんなにおすすめしたい寝具なのだが、なかなか難しいな。 なにせデザインという言葉を使いようがないほどに無骨だし、 10回くらい洗った後でないと真価を発揮しない。 そして、真価を知らない人はあの値段を許容できないだろう。 お祝い返しなどでパシーマを贈ったりしてるんだが、今のところ反応はない。 使えばわかるんだがなあ。 特に小さい子供がいる家庭では相当重宝すると思うのだが。

りんごと柑橘類以外の果物は通販で買うのは難しいかもしれない。 保存がそこそこ可能でないといけないし、 またこれ以外の果物は値段が高い。 例えば私の好物の干し柿だが、キロ2000円からだ。乾燥してることを考えれば この半分くらいと考えてもいいのだが、干しなつめやしや干しいちじくが キロ1000円であること考えると安いとは言えない。 さくらんぼは食べたいが、キロ3000円からというのは立派な贅沢品だ。 梨は栄養的に見るべき点がなく保存性も悪いのが辛い。

テレビで貧乏な国を援助すべきかみたいな話をしていた。 賛成反対で論争をする大学の講義だ。 正義が国境を越えるかと素直に考えること自体は悪くない。 まず、どうにかしないといけないのか、ということ自体が議論のネタになる。 遠いどこかで飢えて死ぬ人がいる時にうちらがヌクヌク生きていることは 罪なのか、またうちらに彼等をどうにかする義務があるのか。 そこを考える経験はあっていい。 次に考えるべきことは、仮にどうにかするべきだと言うならば、 そのために自分たちが何がしかのものを犠牲にせねばならない時にどうするか、 どの程度の犠牲を我慢すべきなのか、というものだった。 その犠牲を決断するのは誰なのか、政府は何をすべきなのか、という話にもなる。 ここまで来ると少々まずい。 いけない前提が入っている。 まず、助けるには犠牲を払わねばならない、ということが前提になっている。 また、政府というものが大きな役割を果たすということも前提になっている。 どちらもリアルに考える時には邪魔になる考えだ。 まず、彼等をどうにかすることがうちらの利益になるような状況はないのか、 という問いが必要だろう。彼等が貧乏でなくなることがうちらの得になるなら、 そのために先行投資することは理にかなう。単純な商売としてプラスなのだから やらない理由がない。自分たちが損してでも彼等を助ける、 というトレードオフの考え方はたぶん状況を良くしない。 「自国の代表たる政府が、自国民をさしおいて他国を援助することは許されるか」 という問いは、そもそも他国を援助することが自国民の得になるなら消えてなくなるし、 さらに、援助は政府が行うべきか、という問いも前もって必要になる。 しかしあの授業では仮にそういう考えをもっている学生がいたとしても そういう発言はできまい。空気を読まない発言になる。 そういうわけで、正直私はあの授業はダメだと思った。インテリ左翼と同じ臭いを感じる。 議論の経験自体は悪くないし必要だが、データもないのに頭の中だけでこねくりまわして ああだこうだ言う癖がつくのは危険だ。 そもそも、本来ならば「貧乏貧乏言うが、実際どれくらい貧乏なのか?」と問うところから 始めるべきなのだ。しかし、あの授業でその問いを発すればブチ壊しになる。

あのディベートラノベを読んでいる時も似たようなことを思った。

政府はすでにそれほど大きな存在ではなく、これからもどんどんその存在感は薄れていく。 ドラッカーはそんなことを書いていたし、他の本でもそういう意見は見たことがある。 原発の問題にしても復興の問題にしても、ハナッから国に大したことはできないと 考えてしまえば、いろんなことがすっきりする。 それにこれだけ政府が役立たずであることは、ある意味社会の段階が進んでいることの 現れなのだろう。政府が役立たずでも社会が回っているという証拠だからだ。 そして今回の件でなおさらみんなが政府に期待しなくなるだろうから、 その方向は加速することになる。

2011年06月25日

ここのところ夜中まで会社にいる。働いているとは敢えて言わない。

「イノベーターの条件」。古いものから新しいものまでいろいろあって面白いが、 最初に何年のか書いておいてほしいなこれ。 現在進行形でヒトラーな論文の直後に、パソコンによって教育が変わるとか 書かれてるとさすがに面喰らう。

ドラッカーは私のために本を書いてくれたのだと感じる。 そして、何か大きなものが今まさにこの瞬間に出会わせてくれた。

なんて書くとドラッカー教に入信した、みたいに思って心配する人もいるかもしれない。 面倒くさいので断わっておくが、 私は初めて触れるものはあまり懐疑的な見方をしないで、 良いところを優先的に見るようにしている。 批判的に物を見るのがいいことだ、というような意見は多くあり、 確かにそれは有効だろうとは思うが、一つ欠点がある。 それでは感動できないということだ。 感動できない状態でその書物から何かを得るのは難しい。学ぶには感動が必要である。 それに、読んだものについて真面目に考えていれば、 必ず賛同できない点は出てくるものだ。 賛同できない点が出てこないうちは、その本を真面目に読んでいるとは言えない。

これもドラッカーっぽいな。会議が全会一致のうちは決めるな、みたいな話があった。

組織はどのようにして腐るのか。また、組織が腐るとはどういうことなのか。 このことについてよく考えるが、今は考えるよりも見るべき時期だろうと思う。 よく見たい。そのための道具としてドラッカーは恐しく使える。

あの出来事は本当なら日記に書いて記録しておきたいくらい大きなことだった。 とても書けないが。 せっかく思い出したので、その存在だけをこうして書き留めておく。 あの事からそう時間が経たないうちにドラッカーに出会えたことを 本当に感謝せねばならない。

ひつじこも最初はいい匂いがしたが、今はしない。 感じられなくなったのか、匂いが出なくなったのかはもはやわからない。 しかし、海外出張から帰ってきたらほんの少しだけ匂いが復活した、 ということがあったので、たぶん感じる側の問題なのだろう。 これがフェロモンという奴なのだと思う。 一説によると遺伝子の相性がいいほどいい匂いなのだそうだ。

ひつじこの何が原因で友達ができないのかはなかなか興味深い問題だ。 ひつじこも本気で友達が欲しいとは思ってないので、 正直まったく心配していない。 ひつじこが欲しがるような友達ならいた方がいいが、 ひつじこが欲しがらないタイプの友達ができても面倒なだけだ。

ひつじこは物の評価の根拠が自分の中にあるタイプである。 こういう言い方をすると怒られるだろうが、 いわゆるブランド物を欲しがる人の大半は、それを欲しがる理由が自分の中にない ように見える。そのブランド物が美しいから欲しいというわけでもなさそうだし、 機能的に優れているとか必要であるとかいうわけでもなさそうである。 単に、他人が欲しがっているものである、という理由によって 欲しがられているように見える。つまり、理由が自分の外にある。 児童館に行くのにゴツくて重いバッグを持っていく必然性はなく、 それは明らかに「それを持っている自分を他人に見せること」に目的がある。 それが何らかの意味で有利だから、という実利的な理由ならばまだ納得も行くが、 単にそれをひけらかしたいだけで、しかもそれに自覚的でないような 人はひつじことは相容れまい。 そして、そういう人はひつじこがそういうものに価値を 見出していないことを敏感に感じとって良からぬ印象を抱くだろう。 「このルイヴィトンが目に入らぬとは、グヌヌヌヌ」という感じか。 話を聞くに、ひつじこはそれによって今まで大層多くの敵を作ってきたようだ。 何かしらの集団の中でうまくやっていくにはずいぶんと苦労したことだろう。

オタマも順当に行けば同じように苦労することになる。なにせ私とひつじこの子だ。 しかし、オタマがなにかしら自分の力を示す手段を持てれば、 今の私のように気楽に生きられるようになるだろう。 さしあたって、男の半分と女の八割を倒せる武力をプレゼントしたい。 それ以上強くなっても勘違いしかねないので、それくらいでいい。

あの花を9話まで見た。筆談しちゃうのな。 ジンタンが独占したかった、というのはここまでそういった手段を取らなかった 説明としては弱いように感じるが、まあいい。 いずれ納得できるんだろう。

ThinkpadX201sが帰ってきた。特に異常はみつからなかったようだが、 何故かシステムボードが交換されている。 異常もないのに交換してくれるのかIBM。 確かにそうした方がかえってコストが安いのかもしれんな。 部材コストが大した問題でないなら客の印象を良くすることはお得だ。

食材リストに調理器具も追加。リンクは面倒くさくてつけてないが、 検索すればすぐ出る。

間違ってフルーツナッツミューズリを頼んでしまったので、フルーツミューズリを注文。 ナッツが入っているとオタマが食えない。うちらで食おう。

何が売りなのかという問いは、問いかけ方を間違いやすい。 顧客が何を求めているのか、とはっきり問うべきだ。 あるいは、何を提供することで顧客を喜ばせられるのか、と問うてもいい。 これを売りにする、と売り手が勝手に決めてうまく行くはずがない。 そんな簡単なことがしばしば忘れられる。 それどころか、最初からそれを知らない人もそう珍しくはない。

ドラッカーを読んでると、昇進したくなってくる。 金のためではなく、自分が社会に貢献できる度合を増すためだ。 しかし、昇進がもたらすものをリアルに想像すると気が滅入る。 そして、昇進した時に自分が官僚化しないでいられるという自信が私にはない。 私の行動の基本は保留だ。自分の肩に乗る物が大きくなれば、 ますます私は自分の本性から逃れられなくなるだろう。 東京電力や保安院そして政府のあの不思議なまでの異常さは、 実はそう異常でも不思議でもなく、あたり前のように身の回りで起こっている ことの延長だ。元来人間は放っておけばああなるものなのだ。 ああなることこそが自然な姿なのだ。 だから、社会的にはああならないように常に力が働くような仕掛けが必要であり、 個人的にはああいうのを反面教師にして自分を戒め続けねばならない。

縁あってLinkedInというもののアカウントを作ったが、さてこれ何に使うんだ? facebookすらどうしていいかわからんと言うのに。

自由度の高さは、決断しなかったことの現れだ。 自由度の高さは効率の低下に直結し、混乱の原因になる。

2011年06月22日

「ドラッカー入門」。えらく主観的なノリだが、それがいい。 著者はドラッカーの翻訳のほとんどをやっている人で、 この人のドラッカーへの想いがビシビシ伝わってくる。 どうも「はじめてのドラッカー」というシリーズが4冊ほどあるらしく、 とりあえずはここから始めるのが良さそうだ。 というか、それだけでもいいのかもしれない。

「利益は制約条件であって目的ではない」という物言いが素敵すぎる。 経済学の「みんなおトクを求めて生きている」という前提は便利だが、 本質とは言えない気がしてきた。あまりに便利なもので少々使いすぎていたようだ。 まったくいい時期に出逢ったものだと思う。 もしドラには感謝せねばならぬ。 ゲーム会社が存在を許されているのは、社員がそこで働くことによって成長でき、 また、会社が生み出す物が社会に貢献するからだ、 と言い切ってしまうと結構物事がシンプルになる。 利益はその働きを続けるための必要条件であって目的ではないと。 世の中には、目的としない方がかえってそれを得られる、 というようなものがたくさんあって、例えば尊敬なんかはその最たるものだ。 しかし、どうやらお金もそうだと考えた方がいいらしい。 実際にそうかどうかよりも、そう考えることでいい人生にできるという 効用の方が大きいだろう。会社の経営者がそう信じることが本当に許されるのかは 私にはわからないが、それはさしあたって今の私には過ぎた心配だ。

「あなたの会社の事業はなんですか」「ビンの製造です」 「容器の製造ではないのですか?」 というやりとりでコンサルタントの90%が終わった、という話が紹介されていた。 うちの事業は何だ?これは実際に何なのかという問いではなく、 何だと考えるのが良いのか、何だと考えることを選ぶのか、という問いだ。

ドラッカー、いいわ。使える。とりあえず4冊読もう。 その途中で「本なんか読んでる場合じゃねえ。行動だ。」となるのが最上だろう。 というより、図書館から回ってくるまで間があるので、 今すぐ行動するべきだ。

私は社会の中でどういう位置にいて、どういう役割を負うのか? 社会を組織に置き換えた時にはどうか? また、私は何によって人に憶えられたいのか? なかなか辛い問いだな。

私はプログラミングはそこそこできる。 しかし、根本的にプログラミングそのものを愛せない段階で限界は近い。 専門家にはなれないだろう。 また、自分で理解しないと気が済まない性分は、 分業が大原則であるプログラミングには害になりやすい。 実際すでに害になっている。単純に成果を得るだけなら今のやり方は非効率に過ぎる。 仕事の出力は私の勉強の副産物にすぎないとすら言える状況だ。 それでもそこそこやれているあたり私もなかなか大したものだなと自分で 思ったりもするわけだが、好きでプログラミングをしている連中と 同じ路線で戦えば負け以外の結果が見えない。 比較的私が得意とする分野だけ残して人に投げ、全体の設計と統合を メインとする方向に行くべきだろう。その過程で他人が書いたものを見て 勉強もできるから、最初から自力でやるのに比べてそう学習効率を落とさないように することもたぶんできる。しかし、問題は人に投げることに伴うコミュニケーションだ。 私にはこれがだいぶ欠けている。 これがどうにかならない限り、 私が実装マシーンになる方が組織としては効率がいいということになるだろう。 それでは困る。

今更だが、C++0xについてちょっとだけ調べて、使える改正が結構あることを知った。 前も調べたことがあった気がするが、いまいち覚えてないということは どうでも良かったんだろう。 さて問題は、どのコンパイラでもまともにそれらが使えるようになるのがいつか、である。 こんな仕事をしていると、コンパイラがバグってるケースは結構目にする。 本当に大丈夫なのか?という疑念はなかなか消えない。 いざ使ったコードを書いた後で、「このプラットホームのコンパイラは0xは非対応」 とか言われたら面倒くさいし、対応してるがバグってるなんてことになれば なおさら面倒くさい。もちろん、それを心配して新機能を拒み続けるわけにも 行かないわけで、どこかで踏み切らねばならないわけで、問題は時期と、 使う機能の選別である。 まあとりあえず正式に仕様が決まるまでは待つか。 幸い、ないと困るようなすごい機能はなく、 いままで無理矢理お約束でやっていたことが正式にできるようになったり、 なんぼかコードの行数が減ったりする程度だ。

Thinkpadは修理行き。

2011年06月20日

昨日も客が来たので、 いつものじゃこスパゲティと、丁度解凍していたタコ。

たこは難しい。1kg単位はデカすぎる。 普通に食えるのは解凍した次の日までが限度だ。 すでに今日の朝は若干味が落ちている。 というわけで、酢で洗ってタッパーに入れておいた。 表面のヌメリから菌にやられる。 酢で味が抜けることが予想されるが、食べられなくなるよりはいい。 まあたこはたまの贅沢だ。

来週はイカ。

ドラッカーの「明日を支配するもの」。これはもっと読まねばならんなドラッカー。 と思ったが、図書館は予約されまくりで全然ない。もしドラのせいだ。

人間には聞き手と読み手がいて、そう簡単に別のタイプには変われないそうだ。 聞き手は口で言われないとわからないし、読み手は文章を渡されないとわからない。 自分が接する相手が聞き手ならしゃべるべきだし、読み手ならメールを 出すべきだ。なるほど、そう考えるといろんなことがすっきりする。 私は100%読み手なので、口で言われてもその場で理解するのは不可能だ。 また、自分で何を考えているのかも一回書いて読まないとわからない。 だからこんなものを書いているということだ。

とすれば、例の本は読み手にしか届かない。 読解力とやる気の問題だと思っていたが、この際そうやって 人間を分類して望みのなさそうな方は捨てた方がいい結果をもたらすだろう。 あんまりくっきり分類しすぎるのも怖いが、 とりあえずの近似として真っ二に分けておくのは悪くない考えかもしれない。 もしもう少し修正するならば、 「「読み手レベル」と「聞き手レベル」の2つのレベルがあって 高い方とみなすのが妥当」、という方が真実に近いだろう。 とすれば、両方高い人にはそこそこどちらでも届くだろうし、 両方低い人には届かせるのは難しいということにはなる。 しかし、より高いレベルを持つ方で対処した方がよく届くし印象もいいのは 間違いないわけで、単にどちらかに分類しても普通の条件では問題なさそうだ。

さしあたって日常重要なのは上司その他がどっちなのかだ。 うーん明らかに聞き手が多いな。余分な手間をかけてでも口で伝えられる形に 再構成してからしゃべって伝えるべきだということか。 もちろん記録が残る方がいいことはメールにするにしても、 メールはあくまで記録用でメインは口、と考えるのが妥当なのだろう。

奴のことを思い出す。あれは読み手だったのか、聞き手だったのか。 そう考えてみても、どちらが妥当かさっぱりわからない。 あれは両方レベル低くて何をどうしても届かないレアケースだったんだろう。

オタマがskypeのアイコン画像を作ったらしい。 何故かオタマの顔がアイコンになっている。 こいつ、たまに想像を超える操作をするよな。この前も画面を90度回してた。 一体どんなショートカットを押したんだろう。

個人の寿命より組織の寿命の方が短いのが当たり前の時代、であるらしい。 日本の大企業を見ているとそんなことはないだろうと思えてしまうが、 会社の大半は大企業ではないのだし、大企業だってちょっとしたことで 消えてなくなることが珍しくなくなっている。 肉体労働者の数が減って知的労働者が支配的になれば、 働ける時間は延びる。 一方、環境の変化が速くなっているために会社の寿命は短くなりつつあるらしい。 そういうわけで、同じ職場で一生過ごすことはありえない、という前提は 妥当だし、仮に運良く過ごせるとしても、 いつでも移るという覚悟をしておかないと人間が腐る。 頭で仕事をする人間にとって精神が腐ることほど恐ろしいことはない。 なるほど、私はその50年のうちの10年すら過ごしていないわけで、 落ちついた気分になるには早すぎる。 もちろん、50や60になってもフルタイム労働をするとは考えたくないが、 しかし週20時間やそこら何かしらの仕事をして社会に関わるのは 家計と体と心に良さそうだ。 そして、そうやって長く働けるためには、若いうちからネタを仕込んでおかねばならない。 やっぱり本書かんとなあ。本を書くという路線が使える路線なのかどうかを 確認しておこう。あれがマグレだったのかどうかは確認しておく必要がある。 万単位で本が売れたわけだが、さっぱり実感がないのだ。

あらゆることについて、「今からこれを始めるとしても同じやり方をするか?」 と問いかけろとのこと。答えが否なら、すぐにやめるか改めねばならない。 現実的には、やり方を変えることに伴うコストの見積り次第という話にはなるのだが、 大抵の場合その見積りは現状維持側に偏るものなので、 コストを云々する前にバーンと決断した方がいいケースは多いと思われる。 が、そうやって大改革をやってドツボにはまる企業が多いのも事実なわけで、 「変えることが失敗だった場合の損害はどれくらいだ?」 という問いは必要なんだろう。

強みを伸ばすべきで、欠点を補おうとするな、とのこと。 これは企業単位だけでなく個人でもそうであるらしい。 30も過ぎてから今と違う自分になろうとするのは馬鹿のやることだということか。 でも、それはちょっと夢がない話ではある。 確かに違う自分になろうとするのは間違いだろうが、 自分の強みをさらに伸ばすための手段として自分の欠点をみつめるのは 悪くないと思う。 ピアノはヴァイオリンがうまくなるための手段にしたい。 ピアノが私の手足になる日は来ないような気がしてきたが、 ピアノで得た経験は私の音楽を広げてヴァイオリンのレベルを上げてくれる。 これは間違いない。 同じように、本を書くことでプログラムのレベルを上げたい。 単に仕事をするだけではこの上へは行けないだろう。 もうすでにマンネリだ。この先いくつの ハードウェアをいじってもそれほど私のスキルが上がることはない。 マルチコアになろうが、ヘテロジニアスなんたらになろうが、 GPUが消えて全部ソフトウェアになろうが、 キャッシュのコヒーレンシがあろうがなかろうが、 すでにそんなことは枝葉末節だ。

トレードオフ、という本を読んでいる。上質と手軽を両立させようとすると 大抵失敗する、という話だ。 ブランド物は安くするとダメになる。 安物で勝負するなら、変に高品質を謳っても中途半端になってダメになる。 さて、ゲームはどうすべきか? 主流になりつつある携帯機はいわゆる画質やら音質やら容量に関しては中途半端であり、 手軽であること、そして、手軽であるからこそ生きてくる魅力に 特化すべきだ、という話になる。 しかし、据置きの性能がそう圧倒的でなくなった今となっては、 据置きに対して手軽であるという地位はそれだけでは売りにはならない。 手軽さにおいては電話が圧倒的であり、 さらに、電話のブラウザ上で動けばなおさら手軽である。 そして、手軽なものを目指すならば価格は下げねばならず、 さまざまな条件が揃わねば利益は出ない。 かといって、上質で勝負する路線を維持しようと思えば、 果てしない大規模路線に陥ってこれまたもうからなくなる。

いろいろあっていい機会なので、会社を休みにして、歯医者。 これにてめでたく矯正終了。 ところで、記録としてレントゲンを撮ったりするわけだが、 両側から棒を耳の穴に入れて頭を固定するしくみになっていて、すごい。 全く頭を動かせない。ドキドキする。

うちのThinkpadX201sはついてくるテストアプリを走らせると あっさりCPUの温度が90度を超えてしまい、クロックが1.2GHzまで落ちる。 ターボブーストどころの話ではない。 最初のうちは2.2GHzくらいまで上がるが、すぐに大人しくなる。 一応定格2.0GHzで最大2.8GHzなわけだが、2.8GHzなんて見たこともない。 そして、底は触れないくらい熱くなる。 というわけでサポートに電話してみたところ、 あっさり引き取り修理ということになった。 明日取りに来るらしい。

ドラッカーを何冊か読むことにしよう。とりあえず図書館で借りられるものは借りる。 ドラッカー入門というのが入り口としていいようだ。 たまたま検索したら著者と糸井重里が対談してるのがあって、良さそうだった。 あとはマネジメントだろうが、短く削ったものがあるようなので それでいいかもしれない。

ドラッカーをちらほらめくっている。 余暇は衰退市場、か。豊かになるにつれて労働時間が減ってきて 余暇という資源が増えてきたわけだが、これ以上それが増えるとは考えにくい。 ヒマな時間を自分の商品にどう使ってもらうか、という競争は激しくなり、 よほどうまくやったとしても爆発的な伸びはない。 その意味で、先進国だけを相手にする限り、 ゲームのような娯楽が爆発的な成長をすることは考えにくい。 もちろん、何か他の娯楽からシェアを奪ったり、 今まで顧客でなかった人を顧客にできれば話は別だが、 もちろんそれには努力とひらめきが必要だ。 技術の進歩にまかせた惰性の改善をしているだけでは未来はない。 一方医療と教育は成長市場であるらしい。 ただし形は変わる。 前者は治療よりも健康の維持に、後者は若年教育よりも生涯教育が メインの市場になるそうだ。 子供が減っても、一人当たりの教育費がその分以上に伸びる展開はありうるので、 若年教育にしてもそれほど衰退するわけではない、というドラッカー先生の読み。 そうかもしれんなあ。いずれにせよ、教育の対象が大人になるというのは ありそうなことに思える。うちらが持っているものをうまく使って そっちに食いこめないものか。

仕事の目的は何か。仕事の質とは何か。自分の強みとは何か。 考えねばならないことが山ほどあるが、 どれもシンプルで当たり前だ。今まで面倒くさがったり、 目を背けてきただけのことである。 仕事の質とは何か、という問いは短期的によく考えた方がいいものだ。 今後1ヶ月くらいのうちにそれなりな答えは用意したい。 一方、自分の強みは何か、という問いは長期的に重要なものだが、 長期的とか言ってると始まらないので、 これもやっぱりどこかで丸一日考えるなりしてそれなりな答えは出しておく 必要がある。

現代において、 産業を根本的に変えるような技術やアイディアは、産業の外から来る公算が高い。 そして未来においてはますますそうなる。 ゲームは本当そうだよな。ちくちくGPUにコマンド投げるのは必要なことだが、 ゲーム業界をドカンと変えるのはそういうことではない。 技術は基盤でなく制約条件である、という発想の転換はすごいが、 この転換は難しいだろうな。

会社の中にはコストしかなく、価値は会社の外にある。 そりゃそうか。客に物を売らないと話は始まらないわけで、 コストダウンだ効率化だと言うのは必要ではあっても本質ではない。 欲しいものを作るべきで、欲しがられるためには価値があるものを作らねばならない。 その価値は、もちろん客にとっての価値だ。売る側にとっての価値ではない。 それも当たり前のことだが、これはしばしば忘れられる。 顧客より顧客でない人間の方がずっと多い、というのも当たり前のことだ。 当たり前だが、大抵の場合物を作ってる人間はその作ってるものの顧客 なわけで(ゲームを作る奴はゲームを買うタイプの人間だろう)、 顧客でない人のことはなかなか見えない。

当たり前のことしか書いてないんだろう。きっと。 でも、これが当たり前に見えて、ちゃんと実践できている人は そんなにはいまい。

たこがもうなくなった。一回200gで5回と考えると、 確かにすぐだ。おいしいので飽きず、毎食食べてしまう。 1kgづつパックしてくれるなら、次は5kgくらい買ってもいいかもしれんなあ。 イカが楽しみだ。

2011年06月18日

客3人。いつもの倍くらい手間をかけてトマトのスパゲティを作って出した。 5人で850g食べた。オリーブオイルだけで500円分、スパゲティも500円、 トマト缶2個で180円、という感じで、1500円分くらいの食料をふるまってみた。 これで全粒粉スパゲティやオリーブオイルの魅力が伝われば、 共同購入に参加してもらってコストを下げられる。ある種の投資。 でもまあ、このオリーブオイルはなんぼなんでも高すぎるな。 ラニエリのでいいだろう。

x201sが私の手に帰ってきたが、明らかにおかしい。 熱で落ちるのを繰り返したせいで、診断テストアプリ(ThinkVantageToolbox) すら立し上がらない状態。 重要データをバックアップしてリカバリする。 で、リカバリした状態でも排熱がおかしいことを確認したら、修理行き。 まだ保証切れてないし、丁度いい。 にしても、esc遠いなこのキーボード。F1と取り換えてやろうかと思うレベル。 vi向けではないかもしれん。まあ慣れるだろうが。

ももの上に置いていると低温やけど確実な温度で非常に不快。 ファンを無理矢理高回転させるアプリを入れて全力で回しているが、 62度から下がらない。 VNC経由でviで文字打ってるだけなのに、何故65度なんて温度になるんだ。 そして、CPUが65度になるだけならともかく、底面が相当熱くなっている。

ACアダプタはx201もx220も同じ大きさだった。いつもvaioのデカいのを見てるから 小さくなったと思ったんだろう。

2011年06月16日

kn秒が再発したが、しばらく置いておいたら直った。ax,bm,cv,szなどなど、 今回はいろいろで、全く使えなかった。 本当、もうダメだこいつ。

X220設定中。VNC、Chrome、DirectX、.net、Radikool、テレビアプリ、 あたり。テレビは明日つないで実験。

なんか今風になって安っぽくなった気がする。 タッチパッドは何がどうボタンになってるのかよくわからないが、慣れないと違和感。 キーボードはescが大きいのがいい。 今のところ重さは気にならない。デカいかどうかも、横にあるのが13.3インチのvaio なのでよくわからない。今のところ排熱やファンの音に不満はないが、 テレビを動かして負荷がかかったときにどうかはわからない。 あと、ACアダプタが小さくて驚いた。液晶の視野角は広い。 天板がなんかペコペコした感じがあるのだが、大丈夫か。 X201sの値段には意味があったんだなと思う。

まおゆうの2巻を読み終えた。おもろい。 しかし、おもろい、以上のことを言うのはちと難しい。 後知恵とテンプレートの寄せ集めという印象がありつつも、 何やらまとまっているのがすごいわけだが、 しかし、やっぱり後知恵とテンプレートの寄せ集め感を無視できない。 そして文章そのものの魅力みたいなものはないわけで、 いろんなものを脳内で補う必要がある。 脳内でアニメか漫画に近い形にまでふくらまさないと、 右から左に物語が素通りしてしまいそうだ。 だが、これはそういうものとしておもろいのでそれでいい。 変に漫画にしたりアニメにしたりしたら違和感が増幅されて とんでもないことになりそうだ。 どうも漫画もあるようだが。

つまらんバグで迷惑をかける。歯医者に行く時間が取れん。 バグがあっさり取れたら今日行こうと思ってたのに。

2011年06月14日

食生活はそうそう変えられない。作る側、食べる側両方に訓練が必要だからだ。 ダシをきちんと取るには手間と金がかかるし、 ダシの味をおいしいと感じるには過剰な調味料に慣れ切った味覚の 敏感さを取り戻さねばならない。 そしてそもそも、食事を改善せねばならないような状況に陥ること自体、 食事の重要性を認識していない証拠であり、 そういう人はちょっと体がおかしくなったという程度では 本気で改めようとは思えないだろう。 とすれば、食べる側に違和感を極力与えず、 作る側の手間を極力増やさないようにじっくりと改善していかねばならない。

とりあえず、金がかかることに関してはそれほど問題にならないようなので、 設備と備蓄を改善することから始めるべきだろう。 まず、主食の米は玄米が望ましいが、白米に慣れ切った人には難しい。 米屋に頼んで精米の程度を調整してもらって少しづつ玄米に近づけていく のがいいんだろう。いつも頼んでいる所でやってくれるかメールしてみた。 最初は胚芽が残る程度まで精米すれば、おそらく違和感を感じずに始められる。 あとは、すぐに食べられて手間がかからずおいしく体に害のないおかずを 用意することも重要だ。ちりめんじゃこが一番楽だろう。 あとは、醤油や味醂、酒、 油などをまともなものに変えることもさしてコストはかからない。 リットル200円の醤油と1000円の醤油の間にある差は最初はわからないだろうが、 1000円の醤油を年単位で使っていれば、 ある日200円のものに戻した時に何かおかしいとは思うはずだ。それで十分である。 まともな味醂があれば料理に入れる砂糖の量も減るはずだ。 それと、窓際に油や醤油をおきっぱなしにする習慣は改めさせねばならない。 食べ物は光と温度と酸素に弱く、常温で窓際に放置すればあっという間にダメになる。 冷蔵庫に入れる習慣をつけてもらおう。 あとは、安い大豆油(いわゆるサラダ油)は酸素に弱いので、 これもキャノーラ油に切り換えてもらう。 オリーブ油にすれば多少ぞんざいに扱っても大丈夫になるが、 何にでも使うというわけにはいかなくなる。 これらの改善を行うのに、冷蔵庫の増強も必要だ。 がんばって詰めなくても醤油や油があっさり入るくらいの余裕が冷蔵庫に ないと、面倒くさくなって結局放置してしまうことになる。 今ある奴は確か250L級だったはずなので、 350L級のものに増強すればそれくらいのスペースはできるだろう。 だいぶ年代物だったから、それに比べれば今のものは容積効率がいいはずで、 それほど設置面積は増えないはずだ。 うちの機種の後継機であるSR-361Uが良さそうに思える。 冷凍庫が大きく、背が高すぎないので丁度いいだろう。 型落ちが安く買えないか調べる。

あとは、鍋か。 鍋がダメだと火力効率も悪いし、焦げを恐れて水を多くすれば味を落とす原因にもなる。 ビタクラフトはいい鍋だが、年配の人には重すぎるし、 普通の人の感覚では許容できない値段だ。 ジオプロダクトが値段的にも手頃だしいいだろう。今使っている鍋のサイズを見て、 使用頻度が高いものから一つづつ置き換えていくのがいい。 ジオプロダクトでも安いアルミの鍋に比べるとだいぶ重いのだが、 その分汁を減らしてもらえれば総重量はむしろ減るはずだ。 煮物の具は汁に沈む必要はないのである。

ついでだ。今度行った時にはLED電球に換えられそうな場所がいくつあるか数えよう。 あの電気の使い方では電気代の負担がエグいことになっているはずだ。 ましてこれから電気代の値上げは確実である。 本当は店の冷蔵庫が旧式すぎてヤバいのが一番ダメなんだが、 あれを置き換えるとなると7ケタの出費になる。 いつまで店をやるかも不透明なわけだし、電球がせいぜいだろう。

東京電力にしろ文部科学省にしろ、 誰かが「この情報は隠す」という決定を下して命令を出しているとは到底思えない。 なんとなく言いそびれたまま放置してるだけだろう。その方がよほどタチが悪い。 私だって身に覚えがある。家計簿についてないコーラが何回かあった。すまん。 たぶん人間は放っておけば隠蔽するものなのだと思う。 とりわけ日本人はその傾向が強いのだろう。

関係ないが、オタマも隠蔽体質である。 汚れたタッパーを押入の中に隠していたのが今日発覚した。 カビが生えるところまで行かなくて良かったが。 こいつ、食べたフリして部屋の隅に吐いてたりしないだろうな。 絶対あるだろ。

昨日だったかおとついだったかがたらこスパゲティの日で、3食たらこスパゲティ だった。ひつじこが間違って古いたらこを全部解凍してしまったせいである。 いろいろやった結果、にんにくをオリーブオイルで炒めて、 鍋ごとその油を冷やしてほぐしたたらこと混ぜ、ゆでたパスタとからめて、 バジルを散らす。これが手軽なわりにうまい。 たらこを前もって加熱すると食感が悪く味も失せるので、 加熱はパスタの余熱だけで行う。油を冷ますのはそのためだ。 バジルはよくたらこスパゲティに乗っているシソの代わりだが、 悪くない。生のシソは高いし保存も効かないので、 安く買える乾燥バジルで代用できるなら その方が楽だ。今度はこの新しい無添加のたらこで作ってみる。

無添加のたらこの味は筋子を思わせる。また、かずのこっぽさも感じる。 いわゆるたらこの味が調味料で無理矢理つけたものであることがよくわかった。 もうこれ以外買わない。最小単位4kgというのが一般家庭には辛いかもしれないが、 これ以上安くこの質のものを買う方法を私は知らない。 近くの人には分けてもいい。100g350円。ラノベを貸してくれる先輩には格安で。

汁物は贅沢だと思う。 飲んでおいしいダシ濃度のものをリットル単位で作るには、 相当なダシ量が必要だ。ダシグッズの消耗は激しく、コストが莫大にかかる。 同じダシを煮物に使えば、ダシをはるかに有効活用できるのだ。 大根なら大根の持っている味がメインになるため、 ダシそのものの必要量はずっと少ない。 1リットルのダシ汁であれば大根1本を使う煮物を最低2回は作れるが、 これを味噌汁に使えば一食で消えてしまうわけだ。塩の摂取量も増えるし、実に良くない。 ダシ入り味噌や、中華スープの素を使えばはるかに安いコストで汁物が作れるが、 そういう味は味覚をなまらせて、砂糖と塩の過剰摂取に走らせる。

Thinkpadは16日到着とのこと。

GOSICK18まで。本当、わきでかかってればいいなこれ。 あと、もしドラの1話を見たが、こんなもん見てる暇があったらマネジメントを読むわ、 と思った。図書館にあるかなあ。

原発は下請けが8次まであるとかで、ムチャクチャっぽい。 あれだけの放射線を浴びる状況で日当9000円ってどういうことだ。 せっかくだからそういう構造が全部ブッ壊れてしまえばいい。 電気代は上がるだろうが、かまわん。払う。 一部の人を犠牲にして安い電気代を亨受するようなマネはしたくない。 普通なら役所の抜きうち検査で発覚するのでそういうムチャクチャなことは できないらしいのだが、原発の場合は役所が抜き打ち検査なんてできないので 東京電力が好き放題しているのだと言う。

2011年06月13日

食料調達リストを作って置いておいた。 まだなんか忘れてると思うが、おいおい追加する。 半ば自分用のメモだが。

放射能は厄介だが、大気汚染や水質汚染よりはマシなのではなかろうか。 仮に福島であっても、特に高濃度の場所以外であれば 昭和40,50年代の都会よりもマシな気がする。 とは言え、 事故る前までの東京と今の東京を比べれば今の方が放射線の分環境は悪いわけで、 とりわけ母親が敏感になるのはやむをえない。 まして東京北東部から千葉北西部にかけて住んでいる人は大変だ。 距離的には大丈夫なはずだったのに運悪くホットスポットになってしまっているため、 余計にストレスを感じている。 茨城や福島なら「近いんだし仕方ない」とある種あきらめもついたのかもしれないが。

「マイクロシーベルト毎時」の値に10をかけると、おおむね「ミリシーベルト毎年」 になる。10uSv/hの場所に1年いれば、100mSv浴びるということだ。 10ミリ超えはかなり気分が悪い数値だが、これに相当する値は10で割って、 1マイクロシーベルト毎時、1uSv/hとなる。 なお、高田氏によると、福島第一の正門で35uSv/h。 一年過ごせば350mSv浴びる。一撃で浴びれば白血球が減りかねない量だが、 一年かかって浴びた場合にどうかはよくわかっていない。 でも間違いなく浴びたくない量だ。そんな中で作業をしている人達がいる。

3号機と4号機の近くに使用済み燃料プールがあり、 そこには1から6号機に入っている燃料を全部集めたよりも多い(1.4倍)燃料が入っている。 これは3/18の読売のニュースで出た話なのだが、その後どうなったか まったく話が出てこない。 でもまあ、溶けて臨界するようならとっくにしているだろう。 低温で安定してふたができるまでに何年かかるか見当もつかない。

ゲーム機なあ。うちの今の生活にゲーム機を入れる余地がまったくないのが問題だ。 そんな状態で年単位の時間が過ぎてしまった今となっては、 ゲーム機そのものの存在を忘れてしまいそうになる。 子供と一緒に遊ぶとか良く言うが、そんなヒマあったら 一緒に拳法やったりピアノ弾いたりレゴで遊んだりするからな。 私はゲームが好きだが、ゲームが役に立つか問われて「立つ」 と答えるのは無理だ。 ゲームがレゴに匹敵する感じになればちっとは社会的な地位も 変わってくるんだろうが、難しい。 始終「オレならこう作るのに!!」とか考えるようになれば 少しは違うんだが。

次のガンダムはどうなんだろう。少なくとも私はターゲットではないようだ。

そういやCEDECどうなったんだろう。迷うくらいなら落としてくれていいんだが。

ビジョナリーカンパニー3を読み終えた。社長を外から見つけてくる企業は 統計上うまく行かないらしい。また、ヤバくなってきてから抜本的な改革に 乗り出したりするのも、大抵ダメらしい。 元々何をする会社で何が強いのかをよく考えて、結局そこで 真面目に勝負しろってことなんだろう。 衰退には5段階あるそうだ。まず傲慢になる。次に拡大する。そして盲目になり、 逆転の賭けに出て、消える。 勝ってるとつい傲慢になる。たまたま運が良かっただけかもしれないのに、 自分達が勝ってるのは自分達が正しいせいだ、なんて考えたりする。 これが将来の失敗の素地になる。 そして、勝ってるとつい拡大したくなる。 拡大すると人材が足りなくなるので、いろんなところで劣化が加速する。 人材不足を補うためのシステムが社員の士気を下げ、有能な人が抜け始める。 勤怠管理が複雑化したり、何かを決めるのに複数人の承認が必要だったりするのは、 個人の能力が低かったり、人材の配置がおかしくなったことの現れなのだという。 次の段階では会社の業績に翳りが出てくるわけだが、 中に問題があることを認めず、外のせいにする。サブプライムのせいにしたり、 災害のせいにしたり、競争相手のせいにしたりするわけだ。 実際そういうものが原因であることはあるのだが、 そこでそのせいにしてしまうと終わる。 ピンチはチャンスでもあるということに気づけない。 そして、あからさまにヤバくなってくると、一発逆転の賭けに出る。 新技術に金を投入してみたり、外から社長を雇ってみたり、 それまで会社のコアだった事業を放り出してみたり、 整理解雇をして人的資源を削ったりする。 一時的に業績が良くなることもあるが、数字上のことですぐに化けの皮が剥がれる。 頻繁な組織変更もこの段階にある企業の特徴だ。 そして、打てる手がどんどんなくなっていって、 身売りか消滅かを選ぶことになる。

会社が成長するには一人のリーダーでは不足で、地味な取り組みを長く長く 続けるしかない。 カリスマ雇われ社長、みたいなものにすがってもダメだということだ。 会社の文化は最大の財産で、文化とはつまるところ人材である。 会社に合わない人材を無理して取らないことが重要だ。 しかし、そうやって一つ一つ積み上げても、 一人の社長が何かを間違っただけで全てが崩壊することがある。 なるほど、会社の経営というのは大変なものだ。

大規模ゲームがトレンドだからといって調子にのって社員を増やすとロクなことがないと。 耐えられなくなって減らす時が来たとして、 そこで減るのはその時に取った不要な新人ではなく、 それまで一線で働いてきた歴戦の戦士なわけだ。

2011年06月12日

0.03にはならない。関東は今回のことがなくても0.05から0.08くらいはある土地だし、 この機械の測定下限は0.05。 福岡で測っても0.09とか出るわけで、0.10以下はどうでもいいと思っていい。

GOSICKは横で流しておくのに丁度いい。18まで見たが、そろそろ終わりそうな 雰囲気を出している。

書籍化されたまおゆうを借りたので読んだ。なるほど大したものだ。 今までファンタジーにリアルな経済や軍事を持ちこんだものは結構あったので、 コンセプトだけならそう驚くものではない。しかし、ここまで積み上げているのはすごい。 現代人が古代にタイムスリップする物語とも似た構造で、 王家の紋章も思い出す。 どうも5冊らしいが、続きも読みたいな。 webに全部あるようなのだが、本の方が手直しされていて読みやすい。

同じ人のログホライズンも借りて読んだ。こっちは比較的普通。おもろいが。

このレベルのものを金を受け取る前提なしに書いて公開する人が出てくるというのは 素敵なことだ。ゲームも同じ状況にあるのだが、 えてしてゲームを作っている人の方がそれに気づいていないことが多い。 ゲームから遠ざかった人は当然気づかない。 逆に高品質ゲームに浸り切った人はツッコミ所がある無料ゲームには見向きもしない ことが多く、やはり気づかない。 プロのゲーム職人という地位はなかなかに危ない状況にある。 もちろん、億かかるゲームは億出せる組織しか作れないわけで、 無料ゲームだけになるというわけではないのだが、 億かかるゲームに要求される水準はどんどん高くなる。 そして、要求水準が高くなればなるほど冒険できなくなって、 かえってゲームがつまらなくなるという面白い状況があったりなかったり。

ローカル保存したものを読むだけであっても、片手で持てるサイズのコンピュータ を持つ意味はあるなあと思う。ipod touchくらいのサイズになると本よりも小さいし、 傷つけたり汚したりしないように気を使う必要もない。 次のバージョン出たら買ってひつじこのお下がりをもらおうか。

カゼがノドに移行した。そろそろ治る。

ラノベ借りてばっかりで申しわけないな。 何か別の形で返そう。農作物とか。

被曝調査の本を書いた高田氏がどこぞでやった講演がyoutubeに上がっている。 「測ったけど大したことない。甲状腺ガンは一人も出ない。」 という感じのことを言っていた。 チェルノブイリやらビキニ諸島やらに自分で測りに行った人の言うことで、 説得力がある。今回も原発の正門まで行って測っているし、 住民の甲状腺の調査をしたりもしている。 が、この状況で放射線について何かを言えば、当然政治的に利用される。 とりわけ「安全だ」という方向での発言はその度合が強く、かつ叩かれやすい。 この人がどういう経験に基づいてこういうことを言っているのかということを ちゃんと見ないと、単に安全安全言ってるだけの人に見えるだろう。

放射線は減衰する。また、目に見える影響が出るのは相当な量からであり、 影響が出たかどうかがわかる量ですらそれなりの量からである。 また、一般的な毒物と違って測定が容易で扱いやすく、 ヨウ素を除けば体の一箇所に蓄積して集中的に害を与えることもない。 そう考えると、牛を置き去りにして大損害を受けるのは妥当ではない、 という高田氏の意見は至極まっとうに思える。

放射線が危険か危険でないかと言えば、危険でないとは言えない。 危険はゼロでない。しかし問題はそこではなく、 それを避けるために払うコストと危険が釣り合うかどうかだ。 畜産農家が牛を失ってその後の生活に支障を来す度合に見合う放射線量は、 おそらく年間100mSvよりも多い。 金と健康は比べられないと思うかもしれないが、 金がなくなればストレスも溜まるし食うものも悪くなるわけで、 健康に影響が出ないわけがない。

放射線は避けるべきである。ただし、無条件に避けるべきなのは、 犠牲を払わずに済む範囲だけである。それ以上は失うものと避ける危険を 天秤にかけなくてはならない。 うちの場合、茨城福島の農産物を避ける、というくらいまではほぼノーコストで できることだからやる。ピーマンやキャベツが食べられなくなりこれは それなりにコストではあるが、許容できないものではない。 また、北海道産牛乳を買うようにするのも、148円で特売されている那須牛乳が 買えなくなって178円以上出さねばならなくなるが、 これも許容できないものではない。 まあこれくらいだ。海産物は元々通販なので北海道産がメインで問題ない。 最も消費量が多い米は山口産、小麦粉とスパゲティは輸入であり、やはり問題ない。 うちの食生活は元々影響を受けにくいものなので、 すべき対策も限られるし、そのコストも安い。 が、生活スタイルによってはそうとも言えないだろう。 加工食品や外食がメインだと、産地はほぼわからない。 そういう状況で加工食品を避けるとなれば生活スタイルそのものを見直さねば ならなくなる。

オタマが重くなった気がするぞ。最近あんまり食べないのに。 どうもミューズリが最近の流行りらしい。

X220を出荷したらしい。

kを押すとknに、bを押すとbmになる。なんだこの症状。 ついにキーボードまで壊れたかと思ったが、何故か直った。

DGM-1500というガイガーカウンターが買える状態になっている。10万くらい。 フィンランド製。 原子炉のある建物でも測れるくらい上限が高く、下限もうちの奴よりずっと低い。 一時間かければ食品も測れる(ただし380Bq/kg以上に汚染されていればだが)。 図体もRD1503が105x60x26なのに比べてこいつは147x91x52とだいぶデカい。 基本的にガイガーカウンターはデカければデカいほどたくさんのガンマ線 を拾えてより微量でも測れるようになるので、 おもちゃとしてもこいつの方がずっと上だろう。 ちなみに、うちのRD1503はもう楽天で買える状態で、3.3万くらいだ。 気になる人は買ったらいい。

まあ買うならTGS-131くらい本気な機械がいいのだが。

ビジョナリーカンパニー3を読んでいる。"How the mighty fall"が原題で、 「いかに強者は没落するか」という感じだ。ようするに、大企業が どうやって衰退するかを研究した本である。 本当、何が原因で衰退するんだろうな。

今日はピザ。この感じだと夜までピザだな。 腹を減らしたひつじこは粉500g分ほど作ってしまった。 これにチーズがごっそり乗るわけで、到底一食では食べ切れない。 間違って解凍した古いタラコをスパゲティにして食ってしまわねばならないのだが。

傲慢から没落が始まる。たまたま運が良かっただけかもしれないのに、 自分の努力と才能のせいであるように思いこみ、新しいことを勉強しない。 いかんな。「最近成長してないなあ」と思うようになったら相当ヤバいということだ。 また、自分の得意分野を放置して新しい分野ばかり見ているのも危ない。 この本は会社の話をしているのだが、とりあえず自分のこととして考えてみよう。 私はプログラミングの勉強をそれほどしていないが、これはヤバイのか。 勉強と言えば最近は経済ばかりだが、これはヤバいのか。

プログラミングに関して言えば、この上へ行くにはプログラミングをする以外の 経験が必要だ。自分が何故今プログラミングができるのか、 ということをもう少し深く考えないといけない。 そうでないとこの先どのようにプログラミングを勉強すべきかが定まらない。 それはそれとして顔認識と超解像は中身が気になる。なんかいい本はないか。 何か新しい考え方を得られそうな気がするのだが、 新しい分野だけに個別の論文やらオープンソースに当たらねばならず面倒だ。 入口としては本が欲しい。

規律のない拡大によって没落が加速する。 デカくなるほどたくさんの有能な人が必要になるが、 有能な人はそうそう簡単には作れないので足りなくなる。 足りなくなると、アホでも仕事ができるように規則や仕組みを作ることになり、 責任が個人から規則や仕組みに移っていく。 結果、能力のある人は仕組みによって能力を制約されて嫌気がさして辞め、 能力のない人の愚行の責任は仕組みのせいにされて誰も責任を取らない。 それぞれの人が適切な場所できちんと何らかの責任を負っているか、 というのが重要な尺度になるわけだ。 とここで自分のことを考えてみると、反省すべき点が多い。 いかん。ちゃんとやらないと。本当は一つに集中してやりたいし、 集中してやってすら時間が足りないのだが、 引きうけてしまった以上それなりな形にはせねばならない。

ゲームは作れんなあ。裏方向けの能力ばかりを発達させてきたので 今更どうなるものでもない。プログラマが3人、みたいなチームに入れば ああだこうだ言う余裕もなくなってやるんだろうが、 余裕があるとつい裏方仕事に精を出してしまう。

100人いて、10人で10個作るのと、100人で1個作るのでは、全然要求される人材が違う。 メインプログラマに要求される能力は もちろん10人のチームより100人のチームの方が高いが、 メインプログラマをやれるレベルの能力を持った人を10人確保するのも相当難しい。 そういうわけで、どちらかでうまく行かないからといって別の路線に乗り換えるのは 難しい。とりわけ、大規模から小規模に移るのは難しい。 100人で作る体制というのは、個々人がそれだけ分業特化していることを意味する。 分業特化すればするほどつぶしは効かなくなるから、 小規模チームで次から次へとバラバラな仕事が襲ってくる状況には対処しにくくなる。 さて私は小規模で仕事をしたいのだが、 私の能力はどうしようもなく大規模向きだ。 小規模チームでは裏方を雇う余裕なんてないのである。 いかんなあ。どうにかしないと。

といっても、いわゆる裏方の範囲内では相当手広くやってる部類だとは思う。 ただDCCパイプライン回りとGUI系のツールが弱いので、 そのへんにも手を広げたい。

日曜の朝はテレビで「趣味の園芸」をやっている。 あれを見ていると いつかひつじこに畑をプレゼントできる日が来るだろうかなんて考えたりするわけだが、 あまりにも難しい。 田舎に定住して食っていける状況を作るためには一体何をどうしたらいいだろう。 50過ぎてからならそう難しくないんだろうが、 5年以内を想定するとまず不可能である。 会社の中でヌクヌクしている今の状況から放り出されても生きていけるような 何かを仕込まないといけない。 しかし、ヌクヌクできる間に最大限ヌクヌクしてひつじこやオタマと ダラダラ過したいとも思うわけで、なんとも難しい。

谷川俊太郎の「あくま」という絵本がすごい。 想像の斜め上を行く展開で全く予想できない。 そして「え、それでいいのか?」という唐突なエンディング。 是非ともそのへんの図書館にでも行って自分の目で見てほしい。 なお、オタマも気に入っているようだ。 ストーリーがまともにある絵本は初めてではなかろうか。

オタマは片方の乳を飲みながら、もう片方を手で絞る。 乳が飛ぶ。モニタに飛んだり、絵本に飛んだり。 そして片方をしまうとオタマは怒る。

2011年06月09日

炎症中だが昨日はそこそこ働いた。今日もそこそこ働いて大改造を終わらせる。

下水処理場の屋内はたぶんロクに換気されず溜まってるんだろう。 たぶん屋外はずいぶん低い値だろうから、それも一緒に公表すれば良かったのにと思う。 あるいは、屋外はさらに高いから公表しなかった、 なんてことかもしれないが、 雨風を受ける屋外で数uSv/hの放射能が保たれるとは思えない。 なんにせよ、うちは計器を持っているのだから、 持って歩けば危険は避けられる。 計器を持ってさえいれば、どこに行ってもいい。 放射線を気にする人は計器を買った方がいい。 今となっては東京でそれを持っていても気休め以上の効果はないが、 またいずれ必要になる時が来ないとも限らない。 もっとも、本当に必要な場所に住んでいる人達に優先的に回すべきだとは思うが。

シュタゲ6まで。これおもろいなあ。一体どうする気だ。

デッドマンワンダーランドを2まで見たが、悪趣味な以外に何もなさそうなのでもう見ない。 主人公とヒロインは度を越して危ないことをしても死なない、というのは 物語においてはよくあることだが、こうまであからさまに 別の宇宙にいるように見えるのは気に入らない。

WiiUを買う頃には二人で桃鉄できるといいなあと思う。 VITAはどうしよう。

Thinkpadの到着は6/20くらいになりそうだ。 本格的に暑くなる前に届いてくれるとありがたい。 すでに熱暴走しまくっているようだし。

2011年06月08日

炎症中。休むかなあ。仕事は山積みなんだが。

おかあさんと一緒の中の人形劇であるポコポッテイトの内容がかなり許し難い。 資本主義の害毒を子供に植えつけようとする内容。 ハイヒールとか、マクドナルドとか、モデルとか、 何だよこれ。見せたくねえ。

Wii U。これだ。これを待っていた。 これで、トイレで据置きゼルダができる。 しかしまあ、過渡期のハードウェアだよな。 携帯機に十分な性能があり、画面の無線転送が一般的な規格で可能になれば、 携帯機でいいわけだから。 性能は電池と放熱の制約で満たされず、無線で画面を送る試みはまだまだ 始まったばかりだ。5年も経てば話も違ってるかもしれないが、 今出すならこれが最適解だろう。 それにしても不安なのは、戸を隔てて5mほどの距離にある トイレに電波がまともに届くかだ。

2011年06月07日

なんか調子悪くなって早退。鼻とのどのつながるあたりが激しく炎症中。

昼ごはんはボンゴレ。あさり1kg。うますぎる。 そして、この手間を考えるに、店でまともなボンゴレを食うのが到底不可能。 身を外す手間が半端ないし、加えて保存がきかない。

オタマ食わんなあ。

25000円か。シュタゲとかその手のものがボンボン移植されるなら買いだよな。

2011年06月06日

そんなに差し迫ってやらねばならないわけでもない仕事を、 そこそこ差し迫った状況でやるスリル。

オタマ食わんなあ。成長が止まりそうだ。

メロン買ってみた。食うかな。

明日はボンゴレ。長くゆでたものも作ってオタマに食わせる。 トマトのスパゲティはほんのちょっとだけ食べたし、アサリ味でも食うだろう。

さかなだマートに無事注文できた。明後日届く。 みんながこういう買い方をすると小売が死ぬのだが、 キロ単位で海産物を買うには相当な覚悟と準備が必要なので、 心配する必要はないだろう。

2011年06月05日

電話からgmailが読めるように設定しようとしたが、ダメだった。 POP over SSLというのに電話機が対応してない。 さすがHoneyBee。これだけで機種を変更する理由になる気もするな。 電話からgmailにアクセスするとパケット代が別にかかるので あまり使いたくはないのだが、緊急性が高い時もある。

google group実験。PC→電話機のメール配信は成功。電話機→PCのメール配信も成功。 とりあえず一番ITに詳しそうな人にテストの協力をおねがいしてみた。

「経済成長なき社会発展は可能か?」という本を読んでいる。 アンチ資本主義。 筆者は経済成長や開発、発展といった概念を無条件に善と考える今の世界が 狂っていると激しく主張している。 みなが過剰な物欲を捨て、地域社会の中でつつましく生きていけば幸せになれる、 という考えだ。 最近流行りの「持続可能な発展」という言葉も、 発展は全て持続不可能でありその言葉自体が偽りだ、 と激しく批判している。 内容そのものがどうかはさておき、 考えるきっかけとしてこういう極論は役に立つ。 インテリ左翼、なんて言うとレッテル貼りになるのだろうが、 私がイメージしていたインテリ左翼そのものがここにいる。 もうちょっとわかる言葉で書いてくれるとうれしいが、 このノリでなければ語れない人なのだろうし、それはいい。 こういう言葉を無理して読もうとする努力から生まれることもある。

読みながらいろいろ考えた。 自分は何を善とみなせばいいのだろうかとか、 自分と家族と地域と国との関係とか、なにかいろいろ。 しかし、メモってないので今ポンと思い出すことはできないし、 こういうことについてちゃんと文章化しようとすると丸一日 何もしないくらいの余裕がいる。 昔はそんな余裕があった。だからギャルゲーやらアニメやらの 感想をあれだけの量書いていられたわけだ。 思えばあの頃において、考えることと書くことと不可分だった。 手や指やキーボードや画面まで含めて私の脳だったのだと思う。 だから、そういう時間が取れなくなった途端に、 考えるということがよくわからなくなってしまったのだ。 よく考えてみればピアノを弾いている間はいろいろ考えていたりもするのだが、 文章化されないので片っ端から忘れてしまう。

思えば函館でラベル先生と結婚について話した時、 ラベル先生は祈りの時間を持とうと言っていた。 祈りというものを広く解釈して意訳するならば、 精神的なことについて考える時間をある程度は持った方がいい、ということだろう。 もっとも、そんな贅沢が許される状況でもないのは事実だ。 一日24時間オタマに捧げているひつじこに申しわけなさすぎる。

拳法についてもそろそろ文章化しておくべきだ。 自分の頭を整理するためにも、また考えを記録に残しておくためにも これは重要なことだと思う。 いろいろあってここで公表というわけには行かないが。 でもまあ、単に体をうまく使えるようにする、という部分に関してなら 公表しても問題なかろうし、それは誰かの役に立つかもしれない。

体の自由を手に入れるための題材、というのが私にとっての拳法なのだろう。 戦った時の強さというのは、「自由になればそりゃ強いだろ」 という意味において、自分が到達した自由さを測るための尺度である。 もちろん「強い」という事自体の持つロマン性は動機付けの上で重要だが、 それはロマンの域を出ない。私は戦いをリアルと感じるような生き方をしてこなかった。 もちろん実際にそうなった時のことを想像することはよくやるし、 やりすぎて半ばクセになっていたりもするのだが、 それすらが平常心を保って体の自由を失わないようにするための訓練という 意味合いが強い。 戦いを第一の目標と思っていないのに何故拳法という題材を選んで続けるのか、 ということについて私は問い続けていくべきだろう。 でないと他人が何を求めているのかもわからなくなってしまう。

腕をブンブン回す運動は重要。肩甲骨が自由に動かないと脱力の妨げになるので、 これで肩甲骨の動きを良くすることは大切だ。 そして、遠心力が脱力を容易にしてくれる。重要性を再確認した。 こういう発見をちゃんと文章化していこう。

放射能。正直私は相当危機感が薄れてきている。 例えば以前は毎日見ていた茨城の線量データを見なくなった。 放射線に関してこれがまずいかどうかはさておき、 私のこの忘れやすさはたぶん良くない。 行動の根本原理が保留なのだろう。 まったくもって非常時向けの人材ではない。 「もうちょっと情報が揃ってから」とか言ってる間に手遅れになるタイプだ。 自覚しよう。

2011年06月04日

「パソコンの待ち受け画面」という表現が面白い。 これはデスクトップの背景、あるいは壁紙、と呼ばれる。

会社宴会。川崎。帰りは歩いて帰ってきた。だいたい45分かかる。

vaioのサウンドデバイスが壊れたようだ。そんな壊れ方するのかと思って調べたが、 どうもドライバが壊れたっぽい。HDDが死につつあるな。

拳法連絡はmixiよりgoogleグループの方が良かったりしないだろうか。 mixiは根本的にアカウント作成が必要なのが困る。 比較的年配の方にそれをお願いするのは無理だ。 携帯メールしかない人とのやりとりにも支障がないものがいい。 メーリングリストでもいいが、過去のメッセージがいつでも見られたり、 ファイルをアップロードできたりすると便利だ。 というわけで、試しに作ってみた。

X220買おう。 ここで、一つ決めねばならないのは、純粋にX201sを解放するために買うかどうかだ。 X201sをこのままにして私がX220を使うことはない。 何故ならX201sをウルトラベースに乗せて家電として使うのは排熱的に耐えられない からだ。従って、何を買うにしても、買ったものが家電になり、 私はX201sを使うことになる。ということを念頭に置いた上で、 カスタマイズの内容を考える。 CPUはi3かi5か。2.1GHzも出ればそれ以上いらない。i3でいい。 こいつでコンパイルしたりエンコードしたりすることはない。 メモリは2か4か。win7の64bitは起動するだけでギガ持っていくので4が無難。 HDDは250か320か。X201sが320あるので、一応同じにして320。 録画で容量を必要とする可能性がある。 IPSはひつじこの使い勝手を良くするので入れる。無線LANは速いほどいいので6205だが、 ルータがショボいのでこの恩恵を受ける日が来るかはかあらない。 5000円をケチって後で後悔するのも厄介なのでi5。 バッテリーは4セルで十分。ほとんどACで使うはずで、なら軽い方がいい。 bluetoothは念のため。そのうちカメラとかと通信することもあるかもしれない。

買った。101340円。

一号機の線量が250Sv/hらしい。うちらに馴染みのあるマイクロシーベルト で言えば、250000000uSv/h。1分で半分が死に、2分で全員が死ぬ放射線量だ。 放射性物質がいくらあったところでこんな強さになるだろうか。 もしこれが計器の故障でないならば、核分裂中(=臨界)なんじゃないのか? 中性子線を測る機械があるならば、核分裂が起こっているか どうかはすぐわかる。中性子なんて核分裂しない限りまず出ないからだ。 したがって、東京電力は核分裂が起こっているか起こっていないかを知っている はずである。 一号機の温度計が低い温度を示していることで安心している人もいるようだが、 これは核分裂が原子炉内で起こっていないからではなかろうか。 熱で原子炉の容器が溶け、燃料がボトリと床に落ち、 そこで核分裂しているとすれば、原子炉にある温度計はそれほど高い温度を示すまい。 今も地面を溶かして地中にめりこみながら核分裂しているということになる。 さて、仮に核分裂しているとしてもすぐにうちらの生活がどうこうなるわけではない。 まず爆発はしない。最初の爆発は閉じた建物の中に水素が溜まって火がついたせいで、 建物がふっとんでしまった今となっては、いくら水素が出ようがこもらず漏れるので 爆発のしようがない。 もちろん、核分裂が一気に起これば核爆弾と同じで爆発するが、 原爆をちゃんと爆発させるには大変な技術が必要なわけで、 つまり、何もしなければ爆発せずにダラダラと核分裂するということである。 では核分裂の何が問題なのかと言えば、 さんざん皆をビビらせている放射性セシウムや放射性ヨウ素が増えてしまうことだ。 ウランの放射線は弱い。ウランは持っているエネルギーを40億年以上かけて 放射線の形でゆっくり放出していく物質で、 つまりそれは放射能が弱いということである。 だから、いくらたくさんあろうがウランである限りは大した問題はない。 しかし、これが核分裂してヨウ素やらセシウムになると エネルギーの放出が速くなる。8日とか30年とかいうスパンで放出するわけで、 こいつらの放射能はすこぶる強い。 そういう危険なゴミが増え続けてしまうということだ。 つまり、片づけるべきゴミの危険度がどんどん高まっていく。 そうなる前にさっさと片づけてしまいたいところだが、 核分裂で出てくるエネルギーは莫大で、到底人間は近づけないから、 核分裂し尽して収まるまで放置するしかない。 測定値が正しければ、1分で人が死ぬ強さだ。10分の1でも作業は不可能で、 1000分の1以下にはなってもらわないと何もできない。 そうなるまでどれくらいかかるのかは知らないが、 あらゆる作業はその後だということになる。 そして、核分裂が終わった後には今とは比較にならない量のヨウ素とセシウムが 溜まり、そいつらが元のウランよりはるかに強い放射線を出すわけだ。 ヨウ素は日単位で消えるのでまだいいが、セシウムは30年たって やっと半分になる程度には長持ちする。 仮に核分裂が収まった段階で「今の1000分の1になれば作業が始められます」 ということになったとすれば、作業開始は300年後ということになる。 100分の1でも210年後、10分の1でも100年後だ。

すごい時代に生きているのだなあと思う。 こういうことが起こること事態は嘆かわしいことだが、 私はこの時代に生きていることを不幸だとは思わない。 電車の中でタバコを吸う奴が普通にいた30年前よりも今の方がいいし、 戦争直後の60年前や戦争突入まっただなかの100年前とは比べようもないほどいい。 30年後のオタマが、30年前に生まれなくて良かったと思ってくれるかどうかは わからないが、少なくとも私はそう思ってもらえるように努力したいと思う。 そして、私などよりも大きな責任を負っている人達にはなおさらそう思ってほしい。

鮭、たらこ、いか、たこを通販で買ってみるテスト。 2万円分。 鮭1尾、たらこ4kg、いか1kg、たこ1kg。 買った店はたまたまおとつい見つけた さかなだマート。 初めて買う店でいきなり2万円はよくなかったかもしれない。ちょっと反省。 Thinkpadを買った直後なのが悪かったか。 しかし、ブログを読んでるといい具合だったし、たぶん良さそう。 ここが使えれば、築地から持って帰る重量が大幅に減る。 にしても、メールアドレス間違えたかな。確認メールが来ないぞ。 自動送信ならとっくに届いているはずだ。 月曜あたり電話がかかってくるかもしれない。

試しにメルマガの申しこみをしてみたが、これもメールが来ない。 もしかすると人力なのかもしれないな。月曜まで待とう。

拳法の帰りにカルディ。紅茶、麦茶、トマト缶、全粒粉スパゲティ、オリーブオイル、 ひつじこへの土産にコーヒープリン。オリーブオイルは味見してみたが、 おいしい。香りが強い。 しかし、いつも買ってる奴と値段分の差があるかと言われると厳しい。 250mlで1000円超、しかも数ヶ月も経てば香りが飛ぶようなものだ。 これは贅沢に過ぎる。1リットル800円で悪くないものが買えるのだから、 それで良しとすべきな気はする。もちろんひつじこの意見も聞こう。 あと、全粒粉スパゲティは箱買い送料無料という キャンペーン中だったので2箱注文した。スパゲティを7000円分買うというのは ちょっと面白い経験。コーヒープリンはおいしかったようだ。 私も一口もらったが、そのへんのとレベルが違う物であることはわかる。 140円だし、週に一回くらいならこういう贅沢はいいと思う。

今日は金を13万以上使ったぞ。恐ろしい。

長崎から来たじゃがいもは立派で形がいいので洗いやすく、でんぷん質でなかなかおいしい。 しかし、冬に北海道から買ったメークインにあったような感動はない。 値段が10kgで3500円と送料込みで倍近いことを考えると少々微妙だ。 ただし、これでもスーパーで普通に買えるものよりはずっと品質が良く、 また値段も同じか安い。 確かに600gで158円の時と比べると高いが、 そういうじゃがいもは大抵おいしくないし、 そもそもスーパーではかなりの時間蛍光灯に照らされていて、 すでに発芽の準備が始まっていたりもする。 夏場でもじゃがいもは食べたいわけで、 夏は長崎、秋冬は北海道というのは悪くない。 実際オタマもそこそこ食べてくれているし、ひつじこのおやつにも丁度良い。 ただ保管は問題だな。風通しが良いが光が当たらない、という場所を作らねばならない。 新聞紙をどこかから手に入れてこよう。会社の誰かにもらうか。 でもうちの会社は新聞を取ってない人が多そうだ。 こういう時に近所付き合いがあるといいんだが、何せ東京砂漠である。

おとついだったか、ビッグライズに行ったら亜麻仁油があったので買ってみた。 100mlで700円と、今日買ったオリーブオイルより高い。 しかし、オリーブオイルが体内合成できる油しか含まず 嗜好品の意味合いを帯びるのに比べると、 亜麻仁油は必須脂肪酸の塊でとりわけ皮膚の健康には良いらしい。 というわけで、ひつじこに食わせてみようと思ったわけだ。 で、今日の午前中にレタスのサラダを作ってみた。 レタスを洗って水を切り、亜麻仁油をまぶしてから、かつお節と塩と胡椒とかぼす果汁。 食べてみて驚いたのは、そのサラサラ感である。オリーブオイルやキャノーラ油で 感じるドローリ感がない。二人でレタス一つを難なく食え、胃にも軽い。 これはアリだ。どうにか安く買えないものか。 サラダにのみ使うと考えれば、多少高くてもかまわない。

なお、亜麻仁油は酸素と熱と光にべらぼうに弱い。 冷凍保存が必要で、それでもなお開けたら2ヶ月が限度と言われる。 冷凍庫に入れてもドロドロするだけで凍っていないのが面白い。

似たような性質を持つシソ油やエゴマ油の方が若干安い。 それでも100mlで500円程度だが。亜麻仁油が尽きる頃に買ってみよう。 それにしても、シソ油とエゴマ油は同じなのか違うのかよくわからないな。 エゴマとシソは同じ植物で品種が違うだけっぽいが、 成分表が別にあったりする。

亜麻仁油の主成分であるアルファリノレン酸はキャノーラ油にも入っているが、 リットル単位で冷蔵保存しているキャノーラ油の中のアルファリノレン酸が 果たしてどれだけ壊れずに残っているだろうか。 そう考えると、開けたてでもない限りキャノーラ油にアルファリノレン酸を期待するのは 無理だろう。

本の質問が来たが、コンパイルするファイルをどういう名前にして どこに置けばいいのかわからないとのこと。 それはVisualStudioの本とC++の入門書を読んでからの話だなあ。 友達がいるならそっちに聞いた方がいいが、 直接メールしてきたということはそうできない状況にあるんだろう。 ちょっと勇み足かもしれないががんばってほしいものだ。 それなりに丁寧にレスしておいた。

買い物や日記は土曜の夜にしか処理できんなあ。日曜や平日の夜は早く寝ないとまずいし、 昼間PCで探し物や書き物をするのは不可能だ。

ふと思った。大匙1で15mlだ。今日使った亜麻仁油の値段は698*15/100で104円。 いやさすがにそれはないだろ。100mlあたり400円くらいで買えないとさすがに辛いか。

2011年06月03日

原口や鳩山はすごいな。人に見られ、記録が残る状況でも これだけダイナミックな裏切りができるというのは、すごい。 こういう人が政治家であり続けられるのは、 こういう人に票を入れている人がいるからで、 少なくともそういう人は発言が信頼できるかどうかを選択の基準にしていない。 そのことを知った上で彼等はこういう行動を取っている。 すごいとしか言いようがない。 特に原口はtwitterまで使っているわけで、完全に自覚してやっていると 考える他ない。完全に首尾一貫した人間なんていないが、 大人になると首尾一貫していることをある程度は求められる。 そして首尾一貫していないと思われる時には説明せねばならない。 それが常識だと私は思っていたが、そんな常識を踏み越えたところに 政治の世界があるのだろう。少なくとも日本の政治は。

小沢は最近海外で受けたインタビューを読む限り、かなりまともであるように見える。 というか、私が知る限り、小沢がしゃべってることは大抵まともだ。 しかし、この人のすごいところはそれとやってることが全くリンクしていないように 見えることだろう。たぶん原口や鳩山よりももっとすごいんだろうと思う。

政治は難しすぎる。言ってることがまともかどうかで判断するのは間違いだと言われたら、 一体何で判断すればいいのだろうか。

選挙はたまにしかない。それはそれで大切だが 当分その機会は来ないのだし、今は毎日の投票をきちんとやろう。 何にお金を使うかこそが、現代社会における最大の投票行為だ。 何を買うかで社会が変わる。それは確実に選挙より影響がでかい。

以前9000円も出して買ったエコクリーンというパンチングザルが大変具合がいい。 このシリーズを3種類くらい揃えたらさぞや便利だろう。ボールも込みで。 同じメーカーでそろえるときれいに収納できるようになる。

2011年06月02日

フロイドスタインバーグ誤差拡散アルゴリズムについて気になって調べようとしたのだが、 何故かフロイドパターソンでググっていた。それはヘビー級ボクサーだろ。 なんでパターソン?たぶん拳児のせいだよな。

ThinkpadE220sが出たが、それほど安いわけでもなく微妙。 CPUが17Wなのは歓迎だが、モニタが180度開かないとか、X220ほど頑丈でもないっぽいとか、 いろいろあって微妙。

データの並べかえばかりしている。ゲーム作ってないな私。

青のエクソシストを4まで見た。あっさり普通の少年漫画になりそうな勢いだが、 細部の描写が良くていい。そして、基本的に主人公がウザい。 いや、おまえのせいだろ、と何度ツッコミを入れたか。 主人公はいかにも少年漫画の主人公だが、弟がそれを中和してくれている。 こんなに少年漫画っぽいのに、大人の視点を強く感じる。ちょっと不思議だ。

Tiger & Bunnyはちゃんとおもろい。しかし、びっくりするような展開には なりそうもないな。説教臭さを感じさせないでいい話にするのは 難しいんだろう。4まで見た。

シュタインズゲートも4まで見た。これ、ゲームおもろいんだろうなあ。 アニメですらこれだけ先が気になるんだから。 バッテリーのあるPCがあればPCゲーくらいならできるかもしれない。 そのうち出る新しいPSPで出るんだろうが、さすがにそれは遠すぎる。

そういえばCも4話まで見た。これ、あまりファンタジーを入れないで、 もっとリアルな金のやり取りにああいう表現を用いている、という形にした方が 良かったんじゃないのか。バトルが何をやっているのかまったくわからないし、 わかる必要がないことがありありとわかるので、わかろうという気になれない。 結果単なる雰囲気映像と化している。

ツール作りは嫌いだ。しかし、困ったことにたぶんそこそこ向いている。 やろうと思えば例の初心者言語にIDEを作るくらいのことはできるんだろう。 でもやっぱり嫌いだ。

.netでデータバインディングを覚えた。 あーなるほどな。わかりやすい説明が少なくて多少手間取ったが、 要するに、プロパティの変更通知と、どいつのこのプロパティからどのプロパティに つなげるか、というところの手続きが本体だ。

mTextBox.DataBinding.Add("Text",this,"Message");

なんて書くなら、Messageという名前でstringを返すプロパティを作っておけば、 それで中身がTextBoxに入る。あとは文字列が変化するタイミングで 通知してやれるように自クラスがなんとかというインターフェイスを継承して 必要な関数を実装し、必要なタイミングでその関数を呼べばいい。 記憶だけで書いてるので適当。 とにかくこれをやれば、画面に映ってるものと中のデータ構造がズレて えらいことになるお決まりのバグとおさらばできる。 変更する度に全セーブするようなバカなプログラムを書いて安全確保する必要はない。 それにしても、 テキストボックスに誰かが持ってるstringの中身をつなげるだけのサンプルを 用意してくれれば一発でわかるのに、なんでいきなりDataSetとか言い出すのか。 C#に慣れてればそれでもわかるんだろうか。 根本的に他人が用意したものを組み合わせるプログラミングは嫌いだ。 考えるより調べる方が重要、なんていう現実を私は見たくない。

干しなつめやしを煮てグズグズにし、そこに粗挽き小麦全粒粉を入れてふやかし、 さらに細かい小麦全粒粉を入れて練って、薄くのばして焼いた。 ほんのり甘いチャパティができた。焼きでしくじったので食感は悪いが、 味はなかなか良い。 なつめやしの甘さは果糖なので、砂糖ほど体に負担をかけないし、さわやかだ。 というわけで、なつめやしもパンに使える。 ちょっと煮ればすぐグズグズになるので、いちじくよりも使いやすいだろう。 煮る加減と切り方次第ではチョコチップみたいにもできそう。

大田区の施設利用登録をしてきた。

2011年06月01日

第二回新婚旅行はたぶん一般的には家族旅行と呼ばれるものになるんだろうが、 こんなものは気持ちの問題なので新婚旅行と呼べば新婚旅行なのである。 高知良さそう。一回だけ行ったことがあるが、高校の漫画甲子園の時なので すごく昔の話だし、当然観光はまったくしてない。 外で踊ってる人がいたなあ、という印象だけはある。

大田区のスポーツ施設予約。利用登録しないと。明日萩中行ってこよう。

いや、普通に商売の範囲だろう。採算取れない商品はなくすのが普通だろう。 丁度いいきっかけがあったというのは事実だろうが。 ひつじこの実家も私の祖父の家もタバコを仕入れて売っているので あの異常な種類の多さはよく知っている。 売る側の手間その他諸々を考えても、種類が減ることは歓迎だろう。 JTとしても「どうせ客はジャンキーなので別の銘柄に移動するだけで売上は落ちない」 という確信があるだろうし。


もどる